第25回 立て引き

 洋の東西を問わず大都市と川とは、歴史的にも地政学的にも密接な関わりがある。パリとセーヌ川、ロンドンにテームズ川、ニューヨークにはハドソン川と来れば、もちろん東京(江戸)は大川(隅田川)だ。江戸時代、大川の河口付近は堀川が縦横に張り巡らされ、イタリアのベネチアに匹敵する水郷だったという学者もいる。小さな緒牙(ちょき)舟が四通八達した水路を自在に往来し、当時の人びとの生活に無くてはならないものだった。 
 荒川の氾濫を防ぐために造られた山谷(さんや)堀は、三の輪に発して今戸で大川につながる。今戸は松乳山聖天(まっちやましょうでん)の少し上(かみ)になる。往時は舟の往来もあり、大川から猪牙舟で吉原遊郭の入り口ともいうべき大門まで乗りつけるのが粋とされた。昭和の初期から埋め立てられ、現在は台東区の手で「山谷堀公園」となっている。日本堤から今戸橋まで700メートルほどの遊歩道だが、九つほどの橋の名前が残っている。往時の川幅を想像してみても、そんなに大きなものではない。猪牙舟がかろうじて、すれ違える程度だ。
 日本堤橋から四つ目に紙洗橋がある。当時、この付近で浅草紙と呼ばれる紙を作っていたところだ。今でいうリサイクル工場で、紙屑や古紙を煮たててドロドロにする。それを流水にさらして乾燥し、再生した下等品の紙だった。色も白ではなく、ねずみ色で厚さも均一ではなく、髪の毛などの遺物が混入することもあった。紙漉きの職人が多く住んでいたので、近くには紙漉町の町名が明治期まで残っていた。 

 古今亭志ん生の「二階ぞめき」を聴く。さる大店の若旦那は毎日のように吉原に通って、夜遅く帰ってくる。呆れた旦那が「このままでは世間に示しがつかないので、勘当する」と言いだした。
 志ん生はいかに自分が若いころ吉原に通い詰めて「研究」に勤しんだかを、半ば自虐的に喋った後、「冷やかし」の説明に入る。志ん生には東京の訛があるから「しやかし」と聞こえる。
 吉原から目と鼻の先の紙漉き職人が紙を冷やす間、時間があるものだから、ちょいと吉原へ行って、張り店の女と無駄話をする。そこから「冷やかし」というようになったんですな。
 志ん生は、「どうでぇ?」という調子で、低い鼻を高くして喋るが、お客の方は半信半疑で、どこか「嘘くさいところがある」といった気分の笑い声がもれる。
『日国』で「冷やかす」を引くと、②に「遊郭で、登楼しないで張り見世の遊女を見て回る」とある。語源についても「浅草山谷の紙漉業者が、紙料を水に冷やかしている間、新吉原を見物して回ることをいったことから」と「喜笑遊覧」から引いている。志ん生のいうとおりだ。職人にしてみれば、つかの間の休憩だし、登楼するお銭(あし)も無い。とても上がってはいられないのだ。
 吉原の「冷やかし」は「素見(すけん)」ともいう。素見物の略で、素は「それだけで、何も伴わない」意味だ。素うどん、素手、素もぐり、すっぴん(素嬪)の用法と同類項になる。よくテレビのクイズ番組などで「漢字検定」と称して、「素見」を「ひやかし」と読ませる問題が出る。『大辞林』(三省堂)には、「(素見)し」「(素見)す」と載っているが、『日国』『広辞苑⑦』には見当たらない。
 三遊亭圓生(6代目)の「盃(さかずき)の殿様」を聞くと、「素見(すけん)」と言っている。気鬱に陥ったさる国の殿様が、部下の勧めで吉原へ顔を出した。最初は「素見だけならよかろう」と言っていたのが、花扇という花魁と良い仲になった。殿様はお国入りになったが、花扇が忘れられない。300里も離れたお国と吉原の間で早足の足軽を使って、盃のやり取りをする滑稽噺だ。
 本題は志ん生の「二階ぞめき」だった。先を急ぎたい。足繁く吉原へ出かける若旦那の目的は女性と遊ぶのではなく、張り店に並んでいる女性たちを冷やかしに行くためなのだ。二言三言(ふたことみこと)言葉を交わし、吸いつけ煙草で一服するものの、登楼はせずに「また、来るよ」と次の店へ回ってしまう。
 なんとも嫌な客だが、毎日のように顔を出しているうちに、すっかり顔なじみになることもある。しばらく来なかったけど、身体の具合でも悪いんじゃないかい、などと心配されるようになれば、一人前の立派な「冷やか師」だ。しょっちゅう顔を合わせていれば、女性の方に情が湧く場合もあったろう。 
「今日は私が立て引くからさ、上がってっておくんでないかい」
 登楼のお金は私が出すから、ぜひ遊んでってよ、とお客に懇願しているのだ。
『日国』で「立引・達引」を引く。「義理や意気地を立て通すこと。また、そのためにとる言動。特に、遊女が客のために出費などすることにいうことがある。」
 なるほど。本来は男性が払う料金を女性のほうが立て替えるのだから、算盤(そろばん)による金銭勘定をそっちのけにして、自分の心意気や義理を大事にしたい、ということになる。以前に述べた「立て過ごし」に通底しているではないか。
 若旦那は「俺は、女よりも吉原の街の雰囲気が好きなんだ」と言い張り、「吉原をこっちに持ってきてくれたら、夜遊びはしねぇよ」と無理難題をふっかける。「冷やかし道」に精励する若旦那に手を焼いた番頭と大旦那は、ならばと一計を案じ、腕のいい大工に頼んで、二階に吉原の街を造り上げた。
「出来ましたから、思う存分冷やかしてもいいですよ。疲れたらそのまま往来でお休みになってください。どうせ下は畳ですから」
 という番頭の勧めで、若旦那もその気になった。冷やかしにもファッションがあり、箪笥から襟幅が細めで、袖口の下を縫い合わせない平袖の着物を取り出すと、階段を上がっていった。冷やかしには、喧嘩が付き物らしく、拳固が懐から出るように袂の中で拳を握っているのが、肝要だという。夜露に濡れるといけない、っていうので頭には「瓶のぞき」の手ぬぐいで頬被りをする。「火事と喧嘩は江戸の華」というくらいで、喧嘩は日常茶飯の出来事のようだが、吉原の冷やかしは、どうも「鉄火肌」のお兄(あに)いさんが多かったとみられる。大旦那が「最近はどうも口のきき方が乱暴になった」と嘆くところからも、察しがつく。
 二階に上がってみると、ぼんぼりに燈がともり、吉原そっくりの出来栄え。一人で、遊女になったり、若い衆(し)の役を演じたり、なかなか忙しい。そのうち女性との口喧嘩から通りすがりの若者とくんずほぐれつとなり「さあ、殺せ」などと喚いて、一人三役の大立ち回りが始まった。
 下の大旦那が「たまに早く帰ってくれば、騒々しい」と丁稚の貞(さだ)を二階へ見にやらせる。
「おお、貞吉か。悪いところで会ったな。家に帰っても、ここで会ったことは親父に黙っててくんねえ」がおち。
 題目にある「二階ぞめき」の「ぞめき」は「うかれさわぐこと」を指す。『広辞苑⑦』に「素見騒き(すけんぞめき)」という言葉が載っている。「遊里をひやかして歩くだけで登楼しないこと。また、その人。ひやかし」とある。「ぞめき歌」は道を歩きながら浮かれてうたう歌だし、「ぞめき酒」となれば浮かれ騒ぎながら飲み歩く酒だ。「ぞめく」は「そそめく」から来たといわれる。「落ち着かず、せわしげに騒ぎ立てる」とあるが、一方で「内緒でひそひそと話す」といった意味もある。また「そそり」には、「ぞめき」と同じ「遊里を冷やかし歩くこと」の他に「歌舞伎で最終の興行日などに、俳優が配役をかえるなど、めいめい滑稽をまじえて演ずること」とある。
 池波正太郎は、この「そそり」について記した面白いエッセイを残している。
<〔そそり〕は、千秋楽に役者が、洒落っ気を出して、思い思いに、おもいがけぬいたずらや演技をする。それをまた客も、芝居の関係者もうれしがるのである。>(「芝居と食べもの」『剣客商売読本』新潮文庫所収)
 池波原作の連作小説『剣客商売』を自からが脚本を書き、演出して帝劇で上演したことがあった。秋山小兵衛は中村又五郎、息子大治郎(加藤剛)の嫁になる女武芸者の三冬は香川桂子という配役だった。時の老中、田沼意次の妾腹の娘、三冬は「私を打ち負かすほどの相手ならば嫁いでもいいが、今は剣の道に精進しております」とうそぶき、そばにあった饅頭をパクパクと豪快に二個も平らげ、小兵衛を呆れさせる。
 千秋楽、又五郎は饅頭の代わりに、団扇ほどの大きな煎餅を用意し「さ、おやりなされ」と差し出した。一瞬噴き出しそうになった三冬だが、勇ましく拳で煎餅を叩き割り口に運んだ、という。観客がどこまで理解したかは疑問だが、役者や裏方は大喜びだ。
 要はすべてが洒落の世界の話しで、お互いが納得した上で遊んでいるのだ。大店の二階に吉原の街並みを再現するなんていうのは現実味のあることではない。室内なのに、夜露に濡れるからといって頬被りし、自らの襟元を自分で締め上げて、喧嘩のふりをする若旦那に感情移入し、一緒に喧嘩をしている気分にならないと、落語の世界では遊べない。

「そうでしょうね。やっぱり私には落語に出てくる人たちと、そこまでの連帯意識を共有するのは無理です」
 シンちゃんは、すっかり元気をなくして黙り込んでしまった。どうやら「ギブアップ」したらしい。

 男の登楼代を女が出す「立て引き」には、「義理や意気地を立て通す」意味があることは、すでに述べた。自分の考えを強く前面に押し出して、他人と張り合う人のことだ。剛情という面もあるし、直情径行な人ともいえる。人情を大切にし、頼まれれば、決して嫌とは言わない一本気な男のイメージが湧いてくる。
『江戸語大辞典』(講談社)で「立て引き強い」を引くと「意気地を張り合う気持が強い。侠気がある」と書かれている。この意味で使われている落語がある。まず古今亭志ん朝の「素豆腐」を聞いてみたい。
 古典的な傑作といわれる「酢豆腐」は、決して単純な前座噺ではない。登場人物も多く奥行きのある噺だ。関西では「ちりとてちん」となる。主役はおだてられて、腐った豆腐を食べる気障な若旦那だが、前段階に出てくる町内の女にもてる半公もなかなか味のある役回りだ。
 半公という人物の役どころと性格は以前にも述べたが、脇役ではあるが憎めないキャラクターで、調子が良くて女性にもてる。なぜか職業は建具屋が多い。「そっぽの良い新吉」が出てくる「紙入れ」でも、間男を説明するまくらに登場する。町内の豆腐屋のおかみさんと出来ているのが建具屋の半公。誰にも言っちゃいけないよ、といいながら町内に噂は次から次へと広まっていき、「知らぬは亭主ばかりなり」状態。この噂を聞きつけた与太郎は、喋りたくてしょうがない。あろうことか、当の豆腐屋の主人に喋ってしまう。その上に「この話は決して他人(ひと)に喋っちゃいけないよ」と念を押すところが、与太郎だ。
 例によって、「酢豆腐」では長屋の連中が集まって一杯飲む相談から幕が開く。珍しく酒は手に入ったが、肴がない。一人が「糠味噌の樽の底には、必ず何か漬物が残っているものだ。それを掘り出してきて水に少し泳がせてから細かく切って、鰹節でも掛ければ『かくや』だ。立派な肴になるだろうよ」と知恵を出した。
「かくや」は「覚弥」とか「隔夜」とも書くが、数種の古漬けを塩出しし、細かく刻んで醤油などで調味した。江戸時代初期に徳川家の料理番、岩下覚弥が始めたという説が有力だ。覚弥は、沢庵宗彭(たくあん・そうほう)の弟子とも言われるが、少し出来過ぎている。また、高野山で隔夜堂を守る歯の悪い老僧のために生まれた、ともいわれるが真偽のほどはわからない。
 連中が「かくや」はいい案だ、と支持し賛同したものの、誰も自分から糠味噌の樽に手を突っ込もうとはしない。親父の遺言だとか、病気になる、と言って、逃げまわる。大の男が糠味噌の樽から漬物を出すなどというのは、それこそ男の沽券に関わる忌み嫌うべき所業と考えられた時代だ。
 そこへ通りかかった半公の姿を見付けた熊さんが一計を案じて、ここは俺に任せろと身を乗り出した。
「おい、半さん、小間物屋のみいちゃんをあまり泣かしちゃいけないよ」
 この一言を聞くなり、半公はこれから用事があるから出かけるというのに、のこのこ上がり込んできた。
「みい坊は本気だよ。俺が、『この町内には、半公よりもっと容子(そっぽ)のいい者もいりゃア、お銭(あし)のあんのだっているじゃアねぇか』といったと思いねえ。
『あら、熊さん、女というものはね、容子の良い人だとか、お銭のある人に惚れんじゃアないのよ。本当に男らしい人に惚れるのよ。半さんは本当に男の中の男。江戸っ子、職人気質、神田っ子、ねえ。他人(しと)にものを頼まれればけっして嫌と言ってあとイ引(し)き退がったことのない、そういう立て引きの強いところに私は惚れました』っていうじゃないか。お前、向こうは本気だよっ」
 半公はすっかり「ようやく俺の了見が世間の女にわかってくれるようになった……」と得意満面、ふんぞり返り、そのまま後ろに倒れんばかり。
「おめえ、立て引きが強いんだってな」
「他人(しと)にものを頼まれれば、嫌と言ってあと引き下がったことないお兄いさんだ、本当に。べらぼうめ」
 熊は、半公をおだてあげて糠味噌に手を突っ込ませる魂胆だから、じわじわ絡めるように話を進めていく。
「ここにいる一同がそろってお前に頼みがあるんだ。聞いつくんねェか?」
「何でもいってみな。芝居の総見でもしようってのか? 付き合おうじゃないか。どっかの店に暖簾でも贈ろうっていうのかい? 割り前も出してやらあ」
 すっかり気を良くした半公は大きな顔で胸を張ったところに、
「いやあそんなんじゃねえ。ちょっと糠味噌の中から古漬けを出してもらえてえんだ」
 熊の鋭い一撃がとんだ。しまった、謀られたと気づいた半公、それだけは勘弁願いてえと、先ほどの元気はどこへやら、しょぼんとしてしまった。
「駄目なんだよ。これから用足しに行かなきゃなんねいし。勘弁してくれよ。この頃はすっかり立て引きが弱くなっちゃって。『横引き』ばかり」
 泣き言をいいながら、「かくや代」として幾ばかしかの割り前を出す羽目になった。 
 志ん朝の父親の志ん生が、「立て過ごしだか横過ごしだか、知らねえけれど……」といったことは、すでに紹介した。父親の「くすぐり」を踏襲したのだろう。

 朝の五時に起きて二人の息子の弁当を作るのが自慢のシンちゃんは、糠味噌を触るくらいは何でもない。
「やはり、男子厨房に入るを禁ずというくらいですから、時代が違うんですね」
 と妙に納得した様子だ。

 泥棒が出てくる落語はいろいろとあるが、本格的な悪人は少ない。どこか間が抜けていてどじな泥棒が多い。さる囲われ者が玄関先で旦那を送りだしているすきに座敷に上がり込んだ泥棒は、膳の上に残った酒肴に舌鼓を打っている。戻ってきた彼女の「私も泥棒の端くれ。今の旦那とは別れるつもり」という口車にうまく丸め込まれる噺が「転宅」だ。ここは、柳家小三治を聞く。
 お前さんみたいな「男らしいっていうか、向こうっ気があって、立て引きが強いっていうか、堂々としていて、度胸がある人が気に入ったよ。明日から夫婦になろうよ」と口説かれて、その気になるところが落語だ。すっかりその気になって「じゃあ、今夜はここに泊まっていく」といえば、「それは駄目。二階に剣術と空手を使う用心棒がいて、いま湯に行っている」と聞いたら、もう気が気でない。夫婦約束の印に財布を取り上げられ「明日の昼、三味線の音がしていたら入ってきて」と放り出された。
 次の日に行ってみると、雨戸が締まって三味線の音が聞こえてこない。前のタバコ屋で訊くと「ゆうべ間抜けな泥棒が入ったので、もう引っ越しましたよ。そのうち泥棒が現れるでしょうから、あなたも一緒にここでご覧なさい」という。
「二階に用心棒が居るといったらあわてて逃げて行ったようですよ。よく見てごらんなさい、あの家は平屋なのにね」
「あの女はいったい何者です?」
「なんでも義太夫の師匠らしいですよ」
「なるほど、道理でうまく騙(かた)りやがった」
「語る」と「騙る」の地口おちだ。義太夫は「語る」で、講談は「読む」だ。

 立て引きが強いか弱いかは知らないが、シンちゃんは人並み以上に頑固なところがある。温和な性質だから、頼まれたら断ったことはあまり無いはずだが、ときどき頼まれなくても、しゃしゃり出る傾向と旺盛な好奇心からか、何にでも足を突っ込む性癖はなんとも説明ができない。専門の精神分析でも、自分のこととなるとなかなか難しいらしい。(敬称略 2019・8・7)

◎次回の更新は9月4日の予定です。
筆者紹介
▽重金敦之(しげかねあつゆき)1939年東京生まれ。朝日新聞社、大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。著書に『作家の食と酒と』(左右社)、『食彩の文学事典』(講談社)など多数。最新刊『淳ちゃん先生のこと』が
左右社から好評発売中。

登場人物紹介
▽シンちゃん 氏名、住所不詳。1947年東京生まれ。横浜市内の開業医(老年精神医学、音楽療法)。中国ウイグル族の詩歌を翻訳し、テニス、ワイン、バイオリンなど、幅広い好奇心の持ち主。筆者を「キョージュ」と呼ぶのには、敬愛と揶揄の意が込められている。敬虔なキリスト教徒で、最近リスボンからスペインの聖地、サンチャゴ・デ・コンポステーラへ巡礼した。