第1回 新橋SL広場21時

よーーーーし、やるぞーと思い立ったのは7月だった。飲んでは吐いて、飲んでは吐いて、時にはのたうち回って、ハイハイする日々。いいかげんに区切りを付けようとおもったのだ。

酔っ払っていない。こんなものは酔っ払いではない。自分よりひどい酔っ払いの有名人を、書籍の中から見つけることによって生まれ変わるのだ。新橋の居酒屋で心を決めた。

今、思い返せば、どう考えても酔っている。酒を辞めれば良いだけである。自分よりもひどい人間をみつけても全く区切りなどつかないし、生まれ変われない。むしろ、破天荒な酔っ払い達のエピソードにふれれば、酒量が増えるに決まっている。しかし、その時は、「相変わらずさえてるな~。我ながら名案過ぎる」と快哉を叫び、お代わりのレモンサワーを頼んだほどだ。

ビール
酒を飲むと力がみなぎり、何でもできるような感覚になったことがある人は多いだろう。昭和の流行作家で最近復刊が相次いでいる獅子文六。彼も『私の食べ歩き』の中のエッセー「泥酔懺悔」でこう書いている。

「若い頃は、酒を飲むと、普通の倍ぐらい、体力が殖えたような気がした。ムヤミに駆け出したくなって、そのとおり、実行してみると、非常に速力が早く、イキ切れなぞをしない。腕力も倍加する。」

まさに私であり、あなたの21時頃の新橋SL広間場前の姿ではないか。何でもできる、やれる。汽車を動かして自宅にも帰れる。獅子はこうも書いている。

「待合の屋根に登り、月明の下に輝く、隣りの待合の屋根を眺めてると、今飛びさえすれば、失敗なしに向うの屋根に飛び移れるという確信を持った。」

確かにわかる、私も酒を飲むと自宅のマンションから向かいの家屋に飛びたくなる衝動に駆られる。距離を目算し、そのためには「どのくらい高く飛べば良いのか」などと文系脳で考える。計算が間違っているのか、足元がふらついているのか、玄関から試走しても全くスピードが出ない。途中で面倒くさくなっていつも飛ぶに至らないが、気持ちは痛いほど理解できる。

実際、本当に酔って飛んでしまった歴史上の人物もいる。大正時代のダダイストの辻潤だ。

夜中にいきなり階段を駆け上がり、同居していた女性の首をしめ、「俺は天狗になったぞ!」と二階から飛び降りる。マンションの9階から飛び降りた平成の人気俳優、窪塚洋介には及ばないが、当時としてはセンセーショナルで、読売新聞が「辻潤、天狗になる」と報じている。

二階から飛び降りるくらいなら、自分がけがをするだけだが、他者に絡み始めると穏やかでない。

世界的な俳優の三船敏郎といえば、酔うと自宅で稽古がてら真剣を振り回し、家族の頭痛の種だったとか。被害が家族にとどまればよかったが、三船はよりによってヤクザ、それも戦後に渋谷を席巻した伝説の愚連隊の組長に手を出してしまう。安藤組の安藤昇と出かけようとタクシーに乗るや否や、すでに酔っていた三船はいきなり安藤に殴り掛かったというのだから命知らずもこの上ない。

酒

「文士や俳優を基準にしても参考にならねーよ」とサラリーマンのみなさまには熟柿臭い息で反論されそうだ。しかし、首相経験者の酔いっぷりを知れば、どんなに酔って醜態をさらしても、首相になれなくても部長くらいにはなれそうな気がしてくるはずだ。

黒田清隆。第二代の大日本帝国憲法の発布当時の首相だが、後世の評価は芳しくない。疑獄事件に加え、酒乱であることが彼の評判を決定的に低いものにしている。

北海道開拓使長官時代には商船に乗り、酒に酔った勢いの座興で船の大砲を使って岩礁に狙いを定めながら、

誤射して住民を殺害。
誤射して住民を殺害。
誤射して住民を殺害。

あまりの衝撃に繰り返してしまったが、飲み屋でおしぼりを後輩に投げつけようとしたら、利き手でない左手だったため手元が狂い、後ろにいたグループに当たり、一触即発になった私とは置かれた立場が違う。「ちょっと利き手ではなかったので、間違えてしまいました」と場を和ますような言い逃れはできそうもない。もはや失脚は免れない状況だが、黒田がその後首相に就任するところに隔世の感がある。

黒田の「酔っ払って大砲をぶっ放して、住民を誤殺」は酒に酔って、しでかしてしまったことでは、もはや最大の悪事であり悲劇であろう。「しくじり先生」と開き直れるレベルではない。二階から飛び降りたり、やくざに殴り掛かかったりなど、かわいいものに思えてくる。ましてや、これからの忘年会シーズンに上司のズボンにゲロを誤射しても何の問題もない気すらしてくる。「安心してください、吐いてます」と、一昔前のおやじギャグを交えながら、にっこりすれば、上司との仲も近くなると考えるのはあまりにも浅はかだろうか。

ビール瓶

なぜ同じ失敗をしてしまうんだろう。酒を飲むと気が大きくなり、散財したり、電車を乗り過ごしたり、路上で寝たり。酒を止めよう思いながらも、いつかきた道をたどる日々。

だが、安心してほしい。「無頼派」と呼ばれる、もはや芸風のひとつになっている作家以外でも、偉人の中には、酒に飲まれ、お天道様の下を歩けないことをやらかした人は少なくない。

本連載では作家や俳優、政治家の酒の席での「功績」を学び明日の活力にする。次回からは、サラリーマンが遭遇する酔って「しくじった」時のピンチをどうしのぐか。シチュエーションごとに、酒飲み偉人たちの知恵を借りて見ていく。
栗下直也(くりした・なおや)
1980年東京都出身。業界紙記者の傍ら、書評サイト「HONZ」や雑誌『本の雑誌』、週刊誌に書評を執筆 する。新橋系泥酔派を自認するが、酒場詩人は目指していない。辻潤の研究がライフワーク。
Twitter @naokurishita