その17 四百四病の外

 死語とまでは言い切れないが、今ではあまり使われなくなった言葉に、「恋わずらい」がある。 
 群馬県の名湯、草津温泉に伝わる有名な草津節(草津湯もみ唄)にも唄われている。

  お医者さまでも 草津の湯でも
  ア ドッコイショ 惚れた病は コーリャ
  治りゃせぬよ チョイナ チョイナ

 わずらうの漢字は、煩と患の二通りがある。煩は「思い悩む」に重心があり、患は「病い」の意味が強い。好いた、好かれたの世界だから、男性にも女性にも当てはまるはずだが、落語となると、男が女性に恋い焦がれる状況が多い。それでも、「女の恋わずらいというのは、実に色気のあるもので……」などと、わかったようなことを勝手に喋っている。
 噺に出てくる症状はだいたいどれも同じで、食欲がなくなり、寝込んでしまう。ぼんやりして何も食べないから、だんだんやせ細り、ため息ばかりついている。周囲にいる家族や友人たちは、病気と思い込んで医者を呼ぶ。
 病気の数は、四百四病(しひゃくしびょう)あるという。404の数の由来には諸説あるが、人間の身体は、地、水、火、風の四つの元素から構成され、その元素が不調をきたすと病気になる。それぞれの元素に101の病があり、合わせると404になるというのが代表的考え方だ。10世紀ごろの「往生要集」から文献に見え、「玉塵抄」(16世紀)にもある。「浮世草子・日本永代蔵」(1688)には、「四百四病は世に名医ありて験気(病気が快方に向かうこと)を得たる事かならずなり」と記されている。
 病気なら治ることもあろうが、「恋の病」はこの四百四病には含まれる病気ではない。「恋の病に薬なし」といわれるように、薬の処方もできない。治す手立てはただ一つ、草津節にもある通り、二人は一緒になるしかない。

  惚れた病も 治せば治る
  ア ドッコイショ 好いたお方と コーリャ
  添えりゃ治るよ チョイナ チョイナ

 医者は診てもわからないが、せいぜい「気の病」くらいまでは見当がつく。医者も周囲も病気として、なんとか救おうと手立てを考えるところから、落語が生まれる。
 当の病人には原因がわかっているのだが、家族には言えない。恥ずかしい上に笑われると思っているからだ。肉親以外の幼なじみには話せるというので、友達とか出入りの職人らが枕元に呼ばれる。
「笑わないかい?」
「笑うもんかえ」
というやり取りのあと、やはり笑うのがお約束だ。

 恋わずらいをテーマにした噺は「崇徳院(すとくいん)」を初めとして、「雪とん」「肝つぶし」「幾代餅」「紺屋高尾」などが挙げられる。
 古今亭志ん生(8代目)の「雪とん」を聞く。
「四百四病の病よりも、シンほど辛きものはない、といいますな。四百四病に一つぬけている病が、恋わずらい」と始まる。シンとは何か、というと貧(ひん)。つまり江戸っ子はヒをシと発音する。一種の訛だ。志ん生が「病よりも貧乏の方が辛い」というと、極貧の生活を体験しているから、現実味がある。
「雪とん」の噺は、こんな筋だ。
 日本橋近辺(小網町という演者も)の船宿の主人が若いころ大変世話になった地方(栃木県佐野とも)のお大尽(物もち)の若旦那が、東京見物に来て二階に居候することになった。女将は丁重にもてなしていたが、どうも客人の様子がおかしい。訊きただしてみると、日本橋本町の糸屋の娘に一目ぼれしたという。
 噴き出した女将は、「あれは男嫌いで有名な娘」となだめると、「一目逢って盃(さかずき)を一杯(いっぱい)やり取りさえすれば、あきらめて帰る。そうでなければ、死んだほうがまし」とまでいう。主人がたいへん世話になった人の若旦那ということを思いだし、糸屋の女中に金を渡して、夜に木戸をとんとんと二つ叩けば、案内する約束を取り付けた。
 小躍りした若旦那はまず湯へ行き、勇んで出かけたものの、折しも雪が降り出した。糸屋の屋敷がわからず一晩中探し回っていると、そこに現われたのが、顔と格好が良い佐七。鳶職とする演者もいるが、道を通ると娘たちが集まってお祭りのような騒ぎになるところから、「お祭り佐七」と呼ばれる痴れ者(しれもの)。この場合の痴れ者は「その道でのしたたかな者」(『広辞苑』⑦)といった意味だろう。お祭り佐七の人物像の原形は、鶴屋南北の歌舞伎狂言「心謎解色糸(こころのなぞとけたいろいと)」にある。
 足駄に詰まった雪を取り外そうと、とんとんと糸屋の枝折り戸を蹴飛ばしたから、戸の裏で待っていた女中が「どうぞ、お待ちしてました」と招き入れた。あと少しのところで良いところをもっていかれた若旦那が、「お祭りだけに山車(だし)にされた」というのが落ち。最近では入船亭扇辰の「雪とん」を聞いた。

 恋わずらいの代表的な噺が「崇徳院」。さる大家の若旦那が上野の清水観音(大阪では生玉明神、高津神社、京都の清水堂)の茶店で、若い娘さんと出会い、お互いに一目ぼれ。娘さんは「瀬をはやみ岩にせかかる瀧川の」と、崇徳院の百人一首にある上の句だけを、料紙に記して去って行った。
 下の句は「われても末に逢はむとぞ思ふ」で、「急な川の流れが、岩などにぶつかって二つに分かれても、その先にはまた一つの流れに戻るように、いつかまたお会いしたいものです」と「恋心」を詠んだ句だから、さあ大変。
 若旦那は、娘さんに会いたい一心で床に臥してしまう。小さい頃から家族同様に暮らしていた手伝いの職人、熊五郎にその事情を打ち明けたが、どこの誰だか、皆目見当がつかない。
 倅の病が治るのなら、何が何でもその娘さんを探し出せと大旦那は、熊さんに厳命。今までの借金は棒引きにして、お礼に三軒長屋を一つくれてやる、と人参を鼻先にぶら下げられた熊さんは女房にも尻を叩かれ、欲と二人連れで床屋や湯屋を探し回る。娘さんの方でも、悶々として、寝たきり状態。両家が懸命になって床屋や湯屋を中心に相手を探し回わる。
 とうとう双方の「追手」が床屋で出合う。お互いにこちらに来い、と取っ組み合いの騒ぎを起こして、床屋の鏡を壊してしまう。怒り心頭の床屋の前で、熊さんは慌てることなく、「割れても末に買わんとぞ思う」が落ち。

 実の妹を殺そうとするおどろおどろしい「肝(きも)つぶ)し」は前回に取り上げた「夢の酒」と同じ「夢落ち」の部類に入るが、夢に見た呉服屋の一人娘に惚れ込んでしまった恩人の倅を助けようとする噺だ。
 さる医者によると、恋わずらいには、同じ亥(い)の年、亥の月、亥の日、亥の刻に生まれた人の生き肝が有効だが、人の命を助けるために別の命を犠牲にすることはできないという。もっともな話だ。「肝をつぶす」という慣用句と「生き肝」の駄洒落で落ちになる。

「紺屋(こうや)高尾」と「幾代餅」は、同工異曲の噺だ。いずれも店の奉公人が吉原の花魁(おいらん)の中で最も位の高い太夫に惚れてしまう。
 神田紺屋町、藍染め職人の久蔵は、初めて吉原の花魁道中を友達に連れられて見に行った。一目見ただけで、三浦屋の高尾太夫に惚れ込み、「逢えなければ死ぬ」といって床に臥した。主人の吉兵衛は「三年間まじめに働いて金を貯めれば、その金で逢うこともできる」となだめる。
 小網町(馬喰町とも)の搗米屋(つきごめや)三右衛門(六右衛門とも)の職人清蔵も人形町の絵草紙屋で姿海老屋の幾代太夫の錦絵を見て、一目惚れ。こちらも寝込んでしまう。主の三右衛門は、「一年のあいだ懸命に働けば、逢わせてやる」とおだてる。
 両人とも、逢いたさ一心で脇目も振らず、懸命になって働いた。久蔵は三年、清蔵は一年経っても、忘れなかったところが素晴らしい。両人が稼いだ金に主人がいくばくかの金を足して、送り出すことになった。
 吉兵衛は、案内を医者の武内蘭石に委ねる。蘭石は、久蔵が職人ではまずいから、流山のお大尽の息子ということにして、余計なことはしゃべるんでないぞ、と釘を差す。
 三右衛門は、医術は嫌いで吉原が大好きという籔井竹庵にお任せする。こちらは野田の醤油問屋の息子という触れ込み。
 お目にかかれれば僥倖、といわれるほど人気絶頂の売れっ子だが、たまたま空いていたのか座敷に来てくれた。初回は逢うだけ、というのが定法で、「今度、主(ぬし)はいつ来てくんなますか」と聞かれた。久蔵は次に来るまでには、また三年の歳月を待たなくてはならない。そこで、つい本当のことを喋ってしまう。
 その話に感激した太夫は、「わちきは来年の三月に年季(ねん)が明けます。こんなわちきで良かったら、女房にしてくんなますか」という。有頂天になった久蔵はまた懸命に働いていると、とうとう高尾がやって来た。
 久蔵は高尾と夫婦になると、夫婦養子となって、家業の紺屋を継いで(暖簾分けをした話しも)、繁昌する。一生懸命に働く高尾の顔を一目見たさに、次から次へと染め物を持っていくが、とうとう染める布が無くなって、黒い猫を持っていく者までいた。
 一年経たなくては来られない清蔵は、「来年三月、来年三月」と唱えて働き続けた。その三月、幾代が駕籠に乗って店先に現れ、藪井竹庵を媒酌人として夫婦となった。搗米屋だけに、餅屋が良いだろうと両国に餅屋を開業し源氏名の「幾代餅」と名づけた。餅を包んで、「有難うありんす。また来てくんなまし」という幾代の顔見たさに大繁盛。顔を見るや、金を払って餅を忘れて帰る慌て者もいたと伝えられる。
 まじめな職人、久蔵と清蔵のサクセスストーリーだが、この二つの噺はどっちが先だか後だかわからない。
「紺屋高尾」には、「かめ(瓶)のぞき」という言葉が出てくる。高尾の顔を見たいのだが、いつも瓶の中をのぞいて仕事をしているから、よく顔が見えない。そこで瓶の中に映る姿を見ようというのだが、何が映っているのか。それは、次回のお楽しみ。
 精神科医のシンちゃんは、「今回は病気の話で、しかも私の専門領域だから、落ちのある噺にはつきあっていられません」と、診察室に鍵をかけ、引きこもってしまった。(敬称略、2019・1・30)

次回の更新は「かめのぞき」で、2月14日の予定です
筆者紹介
▽重金敦之(しげかねあつゆき)1939年東京生まれ。朝日新聞社、大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。著書に『作家の食と酒と』(左右社)、『食彩の文学事典』(講談社)など多数。最新刊『淳ちゃん先生のこと』が
左右社から好評発売中。

登場人物紹介
▽シンちゃん 氏名、住所不詳。1947年東京生まれ。横浜市内の開業医(老年精神医学、音楽療法)。中国ウイグル族の詩歌を翻訳し、テニス、ワイン、バイオリンなど、幅広い好奇心の持ち主。筆者を「キョージュ」と呼ぶのには、敬愛と揶揄の意が込められている。敬虔なキリスト教徒で、最近リスボンからスペインの聖地、サンチャゴ・デ・コンポステーラへ巡礼した。