第11回 酒席でビール壜で殴りたくなったら -元日馬富士でなく、中原中也に学ぶ

 2019年5月1日に新しい元号が施行される。この原稿を書いているのが2018年3月であるから、「平成」は泣いても笑っても、あと1年2カ月ばかりである。

 あまり意識することはないが、我々は今、まさに平成末期を生きているのである。平成の終わりを見届けようとしているのだが、スポーツの世界で平成末期を揺るがす事件と後年になって位置づけられるかもしれないのが「横綱・日馬富士、ビール壜で殴打疑惑で引退」だろう。

 どのような状況でも暴力を他者に振るえば言い逃れはできないが、この問題が関心を集めまくったのは初期の報道が衝撃的だったからかもしれない。

 九州場所開催中の2017年11月にスポーツニッポンが日馬富士が貴ノ岩をビール壜で殴打するなどし、負傷させたとスクープとして報じた。その後、関係者の証言の食い違いもあり、素手でなぐった、カラオケのリモコンで殴打した、ビール壜は手に取っただけなど情報は錯綜。実は日馬富士は「主犯」ではないのではなどの声もあった。とはいえ、暴力は振るったのは事実である上に、現役の横綱がビール壜で殴らなくても手に取った姿を皆がすでに想像してしまっており、進退窮まったのである。横綱にビール壜、鬼に金棒である。そりゃ、驚く。実際、手で軽く叩いたのと「ビール壜」では処分も変わったのではないだろうかと指摘した識者も見受けられた。

 それだけ「ビール壜」のインパクトは大きかったのだ。

 考えて欲しい。普通の酒席でビール壜ほどそこそこ重量もあり、持ちやすくできているものはないだろう。つまり、攻撃力もあり、実用性も高い。一方、一升瓶は振り回すには重いし、ウイスキーの瓶は持ちにくい。姿を想像しても、少しばかり間が抜けているし、振り上げたところで、よけられる気もする。それに比べると、殴らなくてもビール壜は手に取っただけで相手への威嚇力が高い。

 そんなものを、生半可な気持ちでは手にとってはいけないのである。そのビール壜を昭和初期につい、手に取って酒席を白けさせてしまった偉人がいる。中原中也だ。



 中原と言えば、「汚れつちまつた悲しみに」で始まる詩が有名な詩人だ。私生活では小林秀雄と女性を取り合ったり、子どもを早く失ったりして精神的に荒んだりし、30歳で病没した。

 夭折したことも手伝い、教科書などで見かける写真からは繊細そうな印象を受ける。とてもビール壜など振り上げそうもないが、早死にすると酒席での人格にはあまり言及されなくなるのかもしれない。中原は絡み酒がひどかったのだ。

 批評家の中村光夫はこう書いている。
 
氏は批評家軽蔑論者ですが、僕の書いたものもわりによく読んでくれ、また二人で少し酒を飲むようなときには、いつもてれ性の自分をもてあましているような気のやさしい先輩でした。(-略-)ところが、大勢の酒席になると、氏の酔いぶりは、一変します。(-略-)氏はたちまち手のつけられぬ駄々っ児の暴君になり、いつも自分が一座の中心になっていなければ承知しません。

氏と一緒になるのは、おもに青山二郎氏のアパートでしたが、そこで顔を合わせるたびに、いつも今夜は大変だぞ、と覚悟しなければならなくなります。
 
 今夜は大変だぞ、ってどんだけ大変なんだろうか。でも、実際、本当に大変なのだ。
 
あるとき、中原氏が「殺すぞ」といって、ビール壜で、僕の頭をなぐったことがあります
 
 僕の頭って、中村が被害者だったのである。いくら中原が年上とはいえ、批評家の商売道具の頭をビール壜で殴るなんて酷すぎる。「かわいがり」なんて言い訳では済まない。ところが、この後の展開は度肝を抜かれる。
 
こちらは酔っているのでけろりとしていましたが、青山氏がめずらしく真顔で、中原氏にむかって、「殺すつもりなら、なぜ壜の縁でなぐらない。お前は横腹でなぐったじゃないか。卑怯だぞ」と怒鳴りました。
 
 言葉に誠実なことこそ文士たる時代、殺すと言ったなら殺さないと卑怯なのか。暴行力士が「かわいがり」が不十分だと日本相撲協会に叱責されるようなものである。とにもかくにも問い詰められた中原も困りそうだが、実際、困ってしまう。
 
ビール壜を右手にさげたまま、中原氏はしばらく僕らの顔を見くらべていましたが、やがて「俺は悲しい」と叫んで泣きふしてしまいました
 
 これが汚れちまった悲しみなんだろうか。ちがうか。おそらく周囲の人の方が悲しい気もするが、中村は「中原氏の「悲しい」という気持ちは、その場でよくわかり、氏を怨む気持ちは少しも起こりませんでした」と記している。



 相撲の暴行事件では、暴行後に仲直りをしたと報道され、「そんなわけねーだろ」と一億総突っ込み体制になったが、怪我でもしなければ意外に後に引きずらないものなのかもしれない。とはいえ、中村は先のように書きながら、冷静な視点で当時をふり返る。
 
飲み直しということになりましたが、考えて見ると無茶な話です
 
 おっしゃるとおりである。本人が気にしなくても、場の空気は確実に変わる。中原は加害者なのに、なぜか泣き伏しているし。手の付けようがない。

 サラリーマン諸氏はビール壜で殴るのはもちろん、手に取るのも止めた方が賢明だ。


 日馬富士事件が起きたのが11月ということもあり、忘年会でおじさん芸として流行るかと思っていたら案の定、「おい、『あなたちの時代は終わった』とかおもってるんじゃねーの」とビール壜片手に若者に冗談交じりに詰め寄るおじさんが盛り場で散見された。

 「いやいやいや」と詰め寄られた若者はいなすが、場の空気の微妙な変化にビール壜を抱えたおじさんの顔の多くはひきつっていたはずだ。いなされずに、「ちょっと殴ってみてください」と言われても、振り上げたビール壜をどうしてよいかわからなかっただろう。そのおじさんの一人は恥ずかしながら、私だ。中原を取り上げたのはそんな経緯もある。自業自得とは言え、今なら、中原の気持ちがわかる。おれは悲しい。
栗下直也(くりした・なおや)
1980年東京都出身。業界紙記者の傍ら、書評サイト「HONZ」や雑誌『本の雑誌』、週刊誌に書評を執筆 する。新橋系泥酔派を自認するが、酒場詩人は目指していない。辻潤の研究がライフワーク。
Twitter @naokurishita