#3 呼吸へのリターン

 いつの間にか百日紅はおとなしくなり、いなくなり、朝夕はすっかり涼しくなった。裏庭ではブーゲンヴィリアに覆いかぶさるようにして燃えるようなオレンジ色のスイカズラが咲きはじめ、むかいの家の前でも鮮やかなオレンジ色の小粒の実を枝ぎっしりとつけた木が存在を主張しはじめた。あれはピカランサと言うのだと友人に教わった。ビジネスクライアント系ランドスケープ業界でもオレンジ色が流行っているのか、アーバインあたりの企業が集まるコーポレートパークや中央分離帯、わが大学のキャンパスでもロースクールのまわりなどは沢山極楽鳥花とクヮンソウが植えられ、さながらトロピカルパラダイスみたいなことになっている。もちろん綺麗だからオレンジの花ばかりの秋で一向に構わない。
 マランタという観葉植物を購入した。アカデミアでは、就職活動シーズンがはじまっていて、今年は私のフィールドでの若手の公募の激減に息をのんだ。私の言う若手、というのは大学院出たての助教レベル、テニュアトラックを目指す若い人たちのことである。いい大学院でも、行き場所がない。見知らぬ若い人たちのつらい心持ちを思って気を落としていたある日に、植物を買ってしまった。
 そのマランタの鉢は店のすみっこで、もしゃもしゃ枯れた葉を沢山つけたまま忘れ去られていた。中南米原産だから、本来ならアマゾンみたいなレインフォーレストに生息する美しい植物である。光のなかなか届かない誰も知らない暗いところで朝になると人知れずその天鵞絨のような夢のような葉を広げるものたちを手元に置いてみたくなっていた。オフィスに置いたら空調が寒いとくるくる巻きになってしおれたので、家に連れて帰った。見るたびに私は少し元気になる。マランタを救ったつもりで、その実私がマランタに救われたのだった。
 世の中、心を痛めるニュースが多い。プライベートでも予期せぬことがあってバランスを完璧に失った。ヨガスタジオに行くと、こころとからだが如何に弱っているのかがわかる。まず、呼吸が浅くて早くなっていることにきづく。それを滑らかに、少しずつ鼻から息を汲み取り、ゆっくりとした大きな呼吸にしていく。時としてヨガは呼吸のプラクティスでしかない。酸素を「生命源」と認識して息を吸い込み、吐き出す時に毒素を同時に体から出してしまうようにすることもあるし、体のすみずみにに意識的に送り込むようにすることもある。
 呼吸の練習が必要だなんて変な話だけれど、これがあるのとないのとでは日々の生活がまったく違う。呼吸と体の動きを意識してあわせていくと、なんらかの滞りに気づく。こころのものもあるし、からだのものもある。デスクワークをする人には多いと思うけれど、私は肩がやられている。背骨もやられそう。そのうち首もやられそう。やられる、というのは、筋肉が固まってしまって空気が行き届いていない状態をさす。でも、弱っている部分に息を意識的に送り込むと、元気になっていく。そういった部分に負担がかからないようにして、時には重力と友達になってポーズをとり、息でほぐしていくことを学び始めた。
 自然治癒力というのはすごい。スピードは遅くても、いろんなダメージが、正しい栄養バランスと水分補給と睡眠にあわせて、呼吸を意識した運動で治っていく。もし今のまま、グローバル展開していく大企業のとどまることのない利潤追求がのさばっていくとしても、生活習慣次第では高額医療に頼る必要はないのではないかなどということを最近夢見る。私のこの文章を読むあなたは、誰なのだろう。そんな夢の共犯者はいるのだろうか。The highest in me salutes the highest in you —ナマステ。
孫崎玲 20/21世紀英語米文学。チャップマン大学准教授。カリフォルニア州、オレンジカウンティ在住