その18 かめのぞき

 前回に紹介した「紺屋高尾」の紺屋というのは、染め物屋のことだ。「こんや」とも「こうや」ともいう。三遊亭円生(六代目)の高座によれば、江戸では「こうや」が普通だった。今でも東京に「神田紺屋町(こんやちょう)」という地名が残っているように、昔はひとところに集まったようだ。全国に紺屋町の地名が残っている。大阪では「こんや」が多く、九州では「こうや」が多い。
 東京の文京区根津にも藍染町という町名が昭和40年まで残っていた。由来は豊島の駒込から不忍池まで流れていた藍染川との説が有力だが、現在は暗渠になっている。その昔に藍染めの店があったかどうかは、定かでない。
 藍(あい)についての詳しい説明は割愛するとして、染料を使うのだから、どうしても自分の衣服に色が着いてしまう。にもかかわらず昔は、わざわざ白い袴姿で働く職人がいた。自分の衣装に汚れが付着しないのを、誇りにしたからといわれる。
「紺屋の白袴」という諺は、商売だから当たり前なのだが、身につけた技量がお客のためばかりに用いられ、自身には使われないことを指す。またあまりにも身近な技術なので、いつでもできると後回しにし、そのまま放置しておくから、結局手がつかないことの喩えにも用いられる。「医者の不養生」と同じだ。他にも「易者 身の上知らず」とか「髪結いの乱れ髪」もある。
 当時の紺屋はかなり繁昌したようで、注文に追われ、いつも忙しかった。天候の影響もあり、納期に遅れることが多いので、「紺屋の明後日(あさって)」という言葉が生まれた。予定した日に仕上がらない場合には「明後日にはできます」と、いい訳をする。「当てにならない」のと「約束が守られない」ことを意味する。「紺屋の明後日 医者の只今」とか、「紺屋の明後日 鍛冶屋の明晩」などとも使う。
「紺屋の明後日の明後日」とか「紺屋の明後日は、やの明後日」ともいう。仙台では「紺屋の明後日75日」とか、会津喜多方では「紺屋の明後日60日」というらしい。これでは、端(はな)から約束をしない方が潔い。
 そば屋の出前が、「今出ました」というようなものかもしれない。今ならさしずめ、そばではなく、ピザパイの宅配といったところか。
 ところで、紺屋から生まれた言葉に「かめのぞき(瓶覗き)」がある。色の名前だ。
 買い求めてから、ずっと書架に眠っていた『奇妙な色名事典』を取出してみると、「かめのぞき色」が載っていた。こういうところで役に立つから、「積ん読」を馬鹿にしてはいけない。家人は嫌がるけれども。
<覗き見趣味の色ではない。これでも歴とした伝統色名。瓶は藍瓶のことで、糸や布を藍瓶の中にちょっと潜らせて染めた色を、ユーモラスに表現したものらしい。藍染めのもっとも薄い色合いのことになる。>(福田邦夫・青蛾書房1993)
「かめのぞき色」を強いて言えば、水色のごく薄い色を指す。藍染めは、藍に浸ける作業を何回も繰り返し、色を濃くしていく。だから一回くらい、瓶に入れただけでは、うっすらと青系の水が滲むだけで、紺にはかなり遠い。
 ひと口に紺といっても、濃紺、紫紺、鉄婚、茄子紺、留紺(とめこん)と変化に富んでいる。紫紺は紺に紫の色みが入り、鉄紺は暗い紫に緑の色みが加わる。紫紺は明治大学、鉄紺は東洋大学、それぞれのスクールカラーとして、正月の箱根駅伝でおなじみになった。明治大学が紫紺を選んだ理由は、紫が高貴な色とされ、貴族や僧侶の最も位の高い者は紫色の衣服を着けたからとか、往時の駿河台は紫色の花をつける露草(つゆくさ)がはびこっていたからだとか、諸説ある。露草は、染料としても用いられた。
 留紺は何回も何回も瓶にいれて、これ以上は染まらないという最後の色だから、留紺となった。 
 のぞきの手ぬぐいというのがある。歌舞伎などで、顔を隠したり、棒手(ぼて)ふりが襟に巻いたりすると、どこか「いなせ」な格好になるから不思議だ。
「紺屋高尾」の高尾は、職人の久蔵と夫婦になり、家業の藍染に精を出した。お客や野次馬が頬被りをして働く高尾の姿を一目見ようと押しかけた。顔がなかなか見えないものだから、土間に並んでいる瓶の中に映った顔を見ようと、みな瓶の水面をのぞく。なかには、高尾の大事な隠しどころが見えるのではないかと、血眼になってのぞいた輩もいたそうだ。今では、そこまで喋る噺家はいない。
「藍といえば、かなり濃い色でしょう。映るわけなんてありませんよ」
 シンちゃんは、例によって科学的見地から見も蓋(ふた)もないことをいう。DIC(旧大日本インキ)の色見本帳なんかを見て、明度、彩度を瞬時に描いたのかもしれない。スカートの下にスマホを差しこむ現代人には、藍瓶に映る姿をのぞこうという古典的手法はなかなか理解できないだろう。
 天平時代まで遡れば、奈良県明日香村の久米寺の開祖と伝えられる久米の仙人は、久米川(現大和川)で洗濯をしている女性の白い脹脛(ふくらはぎ)に目を奪われて空から落下したそうだから、藍瓶に比べれば、スケールが大きい。
 日本の伝統色には、なかなか風情に富んだ名前が多い。縹(はだな)色というのがある。これも薄い藍だ。藍色よりは薄く、浅葱(あさぎ)色よりは濃い。「かめのぞき色」も職人たちの技術用語から生まれたと考えられる。

 落語に「出来心」という噺がある。間抜けな泥棒がよりによって、貧乏暮らしの長屋の八五郎の部屋に忍び込んだが、何も盗る物がないから残った鍋の雑炊を食べてしまった。間の悪いことに八五郎が帰ってきたので、慌てて台所の縁の下に潜り込む。泥棒が入ったのに気づいた八五郎は大家に「大事な物を盗まれました」といって家賃を日延べしてもらう。盗難届を出すことになり、八五郎が「布団を盗まれました」というと、大家は「どんな布団だ? 表の柄は?」と尋ねてくる。
「大家さんと同じで」
「なら、表は唐草で、裏は花色木綿(はないろもめん)だな」
「へい」
という次第で、帯から箪笥まで、すべて「裏は花色木綿」にしてしまう。だから「花色木綿」という題で、演じる人もいる。
 泥棒も八五郎も「ほんの出来心で……」がサゲだが、花色というのは薄い水色だ。縹色が江戸時代に花田色となり、花色に変化したといわれる。

「のぞき」という陶器もある。のぞき猪口(じょこ)といえば、筒状で底が深く覗き込むような器で、珍味などを盛る。大きめの猪口といってもいいくらいだ。底をのぞきこむわけだから、あまり目一杯に料理を盛るものではない。あるかないかわらないところが器の妙味だ。
 また深向(ふかむこう)という言い方もある。向うというのは、向付(むこうづけ)で、お膳や折敷(おしき)の向こう側、遠いほうに置き、懐石では刺し身などを盛る。深向に対して浅い皿は平向(ひらむこう)という。
 関西地方では、刺し身の醤油皿の類を「のぞき」といい、江戸風の握りずしの醤油皿にも使う。
 この「のぞく」という言葉は、狭く小さなすき間や穴から、向こうを見る。また「うかがう」という意味が強い。漢字で書くと、「窺」の字が出る。のぞくの「覗」の字も「うかがう」と読む。二本の柱の間に耳を持っていくところから、「聞」の漢字が生まれた。その説にならえば、門構えの中に目を置けば「のぞき」という漢字がありそうなものだが、お目にかかったことはない。門構えに「窺」の「規」を入れた「闚」という字がある。音読みは「き」で、訓で読むと、「うかがう」で、頭を傾けて門中からちょっとのぞく意味だ。
 普通、うかがうは「伺」の漢字を用いる。司は、「君に仕えて、つかさどる」意味から、うかがい察するとなった。察はくわしく知る、丁寧に見る、で、観察、視察、察知などの熟語を思い出してもらいたい。司と人がまとまったことで、伺は、伺候(目上の人の機嫌を伺う)、伺察(人の様子をうかがいみること)、伺窺(しきゅう=秘かに様子をみる)、伺望(うかがいのぞむ)の言葉が生まれた。『国語大辞典』には、伺候、伺察は出ているが、伺窺、伺望は収録されていない。
「障子に目有り、襖に耳あり」という言葉があるように、「のぞく」は、あまり大っぴらに正々堂々と見るものではない。秘かに奥を伺いながら見るというニュアンスだ。
 最近になって、碁に凝っているシンちゃんは、「碁にも『のぞき』という技術用語がありますよ」といい出した。体力的にテニスができなくなった時を考えて、始めたという。高校時代の同期生の仲間と楽しんでいるらしい。
「『のぞき』とは、次に打つと相手の石を分断できるんです。『生のぞき』なんていう用語もありますよ」
 テニスも碁も勝負事に変わりはない。常に「勝ちたい」意識が先に立つシンちゃんのことだから、高校の同期生相手に苦労している様子が手に取るようにわかる。先日もテニス仲間で、碁にも通じている先輩のSさんに、「必勝の極意を教えてください」と尋ねていたが、そんな極意があれば、だれも苦労はしないっつうの。おそらく入門書から解説書、必勝法まで、20冊以上の書物を買いこんだに違いない。どこまで読んだか、知る由もないが。
 囲碁が出てくる噺は多いが、主題にしているのは「笠碁」と「碁どろ」が双璧だろう。「碁どろ」は対局が山場を迎えたところに、「碁好き」の泥棒が闖入する。
 古今亭志ん朝の「碁どろ」を聞く。
 煙草盆を探しながら、
「煙草と打つ」…
「煙草と切る」…
「切られれば、こうのぞく」…
「のぞきゃ、婆(ばば)でも臍(へそ)隠す」
 などと勝手なことをいいながら打っていると、碁石の音につられた泥ちゃんが、大きな風呂敷包みを背負ったまま、碁盤をのぞき始めた。根が好きなものだから、つい口を出す。
「見慣れない人だねぇ。岡目八目助言は無用ですよ…お前さんは誰だい…大きな荷を背負って…」
「泥棒でござんす」
「泥棒ッと打つ」
「泥棒ッ、と打たれては、弱ったね」
といいながら、格好の手が浮かんだらしく、「泥棒さん、よく来たねェ」でサゲとなる。
「岡目八目助言は無用」の助言は、柳家小さん(五代目)も志ん朝も、「じょげん」ではなく「じょごん」といっている。
『国語大辞典』の「助言(じょごん)」には、「日葡(ポルトガル)辞書」(1603~04)から、「ゴシャウギ(碁将棋)ニ jogon(ジョゴン)スルワ ケンクァノモトイ ヂャ」と引用されている。

 私は「かめのぞき」から、博多ラーメンを思い出した、博多ラーメンの特徴に「替え玉」というシステムがある。博多ラーメンは麺が細く茹で時間が短いので、食べ終わるころに麺だけを追加できる。店によっては麺の茹で時間(硬さ)を指定できる。「硬め」「バリカタ」「ハリガネ」「湯気通し」「粉落とし」など10秒から2、3秒という短さだ。何となく「のぞく」というニュアンスに似ていませんか。「バリ」とは博多の若者言葉で強調の接頭語で、「とても」とか「すごく」の意味だ。「バリバリ」を省略したのか。「バリ、うまかぁー」などと使う。北九州地方の強調語には、「力いっぱい」から生まれた「ちかっぱい」。さらに縮めて最近の若者は「ちかっぱ」を好むらしい。「ちかっぱ好いとうよ……(とても好きだよ)」などと使う。
 ラーメンといえば、「ラーメン屋」という落語がある。有崎勉が古今亭今輔(五代目)のために書いた新作の人情噺だ。今輔は、「さんまの殿様」でも紹介したように、「お婆さんの今輔」といわれ、新作落語の普及に貢献した。「古典落語もできた時は、新作」というのが口癖だった。
 有崎勉といっても、わからない人が多い時代になってしまった。柳家金語楼といえば、わかる人もいるだろう。息子がロカビリーの山下敬二郎、といってもわからないか。ロカビリーも今や「懐メロ」の世界だ。金語楼は落語家から喜劇俳優として活躍し、NHKテレビの「ジェスチャー」で水の江瀧子と組んで一世を風靡した。テレビの草創期の番組だ。
 あらすじを説明する。子どものいない老夫婦が屋台のラーメン屋を営んでいる。そろそろ店を締めようかと日付が変わった頃、一人の若者が入って来て、立て続けに2杯を食べ終えた。年恰好から考えると、夫婦にこのくらいの息子がいても、不思議ではない。訊けば、昼から何も食べていないという。ならばと、3杯目を勧めると、それも食べてしまった。
 食べ終わると、自分は金を持ってないから、近くの交番に無銭飲食で突き出してくれという。主人はまずは店じまいをするから、家まで屋台を引くので力を貸してくれ、それから交番に行こうという。家に上げ、酒を飲んで若者の身の上を聞くと、物心ついた時には、すでに両親はいなかった。さっきのラーメン代は、引いた労賃で帳消しにするから、頼みがある。100円出すから、一声「お父っつぁん」と呼んでくれと頼む。それを聞いたお婆さんも、「おっ母あぁ」と呼んでくれれば、「なんだい」と返事をするので、200円出すという。
 一種の「家族ごっこ」が始まる。「疑似家族」といってもいい。そのうち「もう金は要らないから、俺のことを、『せがれっ!』て呼んでほしいんだ」と若者が涙ながらにいう。
 今輔はこの噺を大変大切にし、自分がトリを務める時以外は掛けなかった。孫弟子になる古今亭寿助や春雨や雷蔵などが今でも演じている。
 五街道雲助は、ラーメン屋を江戸時代のそば屋に置き換えて、「夜鷹そば屋」という噺にリメークした。一度ホール落語で聴いたことがある。有崎勉の原作だったとは、後になって知った。
「落語は奥が深いですね。どこか柳美里の小説の世界に通じるところがありますね」
 シンちゃんが指をくねらしながら、興奮気味に話しだした。自分独りで合点すると、間違いなく友人たちに吹聴するだろう。
 博多ラーメンの麺がいくら細いからといって、「粉落とし」や「湯気通し」の50メートルから100メートルを走る茹で時間の世界に遊んで健康を害しても、責任の持っていく場所がない。こういう行為こそを「自己責任」というのだ。(敬称略、2019・2・13)

◎次回は、5月15日に更新いたします。
筆者紹介
▽重金敦之(しげかねあつゆき)1939年東京生まれ。朝日新聞社、大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。著書に『作家の食と酒と』(左右社)、『食彩の文学事典』(講談社)など多数。最新刊『淳ちゃん先生のこと』が
左右社から好評発売中。

登場人物紹介
▽シンちゃん 氏名、住所不詳。1947年東京生まれ。横浜市内の開業医(老年精神医学、音楽療法)。中国ウイグル族の詩歌を翻訳し、テニス、ワイン、バイオリンなど、幅広い好奇心の持ち主。筆者を「キョージュ」と呼ぶのには、敬愛と揶揄の意が込められている。敬虔なキリスト教徒で、最近リスボンからスペインの聖地、サンチャゴ・デ・コンポステーラへ巡礼した。