第27回 まくらとおち(さげ)の研究

 落語にはまくらが付き物だ。落語に限らず、商談にしても会議、陳情にせよ、いきなり本題に入ることはない。単刀直入という言葉もあるが、時候の挨拶とか近況などを冒頭に振るのが普通だ。手紙やスピーチも同じだ。小説やエッセイでも書き出しの冒頭部分に多くの力を込める。古いところでは「平家物語」、明治になって夏目漱石『草枕』、昭和初期の川端康成『雪国』などの書き出しが称揚されているのはご案内の通りだ。
 三遊亭円生(六代目)のまくらだけを集めた『噺のまくら』という本がある。もちろん、すべてが円生のオリジナルではない。古くから伝えられてきたものが多い。古典的な名作ともいうべき小噺もある。
 例えば「江戸の名物」から噺が始まる。
< 武士、鰹、大名、小路(こうじ)、生鰯、芝居、むらさき、火消し、錦絵。
 そのほかに、まだ追加がありまして、
  火事、喧嘩、伊勢屋、稲荷に犬の糞。
 なんという、犬の糞なんてどうもあまりいい名物ではありません。>(朝日文庫)
 これは「鼠穴」のまくらとあるが、武士から、「二番煎じ」でも「たがや」でもいい。
 火消しから、「火事息子」「富久」などが挙げられよう。
 もうひとつ「縁の不思議」を紹介する。
<昔からご縁ということを申します。
  縁は異なものさて味なもの 独活(うど)が刺身のつまになる
 という都々逸がございますが、なるほど、縁というものは考えると妙なところにあるもので……。
  袖ふり合うも他生の縁
  つまずく石も縁の端
 石にけつまずいて生爪をはがすことがありますが、これも縁のうちだといいます。考えりゃどうも、少し痛い縁で……。>(朝日文庫)
 円生は「猫忠(ねこただ)」のまくらに使っているが、夫婦の縁から「垂乳根」「厩火事」などに使う演者もいる。いってみれば、これらは「まくらの古典」ともいえるだろう。

 まくらを聴いただけで、何を掛けようとしているのか、その日の演目がわかることもある。大店の主人と遊び人の長男を想像させるまくらがあれば、「湯屋番」「船徳」「唐茄子屋政談」「二階ぞめき」などなどだ。
 柳家三三の高座で聞いた話しだ。まくらをしゃべっている途中に、客席のカップルの男がいかにもしたり顔で「今日の噺は『○○○○』だよ」と連れの女性に教えていると、わざと変えるのだという。また、最近は聴きながら一生懸命にメモを取っている客がいる。だいたい女性だ。大学の講義だって、あんなに熱心にメモしている学生は少ない。三三がふと見ると、今日は「○○○○」と書いている。これも、変更する。落語家の遊び心でもあるし、「そう簡単に演目を当てられては沽券に関わる」という矜持でもあるのだろう。
 まくらが長いのは柳家小三治だ。アメリカの語学学校体験記、自分の家の駐車場にホームレスが住みついた話し。フランク永井の「公園の手品師」。「銀杏は老いたピエロ」の歌詞が良いという。歌う時もある。頸椎の手術の体験談、中学校のクラス会から高校時代の回顧、最近読んだ本の感想を話すこともある。当たり前だが、面白い話しもあればつまらないこともある。鋭く人間を洞察し、意外なドラマ性を交え、掌編小説のような味わいを感じることもある。
 まくらが長くなるのは、先刻自分でも承知の上だ。フランスへ行って、パリのユニクロの店を訪ねたことを話していた時だ。若い女性から「落語を聴きたいんですーッ」と大きな声が飛んだ。一瞬ひるんだような、含羞が顔に浮かんだが、そのまま続けた。
 うーん、難しいですね。小三治を聴きに来るファンのなかには、まくらに期待している人も多いのだ。落語を聴きたい、という気持ちもよくわかる。まさか小三治のまくらが長いことを知らないわけではないだろう。多くの人は真剣にまくらを聞いている。一生懸命笑うところを探してちょっとでも面白いとすぐに大きな声で笑う。他の人に笑い遅れまいと、懸命になっている。なんでこんなところで笑うのだろう、と不思議に思う時がある。つまらないところで笑う客は、「セコキン」といって、楽屋で馬鹿にされるのがおちだ。
 笑うところを探して、大きな声で笑う傾向は「寅さん」の映画から始まったのではないか。端から「笑おう」と思ってきている。笑うために映画館に足を運ぶのだ。寄席や落語会も、同じ、といえば同じかもしれない。監督の山田洋次も落語が好きで、寅さんの笑いは落語の笑いに通底している。監督自身も落語の題本を書いている。柳家小さん(五代目)のために書いた「真二つ(まっぷたつ)」を孫の花緑が演じたのを聴いたことがある。内容は、あまり私の趣味ではなかった。
「談志のまくらはコラムで、小三治のまくらはエッセイ」と喝破したのは、確か落語愛好家のコラムニスト堀井憲一郎だった。けだし至言だ。

 落語にはまくらと同様、必ずおちがあるといってもいい。またさげという言葉もある。漢字にすれば、落ちと下げだろう。世間に出回っている落語書ではオチとかサゲというように、片仮名で記す人が多い。立川談志は「落げ(さげ)」と『現代落語論』(三一書房)のなかで表記している。この連載では、少しばかり読みにくいかもしれないが、平仮名でおちとさげを用いた。片仮名で表記すると、どうしても品位に欠ける気がするからだ。では、おちとさげではどう違うのか。
 おちを『広辞苑⑦』で引くと、「落語などの、人を笑わせて終わりを結ぶ部分。さげ」とあり「話におちがつく」と用例を示している。さげはどうか。「落語などの、おち。」とある。わかったようなわからない話しだが、同じ意味と考えたほうがいいだろう。
 柳家つばめ(5代目)は、大学出身落語家の第一号だ。國學院大学を卒業し中学校の教師を経て、小さん(5代目)に入門、63年に真打に昇進した。立川談志とほぼ同時に入門し、二つ目も真打もほとんど同時に昇進している。性格も肌合いも全く違うから、仲良くはないが喧嘩もしなかった。
 嘱望されたが、74年に47歳で早世した。一番弟子が柳家権太楼(3代目)で、二つ目時代は柳家ほたるを名乗ったが、師匠が亡くなった後は柳家小さん門下に移った。
 つばめは『落語の世界』という名著を遺している。67年講談社の初刊だが09年に河出文庫に収録された。巻末の落語事典でおち(落ち)について「落語の最後にあたって言うくすぐりで重要視されている。さげ、ともいい、各種ある」と説明している。
 さげを引く。「おちのこと。落語のおしまいにする意。内部では『さげ』という方が多い。はっきりした『おち』でなくとも、おしまいにすることを『さげ』と言うから、『おち』より意味は広くなっているようだ。」
 何となく同じようで違うところがわかりますね。おちと言うと、なにか笑いがともなう感じがする。落語は最後に必ず笑うとは限らない。しんみりする結末もある。となれば、さげの範囲が、広いというわけだ。
 以前に取り上げた「たちきり」でも触れたが、あらかじめ分かりにくい内容を、まくらなり噺の途中で説明することがある。「仕込み」ということも述べた。本来は伏せておくべきだが、どう考えても知るはずがない難解な事柄や習俗であったり、現代では死語になったような言葉が挙げられる。
 例えば「らくだ」の願人坊主(がんにんぼうず)に「百川」の四神剣(しじんけん)、「花見の仇討」の六部(ろくぶ)などだ。
 願人坊主については、酒の冷やのところですでに説明した。
 四神剣とは、天の四方の神をつかさどる神、つまり東は青竜、西は白虎、南は朱雀、北は玄武。玄武は亀に蛇が巻き付いている水の神。この四つの神を描いた仗旗(じょうき)の頭には鉾(ほこ)が付いているところから、四神剣とも言われる。大相撲の土俵にある四本柱はこの四つの神を意味している。
 日枝神社の氏子で、魚河岸の威勢のいい若者たちが日本橋の料亭「百川」で会食をしていた。その日に口入屋からの紹介で、店に来たばかりの百兵衛さんは地方の出身で、いささか訛がある。「主人家の抱え人」といっているのを河岸の連中が「四神剣の掛け合い人」と混同するところから、ボタンが掛け違って行く。
 百兵衛は慈姑(くわい)のキントンを丸ごと呑みこまされ、目を白黒する。客人に頼まれ使いに行くが、常磐津の師匠、歌女文字(かめもじ)と医者の鴨地(かもじ)玄林を間違え、お前は抜け作だと罵倒される。
「おらあ、百兵衛という名だ。どこが抜けてるね」
と反論する。
「全部抜けてらぁ……」
というのに、
「か、め、も、じ、に、か、も、じ……。いやあ、一文字しか抜けてねえ」
でさげになる。
 花見の趣向で、仇討の真似事を企画した仲良し4人組の噺が「花見の仇討」だ。上野の山(飛鳥山とする演者もいる)で、浪人(八五郎)と二人の巡礼がチャンチャンバラバラやっていると、六十六部(ろくぶ)に扮した六さんが、仲裁に入る。
 六部というのは、背中に法華経文の入った笈櫃(おいびつ)を背負い、全国六十六か所の霊場に一部ずつ奉納して旅をする。江戸の末期には、普通の人も加わり米や金の施しを受けて巡礼した。衣装は鼠色の木綿の着物に笠をかぶる。
 六さんが設えた笈櫃には経文ではなく、三味線に酒肴が入っている。仲裁の後は派手に花見酒を楽しもうという手の込んだ仕掛けだ。当日、浪人役の八五郎が早くから上野の擂鉢山の頂上近くで、煙草をくゆらせながら待っている。
 六部役の半公は間が悪く、上野の山の下で叔父さんに見つかってしまう。耳が遠く、酒と腕っぷしが滅法強い。本所の家にまで連れられて酔いつぶれてしまった。
 巡礼役の二人は途中の往来で念入りに殺陣の振り付けを稽古していたら、仕込み杖が酔った武士に当たり絡まれる。とっさの機転で仇討のためと言い逃れた。武士は助太刀をするから、安心しろといって山に消えた。
 六部役が来ないので、仕方なく三人でもっともらしく仇討の殺陣を演じていると、先刻出会った武士が、「みどもが助太刀いたす……」と現れた。斬られては大変とばかり、三人であわてて逃げ出す。
「これこれ逃げるに及ばん、形勢はまだ五分五分だ」
「肝心の六部がまだ来ません」
がさげだ。六部が重要なキーワードになっているから、どうしても詳細な説明が必要となる。登場人物が多く、難しい噺だ。浪人役が半公で、六部が八五郎とする演者もいる。
 六部がさげに絡んでる噺には、他に「山﨑屋」がある。横山町の鼈甲問屋山﨑屋の若旦那が、番頭と企んで吉原の花魁を身請けして夫婦となり、店の嫁に迎え入れるという手の込んだドラマだ。今どき六十六部なんて言葉を知っている方がおかしいくらいのものだ。

 さげで最もわかりにくいのは「居残り佐平次」だろう。川島雄三監督の名作、映画「幕末太陽伝」(1957)でフランキー堺が佐平次役を演じたので、なじみが深い人も多いはずだ。遊郭などで遊んで金が払えない時は、若い衆(し)がお客に同行して取り立てに行く。これを「馬」という。よく知られている噺が「付き馬」だ。馬が行っても無理とわかれば「居残り」といって、遊郭に留め置かれ、こき使われる。
 佐平次は仲間4人を連れて品川の遊郭で豪遊する。仲間は翌朝早くに退散した。請求を受けると、今晩あの4人が金を持ってもどってくるなどと調子の良いことを言って流連(いつづけ)ているうちに、とうとう布団部屋に放り込まれる。天性の陽気な性格に加え、機転が利くものだから掃除を手伝い、花魁の相談相手になったり、座敷に呼ばれれば幇間もどきの客あしらいで人気者になる。「いのどん、いのどん」と呼ばれ、心付けを一手にもらうものだから、店の若い衆たちは面白くない。
 主人に言いつけて、追い出しを図った。この主人が実に善い人で、佐平次にちょっと脅され金子と着物を与えた。外へ出た佐平次に若い衆を尾けさせると、「俺は、居残りを業としている『居残り佐平次』というものだ。人の善い主人によろしく言ってくれ」といって去って行った。
 帰って、若い衆が「大変な野郎でした」と主人に報告する。
「どこまであたしをおこわにかけるのだ」
 人の善い主人も、さすがに怒り心頭の面持ちだ。
「旦那の頭がごま塩でございます」
と、さげになるのだが、「おこわにかける」がわからないと、面白くも可笑しくもない。
 だれでもがまず思い浮かべるのは、小豆の赤飯に代表される「強飯」のおこわだ。古くは甑(こしき)で米を蒸し上げるのが普通の食べ方だった。現代の軟らかいご飯は「弱飯(ひめ)」あるいは「姫飯(ひめいい)」といった。こわめしに接頭語のおを付けた女房言葉だ。「強飯」には小豆の他に、黒豆、粟、栗などを入れる。黄強飯と言うのは、山梔子(くちなし)の実を刻んで蒸し上げた。赤飯にごま塩を振りかけるのは、誰もが知っている。 
 例によって、『日国』を開く。「強飯」の他にもある。
「人をだますこと。特に、夫のある女が夫と共謀して他人と通じ、それを言いがかりにして金銭をゆする、いわゆる『つつもたせ』にいう場合が多い。」
 成句で「おこわにかける」は「人をだます。一杯喰わせる。特に、つつもたせをすることにいう場合が多い」と載っている。語源は「おお、恐(こわ)」という恐怖の念からきたと考えられる。
 なるほど、なるほど。しかし佐平次の場合は、「つつもたせ」は関係がなさそうだ。
 強飯には、ごま塩が付き物だ。昔の人は三分狩りとか五分狩りといった短髪が多かった。黒い毛に白髪が混ざって来ると、ごましお頭といった。あまり普通の髪型には言わない。坊主頭か短髪に使う。私が「ごま塩頭」なる言葉を知ったのは、1948(昭和23)年の帝銀事件だった。新聞に載った犯人の風貌は「ごま塩頭で、厚生省の係員と名乗った」とあったので、父に尋ねた記憶がある。小学校の2年生だった。
 しかし、今の若い人には「ごましお頭」といっても、通じないかもしれない。たまたま人の善い遊郭の主人の頭は、白いものが目立ってきていたのだろう。
「よくもおこわにかけやがったな」
と怒り心頭に達した時、若い衆からとっさに出た言葉が、「旦那の頭がごま塩でございます」だ。
 ここまで説明しなければ、通じないさげもこまる。たいがいの演者は、まくらに「つつもたせ」の説明を入れるなどして、苦労している。「ゆすりは『強請』とも書くでしょう」という国語の授業みたいなまくらを聴いたこともある。
 今では、「おこわ」も「ごま塩頭」も通じないかもしれない。「強請」もまず読めないだろう。だから、さげをいろいろと変えて演じる人も多い。しかし、決定版はまだできないようだ。「居残り佐平次」は面白い噺なのに、なかなか聴く機会が少ない。このさげが難しいのも、ひとつの理由ではないか。
 コラムニストの中野翠に『この世は落語』(ちくま文庫)という落語愛にあふれた著書がある。女性の落語愛好家が増えたのは、この本の効果があると思っている。五〇数本の落語について、その魅力を表白している。あくまでも愛好家としての視点で貫かれ、優れた文明批評になっているところがコラムニストとしての面目躍如たるものがある。
「コラムニストになりたかった」という一念で、ジャーナリズムの片隅(といっては失礼だが)にあって長いあいだ生息してきた。その間に研ぎすまされた観察眼が鋭く落語の登場人物を解析している。同じ編集部でフリーランスの寄稿家として毎週決まった曜日に編集部に現れ、原稿を書いていた姿が浮かぶ。原稿を書きながら、編集部に漂う時代感と奇妙な人間群を観察していたのだろう。
 中野は「下げにはあまり執着しない」と書く。
〈実のところ私はオチはあんまり重視していない。落語の世界にひたること自体が楽しいので、フィニッシュの仕方にはそれほどこだわらないのだ、必ずしもオチで笑わせる必要はない。どこかで噺を終わらせなくてはいけないので、とりあえずここでオワリというサイン程度のものであってもいいと思っている。〉(ちくま文庫)
 やはりおちが難しい噺として「居残り佐平次」の「おこわにかける」を挙げる。「おこわにかける」が死語なので、ぴんとこないから笑えないと書いている。(この項続く。敬称略 2019・9・18)

◎次回の更新は10月2日の予定です。
筆者紹介
▽重金敦之(しげかねあつゆき)1939年東京生まれ。朝日新聞社、大学教授を経て、文芸ジャーナリスト。著書に『作家の食と酒と』(左右社)、『食彩の文学事典』(講談社)など多数。最新刊『淳ちゃん先生のこと』が
左右社から好評発売中。

登場人物紹介
▽シンちゃん 氏名、住所不詳。1947年東京生まれ。横浜市内の開業医(老年精神医学、音楽療法)。中国ウイグル族の詩歌を翻訳し、テニス、ワイン、バイオリンなど、幅広い好奇心の持ち主。筆者を「キョージュ」と呼ぶのには、敬愛と揶揄の意が込められている。敬虔なキリスト教徒で、最近リスボンからスペインの聖地、サンチャゴ・デ・コンポステーラへ巡礼した。