第12回 1行はぱんぱんにふくらんで

 日本語は母音と子音がワンセットになっている言語だ。だから普通の脳みそはその二つを分けて考えることはない。「さ」と「た」は同じaの母音を持っているが、普通の日本人はその二つは別の音だと確信して疑うことがない。
 しかし私は「さ」と「た」は同じ母音を持ったものとして、常に寄り添ったものと感じ続けてきた。その二つの音を分けるものは子音のsとtだ。私は、日本語であっても母音と子音がいつも分かれて聞こえてくるし、読めてしまうのだ。ひらがなもカタカナもつねに音素として分解されて、頭のなかで鳴り響き続けてしまう。だから「さ」と「た」は別個のものではない。普通の人の目には緑と紫は別の色として見えるけれど、画家はその二色が同じ青の要素を含んでいるという共通性を見出す。私にとってはaという母音が、そのときの青と同じものなのだ。

 そういえば私はこの文章をローマ字入力で打っている。日本人のかなりの割合が、パソコンでタイプするときは同様にローマ字入力を使用しているようだ。みんなキーボードを使っているうちに、自然とローマ字を身につけていったのだろう。しかしキーボードが普及する以前は、文章を書くときにいちいちローマ字を意識する人はほとんどいなかったんじゃないか。「た」が「ta」であることを日常でつねに意識しなければならない状況なんて、ほとんどなかったんじゃないか。うちの父はローマ字入力が使えなくてかな入力でパソコンを使っているが、そっちの方が日本語話者としてずっと自然だろう。ローマ字入力の一般化によって、「た」が「ta」とイコールであるという過剰な情報を、つねに頭に叩き込んでおかなくてはならなくなった。さらに先ほど「状況」と打ったときに「上京」という変換候補が先に出てきて、私は文意に沿うために「状況」を選んだのだが、手書きの時代に同音異義語をつねに意識して、正しい候補を選ぶことに腐心し続けるような状態に置かれた人はほとんどいなかっただろう。もしいたとしたら、それはすでに精神的にやばい人だ。「ああ、状況と書きたいのに上京と書いちゃう……意味が変わってきちゃう……」こんな台詞が現代にあったらそんなに不自然じゃないかもしれないが、昭和の時代に発せられたものだったら相当異常だろう。
 パソコンのキーボードを使う現代人は、「た」と「ta」がイコールであり、「状況」と「上京」は別の言葉であることを昔よりもはるかに過剰に意識しなくてはならない。その分脳のリソースが余計に割かれるのだから、消耗していらいらするのもしょうがない気がする。そして私はそれと同じようなことが、自分で書くときだけではなく、読むときも聞くときも起こるのだ。人が話す言葉は全部ローマ字入力と同じように「t」を経てから「た」へとつながる。ワンステップ踏む必要が出てくる。「状況」という単語を見たら「上京」や「情況」も変換候補のように頭のなかにずらっと並んでくる。

 また、人は他者の発話を聞くときに、アクセントや強弱の違いによって意味が異なることを察することができる。「ダメッ!」と「だめー!」と「だーめ」はニュアンスが違うことがなんとなくわかる。
 そして私はテクストの上であらわれた「だめ」の二文字であっても、そのニュアンスの違いが気になってしょうがない。これは「ダメッ!」なのか「だーめ」なのか。同じ「だめ」であっても発話者の意志は天と地だ。しかしうまく読み取れない。周囲の情報をフル活用したりしながら、なんとなく推測するしかない。私にとって「だめ」は二文字ではない。発話者はどんな人物という設定か。どんな状況で発せられた言葉か。一文として独立した「だめ」か、独立せずにつながっている「だめ」か。ページの余白は。そういうことまで考慮に入れて読まないと、「だめ」が汲み取れない。とても疲れるし、困る。

 私は歌人なので短歌の歌集をよく読むが、たいてい1ページに2首や3首しか入っていない。書物は情報を得るためのものだと考えている人は、文字数よりも白い部分の方が多いスカスカのページを前にすると、悪夢を見ているような気分になるらしい。しかし私にはその方がずっと心地よい。理想を言えば1ページに1行しか載っていない本が最高だ。なにしろ、私には1行がぱんぱんにふくらんで見えるのだ。実は1ページに2~3首の歌集でも読んでいるとお腹いっぱいになるので、途中でたびたび休憩を挟まなくては読み通せない。1ページに1行くらいがちょうどいい情報量なのだ。普通に文章がびっしりと埋め尽くすように書かれた本は、情報量が多すぎて頭痛がする。「これは書いてある以上の深い情報量があったりするタイプの本じゃないんだ」と了解してみたって、脳が勝手に働いてしまう。私の脳は天然でローマ字入力方式で、変換候補がずらっと表示されるシステムで、アクセントや発音の違いによるニュアンスの違いをテクストからも感じなくては正しい情報を読み取れない仕様になっているのだ。
 そんなだから、余白だらけのスカスカな本を見ると心の底からほっとする。自分と同じシステムの脳の持ち主が、この世界に他にもいるんだ、と。87_12_187_12_287_12_3
山田航(やまだ・わたる)。
1983年生まれ。歌人集団「かばん」所属。2009年第55回角川短歌賞、第27回現代短歌評論賞を受賞。第1歌集『さよならバグ・チルドレン』で第27回北海道新聞短歌賞、第57回現代歌人協会賞を受賞。同年、第4回早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞を受賞。札幌市在住。

イラスト:タナカ由美