その7 タコ(蛸)

 落語家がまず最初に覚える噺の一つが「道灌(どうかん)」といわれる。狩りに出かけた太田道灌が突然の雨に遭い一軒のみすぼらしい農家に立ち寄って、蓑を借りる話だ。粗末な着物の少女が山吹の一枝を差し出す。「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」という古歌は、「実の」と「蓑」を掛けた断りの洒落と、家来に教えられ、道灌が歌道に暗いことを反省する。後に道灌は精進して、優れた歌人となった。この話を隠居さんから聞いた八五郎は、自分も傘を貸したくてたまらない。雨が降りだしてきたところへ友達が、「傘はあるけど、提灯を貸してくれ」とやってくる。
 古今亭志ん生は、この噺のまくらで、「落語っていうものはっ、小話というかっ、地口が集まってできてるっ、てなところがありますな」といって、隠居さんが八五郎に、こんな地口を例に挙げる。
「蛸(たこ)が山に登って、寝てるな」
「何です?」
「タコネ(箱根)山」
 ちゃんと、ア段、オ段、エ段の韻を踏んでいる。これが「烏賊(イカ)が山に登って、寝てるから、イカネ山」では、おかしくも何もない。志ん生のまくらは、奇想天外というか、思いもつかない突飛な一面がある。
 友人のシンチャンは、あまりこの手の話は得意ではない。「蛸(タコ)が山に登って寝るなんてわけがないでしょう」などと理詰めで考えるから、面白味がわからない。真面目すぎて、冗談が通じないところがある。自分でも、「蛍光灯(ケイコウトウ)ですから」と自認しているから可愛いのだが、この「蛍光灯」の洒落もLEDの時代には通用しなくなってきた。
 よく知られている地口に、こんなのがある。

「蟻が十(とう)なら、芋虫や二十(はたち)」
「蟻が鯛なら、芋虫は鯨」

「有難う」を「蟻が十歳(とう)」なら、蟻より、何倍と身体の大きい芋虫は、きっと「二十(はたち)」だろうよと洒落で返したまでだ。地方によって、訛りのように「亜種」が生まれ、「蟻が十なら蚯蚓(ミミズ)が二十、蛇は二十五で嫁に行く」とか、「蟻が父(有難う)さん、ミミズが母さん、芋虫二十で嫁に行く」という例もある。
 同じロジック(大袈裟ですね)で、「有難い」を「蟻が鯛」と読んで、「芋虫なら、大きさからすると鯨だろうよ」と遊んだわけだ。
 人に何か良いことをして、「有難う」とか「有難い」とお礼を言われた時に、「そうだろう、有難く思え!」という人はあまりいない。「いやぁ、それほどでもありませんよ」とか、「お安い御用ですよ」と、いささか謙譲と照れ隠しの意味を込めて、「どういたしまして……」と軽く応じるのが普通だ。「大仰なお礼」に対して、そんな大げさなことではありませんよ、と洒落で返されたら、親切にされたほうも気が楽になるという寸法だ。「サンキュウ ベリー マッチ」と言われて、「ユア ウエルカム」とか「マイ プレジャー」と返すようなものだが、そこに余裕のユーモアを込めた日本人の遊びごころだ。
 日本人の知恵として、明治の昔から子供たちの間で、伝えられてきた言葉遊びは多い。口伝によるものだから、地域と時代によって微妙に異なるが、「しりとり」を敷いたこんな遊び唄がある。

 さよなら三角、またきて四角
 四角は豆腐、豆腐は白い
 白いはウサギ、ウサギは跳ねる
 跳ねるはカエル、カエルは青い
 青いは柳、柳は揺れる
 揺れるは幽霊、幽霊は消える
 消えるは電球、電球は光る
 光るは親父の禿げ頭

 言葉遊びといえば、同じ意味を繰り返す話がある。重複意味、重言(じゅうごん)などと呼ばれる。長島茂雄の名言「巨人軍は永遠に不滅です」も、意味が重なっている。私の小さい頃の記憶によるが、こんな話を覚えて友達に披露したことがある。まあ、戦前の話だが、井上ひさしも取り上げていた。

 古(いにしえ)の昔の武士の侍が、馬から落ちて落馬して、女の婦人に笑われて、顔を赤く赤面し、家に帰って帰宅して、仏の前の仏前で、刃の短い短刀で、腹を切って切腹した。

 地名を掛け言葉にして、独特の地口も生まれた。

 その手は桑名の焼き蛤
 おそれ入谷の鬼子母神
 情け有馬の水天宮

 シンちゃんのためにわかりやすく説明すると、「その手は食わな(桑名)い」と「おそれ入りや(入谷)した」が掛かっている。「情け有る」を「有馬」と掛けた。江戸の水天宮は、久留米藩にあった本宮を藩主の有馬家が勧請(かんじょう)したものだ。
 そういうのなら、私も学生時代、使っていましたよ、とシンちゃんがうれしそうに、両手の指を目の前に立ててぎこちなく動かし始めた。自慢する時の癖だ。
「なに祐天寺(言うてんじ)、関係、中目黒(なかめぐろ)」
 かなりマイナーというか、ローカルな洒落だが、きちんとでき上がっている。シンちゃんもやるものだ。
 地口ではないが、地名を織り込んだ言葉遊びは、いろいろある。
「なんだかんだの神田橋」というのは、「箱根八里」の替え歌だ。
「四谷赤坂麹町本所深川たらたら落ちてお茶の水」は、江戸城を中心にして西から南東、北の順に町の名前で方角を示している。有名な映画「寅さん」の「啖呵売(たんかばい)」の啖呵「四谷赤坂麹町、ちゃらちゃら流れるお茶の水」は、ここから採っている。

 いけない、いけない、話が逸れた。今回のお題は「蛸(タコ)」だった。蛸にまつわる地口は、「薬缶(やかん)の蛸」で「手も足も出ない」がある。
「坊主の磔(はりつけ)で蛸突く」は、「蛸突く」が「たこう(高う)つく」の洒落だ。
 蛸は空腹になると、自分の手を食うと言われるところから、「タコ配当」とか、「タコ会社」なる言葉が生まれた。利益が上がっていないのに、配当を払う会社で、いずれ倒産に追い込まれるのは必定だ。「蛸の手食い」は、「宴会の食べ物をすべて食べつくしたので、もう自分の手でも食べるほかない」ところから、パーティーの「中締め」の挨拶にふさわしい。長崎県対馬地方の慣用句だそうだ。いつか使ってみよう。「宴たけなわではございますが、そろそろ『蛸の手食い』となりますので、この辺で、お開きのご用意を」とでも言うのかしらん。
「手拍(ばた)き」と同じだ。『広辞苑⑦』を見ると、「①左右の手のひらを打ち合わせて鳴らすこと。拍手。②所持するものを消費して空手となること。」とある。
 古今亭志ん生は、若い頃はなかなか売れなかった。飲む、打つ、買うに加えて、性格がずぼらときている。世渡りの術というか、人付き合いが下手な上に、師匠の羽織を入質(マゲ)たり、酔って舞台に穴を開けるなど、悪行、愚行は数知れない。祝儀不祝儀のつき合いはしないし、金があればすぐ博打か女遊びに使ってしまう。
 その経緯は結城昌治が「週刊朝日」に連載(1976~77)した『志ん生一代』(朝日新聞社)に詳しく述べられている。『白昼堂々』(朝日新聞社)に続いて私が担当したが、あくまでも小説であることは言うまでもない。志ん生は、亭号を十数回変えている。三遊亭朝太の名前で前座に出て、三遊亭円菊で二つ目に昇進し、金原亭馬きんで真打になった。1918(大正7)年のことだ。
 数々の不義理もあって、落語界を出て小金井蘆州の門に入り小金井蘆風の名で講釈師となったこともある。柳家三語楼の門下となって、柳家東三楼を名乗ったのが1926(昭和元)年。少しずついい席に出られるようになったものの、師匠の三語楼から、「あいつは駄目だよ、蛸(たこ)だ」といわれてしまう。「自分の身を食ってしまう」という意味だった。
 寄席でトリを取る(現在は「主任」と呼ばれる)というのは、10日間興行の座長で、2日ごとに、給金(ワリ)を出演者全員に割るのがトリの責任だった。客の入り具合によって、分配するのだ。原則として、トリは半額を受け取れるが、自分より先輩格の真打が助演者(スケ)に入っている場合は、自分から持ち出してでも、上のせするのが礼儀だった。どのくらいの客が入っているかは、客席を見ればすぐわかる。
 東三楼は、誰が見ても150人は入っているのに、100人分の給金しか出さなかった。周囲から、「狡(セコ)いことをしやがる」といわれ、助演者は途中で抜けていく。この種の評判はすぐに席亭の知ることになり、「東三楼のトリはごめんだよ」となってしまう。この小説には、トバ(着物)、モートル(博打)、膝がわり、などの寄席特有の言葉が出て来るが、項を改めて述べたい。

 蛸と烏賊と比べると、タコの方が烏賊に比べて、幅広く用いられている。坊主の異称は蛸で、タコ坊主とは言うが、イカ坊主とは言わない。
 シンちゃんと私は、同じテニスクラブのマネジャー、佐藤俵太郎(故人)からテニスを教わった。シンちゃんの父上は全日本(オールジャパン)にも出場しているが、その血筋を引き継いでいないところが不思議だ。私は35歳で初めてラケットを握り、グリップの初歩から佐藤俵太郎から教わった。佐藤はかのチルデンと一緒にアメリカなどを巡業した日本のプロテニスプレーヤーの草分けだが、「負けず嫌い」たることすさまじい。齢80近くになっても勝敗に執着し、「アウト」、「イン」の判定は自分が有利になるほうに、強く言い張った。
 2セット、ゲームを楽しんで、一勝一敗になると、「いいとこ床屋だね」という。佐藤から教わった地口に、あまり品はよろしくないが、「そうは烏賊のキンタマ」というのがある。「そうはいかない」を「烏賊(イカ)」に掛けたので、「そうは問屋が卸さない」と同じ意味だ。相手が仕掛けたドロップショットを、拾い上げて逆襲し、こちらがポイントを得た時などに使う。女性も多いので、「そうはイカキン」が、もっぱら使われていた。「そうは烏賊の天ぷら」と言う地方もあるようだ。晩年には川柳に凝り、「スマッシュは下手な奴ほど眩しがり」と傑作を遺した。

 蛸というのはどこか愛嬌があるから、田河水泡(長谷川町子の師匠)が漫画「蛸の八ちゃん」を生みだしたように、広く親しまれた生物だ。
 しかしながら野球で、「タコ」といえば、凡打を指す。「今日は、大谷投手に4タコだった」といえば、4打数ノーヒットに抑えられたということだ。坊主頭を0に例えたとも、「薬缶の蛸」からの連想とも言われる。釣りの世界で「坊主」といえば、釣果が無いことをいう。
 大阪出身の阪神タイガースの元監督、岡田彰布は、選手時代に明石で名物料理の「蛸尽くし」をご馳走になった。蛸にたたられたのか、翌日から15打席くらいヒットが出なくなった。
「野球選手に蛸はあかん。二度と食べまい」と誓ったが、オリックスに移籍後、選手たちと神戸の明石焼きを食べに行った。大阪のタコ焼きとは、製法、味などが微妙に違う。スランプに陥ることもなく、明石焼きは好物になった、と日本経済新聞の「食の履歴書」にあった。
 野球では「タコ」に似た言葉で、「3タテをくらう」の「タテ」がある。プロ野球の日程は3連戦が基本の形だ、同一チームに3連敗するのが、「三タテ」だ。『広辞苑⑦』で「たて(立て)」を引くと、「数詞に付いて、つづけさまの負け。連敗」とあった。
『国語辞典』には、「勝負事などの回数を数えるのに用いる。博打の一(ひと)勝負を一立(ひとたて)という」とある。麻雀でいう、「場」とか半荘(ハンチャン)、一荘(イーチャン)も「荘」に相当するのだろう。歌舞伎の幕の数や映画の「3本立て興行」も同じだ。博打は負けるものと相場は決まっているから、連敗の数を数えるのに用いられた。
 あくまでも、負けた側からの見方だ。「立て続けに負ける」などの用法から、生まれたのだろう。「立て続けに勝つ」とも使うから、なぜ「負け」だけの意味になったかは、定かではない。同じ3タテでも、相手チームが異なるときは用いないのが一般的だ。
 阪神が巨人に三連敗を喫した時、「阪神、巨人に3タテ」と表現するのが普通で、「巨人、阪神を3タテ」というのは、意味は通じるが、誤用というべきだろう。新聞の見出しなどは、字数の関係から、「食らわす」が省略され、「連勝」の意味が生まれた。シンちゃんは、「立て続け」の「立て」は強調の意味の接頭語ではないかという。「立役者」とか「立行司」といえば、「主流」「筆頭」といった意味があるし、「立つ」が動詞の頭に付けば、その行為が表立っていることを指す。「初心に立ち返る」などと用いる。だから、シンちゃんは「3タテ」の「立て」は、「立て続けに」の「立て」とは関係が無い、という意見だ。その通りだと思う。
 むしろ、動詞の連用形について、その動作が終わって間もないことを表す「炊きたてのご飯」、「トウモロコシの採れたて」の「たて」と関係が深いようだ。「そばの3たて」といわれる「挽きたて、打ちたて、茹でたて」のように、動作に連続性があるからだ。 
 今回は、蛸がいつか動き回って、山に登ってしまったようだ。(敬称略、2018・8・1)

次回は「雨風食堂」で、8月29日更新の予定です。
筆者紹介
▽重金敦之(しげかねあつゆき)1939年東京生まれ。朝日新聞社、大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。著書に『作家の食と酒と』(左右社)、『食彩の文学事典』(講談社)など多数。

登場人物紹介
▽シンちゃん 氏名、住所不詳。1947年東京生まれ。横浜市内の開業医(老年精神医学、音楽療法)。学生時代には、伝説の若者週刊誌の臨時特派記者として、アメリカやシベリア鉄道経由でヨーロッパなどを放浪した。中国少数民族の詩歌を翻訳し、テニス、ワイン、バイオリンなど、幅広い好奇心の持ち主。筆者を「キョージュ」と呼ぶのは、敬愛と揶揄の意が込められている。