第23回 相撲の落語

 日本語で「花」といえば桜を指す場合が多い。約束ごとといってもいい。花篝(はなかがり)は、夜桜を照らすための篝火だ。花風は桜の花や枝を揺らすそよ風だが、花びらを舞わす強い風を指すこともある。花の香は桜の花の香りで、もちろん春の季語だ。花の蔭は咲いている桜の木陰といった按配になる。
 落語の「花筏(いかだ)」は、池や川の水面に浮かぶ花びらとは関係がない。江戸で評判の人気力士、大関の四股名だ。風情があり過ぎて力強さが感じられないが、この花筏が明日をも知れない大病を患ったから大変なことに。人気抜群の大関を看板に房総の銚子で7日間の花相撲を請け負った親方は頭を抱えてしまった。
 興行主から、花筏関が来られないのなら金を返せといわれても、受け取った前金はもうとっくに飲んでしまった。親方は大慌てで対策を講じなくてはならない。姿格好がそっくりの提灯屋、徳を影武者に仕立てることにした。日当の他に三食ご馳走に有りつけるとあって、徳はご機嫌だ。土俵入りの真似をして取り組みは休場というのだから、こんな有難い役回りはない。
 ところが地元の有力者、網元の息子、素人力士の千鳥ケ浜大五郎が勝ち上がって来て、どうしても千秋楽に花筏と勝負させたい、と興行主が言い出した。話しが違うとおじけつく徳に、親方は「立ち上がって千鳥ケ浜の身体に触れたら、すぐ後ろに倒れればいい。病気だから観客は納得する」と知恵を付けた。いざ土俵に上がってみると、同じ素人といっても、相手は見るからに強そうな若者。とても提灯屋風情が敵う相手ではない。このままでは殺されるに違いない。いつのまにか南無阿弥陀仏と口にしていた。
 相手の千鳥ケ浜も、父親から「網元の手前、今までは手を抜いてくれていた。千秋楽はその遺恨を晴らすために花筏は本気で掛かってくる」と脅かされているから、こちらも南無阿弥陀仏。両力士が念仏を唱え始めたので、びっくりしたのが行司だ。ままよと、適当なところで軍配を返した。
 ところが立ち上がると同時に、花筏こと提灯屋の手が相手の目に入り、花筏が勝ってしまった。見物客は「張り手」が決まったと思い込む。「提灯屋だけに張るのが得意だ」がおち。
 山形県鶴岡市出身で、花筏という関取が実在した。立浪部屋所属で、1966年十両に昇進し、郷里で料理屋を開き後進の指導に当たっているそうだ。落語とは、まったく関係がない。
 もともとこの噺は上方で生まれ、東京にもたらされたので、「提灯相撲」という題目で演じられることもある。上方では、枝雀が得意にしているが、興行先は兵庫県の高砂で興行は10日となっている。
 相撲の落語には、他に「阿武松(おうのまつ)」がある。阿武松緑之助(本名・佐々木長吉)は石川県の能登出身で、第6代の横綱だ。1791年生まれというから、横綱になったのは、19世紀の初めということになる。能登から出てきた長吉は、武隈部屋に入り小車の名前を貰った。稽古を熱心にするのはいいのだが、並外れて大飯をくらう。おかみさんはたまりかねて「こんなにお米を食われたのでは、部屋がつぶれてしまう。早く暇を出したほうがいい」と親方を唆した。親方もその気になり、2分の金を渡して能登へ帰れと体よく追っ払ってしまった。
 長吉は関取にもなれないまま、今さら故郷におめおめと帰るわけにもいかない。中山道(なかせんどう)の戸田へ来ると、飯を腹いっぱい食べてから、明朝戸田川に身を投げようと決めた。板橋の宿まで取って返すと、2分の金を女中に渡して「最後の晩餐」とばかり、食べること食べること、お釜で3回お代わりをした。事情を訊いた相撲好きの宿の主、善兵衛はいたく同情し、月に5斗俵を2俵ずつ送るという条件で、懇意にしている錣山(しころやま)部屋に紹介した。錣山親方が前相撲で使っていた小緑の名前をもらい、自身も稽古に励んだので出世街道をまっしぐら。100日の間に番付60枚を飛び抜いた。
 文政5年、小緑改め、小柳長吉の四股名で入幕、因縁の武隈親方と対決するまでになった。時の長州藩主毛利斉煕(ひろなり)のお抱え力士になり、綱を張ったという出世物語だ。
 三遊亭圓生(5代目)など、演者は多い。立川談志は、板橋の宿ではなく東海道の川崎にしているが、やはり能登へ帰ることを考えたら、中山道の方にリアリティがある。
 この話は実話ではなく、講談などで創られた噺だ。錣山部屋に在籍したことはなく、粂川(くめがわ)部屋や雷(いかずち)部屋、などを転々とした。阿武松の名前は、毛利藩は萩の景勝地「阿武の松原」に由来する。
 阿武松部屋は現存し、現親方は元関脇の益荒雄(ますらお)。審判部長を務めているが、19年5月場所で栃ノ心・朝乃山戦のもの言いの際の説明が混乱し、場所後の横綱審議委員会から「もの言い」が付き、現在開催中の7月場所(名古屋)は「休場」している。
 角界にいたこともある三遊亭歌武蔵は、高座に上がるやいなや第一声で「ただ今の勝負について説明いたします」とぶちかますことがある。
 この冒頭のせりふは誰がしゃべっても同じだが、その後からわからなくなる。
「行司軍配は東方力士の投げを有利と見て東に上げましたが、東方力士の足の出るのが早かったのではないかと、もの言いがつきましたが、審議の結果西方力士の手が先についており、行司軍配の通り東方力士の勝ちといたします」
 こういう説明が多い。悪文の見本みたいな文章で、なかなかイメージしにくい。足が出るのが、先か後かの問題と思っていたら、西方力士の手の問題にすり代わっている。テレビを見ていれば、まだ理解できるが、実際に観戦している人には、なにも飲み込めないだろう。
 他にも「同体ではないかと、もの言いがつき」ということもある。「同体」という判定はできないのだから、これは行司がかわいそうというものだ。
「行司軍配は東方力士の投げを有利と見て東に上げました。その判定に対し、(向正面の〇〇検査役から)東方力士の足の出るのが早かったのではないかと、もの言いがつきました。ビデオを参考し、審議しましたところ、東方力士の足は残っており、行司軍配の通り東方力士の勝ちといたします」
 少し文章を切れば、わかりやすくなる。
 アナウンサーでも招いて「話し方教室」を開けば、少しは改善されるはずだ。なにかにつけてマニュアル化する傾向は考え物だが、話術を磨くのとは別の問題だ。聞くところによると、力士は「あまり喋るべきではない」という教育を普段から受けている。どうも伝統的な考え方のようだ。「一番一番集中して、土俵に上がるだけです」といった、まさにワンパターンな言葉しか出てこない。外国出身力士で日本語がままならない人には同情する余地はあるが、日本の義務教育を受けているなら、もう少し話せるはずだ。
 プロ野球でも、口下手な審判が多い。規則の説明や判断の基準など、肝腎なことが抜けていることがある。何も説明する必要が無いのに、「リプレイ検証の結果、アウトだったので、アウトとして試合を再開します」などいう「説明」もある。監督からの抗議の趣旨と審判の判断の根拠を聴きたいのだ。
 プロ野球でも、大学を出た選手が、口をそろえたように「応援よろしくお願いします」と最後に言うのには、飽きたのを通り越して絶望的になる。元東北楽天イーグルスの監督、野村克也が、選手に「面白いことを話せ」と教育していたのを思い出す。解説者の方だって、アナウンサーと一緒になって、「今のプレーは大きいですね」を繰り返している。「大きい」の乱用はもう60年以上も前から気になっている。延長10回の表に、1点が入ると「この1点は大きいですね」とアナウンサー。「ホントに大きな1点です」と解説者が応じる。そりゃそうだろう。裏を零点に抑えれば、勝負は決まるのだ。大きいに決まっている。
 話しが野球に飛んでしまった。相撲の話しだった。相撲用語に「かっぱじく」というのがある。
 正面から相手の胸を突っ張って倒せば、「突き倒し」という決まり手になる。突いて、突いて土俵の外に出せば、「突き出し」だ。
 正面から突くのではなく、右に体を開いて、相手の左側面を右手ではじくように突くのを、「かっぱじく」という。かっぱじくだけで勝負がついたら、決まり手は「突き落とし」となる。しかし一発で決めるのではなく、主眼は相手のバランスをくずすところにある。相手が出て来るのを「いなす」所作と絡み合っている。
 NHKのアナウンサーが、一場所に一回くらいは「かっぱじく」を使う。私は戸部真輔と太田雅英が使っているのを聴いた。話してから、「いけねえ、ちょっと専門用語過ぎたかな」と半ば反省、忸怩の気分が伝わってきた。勝敗の決まり手なら説明するのだろうが、決まり手ではないから、ついそのままになってしまうのかもしれない。
 NHKの相撲解説者、舞の海秀平は「豪風(たけかぜ)は小さな力士ですので、正面からばかり突いていても突破口を開けないので、横からかっぱじくように突く攻めで、勝機を見出しています」(『テレビでは言えない大相撲観戦の極意』ポプラ新書)と使っているが、「かっぱじく」の説明はない。
 漢字を当てたら、「掻っ弾く」になろうか。
「掻く」という動詞は、「熊手で落ち葉を掻く」「足で水を掻く」「敵の裏を掻く」などと使う。「お茶漬けをかっ込んで」などともいう。後ろに「払う」が付くと、「掻き払う」で、「払いのける」とか「横に薙(な)ぎ払う」の意味になる。この「掻き払う」から促音便で「かっはらう」、半濁音化して「かっぱらう」になったのだろう。「掻く」意味が薄れた「かっとばす」のように、動詞の頭に付いて意味を強める接頭語と考えてもいい。
 ついでに言うと、「いなす」は「往なす」「去なす」の漢字を当てる。『広辞苑⑦』では「①人を行かせる、帰らせる。②相撲で、急に体をかわして相手をおよがせる。③転じて、相手の攻撃・追及を軽くあしらう。」と説明している。だから、「往なす」であり「去なす」なのだ。
 相撲界の隠語には、「たにまち(贔屓筋、パトロン)」「金星(美人)」「がちんこ(真剣勝負)」など一般に知られた言葉も多い。「アンコ型」は腹の出た力士で、「ソップ型」は痩せている力士だ。アンコは魚の鮟鱇(あんこう)から転じ、ソップとはスープで、出汁を取った「鶏ガラ」からイメージしたのだろう。「骨川筋右衛門」などとも揶揄されるが、相撲とは直接の関係はない。
 また相撲関係者以外の一般の人を「余方(よかた)」と呼ぶ。余所(よそ)の余だ。『日国』には、「よそのかた。他の方」とある。『警察隠語類集』にも収録されているが、隠語というほどのことはなく、一般社会でも使われたことばだ。
「がちんこ」は「がち(ガチ)」などと省略されて一般化した。『日国』には、「相撲の世界で、真剣勝負をいう」とある。一説には「立ち合いのさいに激しくぶつかると『ガチン』と音がするところから生まれた」ともいうが、詳細はわからない。わざわざ「真剣勝負」というくらいだから、過去に「なれあい」の取り組みがあったことがうかがえる。また興行の意味合いが強い地方場所などでは、地元出身力士に花を持たせる風潮がある。角界では「八百長」とはいわずに「無気力相撲」という。
「プロレスで『がちんこ』は、『シュート』といいます。アメリカで生まれたみたいですよ。ガチといえばガチガチで、硬いところから、『セメント』とも言います。日本のプロレスは力道山以来、相撲の影響を受け続けているから、相撲の世界からきた隠語も多いんですよ」
 話題が自分の得意領域に入ってきたものだから、普段は茫洋としているシンちゃんの目が急に輝き始めて、躁状態に突入してしまった。ここは軽くいなさなくてはならない。(敬称略 2019・7・10)

◎次回の更新は7月24日の予定です。
筆者紹介
▽重金敦之(しげかねあつゆき)1939年東京生まれ。朝日新聞社、大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。著書に『作家の食と酒と』(左右社)、『食彩の文学事典』(講談社)など多数。最新刊『淳ちゃん先生のこと』が
左右社から好評発売中。

登場人物紹介
▽シンちゃん 氏名、住所不詳。1947年東京生まれ。横浜市内の開業医(老年精神医学、音楽療法)。中国ウイグル族の詩歌を翻訳し、テニス、ワイン、バイオリンなど、幅広い好奇心の持ち主。筆者を「キョージュ」と呼ぶのには、敬愛と揶揄の意が込められている。敬虔なキリスト教徒で、最近リスボンからスペインの聖地、サンチャゴ・デ・コンポステーラへ巡礼した。