#7 国境のむこうから

 4週間程の一時帰国のあと、南カリフォルニアに戻ってきた。
 日本では参議院選挙を迎え、その後都知事選に沢山の人の意識がシフトしていったその週、私が戻ってきたアメリカを揺るがしたのは人種問題だった。二日立て続けで白人警官によってルイジアナとミネソタという違う州で、黒人男性が警官に射殺され、動画がインターネットで流れた。双方とも、無罪にしか見えない動画だった。
 その翌日、起こったデモで黒人のスナイパーが警官3名を射殺する事件がテキサスで起きた。その後2、3日、新たな事件はなかったけれども、サンドラ・ブランドという黒人女性が留置所で不審な死を遂げてからちょうど一年、その間に似たような境遇で拘束されて亡くなった黒人は810人を超えているという報道があった。そしてまた新たにルイジアナで警官たちが殺害された。
 こうも次から次へと黒人と警官たちの死体が積まれると、何も感じないように心が麻痺するような感覚に陥る。これらの出来事に際してできることは何もない。でも仕事の上では、これからも米文学の授業で文学作品を通して若い人たちとアメリカが抱えるいくつもの問題のひとつとして人種問題と取り組み続けることはできるかもしれない。
 文学は単なる社会問題のメッセージではないけれども、人種問題を含めてアメリカ特有の社会問題を提起をする文学作品について考えてもらってダイアローグをもつことで、ひとりひとりが心ある市民に育ってもらうことにある程度の希望を託すことはできるかもしれない。

 私はアメリカ文学を教える仕事上、自分が日本人であることを隠したことはない。アメリカの歴史は文学を教える大学教員に求められるレベルで把握・理解しているし、アメリカで起きる出来事に本気で心を痛めることもあるけれども、アイデンティティーは日本人であり続けている。
 私の英語にアクセントはないけれども私の母国語は英語ではなく日本語であり、 アメリカの政治も日本の政治も同様に意識して生きていることを、生徒は知るようになる。
 その外国人性は便利な時もある。
 私が教えてきた大学機関は地元で育った白人の生徒が多く、ともすると彼らにはアジア系アメリカ人とアジア系外国人の違いが見えず、例えば慣れ親しんだおもちゃもお菓子もテレビ番組も雑誌も違う世界がいくつも存在するということを感覚的に理解していない生徒もいる。 例えば日系アメリカ人あるいはその他のアジア系アメリカ人の作品を扱う時、作家が育った国の過去を共有するのは私ではなく、生徒の方だ。いくら私とそのアジア系アメリカ人作家の顔や体つきが生徒自身より似ていたとしても、私は文学上価値のある作品を書いたアメリカ人作家として紹介しているのであって、それ以外のつながりはほとんどない。 自らを白人と認識する生徒が白人ではないアメリカ人作家のことをどんなに「他者」だと思っていたとしても、私とその作家の国籍に基づいた歴史的・社会的な圧倒的他者性には及ばないことで、壊されるべきある壁が直感的レベルで壊されることもある。
 そんな風にして自らを他者にすることで、白人の生徒がこれまで他者ととらえてきた、アメリカの歴史の通説的の観念の上で中心に据えられてこなかった、マイノリティーグループから出てくる小説家や詩人などが自分たちと同じ権利を持つアメリカ市民なのだと、ようやく抽象的なレベルを通り越して認識してもらうことに成功することがある。
 もちろん決定的なレベルではそれは文学作品そのもののもつ強い人間性の表現力がなす技で、私の役割は補助的でしかない。人種という概念がいかに想像上のものであって、歴史的に構築されてきたものかということを説明するために、優れた理論家の文章を紹介することで補強することもある。そこでも、私の役割は補助的でしかない。
 けれども、アメリカ文学を教える優先権がアメリカ国籍に必然的にあるわけではないということで、文学と取り組むことがひとつの学問体系であることを理解してもらえることもある。
 私はアメリカ人の基準で勉強し、アメリカ人と教職のポストを競い、居場所をもらった。すべての人にもらえられるわけではないけれども、 少なくとも私というひとりの外国人が勉強と競争の機会を公平にもらえたことはまぎれもない事実であり、それはアメリカの一番よい姿であると思う。アメリカが建国以前からずっと抱えてきた人種問題が醜悪な形で報道された週、それがこの国のすべてではないことも記しておきたいように思う。

 こういう深刻なことばかり考えないといけない時に戻ってきて、またしてもヨガに救われた。
 最終的には自分一人でできるようになりたいものだけれども、まだひとりで満足なヨガプラクティスができるレベルには達していない。一時帰国中に東京のリズムに慣れるにつれて、動くのが楽になったようでいて、呼吸は浅くなっていたようだ。スタジオに戻ってようやく気にかかることに一時停止ボタンを押して、身体の調子のいいところと悪いところをチェックするように深く呼吸することに、意識を向けることができた。
 前を見すぎたり後ろにとらわれすぎないように、今の自分に芯を置く。一息一息ゆっくり、芯から隅々までエネルギーを取り込んで、いらないものは手放す。痛いところはないか、固まっているのはどこか、足の指の関節はひとつひとつ動くかどうか。PCその他のデバイスを使う現代人特有の肩や首への負担から、少しでも息と重力で解放してあげられないかどうか。
 戻ってきてすぐのヨガクラスで、先生方のひとりが近くに来て“I know you’re strong”(「きみは強いはずだ」)と言った。以前、もっと若い先生が近くに来て、“You’re flexible but weak”(「きみは柔軟だけれども弱いね」)と指摘されて思わず笑ってしまったのだけれど、「強いはずだ」と言われるとやる気がでる。いい先生は、生徒の可能性に賭けてくれる。
 違う日のヨガのクラスで、こんなことを考えた。
 私が記憶と称するものは、 杉並区にあった高井戸公務員住宅の102号室の玄関から始まる。近くに生えていたムラサキツユクサとか紅はこべとか小さな植物まで覚えている。その前は、暗闇に等しい。一家が父の赴任先であったモスクワから東京に戻ってきた時、私は4歳だった。既にロシア語を話していたと言うのでそれより前の記憶がないはずがないのに、国境を越えて生活環境が変わったことが幼児の頭では把握しきれずにロシア語そのものと一緒に「よくわからないこと」とひとくくりにして消去したのではないかと思う。
 ロシア、という言葉を口にして近所の大人に笑われた覚えもあるので、すぐにすべてを抹消したわけでもなさそうだ。そういった気まずい瞬間が重なって、徐々に忘れていったのだろう。ただ、ひとつだけ、手元に残されたモスクワの記憶がある。私は車の窓際にいる。太陽がいっぱいの日、赤信号だったのか窓の外で隣に並んだトラックの見知らぬ運転手が、助手席から窓の外を見ていた私にウィンクを送った。人懐こさの直球、驚き、そして喜び。それだけのことなのだけれども、言語と関係ないところで、瞬時にして去ったある繋がりが瞬時にして起こった。その記憶だけが外套膜に包まれた異物であったかのように年月を経て真珠の光沢に似た輝きを放つものになってから久しい。
(2016年7月19日)
孫崎玲 20/21世紀英語米文学。チャップマン大学准教授。カリフォルニア州、オレンジカウンティ在住。
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