その5 鮪(まぐろ)のトロ

 友人の女性ライターが、すし屋でとんでもない光景を見た、と興奮している。隣の席にいた小学生が、「次はトロを焙(あぶ)ってください……」と注文したという。憤懣やるかたない面持だったのは、弁護士とおぼしき息子の父親と母親がその振る舞いを満足げに、うっとりと眺めていたからだ。
 東急東横線の自由が丘駅近くで40年以上店を開いているすし屋のケンちゃんなら、「焙るなんて仕事はすし屋にない。料簡が違っている」といって、決してその種の注文には応じない。焙るのは、流行りの軽便バーナーを使うのだろうが、ケンちゃんの店に、そんなものは置いてない。 
 最近は、すし屋に限らずトロが大流行だ。鮪(マグロ)だけでなく、「トロ鰹」、「豚(とん)トロ」といった新種も目にする。「トロサーモン」とか「とろサーモン」、おっとこれはお笑いコンビだった。
 「トロの脂身の少ないところをください」とか、「へーえっ、トロって鮪なんだ」というなにがなんだかわからないことをいう人もいるらしい。
 『国語辞典』によれば、「鮪(まぐろ)などの肉の脂肪が多い部分。脂肪が非常に多い部分を『大とろ』、それより少ない部分を『中とろ』と呼ぶ」とある。となれば豚であっても、間違いではないのかもしれない。不思議なことに、「大トロ」や「中トロ」とはいうが、「小トロ」というのは聞いたことがない。
 シンちゃんは、「トロというのは、大正時代に日本橋の商社の人が命名したらしいですね」と言い出した。テレビのグルメ番組で観たという。私もたまたま同じ番組を観た。
 話しの出どころは、吉野曻雄(ますお=1906~1991)が1990年に著した『鮓・鮨・すし すしの事典』だ。日本橋「吉野鮨本店」の三代目で、俳優、野口元夫としても活躍した。NHKの初期の人気ドラマ「事件記者」や映画「タンポポ」「マルサの女」などにも出演している。すしの研究者として同書を著し、大きな功績を遺した。大正の中ごろ、著者の父親(二代目)の話だ。当時は安かった鮪の脂身を出前には使わなかったが、店の客に握って出した。これが評判となり、昼間は行列ができるほど繁盛した。
<この頃、前々から父の店をひいきにして、毎日のように食べに来られた三井物産のAという方がいた。
 この方がまた、脂身が大のお好きで、ある時同僚の方五、六人とご一緒に来店されたことがあった。
 脂身について、客側に適当な呼び名がないうえに、その霜降りのところとか、段だら(腹側の中でも最も脂の多いところ)のところとか、ズルズルの脂っこいところとか、見た目、感じたままの各人各説。
 そのややこしいことといったらなかったので、これでは面倒だから、なんとか直(ちょく)に通じる符丁(ふちょう)をわれわれでこしらえようということになったのである。
 皆さんからいろいろな案が出たようだったが、ある人が、
「どうだい、口に入れるとトロッとするからトロにしては……」
 というと、それはおもしろい、トロにしようと皆さん賛成され、脂の多いところは大トロ、仲位は中トロだと、これまた即座に決まった。>(旭屋出版)
 シンちゃんが観たテレビは、これをドラマ風に再現したものだ。テレビ業界には、参考文献の引用とか出典を明確にしない「著作権無視」の体質が根づいている。「吉野鮨本店」の店主がテレビに登場しているから、それで「善し」としたのであろう。
 しかし、このエピソードは誰が考えても、出来すぎている。1920(大正9)年に発表された志賀直哉の名作「小僧の神様」には「鮪の脂身が食べられる頃だネ」という文章があるが、トロなる言葉はまだ登場していない。食べ物をテーマにしたユニークな小説を発表した矢田津世子は1935(昭和10)年の「神楽坂」で、「毘沙門前の屋台鮨でとろ二つ三つつまんで、結構散財した気持ちになって」(講談社文芸文庫)と描写している。
 既存の言葉が、ある事件や人物を契機として流行することはあるだろう。しかし、まだテレビもない時代に、一個人が街中のすし屋で「命名」したからといって、全国区の言葉になるとは考えられない。吉野曻雄の本を編集した旭屋出版の中山幹は、吉野とも親交があり、同書を名著だと認めている。しかし中山は、自著『すしの美味しい話』(社会思想社)のなかで、「あの本の中の唯一のキズ」と指摘している。
 手許にある1929(昭和4)年に刊行された『かくし言葉の字引』(宮本光玄著・誠文堂)をみると、花柳界の用語で、「まぐろずしのあぶらの多いのをいう」と記載されている。
 国文学者の池田弥三郎は「古事記」にある、腐って、溶けかけた状態を指す古語の「とろろく」から、きたのではないかと主張した。しかし、『国語辞典』によると、「とろろく」は「ころろく(嘶く=ころころと音を立てる)」の誤りだったとされている。
 また吉野本を読んだと思われる魚河岸の鮪仲買店「大善」の主、寶井善次郎は『鮪屋繁盛記』のなかで、「トロと名づけたのは、俗称をつけることに関しては天才的な魚河岸っ子達がそもそもの名づけ親だろう」と書いている。寶井家の祖先は、江戸時代蕉門十哲の一人、寶井其角にたどりつく。純粋直系の江戸っ子だ。思いこんだら、一本道といったところがある。同書ではこう続ける。
<『魚河岸百年』の中に、明治四十年の冷蔵庫の保管料として、トロ、中トロという言葉がすでにはっきりと記録されている。>(主婦の友社)
 どうも納得がいかない。折よく『魚河岸百年』は手許にあったので、調べました。「魚河岸百年編纂委員会」が1968年に日刊食料新聞社から発売した貴重な史料だ。
<保管料は、鮮魚介類一日五百貫未満、一貫について二銭、同五百貫以上、一貫について一銭八厘が標準であった。大体容器で大樽三十五銭~四十銭、トロ箱三十銭、中トロ・石油箱十五銭と決められていた。>
 おかしいと思った通り、トロはトロでもトロ箱のことだった。最近では発泡スチロール製で、白色が多い。富山県氷見の鰤(ブリ)など、ブランド化された高級魚は、一目見ただけで識別できるように薄い青色のトロ箱に納められている。発泡スチロールなんて便利な物ができる前までは、魚介をすべて樽か木製の箱に入れて運搬した。重量はかさむし、発泡スチロールのように、氷詰は難しい。
 それでは、トロ箱のトロとは、どこから来たのか。船尾に袋状になった漁網を引いて魚をすくい取る大型のトロール船に積まれた木製のトロール箱が詰まってトロ箱になった。昔は近所の魚屋にも、木製のトロ箱で魚が届いた。ここは寶井善次郎の読み違いだ。
 明治から大正までは、鮪といえば赤身が主流だった。値段も、赤身の方が格段に高かった。1923(大正12)年生まれの池波正太郎の「東京の鮨」というエッセイには、こう書かれている。
<私が少年のころ、マグロは赤身を第一とし、中トロがようやく客の好みを得たばかりで、脂ぎった大トロなどは鮨屋で出さなかった。大トロは安くて、私どもの家では寒くなると、これを買って来てよく〔ネギマ鍋〕をしたものである。私は子供のくせに〔ネギマ〕が大好きだったので、魚屋へ買いに行くと、
 「坊や。金はいらねえよ」
 と、いわれたことを、いまだにおぼえている。>(『一年の風景』朝日文庫所収)
 東京の麹町に育った吉行淳之介は、近くの市場で買ったトロの切り身を醤油に漬けてから網で焼いたという。脂が燃えて炎が上がる。これがたまらなく美味かった。昔は決して高級な食べ物ではなかった、と『贋食物誌』(新潮文庫)に記している。
 脂身だから焙って美味しいので、赤身の握りすしを焙ったからといって、美味しいわけではない。ネギマも同様だ。池波正太郎は、ネギマを好んだと書いているが、私はどちらかというと苦手だった。「ネギマ鍋」と言うが、鮪と葱だけを醤油と砂糖で甘辛く煮るわけだから、今でも子供はあまり好まないと思われる。トロといっても、頭の脳天やかまの脇には、脂ののった崩れた身が残る。そういう骨に付いた身もせせり取って煮たのだ。昔は値がつかずに、ただ同然の部分を、「希少部位」などと称して、珍重する店もあるが、正統派の仕事ではない。特有の「くせ」を良しとするのだろうが、「まかないの食事」を出す店も店だが、有難がる客も客だ。
 それがバブル期には、すっかり逆転してしまった。出前をしないすし屋では、赤身が売れ残るので、それこそ処分に困っていた。ケンちゃんの店から、赤身を安く分けてもらった時代もあった。最近は「漬(づ)け」にして赤身のうまさが再認識され始めた。いいことだ。出前の桶には赤身の鮪は必須だが、贅沢になってすし屋のカウンター(つけ台)で酒を飲む客は、赤身を敬遠したのだ。
 『広辞苑④』で「とろ」を引くと、次のようにある。
 (「とろり」とする舌ざわりからか)マグロの腹側の脂肪に富んだ部分。大とろ・中とろに分ける。近時、刺身・すし種として賞味。
 『広辞苑⑦』では、ほぼ同じだが、「大とろ・中とろに分け、大とろの方がより脂肪分に富む」と説明が細かくなった。だけど中トロの方が、脂肪分が多いと思う人はいるのかなあ。辞書というのは、かゆいところまで手を届かせなければいけないのはよくわかるけれども。
 六本木のすし屋で三島由紀夫がトロばかり頼むのを、たまたま居合わせた山口瞳が、慨嘆する話も面白いのだが、拙著『すし屋の常識・非常識』(朝日新書)をお読みください。
 近ごろでは「トロたく」と称して、トロと細かく切ったたくあんを一緒に巻く奇妙奇天烈な巻物があるらしい。私もシンちゃんも食したことはない。後期高齢者と前期高齢者の矜持であり、美意識なのだ。他人は「やせ我慢」というかもしれないけれども。(敬称略、2018・7・4)
◇次回は「半端(ハンパ)ない」で、7月18日更新の予定です


筆者紹介
▽重金敦之(しげかねあつゆき)1939年東京生まれ。朝日新聞社、大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。著書に『作家の食と酒と』(左右社)、『食彩の文学事典』(講談社)など多数。

登場人物紹介
▽ケンちゃん 氏名、住所不詳。1951年福井県生まれ。銀座のすし屋で修業し、東京の自由が丘で独立してから40年が経つ。小さな店には、巨人軍の大物OB選手も顔を出す。「自由が丘の巨匠」と呼ばれるのは、ゴルフの腕前への尊称だという説もある。面前で言っても、値段は変わらないが、嫌な顔をされる。「洗濯屋ケンちゃん」とは、まったく関係はない。
▽シンちゃん 氏名、住所不詳。1947年東京生まれ。横浜市内の開業医(老年精神医学、音楽療法)。学生時代には、伝説の若者週刊誌の臨時特派記者として、アメリカやシベリア鉄道経由でヨーロッパなどを放浪した。中国少数民族の詩歌を翻訳し、テニス、ワイン、バイオリンなど、幅広い好奇心の持ち主。筆者を「キョージュ」と呼ぶのは、敬愛と揶揄の意が込められている。