その15 火焔太鼓

 古今亭志ん生と三遊亭円生(6代目)が軍属の公式慰問団として、満州に渡ったのは敗戦直前の昭和20年の5月だった。そこで、森繁久弥と出会う。日本放送協会のアナウンサーだった森繁は、外地勤務を希望し満州電電で学芸部演劇主任を務めていた。井上ひさしの戯曲「円生と志ん生」は、当時の混乱を舞台にしているが、森繁は登場しない。
 東京の寄席の客と違って、満州の客は、楽屋用語でいう「へんきん」ばかりだった。漢字で書けば、「変金」。金は金太郎の略で、「金ちゃん」がお客の意味で「太郎」はお金。入場料を払って聞きに来る客が金太郎となる。「変金」は、変な客のことをいう。質の悪い客は「セコきん」、地方からの客は「ドサきん」、駄洒落でも大きく笑う客は「甘きん」と呼んだ。
 高座に上がれば、円生はどんな客でも律儀に務めるが、志ん生は酒が無いと動かない。4、5分で降りてしまう。酒の調達係りが森繁だった。軍務の巡業は7月に終わったが、帰る船が無かった。
 わずか三か月で敗戦。空襲を逃れて満州に渡ったのに、今度はソ連兵の襲撃を受ける羽目になった。恐怖から逃れる術は、ウオトカしかなかった。それでも志ん生たちを知る贔屓の人たちに助けられ、何とか昭和22年1月に佐世保港に帰ってきた。早くも2月の上席から新宿の末広亭に上がっている。
「ただいま満州から帰ってまいりました」と挨拶すると、大きな拍手が起こった。体力はまだ元に復してはいないが、好きな落語を存分に喋れるのは、たまらなくうれしかった。7月には人形町の末広の大喜利で、酒を飲み過ぎて寝てしまったこともある。
 清が「まだ満州の疲れが取れておりませんので、なにとぞご勘弁を」と言い訳をしながら、おぶって楽屋に戻ると、客席から「ゆっくり寝かしてやれ」と暖かい声が飛んだ。
 酒以外の趣味は道具屋を冷かして、訳のわからない骨董みたいな品を買うことと将棋くらいのものだ。得意とする「火焔太鼓」の世界だ。女房に頭の上がらない古道具屋の主人が、ほこりだらけの太鼓を仕入れて来て、女房からぼろくそにいわれた。小僧の貞吉が掃除がてら叩いた音を、細川のお殿様が耳にして、屋敷へ持参しろというお達し。
 女房は「碌なものを仕入れてこないね。1分(ぶ)で仕入れたのなら、1分で売ってでも、さっさと帰っておいで。さもないと、命がないかもしれないよ」と驚かした。風呂敷に包んで参上すると、「これは火焔太鼓といって、世に二つという名器である」と殿様は喜んでお買い上げになった。頂いた金額がなんと300両。
 ご機嫌どころか、震えながら帰ってきた。すっかり味を占めて、これからも音の出るものを仕入れたい。例えば、半鐘など、どうだろうと主人が言うと、女房が「半鐘は良くないよ。おじゃんになる」がサゲだ。「おじゃん」とは、火事が鎮まったときに打つ鐘の音から生まれたと思われるが、物事が不首尾に終わり、失敗することを指す。
 火焔太鼓というのは、雅楽に用いる大きな太鼓で、対になっている。とても風呂敷に包めるような大きさではない。高さは3メートル近い。周囲に火焔の文様が彫られていて、かなり重い。
 そこで、異を唱えたのが長男の馬生だ。火焔太鼓なる太鼓はいかなる形状で重さはどのくらいか。懸命になって調べあげた。とても一人では持ち運べない。リアリティを求める馬生は、大八車に積み込みお屋敷に運んでいく筋書にした。志ん生にしてみると、そんな馬生の生真面目な性格が気にくわない。
「だからおめえは駄目だっていうんだ。実物の大きさなんて、そんなこたあどうでもいいんだ」
 落語は教科書じゃないのだから、適当にやればいいんだ」とむくれる。「火焔太鼓」のこまごまとした言葉は、ほとんどが志ん生の作といわれる。
「世に二つという名器」というのもおかしい。
 正しくは、「世に二つとない」といわなくてはならない。落語は速記本もあるが、だいたいが口伝だ。本来の火焔太鼓は対になっているものだから、もう一つ存在する理屈で「二つという」というのも、あながち否定はできない。が、同じような表現が、やはり志ん生の代表作「井戸の茶碗」にも見られる。
 登場人物は三人。いずれも頑固一徹で曲がったことは大嫌い。落語の世界に出てくる典型的な硬派正義漢だ。まず一人目は裏長屋に暮らしている浪人、千代田卜斎(ぼくさい)。昼間は近所の子供たちに素読の指南をし、夜は売卜(ばいぼく)、つまり易者をしている。美人の娘との二人くらし。裕福でないのは一目でわかる。
 たまたま路地をまわって商売をしていたところに、卜斎から呼ばれた屑屋が、まわりからは「正直清兵衛」と呼ばれる清兵衛。正直すぎる故か、「品を見極められない」と仲間からいわれ、普段は紙くずしか扱わないのだが、この日は卜斎から家に残った古い仏像を200文でむりやり頼まれた。清兵衛は「もし儲けが出たら、折半にしますから」といって、また仕事に出かけた。
 籠に入れた仏像に目を止めたのが、白金の細川屋敷表長屋二階に住む侍、高木作左衛門。200文(もん)以上ならいくらでもよい、と清兵衛がいうので、300文で買い上げた。清兵衛は儲かった百文の半分、50文を卜斎の許に持っていく。
 この仏像があまりに汚れていたので、作左衛門が湯に浸して磨いてみると、台座がはずれ、仏像の中から50両の小判が出て来たから大騒ぎ。作左衛門は、仏像を買ったのであって、中の小判を買ったわけではないので、卜斎の許へ返しに行けと、清兵衛を探し出して命じる。卜斎は、いったん手放した物を受け取るわけにはいかぬ、といって拒否。50両が宙に浮いてしまった。
 千代田卜斎の家主が中に入って、10両を清兵衛が取って残りの40両を卜斎と作左衛門で折半することで、落着した。しかし、卜斎は、どうしても受け取れない、というので、清兵衛が何か一品を先方へお渡しすれば、良いではありませんか、と一計を案じた。本当に何もないので、普段自分が使っている湯飲み茶碗を受け取ってもらうことにした。
 卜斎と作左衛門が、面と向き合うことはない。二人の意を受けた清兵衛が伝書鳩のように右往左往するところが、聞かせどころだ。会ってはいないが、お互いに相手の気骨に惚れ込んでいく。この依怙地というのか、金に執着しない頑固な二人の関係が評判となって、細川の殿様の耳に届いた。目通りを許すというので、作左衛門が殿様に件の茶碗を見せると、殿様の目の色が変わった。
 鑑定役が呼ばれ、じっくり見ると「これは井戸の茶碗といって、世に二つという名器でございます」と判定した。名器に惚れこんだ殿様は高木から300両で買い上げた。そこで、またひと騒動おきる。お察しの通り、作左衛門は前例に倣って半分を卜斎に差し上げたい、と清兵衛を通じて申し出る。卜斎は当然、受け取れない、と断る。ややあって、清兵衛に自分の娘を作左衛門の嫁にどうだろう、と持ちかける。「それは妙案、必ずもらっていただけます。もし駄目だったら私が……」と清兵衛は作左衛門のところに、とって帰り「美人のお嬢様です。磨くと、素晴らしいお嫁さんになります」と報告する。
「磨くのは止そう。また小判が出るかもしれない」で、めでたし、めでたしのサゲとなる。悪人は一人も出てこない。三人が一堂に会することもない。幸せな結末なので後味も良く、誰でもが楽しめる落語だ。
 井戸の茶碗というのは、高麗茶碗の一種。大井戸、青井戸、古(小)井戸の三種があるという。李朝全盛期に青磁系の日用雑器として大量に作られたが、一部の品が茶人たちの好むところとなり、「高麗茶碗の王者」と呼ばれるほどに珍重された。井戸の名の起こりは井戸若狭守が所持していたからとか、産地の名前、見込みが深いための形容説など、諸説がある。
 ここでも、志ん生や志ん朝は「世に二つという名器でございます」としゃべっている。桃月庵白酒も、踏襲している。
「世に二つとなき名器でございます」というのは、志ん生の直弟子、古今亭円菊。「一国一城にも代えがたき名器」が柳家喬太郎。師匠の柳家さん喬は「有名な青井戸の茶碗で、わが朝の土地で焼かれたものではございません。一国にも代えがたき名器」と演る。「関ヶ原の戦いの後、行方不明になっておりました青井戸の茶碗に相違はございません」と言い換えるのは、立川志の輔。いずれにしても、志ん生が言い出した「世に二つという名器にございます」の継承に苦労していることがわかる。
 これだけメディアが発達し、小さな寄席の中の噺が広く広まると、間違った言葉の用法はさまざまな問題が生じる。江戸っ子のいなせな勢いから生まれた話芸だから、そんなに目くじらを立てる必要はない、という意見もあろう。
 志ん生がいう「落語は教科書ではない」という言葉は至言だ。世の中、教科書だけでは、面白くも可笑しくもない。
「テニスのラケットにボールが当たった時の瞬発力がなんたらかんたら、フォロースルーの方向がなんたらかんたら」
 と趣味のテニスまでもすべて理詰めで考えるシンちゃんは、「古き良き時代の話芸だから、なるべくそのままの姿を残したいけれども、言葉は時代で変化するものだし……」
 といってのらりくらり、なかなか結論が出なかったが、科学者だからやはり最後は、「理方(りかた)」を採るに違いない。(敬称略、2018・12・12)

次回の更新は「冷や酒」で、新年の1月16日の予定です。
筆者紹介
▽重金敦之(しげかねあつゆき)1939年東京生まれ。朝日新聞社、大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。著書に『作家の食と酒と』(左右社)、『食彩の文学事典』(講談社)など多数。最新刊『淳ちゃん先生のこと』が
左右社から好評発売中。

登場人物紹介
▽シンちゃん 氏名、住所不詳。1947年東京生まれ。横浜市内の開業医(老年精神医学、音楽療法)。中国ウイグル族の詩歌を翻訳し、テニス、ワイン、バイオリンなど、幅広い好奇心の持ち主。筆者を「キョージュ」と呼ぶのには、敬愛と揶揄の意が込められている。敬虔なキリスト教徒で、最近リスボンからスペインの聖地、サンチャゴ・デ・コンポステーラへ巡礼した。