第13回 大事な仕事を抱えながら、アル中になったら ―無頼派棋士藤沢秀行に学ぶ

 「わたしとお酒どっちが大事なの?」と女性に泣きながら聞かれたらどうしようか。寒い冬が終わり、暖かくなってきたから妄想を膨らましているわけではない。10年以上前になるが何かの雑誌で読んだのだ。お酒と答えるようならば、その人はアルコール依存症一歩手前とあったが、「そりゃ、酒だろ」と若かりし頃の私はひとりうなずいた。酒はよくもわるくも裏切らない。深い仲になると女性以上に厄介だが。

 アル中というとまっとうなサラリーマンにしてみれば、遠い存在に聞こえるかも知れないが、アル中患者は全国でざっと100万人。その予備軍は900万人といわれている。酒好きでも多くの人は「俺には関係ない話!」と思われるかもしれないが、けっこう関係ある。日々泥酔し、健康診断で数値が悪いからと、酒を控え、数値が改善されるやガブガブ飲み始める人は、本人が知らぬところで予備軍に組み込まれている。

 酒好きの連中はアル中と自分の間には、長江や黄河が流れているイメージかもしれないが、せいぜい市民公園内を流れる人工の小川程度しか流れていない。アル中で一家離散し、仕事もクビになるような側に、いつ、行っちゃってもおかしくないところに立っている認識が必要だろう。そもそも、このような連載を読んでいる時点で黄色信号点りまくりだし。

 今回はアル中ながらも仕事で、成果を出し続けた男、囲碁棋士の藤沢秀行を取り上げる。棋聖や名人など23タイトルを獲得した、昭和の大棋士だが、本業以上に注目されたのがその私生活。酒、ギャンブル、借金の三点セットはもちろん、暴力に女性問題も、もれなくついてくる。3人の女性との間に7人の子ども。家に殆どよりつかないために、3年ぶりに家に帰ろうと思ったら自宅の場所がわからないことも。駅から電話して家族にむかえにこさせたって面白すぎるが、本人はいたって真面目に行動しているのだ。



 アル中患者は酔ったときに暴言を吐いたり、暴力を振るったりするが、藤沢の場合、悲しいかな。酒にまつわるエピソードのほとんどに暴言が関係するので、どこからがアル中によるものか判断が難しい。

 有名なのは、酒を飲むと相手が誰であろうと女性器の俗称を連発した話。これは女性が顔をしかめるのを楽しんでやっていた面もあるようだが、結局の所、誰彼構わなかったらしい。本当に構わなかったらしく、公開対局で2000人の観客を前に叫び出すときもあれば、中国に行って、当時の最高指導者の鄧小平と会見した際にも泥酔状態で「(女性器の俗称は)中国語でなんて言うんだ」と絡んだ。本人は女性器の俗称を叫ぶのは「深い意味も悪意もなく、『低能!』という言葉とともに、ただの挨拶代わりに過ぎない」と述懐しているが、全くフォローになっていない。挨拶なら、ニーハオ、いえ。

 鄧小平にもひるまない藤沢だから、一般人ともめることもしばしば。街中でプロの格闘家にケンカをふっかけることもあれば、何をしでかしたのか自宅の家族に「あいつは人間じゃない。金輪際付き合わん」と電話がかかってくることも。どこまで暴れるとこういう電話がかかってくるのだろうか。

 警察が定宿みたいな時期もあったが、警察も保護するのが馬鹿らしくなり、新人の警官が署に連れて行ったら、この人を誰だと思っているんだとその警官は怒られたとか。厄介者を連れてくるなと。

 当然ながら、こんな人間凶器のような藤沢がたまに家に帰ってくると凶行に歯止めが利かなくなる。玄関に鍵をかけてしまった後ならば大惨事である。藤沢の妻・モトの著書『勝負師の妻』を読むと腰を抜かす。
まず、玄関の戸を壊す。(-略-)そして、靴を履いたまま家に入ってきて、お風呂場の戸を壊す。次に台所の入り口の戸も壊す。どちらも引き戸で、やはり曇りガラスが四枚はまっていたのですが、その戸を靴で蹴立ててガラスをガンガン割ります。(-略-)拳でガラスを割るようなときもあって、そういう時は手が血だらけになります。(-略-)そうやって暴れるだけ暴れ、いろんなものを投げて壊して、最後は靴を脱いで放り投げて、ぐうぐう寝てしまいます。暴れた後、また出て行ってしまうこともありました。どこかの女の人のところにでも行ったのだと思います
 ぺんぺん草も生えない暴れっぷりである。近所でも藤沢の暴れっぷりは有名だったらしく、藤沢が帰宅すると「早くいらっしゃい」と隣の奥さんが子どもを匿たっり、しばらく暴れない日が続くと「最近は静かですね」なんて会話もあったとか。おそらく、家に帰ってきてないだけだったのだろうが。

 ちなみに作家の開高健は藤沢の近所に住んでいた。エッセイの中で夜な夜な卑猥な言葉を叫ぶ男について書いているが、その男が藤沢とは気づいていなかったらしい。

 そんな酔っ払いの藤沢だが、碁にだけは真剣に向きあった。40代になり、前夜の酒が残るようになると、対局の終盤でスタミナが切れるようになることも、しばしば。

 普通ならば酒に溺れた棋士はそこから下降線をたどるが、藤沢は「これはいかん」と、対局数日前から、酒を断ち、終わった後に好きなだけ飲むようなスタイルに切り替える。成績はむしろそこから上昇気流にのる。

 酒を断てるなら、最初から控えめに飲めよと思うのだが。もちろん、言うはやすしで簡単に断てるわけはない。アル中は日に日に進行しており、2時間も飲まないと禁断症状がでていた。幻覚も見えるし、全身を虫がはいずりまわるような感覚に襲われていたという。そうした中でも、自主的に酒を断とうとするのだから、囲碁への情熱だけは凄い。

 とはいえ、対局が終わるや食べ物も口にせずに朝から酒瓶を空け続けるので、次第に自力での酒断ちが難しくなる。家にいると、料理酒を探したり、酒屋に電話したり。家中の家具もひっくり返す。

 晩年には棋聖戦6連覇(歴代2位)を成し遂げるが、その時は数ヶ月前からホテルに監禁状態で酒を抜き、対局に臨んだこともあったという。体重も20キロくらい減り別人のようになり碁盤の前に座られたら対局相手も囲碁どころではない。というよりも、やはり断てるなら最初から控えろよと。



 藤沢もそうした突っ込みは百も承知のようで自著『のたれ死に』の中で「酒があったからこそ、あれだけの碁が打てたのです」と語る。本当かよ。もう、開き直るしかないのかもしれないが。

 藤沢は極端な例だが、絶対に取り組まなければいけない何かがあれば、体が酒を欲して死ぬ思いをしてでも酒も断てるのだろう。

 藤沢の場合、囲碁は生きるか死ぬかを賭けるものだった。毎局、首がとぶかとばされるかの思いでぶつかった。皮肉なことに、囲碁に挑む前から、アルコールを断つことで生きるか死ぬかを味わっているのだけれども。

 重要なのは、自分にとって絶対なものがあるかどうかだろう。仕事か恋人か家族か友人かわからないが。これはアル中ほど酷くなくても、酒を控えたい、酒量の多さをどうにかしたいという場合にもあてはまるのだろう。

 と、聖人君子みたいなことを書いてみたが、藤沢が棋聖戦前に自らを追い込んだのは囲碁への情熱があるが、借金問題もあったかもしれない。賞金が囲碁界最高の棋聖戦が始まる前は、借金が3億円近くあり、自宅も競売にかけられ失うほどだったが、6連覇の最中にほぼ返し終えたという。藤沢自身、棋聖の6連覇中は講演なども多く舞い込み、かなり稼いだとふり返っている。結局、「カネかよ」ってオチになりかねないが、結局、カネっぽい。借金で首が回らなくなった土壇場で勝ち抜くというのもやはり囲碁への情熱があってこそなのだろうが。

 藤沢は、地獄を見ながらも飲み続け、胃潰瘍になり吐血。胃癌が見つかっても飲み続けたが、その後、リンパ癌をわずらい、体が酒を受け付けなくなる。2009年に肺炎により死去している。
栗下直也(くりした・なおや)
1980年東京都出身。業界紙記者の傍ら、書評サイト「HONZ」や雑誌『本の雑誌』、週刊誌に書評を執筆 する。新橋系泥酔派を自認するが、酒場詩人は目指していない。辻潤の研究がライフワーク。
Twitter @naokurishita