#6 蘇生の空間

 学期に追われるうちにずいぶんとあいだがあいてしまった。
 気がつけばキャンパスで見事に咲き誇っていたはずのジャカランダの木々も紫の花びらが散ってしまう季節になった。3月の終わりに行ったハーバード大学での比較文学研究の学会の記憶がまだ新しいのに、4月にはマイアミのアジア系アメリカ学会、5月はサンフランシスコの米文学学会と追われるように文章を書いていた。いきなり6人修士論文を書く生徒を抱えてしまっていたこともあり、授業と日常の要求に応じるので精一杯な日々が過ぎていき、今年は春学期が終わった週にヨルバリンダの古本屋に行く時間も余裕もなかった。学期末の採点と成績づけを終え、次の本のリサーチも含めてソルトレークシティーに向かう飛行機からようやくこの文章を書き始めることができた。
 読み手であるあなたには、話しかけたいと思いながら時間を過ごしていた。
 あなたにもここ数ヶ月、時として暗澹とした闇に包まれた時間に細々と個人単位で鈍く輝くような、幾つかの小さな奮闘や強がりなんかがあったのだろうか。私はボストン滞在中に、マンハッタンのセントラルパークを手がけたフランクオルムステッドがボストンに造った“エメラルドネックレス”と呼ばれる公園の一連のうち3つを歩いた時間で、忙しい数ヶ月を切り抜けられたように思う。朝に降った雪に反射しながらも温かみのある早春の光の中、柳の枝葉の黄金の輝きや太陽そのものを見上げながら、2、3時間ほどチェロ演奏を聴きながらてくてくと歩いたという、ただそれだけのことだったのだけれども。
 ソルトレークシティーに向かった理由は、ユタ大学のスペシャルコレクションに置かれている笠井アリスという日系アメリカ人の資料約150箱だった。アメリカの大学のスペシャルコレクションは通常図書館に置かれている一番貴重な文化財で、例えば先週はプリンストン大学のスペシャルコレクションでノーベル文学賞受賞者のToni Morrisonの資料が公開されたというニュースがあった。今回私が興味を抱いた笠井アリスの両親は20世紀はじめに佐賀県からシアトルに移住し、その後一家ソルトレークシティーに移り住んだ。アリス自身はそこで市民団体から表彰されるほど日系コミュニティーのまとまりに尽力した一生を送った人物だったようだ。アメリカの大学図書館で保管されるに値すると断定された歴史的人生であったということだけでなく、文章を書いた人だということに興味があったので、アリスの自伝やスピーチなどの書き物やスクラップブックが保管されている何箱かを閲覧した。
 笠井アリスの一生は一度、第2次世界大戦で大きく揺れたものだった。夫の笠井ヘンリーは日系コミュニティーのオーガナイザーで、真珠湾攻撃前後にFBIに連行され、いくつかの強制収容所に身柄拘束をされた。リーダーとみなされた人間を拘束することで日系コミュニティーに打撃を与えるつもりだったのだろう、とアリスは書いていた。いきなりFBIが踏み込んだ時、どんなに怖かったことだろう。どんな気持ちで、いつとも知れぬヘンリーの帰還を子供たちと待っていたのだろう。どうやってその2年間のブランクの時空を埋めたのだろう。もちろん幸せな日々を過ごすために購入したであろう家の空き部屋を、知り合いの女性たちに貸すことで自らと子供たちの生活を繋いだらしい。連れ去られた2年後、スタイリッシュだったヘンリーがよれよれになった衣服で2年後に収容所から帰ってきた姿が信じられなかった、とも彼女は書いていた。思えばアメリカ政府はネイティヴアメリカンを砂漠のレザベーションに追いやった訳だし、今だってキューバ(グアンタナモ・ベイ)に無実の人間の身柄拘束をしているし、過去のことと片付けられないかもしれない。
 残念ながら私はほんとうの作家ではないので、こうしたマテリアルから小説や詩、戯曲などを紡ぎ出す才能がない。ということで本業的には手ぶらで帰ることになったのだけれども、個人的には笠井アリスという人の存在に触れたこと自体が有意義だったように思う。アーカイヴとは不思議な場所だ。知らなかった人の忘れられた思いが過去から存在を主張しはじめ、鮮やかに意識に食いこんでくる。数十年もの時空をものともしない鋭さを持って、ありきたりとも言える言葉たちが蘇る。
 例えば突き刺さってきたのは、英語に囲まれた生活をしていたアリスが日本語で書いた走り書き。
くよくよしてもきりがない時は
麗しの気持ちに満たされて
歌って笑って過ごしましょふ
 掠れた鉛筆の、それでもしっかりとした、昔のひとの筆跡。言葉が支える、ある人間の苦悩の重み。
 今年は7月に夏学期を教えに戻っていくことになっているので、ソルトレークシティーからオレンジカウンティに帰るも束の間、すぐに成田行きの飛行機に飛び乗った。10時間半のフライトに持ち込んだのはフランスの哲学家Jean-Luc NancyのAfter Fukushima: The Equivalence of Catastrophe (2015)と最近知ったメキシコ系アメリカ人のDavid Tomas Martinezの詩集Hustle (2014)、師匠であり友人である理論家Rita Felskiの新著書The Limits of Critique (2015)。持って来たかったけれども重かったのでやめたのを後悔したのは、Alexander Cheeの新作小説であるThe Queen of the Night (2016)。今回はあまり眠ることができなくて、映画と映画の間に、一冊一冊おいしいところをひとかじりして飛行時間を過ごした。
 そういうわけで、今回は東京からお便りしている。大学3年生の頃はじめて留学で渡米してからもう18年経つけれども、日本語の生活空間に戻るとやはり気持ちが楽になる。実家には、家族と、猫がいる。ヴァージニア州の大学街のふちに住んでいた院生の頃、とある誕生日あたりにひょっこり玄関に現れた子猫は、長くて厳しかった院生就職活動時代を一緒に乗り越えたサイドキックだった。数年前、大学からお休みをとって本を書いていた年に住んだ家で飼われていた猫と仲が悪かったので日本に連れて帰ってきて、それからずっと東京に住んでいる。親が私よりも数段よく面倒を見てくれているので、私が帰ってきてもすぐに喜んで飛んできてくれない。腰を低くして隅に逃げていき、しばらくは恨みがましい目つきでこちらを見ているはずだ。それでも嬉しい。数週間の充電期間のあとはまた大変になるけれども、先のことは考えず今という時間の一瞬一瞬を大切に、日本の空気と音を数週間ただただとりこむ予定でいる。
(2016年6月13日)
孫崎玲 20/21世紀英語米文学。チャップマン大学准教授。カリフォルニア州、オレンジカウンティ在住。
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