#4 追悼としてのとある翻訳

 先日のパリでの悲劇的なテロについて、ここのところ毎日考えていた。その前日にベイルートとバグダッドでもテロが起きていた。それぞれ43人と45人の死者数を出したとされ、負傷者の具合によってはあがるかもしれない。その2週間前にはロシアの旅客機がエジプトで爆弾によって墜落していた。
 集中した期間でIS(通称イスラム国)が引き起こしたテロなのだから一連の事件とみていいのではないか、フランスの被害者に追悼の意を表明するのであればこれらの人々の死も同じ重みでとらえるべきだ。そういう意見を見た。その視点は非常に大切だと思う。
 この2週間に制限しなければどうなるだろう。パリテロの数日後気になって調べた。イラクでここ4週間、IS犯行とされるテロ事件は先述のほかにも3回はあり計32人の死者がでている。今年に広げると、西側諸国で報道されているイラクでのISテロは少なくとも20回あり、総死者数は450人以上。イラクに制限しないのであれば、トルコでは10月に102人の死者を出したISテロがあったし、6月にはシリアで146人が亡くなるテロもあった。ほかにもサウジアラビア、リビヤ、クエート、イエメン、エジプト、パキスタン、アフガニスタン、チュニジア等で今年に入って最低32回に渡ってISテロの犠牲者が報道されている。
 この時点になると足し算をする意味があるのか果たしてわからない。数字というのはある程度を越すと意味を失う。頭の中でリアリティーとしての理解ができなくなるのだろう。
 もちろんIS以外のイスラム過激派グループがひきおこしたテロの数も無視できない。The Religion of Peaceによれば世界のどこかで10月中、イスラム過激派テロのなかった日はないのだ。数字が意味を失うといったばかりではあるけれど、イラク戦争の被害者データを表示しているIraq Body Countでは今年に入って今年だけで13,100人にのぼる市民の死者がカウントされている。
 スプレッドシートも見た。銃撃戦もあれば報道されていない小さなテロもあるし、処刑もある。村から逃げようとして殺害された夫婦。ISリーダーの治療を拒否して殺害された医者と奥さん。結婚を祝って車に飾りをつけたことをとがめられた新郎新婦。反対に、ISと共謀した疑惑での殺害も数多くある。いずれもExcelシートの一行一項目におさめられないような出来事のはずだ。

 先月のThe Paris ReviewにStephen Dunnという詩人の”In Other Words”という題の作品が掲載されていた。このようなものだった。

When it comes to the underworld
and the fragility of guesswork
What makes us think the dead
want evidence of our caring?
At the Gravesite, a litany of roses,
Good wishes, and prayers.
And those who are pretending —
Let’s remember at such moments
everyone is an amateur of feelings.
Some of us will be the kind
who say nothing, pivot, and walk away
Those who choose to speak
will discover it takes other words
to say the words they mean.

 意訳するとこんな感じかと思う。

あの世のこととなると
それは脆い憶測の世界の話であり
そもそも他界した者たちが
我々が彼らのことを考えているかどうかという証拠を求めているなどと、
なぜ思うんだろう?
墓地では延々と薔薇と
善意と祈りに満ちた文句が並べ立てられる。
気にかけているふりをしているだけの人々にいたってはーー
忘れないでいよう、こういう時には
どんなひとだって感情の素人でしかない
いあわせた我々の中には
何もいわず、踵を返し、歩き去る性格の者もいる
何かを言おうとする者たちは
違う言葉を探さないといけないことに気づく
口にした言葉に意図した意味を持たせるためには。

 あの世と訳したけれど”underworld”という重々しい言葉がチョイスされている。”world”という言葉つながりであることを思った。タイトルの”in other words”と響きは似ていながら意味の異なる”in other worlds”というフレーズがある。感情を表現する正確な言葉を探そうとする試み(”in other words”)と、他界してしまった人々(”in other worlds”)とは、永遠にすれ違い続ける、ほぼ同じ響きだけれども違う意味を持って行くのだという冷ややかな現実が浮かび上がる。追悼と自己満足が紙一重だという事実を、同時に突きつけるこの詩にはっとしたのは、パリの事件がおきる数日前だった。
 そう、他界してしまった者たちはもういなくなってしまったのだ。残された我々が各自感じるものは自分たちの持っている数々の気持ちの投影でしかなく、ただ形式に倣う者も無言で立ち去る者も言葉の模索をする者も、みんな等しく所詮「感情の素人」でしかない。傍観者を装う「詩人」自身だって同じだ。
 でもあきらめる者含めて言葉を探そうとするのは自然なことで、失われた者より自分のためだったってそれは悪いことではない。パリのテロ事件後にフェイスブックのプロフィール写真をトリコロールにするのも、テロについて精密な分析を試みた記事を書くのも、どちらも表現という手段で「喪失」を想像上で解決する行為としては同じようなものだろう。ただし、その「喪失」を真に見据えることができるのは、言語的表現と関係のない場所でかもしれない。そこに、呼吸を送り込まないといけない。

 言葉のニュアンスと音楽性、両方が大切な「詩」というものを翻訳するのはほとんど無理だとわかっていながら、ここで敢えて試みたのは理由がある。この詩は別に英語以外の読者を必要としていない。また、日本人で彼の作品を知る人は少ないと思う。でも、日本語訳を試みたとき、少なくともこの詩人、この詩、そういった存在についてあなたに、これまで閉ざされていた何らかの可能性が開かれるはずだ。それは英語を話す読者にのみ、英語で書かれた詩の意思に反して、かもしれなくて、そこになんらかの意味がある気がした。今だから特に、そういった行動に意味があるのではないかと思った。
 不完全な試みだ。パリの被害者が中東各地の被害者より大切に扱われる理由は、帝国主義国家同士である「西側」諸国の共通の歴史に随して、いくつもあるだろう。そのひとつに知識人の中でフランス語を理解する人の方が、アラビア語を理解する人より多いという事実がある。言語の通じない者たち同士もまた、”in other worlds”に属する者同士だ。本当はアラビア語の何かを翻訳できればいいのだけれど、私にはその能力がない。だからこれが今の私の精一杯の”in other words”として罪なき、見知らぬ、テロの被害者である世界の喪失的存在への追悼の言葉にさせてもらいたい。報復という形の負の追悼と違うなにかを求めて。(2015年11月25日)
孫崎玲 20/21世紀英語米文学。チャップマン大学准教授。カリフォルニア州、オレンジカウンティ在住。
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