その12 本寸法

 昭和の落語界の名人、といえば五代目古今亭志ん生と八代目桂文楽が双璧をなす。芸風がきわめて対照的なのも、双璧と称えられる理由だ。文楽の『芸談 あばらかべっそん』は1957年、65歳の時に「青蛙房」から出版された。内容は数奇と言っていい生い立ちから、修業時代、興行界や寄席の内情、往時の噺家の人柄に生活ぶりなど貴重な資料としての価値がある。今でいう聞き書きで、作者は正岡容(いるる)。文楽の親友で、小説の他に落語や浪曲の台本も多く書いている。自身で高座にも上がった。
 書名の「あばらかべっそん」というのは、特別な意味があるわけではなく、酒が入ってご機嫌になると、必ず出てくる文楽の口癖だ。正岡容に言わせると、「文楽用語に『べけんや』とか『あばらかべっそん』とか、ときどきオランダ語みたいなワケの分らないコトバあり。けだし、御婦人にもてたりしてありがたくてありがたくて……というような感情の表現なり」と書中にある。
 とにかくよくもてるのだ。そっぽ(容貌)も良かったし、人柄も好まれたのだろう。いい仲になった麻布の寄席近くのすし屋の娘と福井の興行先で2年ぶりに再会した。毎日のように訪ねてきてよろしくやっていたけど、興行は10日間が定法。
<いよいよあしたは出発という日の前の日の昼にまたやって来て、こっちも今日を最後にまたいつあえるか分らないんだから、その日はいつもの二倍も三倍ものあばらかべっそんだったと御想像下さい。>(「ちくま文庫」)
 こんな具合に使われている。
 大正の中ごろ、まだ文楽が馬之助を名乗っていたころの話だ。それなりに売れていた時代、四代目の志ん生に兄事し、またよくかわいがってもらっていた。当時の横浜に住む女性(落語界の隠語で、タレという)と会うたびに、志ん生の芸を褒め、自分によくしてくれることを言うものだから、「一度、そのお師匠(しょ)さんを招待したら」という彼女の勧めで、尾上町の料亭へ志ん生に来てもらった。
<何しろ若僧の私とは役者がちがいまさあネ、座敷の寸法はいい、話は面白い、バカにそのおんなと話が合ったらしいのです。>(前掲書)
 結局、ひょんなことから志ん生と当の女性とは出来てしまうのだが、その悔しさが落語「おせつ徳三郎」で、惚れ込んだ大店の一人娘おせつの婿取りを知り、いっそのこと殺して自分も死のうと刀屋の店先に立つ徳三郎の心もちがよくわかったという。
 この座敷の「寸法」という言葉だ。辞書を引けば、「物の長さ」とある。ここでは、座敷の「雰囲気、状態、具合、気分、気合」といったところだろう。床の間の奥行きに長押(なげし)の長さ、座卓や畳の寸法を測っても致し方ない。
 しばらくして本寸法という言葉が出てくる。
 富山の寄席で興行を打っている時、夜中の一時過ぎというのに、カンカラ太鼓の音が聞こえてきた。冴えた音色で、遠くに聞こえるかと思うと、またすぐ近くに聞こえる。女中に尋ねると、「お狸さまですよ」と怖そうに言って、消えてしまう。
<そうして、さんざんに囃(はや)したあと、最後のアゲ(鳴物を打上げること)がまた本寸法で、一と撥(ばち)も狂わないんです。>(「前掲書」)
 これは、長さというよりは、音楽の高低やリズムの領域だから、「本調子」と言った方がいい。まあ、「正調」とか「本格的」といった意味で用いている。
 三代目桂三木助の落語の「味噌蔵」にも、本寸法が出てくる。「味噌蔵」は、「六日知らず」の項でも説明したように、ケチで有名な味噌屋の主人、吝嗇(しわい)屋の吝兵衛(けちべい)さんの噺だ。
 出産のため実家に戻っていた妻から、男の子が生まれたという知らせが届いた。とにかく子どもの顔を見にいかなくてはならない。今夜は「泊まっていけといわれるだろう」、と小僧の定吉を連れて出かける。となれば、店に残った連中は留守中に仕出しの料理を取って、一杯やろうと算段する。なにしろ常日ごろ質実倹約の食生活を強いられているものだから、ここぞとばかりの大騒ぎ。番頭も筆頭になって、みんなの注文を聞いて回る。
 まず年長者の顔を立てて、甚助へ聞くと、「お酒を頂くと、何にも食べられない」と遠慮気味だ。「お前さんが言わないと、他の者が言い出しにくいから」と、水を向ける。
<「そうですか? あんまり戴けないんですけれども……じゃ、お刺身を取っていただけますかねェ」
「お刺身かい?」
「ええ。それにちょいっと…こう、酢の物がありましてねェ。それで…こう塩焼があって、それで甘煮(うまに)がありましてね、照焼があって、口取があって、玉子焼があって、天麩羅があって、ほかに鰻の丼の二たッつもありゃァもうなんにも戴かな……」
「戴かないよ、おい。一人でそう幾品も戴いちゃいけませんよ、一品におしなさいよ、一品に。……お刺身? お隣は?」
「ェェ酢の物を願います」
「本寸法だな。お次は?」
「塩焼をどうぞ」
「定石どおりだねえ……ェェその次は?」>(『古典落語 正蔵・三木助集』ちくま文庫)
 編者の飯島友治(故人、落語評論家の祖)によれば、「本寸法」と「定石通り」は同意語で、「正式、おきまりの通り」の意味だとしている。
 三代目の三木助は1961年に亡くなっているから、最盛期は戦後の間もない昭和20年代だろう。
「竃(へっつい)幽霊)」にも出てくる。この幽霊は元職人で大層な博打好きという設定だ。「へっつい」といっても今の人にはわからない。「かまど」のことだといっても、通じない。さしずめ、調理台とかガスレンジとでもいわないと、わからないのだろう。幽霊にはまったくそぐわない。
<お芝居なんかで拝見をいたしましても、なるほど幽霊が足袋をはいてたなんてえのはございませんな。提灯からすうっと尾を曳いたようになって幽霊が出て、そうして手が七三(しツつアん)のところへいって(と、おなじように手首をたらして)うらめしイ――というのが、こりゃアまア幽霊の本寸法とでも申しますかな。>(安藤鶴夫『わが落語観賞』筑摩書房)
 幽霊と寸法のミスマッチが何ともおかしい。安藤鶴夫は本寸法に付いて「うまい手順。ものごとの、正しいはこびかた」と同書で説明している。
 八代目桂文楽の「小言幸兵衛」にも、長屋の古着屋の一人娘、お花が持っている三味線の仕様について、本寸法という言葉を使っている。古今亭志ん朝の「時そば」にも出てくる。
 
 この本寸法なる言葉は、辞書になかなか乗っていない。毎日新聞校閲部の百田知弘氏によると、広辞苑に乗ったのは第六版からだという。『日本国語辞書』にもない。「広辞苑⑦」には、「本来の正しい基準にかなっていること。落語などの芸をくずしていないこと」とある。「正しい基準」といってはいるが、建築物や家具、器皿(きべい)などの数量的な基準よりも、落語などの芸ごと、つまり文化的な所作や表現に重きを移動させている。その理由について、百田氏は「落語評論が隆盛して広まったからではないか」と指摘している。(毎日新聞校閲センター編「毎日ことば」)
 一面では当たっている。私が注目するのは、2007年に始まった「ビクター落語会」の存在だ。ビクターの資料に拠ると、古典落語の「本寸法」に執着した会で、「本寸法」とは、「一切省略されてない、本来の長さのままの噺」だと説明している。寄席やホール会では、時間的な制約から、省略が行われているというのである。この会の噺は「おなじみのネタでも初めて聞く展開があったり、サゲが異なる場合もある」と、宣伝にこれ務めているが、DVDなどの販売が本来だから、どうしても時間が重要な問題なのだ。しかし、落語の長さ(時間)は人によって異なる。
 評論家の矢野誠一によれば、八代目の三笑亭可楽は、「らくだ」や「子別れ」、「芝浜」などの大作でも、他の人がやるより短かったそうだ。
<三遊亭圓生が演ると小1時間かかるのに、可楽は30分足らずできちんとサゲまで演じて見せている。省略、アレンジの上手さが際立っていたのだ。>(「日経新聞」日曜版)
 だから、噺の「長さ」だけをもってして、本寸法と規定するのは、ちょっと乱暴だ。

「ビクター落語会」と銘打って、「本格本寸法シリーズ」のCDやらビデオを売りだしている。名前を挙げてみる。
 古今亭志ん輔、柳家さん喬、五街道雲助、瀧川鯉昇、春風亭正朝、桃月庵白酒、古今亭菊之丞、橘家文左衛門、柳亭市馬、柳家喜多八、柳家権太楼、入船亭扇遊。
 まあ、名前は控えるが、とても本寸法とは関係のない噺家もいる。本寸法と言うよりは「無寸法」と言った方がいい人もいる。「正調」よりは「破調」だ。
 本寸法を否定したからといって、非難される筋合いはない。ただ古い伝統を守れば良いというわけではない。どんな芸の世界にも、正調に対して「くずし」という考えがある。
 否定することで新しいものが生まれるともいえる。それはそれなりに許容するのが落語の面白いところだ。
 長い演目では、月例のホール落語で2回連続ということも珍しいことではない。毎月恒例の独演会を主宰している落語家もいる。
落語には、これといった手本や教本があるわけではない。今のようにCDやビデオの類が発達していない時代だから、録音や速記から書き起こした以外は口伝か楽屋で聞いて覚えるほかなかった。噺の長さが人によって異なるのは、当然なのだ。
 やはり落語の中で、「正統、本格、整然、真っ当」というような意味合いで用いるのが、それこそ本寸法だろう。流行りというほどではないが、本寸法は盛んに使われている。

「僕の診察はいつでも本寸法です」
 シンちゃんが例によって指をくねらせながら、胸を張った。診察だけでなく、生き方そのものが本寸法かもしれないが、人が良いだけに、どこか寸法が決まり過ぎて自分が損をしているところがある。あまり寸法を重視し過ぎると、ハンドルの「遊び」が無くなり、窮屈になる。落語の「居残佐平次」の主人公、佐平次は品川の妓楼に飲食代金を支払わず、居残った挙げ句に主人から金子に着物と帯までせしめて逃げていく。うまく謀られた妓楼の主人みたいに人が善いところがある。
「人の運や金なんてものは、巡り、巡ってまたいつか自分のところに戻って来るものです」
 シンちゃんは恬淡、冷静だ。他人から金をだまし取られることはあっても、他人から取ったり、自分で金を増やすことはできない。まあ泰然自若というか、鷹揚でおっとりしている。なまじのことには驚かない。

 柳家三三が、「銀座百点」にこんなエッセイを書いていた。中学生の時代から銀座で開かれていた落語会を見に行っていた。中学生のころに柳家小三治の許に弟子入りを志願したが、「高校を卒業するまで待て」と言われたので、高校を出てからまた門をたたいた。小三治の数少ない「純粋培養」といわれる。
<今やベテラン、業界の看板である入船亭船遊師匠、金原亭馬生(当時の名は馬治)師匠、そしてだれもが認める実力がありながら二〇〇一年に早世した古今亭右朝師匠のお三方が、真打になったばかりの新進気鋭で勉強会をなさっていました。揃って本寸法で様子のいい師匠方ですから、子供心にもなんとも充実感がありました。>(「銀座百点」2018年5月号、銀座百店会)
 本寸法な落語家を三三は好んだということである。
 落語家が好んで使う言葉は他にもある。例えば「了見(料簡、量見)」も流行っている。落語家の書いた本の書名を見るとわかる。古今亭菊之丞の『こういう了見 噺家ほど素敵で不安な商売はない』(2010年、WAVE出版)、柳家権太楼の『落語家魂! 爆笑派・柳家権太楼の了見』(2018年、中央公論新社)などだ。

 本寸法なシンちゃんは、テニスのチャンスボールになると、つい力が入ってしまうのが、よくわからない。なんの脈絡もなく、突然にロッド・レーバーの名前を出して、僕の理想はあの人のバックのドライブです。などという。オーストラリア出身で、1960年代に2度グランドスラムを達成した唯一の名プレーヤーだ。同じレフティだからだが、今の人にロッド・レーバーと言っても、誰も知らないっつうの。そこがシンちゃんのシンちゃんたる所以だ。人の言うことを素直に聞くのだが、どうも聞いたふりをして、持説は頑として曲げないところがある。これを「本寸法」というのか、「頑固」というのかは、誰にもわからない。(敬称略、2018・10・24)

次回の更新は「ネギマ」で、11月7日の予定です。
筆者紹介
▽重金敦之(しげかねあつゆき)1939年東京生まれ。朝日新聞社、大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。著書に『作家の食と酒と』(左右社)、『食彩の文学事典』(講談社)など多数。

登場人物紹介
▽シンちゃん 氏名、住所不詳。1947年東京生まれ。横浜市内の開業医(老年精神医学、音楽療法)。学生時代には、伝説の若者週刊誌の臨時特派記者として、アメリカやシベリア鉄道経由でヨーロッパなどを放浪した。中国少数民族の詩歌を翻訳し、テニス、ワイン、バイオリンなど、幅広い好奇心の持ち主。筆者を「キョージュ」と呼ぶのは、敬愛と揶揄の意が込められている。