第26回 「おこつく」と「弥蔵を組む」

◎「おこつきながら」蔵のなかへ……

 さる大ホールの落語会で、柳家さん喬の「たちきり」を聞いた。芸妓を座敷に呼ぶ料金を玉代(関西では花代)というが、昔から時間制で今なお続いている。その時間を計るために、線香が用いられていた時代の噺だ。まあ線香は砂時計みたいなもので、時計がまだまだ普及していない時代には究極のアナログ時計だった。一本の線香が燃え尽きるまでが「一本」で、最小単位となる。45分くらいと思っていれば、間違いない。
 ちなみにいうと、線香は「消える」とはいわずに、「立ちきれる」という。『広辞苑⑦』によれば、「立つ」のなかには「物が保たれた末に変わって無くなって行く。炭火、油などが燃えつきる」とある。「経つ」と書いた場合は「時が経過する」ことをいう。
 ある商家の真面目な若旦那が、たまたま寄り合いで出会った色町の置家の娘、芸妓の小糸に一目ぼれしてしまった。小糸のほうも行く末は夫婦になる人、と心に決めていた。若旦那はお茶屋に入りびたり、店の金にまで手を付ける始末に、親族が集められ善後策が講じられる。勘当という厳しい意見も出たが、百日間の蔵住まいを命じられた。蟄居である。蔵とはいえ、暮らしの支度はきちんと用意されているが、もちろん外出はできない。
 番頭が若旦那を蔵の入り口に案内して、ぽんと背中を押した。
「若旦那はおこつくように、蔵の中にどさっと消えた」
 さん喬のいう「おこつく」の意味は何か。
『日国』にも『広辞苑⑦』にも「おこつく」はなく、「おこづく」ならある。『日国』の「痴付(おこづく)」には「ばかみたいに見える。みっともなく見える」とあるから、これで意味が通るともいえる。また(「おこつく」とも)という注釈つきで「勢いづく。いどんでいく」とあるが、そんなに元気が湧くような状況ではないだろう。
「おこ」は痴のほかに、烏滸、尾籠などの漢字がある。「おこがましい」の「おこ」も同類だ。「間抜けに見える」とか「差し出がましい」の意味だ。
 さらに日本舞踊や歌舞伎の専門用語で「仕草の途中で、つまずくように片膝の力を抜いて、また立ち直るような動作をする」とある。
「おごつく」は、「おどおどする。びくびくする」とあるから、こちらで意味が通じないわけではない。
 花街の芸能に詳しい作家の岩下尚史の「新橋ことば覚え書き」(「銀座百点」連載)にはこんな文章があった。
<「おこつく」ことは徳川時代以来の芝居や踊りの科(しぐさ)として珍しいものではなく、何かの動作の途中で腰を歪(ゆが)め、つまずくようによろけるが、直ぐに片足で持ちこたえることにより、気を変えて、きッぱりしたところを見せる時に用いられる。>(銀座百店会・2018年4月号)
 岩下尚史の体験によれば、新橋の老妓達は「あれだけ不運が続けば、大抵おこつくところなのにさ」というように、ある出来事や刺激を受けた結果、抽象的に「破綻する」とか「つまずく」の意味で使っていたそうだ。となると、単純に「失意の上、よろけながら、蔵の中に入って行った」意味なのかもしれない。

 一方の小糸は日に二度、三度と手紙を出すが、番頭が預かったまま、机の引き出しに入れっぱなし。その手紙も60日目くらいで、ぱったり途絶えた。若旦那は百日の蔵住まいが解けると小糸のもとに飛びこむような勢いで駆け付けたが、すでに小糸は若旦那の身を案じ、恋い焦がれて、亡くなっていた。位牌に供養の線香を上げていると、若旦那が誂えた小糸の三味線がひとりでに鳴りだした。三味線には比翼の紋が彫り込まれていた。比翼というのは、二羽の鳥が翼を並べること。比翼紋は、自分の紋と愛人の紋を組み合わせてある。
「堪忍してや。生涯わしは女房と名のつくものはもらわん」
と若旦那が嗚咽していると、三味線の糸が切れたように音が止んだ。
「小糸は、もう三味線を弾きません」
 置屋のお母さんが言った。
「なぜや」
「線香が立ちきれました」
で、さげになる。ほとんどの演者は、線香で時間を計るという昔の習慣についての予備知識をまくらで説明する。これを「仕込み」という。知らないとなかなかわかりづらいからだ。 
 この「たちきり」は、誰でも喋れる噺ではない大ネタだ。落語では珍しい悲恋物語だが、線香が立ちきれるという意外なさげで、落語らしさを取り戻したようだ。

 同じく大ネタの「淀五郎」にも「おこつき」が出てくる。『仮名手本忠臣蔵』の4段目、塩冶判官切腹の場だ。大星由良之助を演じる座頭、市川團蔵は名人とうたわれたが、性格があまり良くない。予定の判官役が急病になり、格下の若手、澤村淀五郎を大抜擢したのはいいが、「下手だ」といって初日は、判官のそばに近寄らない。「意地悪團蔵」といわれるだけのことはある。
「大星由良之助、ただいま参上つかまつりました」
「近う……、近う……」
 誰でも知っている有名な場面だが、花道の七三で平伏したまま動かない。
 林家正蔵(8代目)を聴く。
「團蔵は、花道でおこついたまんま、『苦しうない、近う近う』といわれても、傍(そば)へ来ない」
 幕が下りてすぐに楽屋へ行き、教えを乞うても「判官ではなく淀五郎が切腹しているところにいかれるか。本当に腹を切ればいい。下手な役者は死んだ方がましだ」と相手にされない。自分なりに稽古して挑んだ二日目も花道に平伏したまま動かない。
 淀五郎は団蔵を刺して自分も死ぬ覚悟を決め、世話になった中村座の座頭、中村仲蔵へ暇乞いに行く。事情を察した仲蔵から「上手く演じようとする意識が強すぎる」などと助言をもらい、技術的な工夫も授かった。今日が最期の舞台の思いで三日目の舞台に立った。
 見違えるような判官になっているのに、瞠目した團蔵は「これは仲蔵の知恵だな、なんにしても傍に行かねば」と、「御前ッ……」と悲痛な声で、判官の近くに進み寄った。
「うむ、待ちかね…たァ……」
でさげになる。
 三遊亭円生(6代目)は、ここで「わざと、おこつきを見せながら」と演じている。つまづいて転びかける動作で、殿の大事に遅参した動転ぶりを表現した。「おこつきを得て」という円生の他の音源もあるが、普段通りの芝居に戻れた、という安堵の気持ちと解釈したい。
 
 シンちゃんは「芸道物」の噺を初めて聴いたらしく「團蔵の仕打ちがパワハラか、それとも『愛のむち』なのかは、紙一重ですね」と感心している。
 厳しい指導を受けていたら、シンちゃんのバイオリンも、もう少し増しになったかもしれないね、とお世辞を言ったら、指をフレミングの法則のようにくねらせながら、「そんなことは、ありませんよ」と真面目に返事を返してくる。いじられているということが、まるでわかっていない。


◎「弥蔵を組む」

 落語は話芸だが、しゃべりまくるだけでは成り立たない。目の動きに表情や仕草、扇子や手ぬぐいといった小道具の使い方も重要な噺の構成要素だ。
噺の中に「弥蔵」という言葉が出てくる。例によって『日国』を引く。「着物の中で握りこぶしつくり、その手を胸のあたりに置いて、着物を突き上げるようにしたさまを人名のように表わした語」とある。転じて、にぎりこぶし、拳固(げんこつ)の意となる。
 明治の末から、ずっと落語を聴きつづけてきた飯島友治は、三遊亭小円朝(3代目)、志ん生、文楽、円生などの速記録の編集を手がけ、筑摩書房から刊行した。東大落語研究会の顧問を務めたこともある。
 飯島の著書から引く。
<弥蔵はその昔、鳶ノ者・職人・棒手ィ振り・博打打ちといった連中が、往来を闊歩するときの意気に気取った容姿です。和服で片手を懐手にし、拳固を作って上胸のあたりで着物を突き上げた形。左右どちらかの片方の手だけ、「弥蔵をくむ」という。拳固はにぎっているだけでなく、掌が上向きになるように手首から上を反らせる。手首の返し、反らせ方が大きいほどいい型にできます。>(『落語聴上手』筑摩書房)
 飯島は、実際に鳶頭から教わったそうだ。拳固の位置を「もう二分ばかり首のほうに寄せて……」などと厳しい指導だったという。ほんの少しの差に執着する難しい形だったということだ。
 跳ねっ返りで少しおっちょこちょいの連中が好んだスタイルだから、貫録がついた棟梁や親方になるとやらなくなる。落語でいうなら「大工調べ」の棟梁や、半纏(はんてん)を何枚も重ねて着るまでに立ち直った「子別れ」の熊五郎は往来を歩いても弥蔵を組まない。現代なら、さしずめローヒップでぶかぶかの「腰パン」といったところか。アメリカの刑務所では、自殺予防と逃走防止のためにベルトの着用は認められなかったのが、ルーツとされる。「アウトロー感覚」で既成社会の規律に対する反抗の精神も見受けられる。一時は高校生の間で流行し社会問題にもなったが、最近ではほとんど見なくなった。

「妾馬」の八五郎は妹が殿様のお世継ぎを生んだので、大家の羽織袴を借りてお目通りすることになった。つい、いつもの癖で弥蔵を組んで、大家からたしなめられる。
 暮れの千両富みに当たったので、羽織袴で年始回りをする八五郎も、端に出かけた大家から注意を受ける。
 同じ八五郎でも「垂乳根(たらちね)」の八五郎は大家から嫁を世話してもらった。今夜にも嫁さんが来るというので喜び勇んで家に帰る途中、自然と弥蔵を組む。浮き浮きと急ぐ姿を弥蔵で表現するのだが、ほとんど狐か犬が餌を待っているような姿に見える。和服は一部に継承されているとはいえ、そんな着方をする人が存在しないのだから、やむを得ない。
 このお嫁さん、厳格な漢学者の父に育てられたため、話す言葉が難しいうえに丁寧過ぎるのが唯一の欠点。八五郎から名前を聞かれ「自らの姓名を問い給うや」といった調子で大騒ぎ。朝になってやってきた八百屋を呼び止め、「其の方が鮮荷(せんか)のうちにたずさえし一文字草(しともじくさ)の値は……」ときたものだから八百屋は目を白黒するばかり。
 一文字草とは、葱のこと。葱はその昔「き」と一文字で呼んだから、と『広辞苑⑦』にある。もちろん「ひともじ」が正しく、江戸弁風に「しともじ」と訛るところが、落語の洒落だ。
 自分の家の二階に吉原の店がまえを作らせて「ひやかし」を楽しむ「二階ぞめき」の若旦那は、かめのぞきの手ぬぐいで頬被りをして、袂(たもと)で拳固を握る。これも弥蔵だと勘違いする人がいるが、実は違う。喧嘩になったとき素早く手を出せるためとはいっても、大店の若旦那だから、弥蔵とはいわない。
 古今亭志ん生は「二階ぞめき」で、「懐の中に拳固を貯蓄しておくのですなァ。『貯蓄銀行(拳固)』っていうくらいのもの」とくすぐりを入れる。銀行と拳固を洒落たのだ。今では貯蓄という言葉が死語になってしまった。
 昔の風俗なり慣習が世の中の進歩とともにすさまじい勢いで消えていく。文献や資料で往時の姿格好を再現しても、保持、継続していくのは難しい。実物が無いのだから致し方ない。
 演者だって見たこともないものをどうして観客に伝えることができるのか。一方の観客は仕草と音声で、どこまで理解できるのか。永遠のテーマといえばそれまでだが、落語の前途を占う重大な案件といえる。

 古今亭志ん生と同じようにがらくたの骨董屋を覗く趣味があるシンちゃんは、冷やかし(素見)でなく必ず、買い求める癖がある。上野の不忍池の骨董屋で鰻屋が使ったような渋団扇を買ってテニスコートに持ってきた。先日もデパートの古書市では、読みもしないのに土井晩翠の署名入り「自選詩集」と竹久夢二の挿し絵が付いた『雨月物語』に大枚を払っていた。診療所が神保町の近くでなかったのは、シンちゃんのために大変慶賀すべきことだ。
「古い物にこそ真実があるのです。落語も古い噺は大切しなければいけません」
 シンちゃんが真面目にいうと、どこかおかしさがにじみ出てくる。不思議な人だ。(敬称略 2019・9・4)

◎次回の更新は9月18日の予定です。
筆者紹介
▽重金敦之(しげかねあつゆき)1939年東京生まれ。朝日新聞社、大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。著書に『作家の食と酒と』(左右社)、『食彩の文学事典』(講談社)など多数。最新刊『淳ちゃん先生のこと』が
左右社から好評発売中。

登場人物紹介
▽シンちゃん 氏名、住所不詳。1947年東京生まれ。横浜市内の開業医(老年精神医学、音楽療法)。中国ウイグル族の詩歌を翻訳し、テニス、ワイン、バイオリンなど、幅広い好奇心の持ち主。筆者を「キョージュ」と呼ぶのには、敬愛と揶揄の意が込められている。敬虔なキリスト教徒で、最近リスボンからスペインの聖地、サンチャゴ・デ・コンポステーラへ巡礼した。