その10 ど真ん中

 個人の趣味といってしまえば、それまでだが、「ど真ん中」という言葉は好きになれない。このネッセイも「鯉なき池のゲンゴロウ」に変わる前は、「オンとオフの真ん真ん中」というタイトルだった。「オンとオフのど真ん中」の方が、迫力を感じるかもしれない。しかし、「ど真ん中」は使う気になれない。折角「真ん真ん中」という美しい言葉があるのだから、あえて使ったのだ。「ど真ん中」は関西、東京は「真ん真ん中」と、私の身体には刷り込まれている。
 落語家の立川談笑は、生まれも育ちも東京深川だが、自分のブログにこうあった。
<「ど真ん中」と言いますが、あれはどアホ、ど根性、ど素人と同じく関西方面の言葉です。
 東京の人ならば「まん真ん中」が本当。私自身、落語の中でつい「ど」をつかってしまい、楽屋で先輩落語家から笑われたことがあります。>
 その一方で、ホタテのバター醤油スパゲッティを自作して、ツイッターに「すごい! まるでど真ん中の豪速球だけで攻めるピッチャーです。これほど直線的で濃厚なうまさがあったのか!」と呟いている。言行不一致とはこういうことをいうのだろう。
 テレビだかラジオだか忘れたが、野球中継で、「真ん真ん中のストライク」と絶叫するアナウンサーがいた。おそらく「ど真ん中」が嫌いな人なのだろう。しかし、いつの間にか消えてしまった。おそらく「少数派」だったので、淘汰されたのかもしれない。淘汰とはいささか大袈裟ではあるが、残念至極口惜しや。
 以前にも書いたが、大学の教え子が茨城県のひたちなか市に住んでいる。フェイスブックにこんな書き込みがあった。小学校3年生になる息子の理科の試験で、次の(A)にあてはまることばを書きなさいという問題が出た。
「モンシロチョウのように、よう虫とせい虫のあいだに、さなぎの時期がある育ち方を(A)へんたいという。」
 正解は(かんぜん=完全)だが、教え子のご子息は、「ど」と書いた。そのセンスというか「敢闘精神」が素晴らしい。小学3年生で、「よう虫、せい虫、へんたい」と書かなくてはならない「国語教育」の是非はさておき、拍手を贈りたい。「へんたい」はもちろん「変態」だが、「過変態」、「多変態」といった変態もあるから、そのうち「ど変態」が採用されるかもしれない。そんなことはないか。

「ど」は関西に多い接頭語だが、茨城まで侵犯しているとは、知らなんだ。『日本国語辞典』で整理してみる。まず名刺、形容詞、形容動詞、時には動詞の上について、罵る気持ちを込める。近世以降関西地方で使われ、上方の俗語とある。どアホ、ど派手、ど根性なし、どあつかましい、ど助平などがある。相手や第三者を罵倒する際に用いられる。もちろん古くからあるが、最近では、『男どアホウ甲子園』(原作・佐々木守、漫画・水島新司)が全国に広めたといえるのではないか。
 次に、下に付く言葉の意味を単に強調する作用もある。どえらい、どぎつい、など罵る場合にも使われるが、普通の会話にもしばしば登場する。

 阿川弘之が亡くなる二年前に刊行した、「最後の一冊」ともいうべきエッセイ集『鮨そのほか』の「鮨」なる一篇に「ドバチ」なる言葉を見つけた。漢字にすれば、「ど罰」であろう。
 地方での講演会の帰途、車中でお食べ下さい、と主催者から鮨の折詰を渡される。生憎、東京で知人と会食の約束がある。つい一つつまんで、あとの処置に困る。家に持ち帰ったとしても、家族から無視され、冷蔵庫でしばし滞留の末に捨てられる運命になる。
<食量の豊かになる時代まで生きて亡くなつた彼(阿川)の老母は、晩年、物がさういう風に始末されるのを見ると、「今にドバチがあたる」と言つた。>(新潮文庫)
 この場合は、罵倒なのか強調なのか。罵倒、悪口の類では、アホ、ケチ、助平など本来「マイナス要因」を備えている品性を強調し、罵倒するのが普通だ。「罰」は天罰という言葉があるくらいで、神様や仏様が下すものだ。「罰あたり」で初めて、マイナスに作用する。「このドバチ当たりメ」を婉曲に言ったのだろう。それにしても「ドバチ」は強烈だ。「ドバチ」などと、口にしたら、それこそ罰が当たるような気がする。
 三浦しをんの新潮文庫『ビロウな話で恐縮です日記』の広告やカバーの帯に、「三浦しをんはド腐れている。」(byジェーン・スー)とある。「ド腐れ」というのは、初めてお目にかかった。もちろん逆説的な褒め言葉として用いられているわけだ。ジェーン・スーは、音楽関係の人らしいが、詳しいことは知らない。
 このような用例では、富士急ハイランドの絶叫マシンの広告で「ド速くなった」という例がある。パソコンのプリンターの広告に「どキレイ」が使われたこともあった。
 田辺聖子に言わせれば、「嬶(かかあ)」、「阪神」、「坊主」にまで「ど」がつくそうだ。
<大阪弁の罵詈讒謗、悪口雑言というか、あくたれ口というか、そういうものを以前にも考えてみたが、それらはすべて、「ド……」を接頭語にもってくれば、てっとり早い。>(『大阪弁ちゃらんぽらん』中公文庫)
 怖いから使ったことはないが、「ど嬶」に比べたら、「どブス」なんて、可愛いものだ。「ど阪神めが!」といえば、イメージが湧き、格好がつくが、「ど巨人!」では、迫力もないし、フニャフニャ感しか残らない。
 今では、あまり使われなくなったが、週刊誌の冒頭にある目玉記事は「トップ記事」と呼ばれた。元「週刊朝日」の名編集長だった扇谷正造が梶山季之と新宿で初めて会ったとき、「いよう、トップ屋」と声を掛けて以来、広まったといわれる。新聞では、一面のアタマ、とか社会面のアタマ、という言い方をする。
 大阪の新聞編集局の整理部から「週刊朝日」に異動してきたデスクが、「今週のドタマは、これでいく!」というので、横浜育ちの編集長は、「品が無い」と嘆いていた。「ドタマかち割ったろか」という、罵倒語をイメージしたのだろう。おそらくその先輩は、「二社(第二社会面)のドタマ」などと言っていたらしい。アタマにドをつけると、一種の音便でアが省略されたものだ。
 下に来る言葉を強調する例として、『日本国語辞書』には、「ど息」(栃木)、「どずるい」(新潟)、「どばだか(裸)」(岐阜)、「ど威勢よく」(静岡)、「ど殴る」(愛知)、「ど真剣(じんけん)」(三重・滋賀)、「ど闇」(兵庫)、「ど寒い」(香川)、「ど引(び)き出す」(福岡)などの用例を挙げている。「どアップ」など、外来語にもつける。映像関係者の間から生まれた用法だ。
 カメラマンが、画面をアップからワイドにすることを、「引く」と言う。今はズームレンズがあるから、カメラの位置は動かなくても済むが、昔はカメラマンが機材と一緒に後ろへ引き下がったものだ。後ろへ、どんどん下がって行って、池に落ちるシーンが映画「慕情」にあった。「旅情」では少年がヴェニスの運河に落ちたはずだ。
 接頭語の「ど」がさらに強まって「どん」になる例もある。「どん尻」や「どん底」などだ。「ど引き」から「どん引(び)き」が生まれた。「どんびき」は、ある言動によって、一座がしらける場合に用いられる。しらけるにどを付けて、「どしらけ」から「どっちらけ」と変化した。「どん引き」は『広辞苑』にないが、「どっちらけ」は『広辞苑⑦』に「非常に興ざめであることをいう俗語」と記されている。接頭語の「ど」が変化したと考えたい。
 どを漢字でイメージすると、「奴」が浮かんでくる。接頭語ではないが、守銭奴とか売国奴などを見ると、当てはまる。
 シンちゃんは、もじもじしながら、
「『怒髪(どはつ)天を衝く』の怒はどうなるのでしょう?」
 と言い出した。「あまりの怒りで髪の毛が逆立って、冠が飛んだ」と「史記」から生まれた言葉だ。人間は、怒り狂うと、髪の毛が逆立つものらしい。この「怒」は、ど阿呆のどとは関係ない。シンちゃんもそのくらいは承知の上で、じゃれてきたのだ。
「すると、ドジなんていうのも、痔がひどいところから、来たかもしれませんね。罵倒語ですし」
 シンちゃんは、どのつく言葉を懸命になって探したようだ。おそらくテレビドラマ「スチュワーデス物語」に登場した堀ちえみの「ドジでノロマな亀」を思い浮かべたのに違いない。
「ドジ」には諸説ある。「鈍遅(どんち)」の字音から来たとする説。擬態語の「どぢぐぢ」「どぢどぢ」説。せりふを間違える動詞「とちる」からきた説などがある。まあ、接頭語とも「痔」とも関係がないことだけは確かだ。
 あまり関西の罵倒語と関係なく、東京でも一般的に使われているのが、「どぎつい」だろう。「土性骨(どしょうぼね)」の土も接頭語だ。「性骨」は性根、性質、根性のこと。関西では、「土性骨を叩き直さなあかん」などと用いられる。『広辞苑⑦』には、性根・性質を強め、またののしっていう語となっている。一般的には「土性骨がしっかりしている」などと褒め言葉としても使うが、もしかしたら関西地方の人には、違和感があるのかもしれない。
「どんくさいやっちゃな」という言葉もあるが、これは、接頭語の「ど」の系列ではなく、鈍重とか愚鈍という「鈍」の意味で、接頭語ではない。使われ方は、ほぼ罵倒語と同じで、どうも上方風だ。

 そう言えば、かなり昔、スポーツ新聞の一面に「超ど級」という見出しが躍ったのを記憶している。最近では、とんとお目にかからない。中西太か王貞治、門田博光だったか。本塁打の飛距離の大きさを形容したのだ。見出しの言葉にも流行があるから、一紙が使うと、必ず真似する社が出てくる。
 この「ど」は、漢字だと「弩」となる。意味は『広辞苑』『大辞林』とも、「いしゆみ」「おおゆみ」としか載っていない。『新潮現代国語辞典』には、「戦艦ドレッドノートの音訳の略」とある。
 ドレッドノートは1906年に進水したイギリス海軍の戦艦の名前だ。戦艦の規模は、大きさやトン数だけでなく、装備した大砲の門数、口径などの総合的戦力だろう。正しくは「ドレッドノート級戦艦」と書くところを、ド級と略した上に、「弩」の字に置き換えた。ドレッドノート級戦艦を超える大型戦艦は、すべて「超ド級戦艦」なのだ。上方で発展した接頭語の「ど」とはまったく関係が無い。たまたま音が一致しただけだ。
 ここまで書いてきて、新聞のラテ欄を見たら、「超ド級! 世界のありえない映像大賞3」(フジテレビ)という番組があった。今なお生き残っていたらしい。
 接頭語の「ど」に対して、接尾語もある。田辺聖子は「くさる」「さらす」「けつかる」「こます」を挙げる、
<すべて同士の連用形下につけて活用すると、怒罵とみに生彩を帯びて、輝かしくなる。>(前掲書)
 確かに、「何さらすねん」とか「何ぬかしてけつかる」などと、実際に罵倒されたことはないけれども、字面を見ただけでも、迫力に圧倒される。
(敬称略、2018・9・26)

次回の更新は「あほとぼけ」で、10月10日の予定です。
筆者紹介
▽重金敦之(しげかねあつゆき)1939年東京生まれ。朝日新聞社、大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。著書に『作家の食と酒と』(左右社)、『食彩の文学事典』(講談社)など多数。

登場人物紹介
▽シンちゃん 氏名、住所不詳。1947年東京生まれ。横浜市内の開業医(老年精神医学、音楽療法)。学生時代には、伝説の若者週刊誌の臨時特派記者として、アメリカやシベリア鉄道経由でヨーロッパなどを放浪した。中国少数民族の詩歌を翻訳し、テニス、ワイン、バイオリンなど、幅広い好奇心の持ち主。筆者を「キョージュ」と呼ぶのは、敬愛と揶揄の意が込められている。