その4 やばい

 シンちゃんは周囲の人の状況や会話、視線、雰囲気(空気)を無視して、唐突に自分の言いたいことを喋り出す癖がある。
「大発見、大発見。ねえ、キョージュ、『やばい』という言葉は、『刃(ヤイバ)』から来たんだと思うんですよ。いいでしょう」
 なんの脈絡もない発言に、周りの人はびっくりするけど、「また、始まった。シンちゃんのことだから、しょうがない」といった顔をしている。
 うーん。やばいに刃(ヤイバ)を結びつけてきたか。なかなか面白い。シンちゃんにしては、よくできた発想だ。

 言葉の順序を入れ替えるのは、「遊び」の精神で、隠語には古くから見受けられる。宿(やど)を、転倒させて、ドヤ。場所はショバ。ガラスを「すがら」。上野を野上と転倒させておいて、「ノガミ」と読む。最近の音楽関係の芸人たちが、好んで用いているが、その歴史は古い。ギターはタイギ、六本木はギロンポなど。タモリも森田一義の姓を転倒させたものだ。
 しかし、調べていくと、どうも「刃」とは関係がないようだ。強いて漢字を使えば「危い」と書く。「危(あや)うい」や「危(あや)ぶむ」あたりにその理由がありそうだ。
 『国語大辞典』によれば、「やば」という名詞から発生したとある。「やば」を引くと、「法に触れたり危険であったりして、具合の悪いこと。不都合なこと。あぶないこと。また、そのようなさま。やばいさま」とある。
 そこで「やばい」を引くと、「やば」が形容詞化したもので、「もと、てきや・盗人などが官憲の追及がきびしくて身辺が危うい意に用いたものが一般化した語」と記されている。やはり「あやうい」、「あやぶむ」にたどりつく。
 19世紀初頭(江戸末期)に書かれた十返舎一九の滑稽本「東海道中膝栗毛」にも「おどれら、やばなことはたらきくさるな」と登場しているから、最近の「若者ことば」ではなく、その歴史は古い。
 「やば」とは、野馬(野原に放牧されている馬)の説もあるが、矢場のことだろう。現在の射的、パチンコの前身と考えていい。矢場には正体不明な女性がいたから、後の「銘酒屋」につながっていく。裏では、売春を営んでいた。つまり堅気の人が出入りするようなところではない。警察関係の警戒区域になっているから、「危険な場所」と考えられたのだ。犯罪者仲間では、警官や看守などを指す。「やば」あるいは形容詞の「ヤバイ」を名詞としても用いたようだ。「やばの親玉」といえば、警部を指した。
 川端康成が1930年に発表した『浅草紅団(くれないだん)』は関東大震災以後の、猥雑な浅草の喧騒と隆盛を描いた作品として、注目される。川端がまだ30歳のころだ。浅草は元をたどれば、浅草寺の門前町だが、いつの世も庶民の歓楽街だった。レビューや安来節に代表される大興行街にうごめく女性と彼女たちを操るヒモ、食堂の残り物を目当てに底辺で生息する浮浪者など、浅草に生活する各層の男女を観察する川端の幅広い好奇心が鋭い。東京の掃き溜めのような街を生活の場とする不良集団「浅草紅団」の女首領、弓子に魅せられた川端は、今でいうドキュメンタリータッチの手法で、「浅草村」の中に自分を置こうとするのだが、結局は一旅行者としてでしか、浅草に入り込めない。
 1930年代の浅草のイメージは、川端の言葉を借りれば、「エロチシズムと、ナンセンスと、スピイドと、時事漫画風なユウモアと、ジャズ・ソングと、女の足と―。」となる。首領の弓子以外にも、正体不明な春子やお糸といった女性や堅気の生活とは縁のない男性の行動を追うなかで、多くの隠語が出てくる。ズベ(不良少女)、グレ(宿なし少年)、ズブ(流しの乞食)、デカ(刑事)といった類の言葉だ。もちろん、今に残っているものも多い。
 文中に私として登場する川端は、なにやら文章を書く「おじさん」として、連中に認知されている。春子によれば、お糸は洗い髪で公園を歩くと、「血の雨」が降ったものだが、今はデパートの売り子に化けて、初心(うぶ)な売り子を仲間に引き込んでいるという。春子への科白だ。
「この間お糸に紹介してくれたのはいいが、私と歩くのはヤバイ(危い)からお止しなさいって言うんだ」(講談社文芸文庫)
 ここに、浅草の傍観者としての、作者がいる。いくら浅草の街が好きだったとしても、決して住人になることはできない。弓子や浅草の未来を考えても、何も残らない虚無の迷宮が見える。川端にとって、浅草は永遠に「やばい街」だったのだ。

 川端康成が浅草に執着していた時代から約半世紀後の1977年に、橋本治の『桃尻娘』が「小説現代新人賞」の佳作となり、デビュー作となった。賞金は5万円。書き出しはこんな具合だ。高校一年生、榊原玲奈(れな)の独白のスタイルをとっている。
<大きな声じゃ言えないけど、あたし、この頃お酒っておいしいなって思うの。黙っててよ、一応ヤバイんだから。夜ソーッと階段下りて自動販売機で買ったりするんだけど、それもあるのかもしれないわネ。家(ウチ)にだってお酒ぐらいあるけど、だんだん減ったりしてるのがバレたらヤバイじゃない。>(講談社文庫)
 川端が浅草の吹き溜まりに闊歩する少年少女たちの隠語として、用いた言葉が女子高校一年生の日常語として大手を振って登場している。ごくありふれた女子高校生の日常的言語の「モノローグ」は「桃尻語」として注目を浴びた。
<今日、アレが来た。アー、ホントにやっと来たって感じでサ。よかったよかった。心配してたのよねえ、だって新学期からズーッとなかったのよ。そりゃ、いつもキッチリ来るわけじゃないけどサ、「アー、ヤバイヤバイどうしようかな」って思いかけてたの。>(同前)
 出だしの16行で、「ヤバイ」が4か所も登場する。当時の小説現代新人賞の選考委員は、池波正太郎、山口瞳、結城昌治、野坂昭如、五木寛之の5氏。野坂だけが「桃尻娘」を強く推した。野坂の選評の一部だ。
<のっけはとっつきにくかったけれど、今風の、ありふれたローティーン性の修羅絵巻の如くでありながら、作者の視点のたしかさが、はっきり伝わった。>(「小説現代」77年12月号)
 「桃尻娘」には「ピンクヒップガール」とルビが付けられている。これは、編集部が応募原稿に付けたようだが、橋本は気にくわなかったようだ。後で、削除している。「桃尻」とはどんな意味か。桃の先(枝についている反対側)は、座りが悪いところから、馬の鞍への座り方が安定しないさまや、尻をもじもじさせ、落ち着きなく立ち去ろうとするさまをいう。奔放に生きる女子高生のイメージと結びつけたのは、橋本治の時代の言葉を捕えるセンスの良さだ。 
 文芸評論家の斎藤美奈子は、『桃尻娘』について、次のように評価する。
<『桃尻娘』シリーズの功績は「高校生の日常語で小説をやった」ことではなくて(それだったらコバルト文庫だってそうなんだからね)、「高校生の日常語で妊娠小説をやった」ことである。>(『妊娠小説』ちくま文庫)
 本来は、犯罪者の隠語だった言葉が、安定しバブル経済の兆候が見えてきた社会への抵抗から、若い人の間に、一種のカッコよさと共に用いられてきたと考えられる。
 つい最近、体操のNHK杯で10連覇を果たし、世界選手権大会への出場を決めた内村航平が、「(若い選手たちが伸びてこないと)日本の体操界はやばい」と、NHKニュースで話していた。これは「危険な状態」の意味で、問題ない。
 ただ最近は、良い意味でも用いられるようになってきた。「おいしい」とか、「素晴らしい」の意味で若い人が使う。
 1990年頃からといわれるが、その理由はわからない。『広辞苑⑦』の「やばい」は、①ふつごうである。危険である。とあり、②にのめり込みそうである。「この曲はくせになってやばい」という用例を挙げている。この②の意味が変化したというか、時代の流れを汲んだということだろう。しかし、褒めことばの意味があるまでは取り上げていない。
 『広辞苑④』では、「危険である意の隠語」と、あるだけだ。
 ユニクロのテレビCMを観ていたら、テニスの錦織圭とゴルフのアダム・スコット(オーストラリア)が出演していた。二人とも、ユニクロアンバサダーとして、ユニクロのウエアを着用している。錦織の科白は、「感動パンツ」と一拍おいて、「ヤヴァイ」の二つだけ。これはもちろん。「危ない」わけではなく、賛辞として使われている。
 日清食品が発売しているインスタントカップ麺には、シンガポールの「ラクサ」風味の商品がある。科白とともに、画面には「ヤバい。なんかクセになる。」の文字が現れる。
 言葉の意味が時代と共に、逆転することは珍しいことではないが、「やばい」のように、短時間で正反対の意に変化し、併存している例は珍しい。
 2017年2月の西日本新聞の記事によると、福岡県内のある中学校の先生が、「『やばい』と言う言葉を使わないで、表現しなさい」と生徒に指導したそうだ。やはり、犯罪者集団の隠語のイメージが強いので、その先生は、苦々しく思っていたのだろう。その気持ちはよくわかる。先生が注意しなくては、と思うほど用例が氾濫しているということだ。しかし、言葉の「禁止令」というのは、なかなか難しい。言葉は生きているもので、差別用語のように、言い換えることだけが優先され、大切なその本質的な考え方や意識はそのままになってしまうこともある。
 私は中学時代、国語の先生から、「いやらしい」という言葉は、あまり使ってもらいたくない言葉だと教わった記憶がある。元は、「否(いや)らし」で、「嫌」という名詞に「らしい」という助動詞が付いた形が、日本語として気に入らなかったのだろう。また、「好色」の意味を含むことが、当時の中学生に適当でないと判断したのかもしれない。ちなみに、1889(明治22)年初版の大槻文彦の『言海』に、「危い」と「嫌らしい」は載っていなかった。
 シンちゃんは、『桃尻娘』を当然読んではいたが、育ちが良いから、決して「やばい」などという下衆な言葉は用いない。「やばい」には若い女性が使うイメージが強いという。となると、「やばい」の普及には橋本治の影響が大きいと考えるべきだろう。シンちゃんは、「やばい」が褒めことばとして用いられていることを、これからも当分の間は理解できないと思われる。(敬称略2018・6・20)
◇次回は「トロ」で、7月4日更新の予定です。
筆者紹介
▽重金敦之(しげかねあつゆき)1939年東京生まれ。朝日新聞社、大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。著書に『作家の食と酒と』(左右社)、『食彩の文学事典』(講談社)など多数。

登場人物紹介
▽シンちゃん 氏名、住所不詳。1947年東京生まれ。横浜市内の開業医(老年精神医学、音楽療法)。学生時代には、伝説の若者週刊誌の臨時特派記者として、アメリカやシベリア鉄道経由でヨーロッパなどを放浪した。中国少数民族の詩歌を翻訳し、テニス、ワイン、バイオリンなど、幅広い好奇心の持ち主。筆者を「キョージュ」と呼ぶのは、敬愛と揶揄の意が込められている。