第20回 頭文字はわずか十種類

 回文を長いこと作り続けていると、全部ひらがなにひらいてひっくり返して……という作業が単純に思えて飽きてくる時期がある。そんな時期に、ちょっと気分を変えてみようと作り始めたのが「アルファベット回文」。ローマ字回文と言い換えてもいい。要するに、アルファベット表記にしたときに上から読んでも下から読んでも同じになるという文である。
 といっても英語で回文を作るわけではない。そこまでの語学力はない。日本語のアルファベットで作るのである。例を出してみよう。

  値引け駅弁(nebikeekiben)
  お肉すするススキノ(onikususurususukino)

 ちゃんとローマ字をご確認いただきたい。しっかり回文である。このパターンで最初に作ったのが一つ目に紹介している「値引け駅弁」である。どこかの駅で「駅弁」がアルファベット表記されているのを見かけたとき(考えてみるとものすごくダサい表記だ)思わず逆読みを発動させてしまい、「こ、これは……『値引け』だ!」と体に電流が走った。それ以来、狂ったようにアルファベット回文を作り続けている。最近は日本語よりも先にアルファベットで逆読みモードに入ってしまうくらいだ。
 そして言語感覚に優れた方ならご察しの通り、このアルファベット回文は日本語で作ろうとするうえで大きな問題点を抱えている。日本語は母音と子音が常にセットになっている言語だ。それゆえ、すべての文はaiueoの母音、もしくは「ん」のときのnで終わることに決まっている。それで回文にすると、頭文字が「あ・い・う・え・お・な・に・ぬ・ね・の」の十種類に限られてしまうわけである。値引けの「ね」もお肉の「お」もやっぱりそうだ。日本語の回文なら、五十音それぞれを頭文字にすることが可能。アルファベット回文の場合は、頭文字の種類に制限がかけられてしまうというルールなのだ。
 しかしそんな制限も「ふーん、それで?」としか思えないのが私のような回文ジャンキーである。むしろ十種類もあれば文を作るには十分だろくらいに思っているし、ルールがガチガチなほど燃えるのだ。

  アルミ缶な木村(arumikannakimura)
  日光村に鳴る木琴(nikkomuraninarumokkin)

 アルファベット回文に目覚めてしまってからというもの、目に入るすべての日本語を脳内で即座にアルファベットに直してしまう癖がついた。アルミ缶! これは木村だ! 木琴! 日光じゃん!ともう手当たり次第である。そしてアルファベット回文でたいへんお世話になっているのは「n」である。「な」「に」「の」などは助詞として使えるから文のつなぎ目になってくれてめちゃくちゃ便利。日本語では頭文字になることがない「ん」が、ひっくり返すだけで「な・に・ぬ・ね・の」の5つもの文字に変貌してくれるなんて、日本語に「ん」があってくれてよかったと心から思うわけである。そしてこのアルファベット回文は、録音して逆再生してみてもちゃんと元通りになる。それが余計に楽しい。
 そしてもう一つ、アルファベット回文を作るときついつい挟み込んでしまうのが「英語」だ。

  恵庭ワイン(eniwawine)
  居酒屋「バナナ・ベイ」赤字
  (izakayabananabayakazi)
  エロめの男とワン・モア
  (eromenootokotoonemore)

 いずれも日本語と外来語をチャンポンにしたかたちのアルファベット回文なのだけれど、「ワイン」「バナナ・ベイ」「ワン・モア」の部分は英語の正確なスペルをそのまま反映させている。このスタイルを初めて思いついたのは「バナナ・ベイ」の回文だ。居酒屋の「居酒」と「赤字」でアルファベット回文構造になっていることには前々から気付いていてどうにか使ってみたかった。しかし居酒という語は後ろに「屋」をつけなくては日本語として成立しない。そうするとアカジではなくヤカジになってしまう。yの扱いにとことん困っていた私は、プロ野球の横浜ベイスターズの試合をテレビで見ていてふと天啓を受けた。「bay」でいいじゃん。そうすれば「赤字」という文字列を活かせるし、それくらいの英単語なら誰だってわかんだろ。
 そうかその手があったかと思う一方で、迷いもあった。これまでアルファベットとはいえ日本語での回文にこだわってきたのに、中途半端に英語を混ぜ込んでしまっていいのか。それは日本語という構造への裏切りではないのか。迷いながら、「bay」にくっついて回文構造になりそうな英単語をあたってみた。「banana」があった。「anana」の部分の文字列が完全に回文構造で、しかもbに接続している。これは使える単語だ。実際、bananaを用いた英語回文で「Yo! banana boy!(よう、バナナ野郎)」というのも見つかった。
 バナナ・ベイ。居酒屋にしてはわりとハイカラな名前。カットレモンの挟んである真っ青なカクテルとか出してくれそうな店名だ。そこらの汚い店とは違うちょっとお洒落な居酒屋というコンセプトで始めたんだろうな。でも結局、中途半端な営業戦略のせいでいまいち客が集まらなかったんだろうな。
 居酒屋「バナナ・ベイ」赤字。今までとは違う新機軸としてドキドキしながらtwitterに投稿して様子を見てみたところ、あまりお気に入りは伸びなかったけれど「これすごい好き」なんて反応もあり、それなりの自信になった。そんなわけでこれ以降、アルファベット回文は英単語混じりがむしろ主流になっていった。
 しかしアルファベット回文の可能性に気付いたばっかりに、私の脳は「見た言葉をすべてアルファベットに直す」というさらに無駄な機能を追加するようになってしまった。日本語の文章を読まなくてはいけないときにそれはさすがに困る。それでも、回文の種を見つけ出すことは脳内麻薬がドバドバ出るたまらない快楽なのだ。
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山田航(やまだ・わたる)。
1983年生まれ。歌人集団「かばん」所属。2009年第55回角川短歌賞、第27回現代短歌評論賞を受賞。第1歌集『さよならバグ・チルドレン』で第27回北海道新聞短歌賞、第57回現代歌人協会賞を受賞。同年、第4回早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞を受賞。アンソロジー『桜前線開架宣言 Born after 1970現代短歌日本代表』(左右社)、第2歌集『水に沈む羊』、エッセイ集『ことばおてだまジャグリング』がある。札幌市在住。

イラスト:オカダユミ