第2回 全裸でGO! -福沢諭吉に学ぶ

3年程前だが、お世話になっている方のホームパーティーで失態をおかしたことがある。人の家ということも忘れ、いつものごとく飲み過ぎてしまった。まともに椅子に座ることもできず、トイレに立つたびに椅子を引っ繰りかえす。頻尿だから、周囲はたまったものではなかったはずだ。椅子から転げ落ち、ボウリングのボールのようにテーブルにぶちあたり、その拍子に卓上のグラスをなぎたおす。ろれつも怪しく、「だいじょうぶれす、だいじょうぶれす」と繰り返す。どうみても大丈夫でない。最終的にはソファに座るように促された。奥さんのあきれた顔だけが印象的である。何か言われたような記憶もあるが、いかんせん酔っていて覚えていない。

目上の方が酔っ払いに寛容とはいえ、その家族が許容してくれるかは別問題だ。残念ながら酔っ払いは、そんな当たり前のことまで頭が回らない。『学問のすすめ』を書いた福沢諭吉も、意外なことに上司の家族に酔っぱらって、しでかしている。

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緒方洪庵の塾生時代、夕方に酒を飲んで2階で寝ていた福沢を「福沢さん、福沢さん」と階下から呼ぶ声がした。寝たばかりの福沢としてはご機嫌斜めだが、呼ばれたら起きざるを得ない。「うるさい下女だ!ふざけやがって」と真っ裸ではしご階段を飛び降り、「何のようだ」と通せんぼしてみたら、そこにいたのは下女ではなく洪庵の妻。全裸でお辞儀もできずにまごついていたところ、洪庵の妻は何も言わずに奥の方に引っ込んでしまったという。翌日も「全裸でぶち切れて、ごめんさない」とはいえずに結局死ぬまで、わびることはなかったと悔いている。

福沢の振る舞いは教えてくれる。困ったら、とりあえずだんまりを決め込むべきだと。偉人の伝記には決して出てこないが、全裸でGOして進退窮まったら、沈黙するしかない。それでも後世に1万円札に描かれるのだから、凡人のサラリーマンはピンチを打開しようとせず、黙って、下を向くのが王道なのかもしれない。

「おいおい福沢先生がこんな破廉恥なことをするわけがない」と激怒される方がいるかもしれないが、決して誇張していない。『福翁自伝』を開けば、第三のビールと発泡酒ほども違わない事実がそこには横たわっていることがあなたもわかる。

そもそも、福沢は洪庵の妻に全裸で突撃する前に仲間たちとも全裸事件を起こしている。酒が入ったので仲間たちと物干しの上で飲もうと思ったところ、先客の娘たちが涼んでいた。邪魔な娘らを蹴散らそうと仲間のひとりが、全裸で乱入して、きゃあきゃあと娘たちは退散。もくろみ取りに場所を奪い取り愉快に酒を飲んだと振り返っている。

時代の違いだろう。いずれも当時は若気の至りですんだだろうが、現代ならばSNSで血祭りに上げられるのは間違いない。

慶応義塾大学で不祥事が起きると「諭吉が泣いている」という表現が使われるが、かつては諭吉とその仲間たちに泣かされた人も少なくないのだ。

全裸事件だけでも驚くかもしれないが、『福翁自伝』を読むと。酒にまつわるエピソードだらけで腰を抜かす。

幼少のころから酒に親しみ「酒を飲ませるから」と母親になだめられて、嫌いな散髪をさせたというから生粋の酒好きだ。

学問を志し、緒方洪庵の門下生になり、塾長にまで登り詰めたあとも豪快だ。塾長になれば新入生ひとりあたりから金二朱が贈られる。彼はこれで塾生を引き連れ一晩で飲み干した。品行方正と自伝の中で強調するが、酒の前では「廉恥を忘れるほどの意気地なし」とも書いている。

本人が好きなだけなら問題ないが、自分が下戸の場合に福沢家訪問は苦痛だろう。何が起きるか。まず酒を勧められる。夜ならわかるが昼でも朝でも勧めてくる。福沢自身が飲みたいからだ。主人が接待も忘れべろべろになるために来客を待ちわびている光景はいささか怖いが、これまたサラリーマンに対する示唆に富んでいる。

酒を勧められたら、遠慮してはいけない。こちらが「結構です」と言ったら先方が飲みづらい場合もある。マジで遠慮なく飲んで欲しい場合もあるのだ。福沢は相手が飲まなくても飲んでいたようだが。酒を勧められたら、酒が飲める者は、相手のことも明日のことも考えずに飲むのがマナーだろう。

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福沢諭吉がすごいのはいくらふざけても勤勉だった点である。「殆んど昼夜の区別はない、日が暮れたからと云て寝ようとも思わず頻りに書を読んで居る。読書に草臥れ眠くなって来れば、机の上に突臥して眠るか、或は床の間の床側を枕にして眠るか、遂ぞ本当に蒲団を敷いて夜具を掛けて枕をして寝るなどと云うことは只の一度もしたことがない」という毎日だったからだ。

いたずらしようと、酒を食らおうと緒方洪庵の塾生ほどまじめに勉強していた者たちはいないと述懐している。福沢自身は囲碁にも疎く、茶屋通いもしなかったという。

ぐでぐでのずぶずぶでも、酒を飲みすぎるだけならば、問題ないのである。全裸で上司の家族にがなりたてても、お札にもなれるのである。飲んだら働け。頑張れ俺、くじけるなサラリーマン。ちなみに冒頭のお世話になっている方のホームパーティーにはあれから一度も呼ばれていない。

栗下直也(くりした・なおや)
1980年東京都出身。業界紙記者の傍ら、書評サイト「HONZ」や雑誌『本の雑誌』、週刊誌に書評を執筆 する。新橋系泥酔派を自認するが、酒場詩人は目指していない。辻潤の研究がライフワーク。
Twitter @naokurishita