第14回 派閥争いに巻き込まれて消されそうになったら -白壁王に学ぶ

 春は人事異動の季節だ。ポストの数が決まっている以上、喜ぶ者もいれば悲しむものもいる。相対的な評価などあるわけがなく、いろいろな人間の思惑がうごめき、「なんじゃこの人事」となることも少なくない。組織が大きくなればなるほど、複雑怪奇なものになっていくのだが、サラリーマンはその魑魅魍魎の世界を生きなければならない。

 極端な話、消すか、消されるか。いや、まじで。自分の意志に関係なく、ある年齢や職位になると会社員ならば巻き込まれるのが人事抗争である。

 白壁王を知っているだろうか。知っているだろうか聞いておいて、申し訳ないが普通知らないだろう。大化の改新で知られる中大兄皇子(天智天皇)の孫である。当時の皇位は聖武天皇ら天武天皇の系統が独占していた。白壁王は傍流であったが、人生はどう転ぶかわからない。



 聖武天皇の皇后で、藤原家の血を引く光明皇后が権力を握ると、藤原家の意に沿わない皇子が次々と排除されていったのである。光明皇后が子(基親王、聖武天皇の第一皇子)を生むや、跡継ぎとして太子に立てるが翌年死去してしまう。困った藤原家は、聖武天皇と別の女性との間に生まれた第二皇子(安積親王)の存在を無視し、後継天皇として急浮上した長屋王も謀反の疑いを掛けて殺害した。やりたい放題である。その後も政変を起こした橘奈良麻呂の天皇の擁立候補者リストに名前があったとして道祖王や4人の皇族が死罪や流罪になる。2時間ドラマ並に人が死んでいるのは気のせいだろうか。もはや、片平なぎさしか生き残る気がしない。

 今から1300年くらい前の日本ではこれが日常だったのだ。皇位継承者にとってはまさに受難の時代。現代に生まれて良かったーと思うも、21世紀の今でも似たようなことは起きている。会社で、実力があっても口うるさい人間が左遷されるのと本質は変わらないではないか。人間はあまり進歩していないのかもしれない。
 
 内紛から候補者が次々に粛清された結果、白壁王にも、皇位継承の可能性が生まれてくる。傍流とはいえ、腐っても、天智天皇の孫である。とはいえ、朝廷には権謀術数が渦巻いている。下手にやる気を見せると、政敵から抹殺されかねない。
 
 白壁王はどうしたか。なれるものならば、天皇になりたいものである。だが、目立てば消される。悩んだ白壁王は毎日、大酒を飲んだのである。「はっ?」と思われた人もいるだろうが、重要なのでもう一度書いておく。毎日、大酒を飲んだのである。酒をかっくらい、極めて凡庸な人間を装ったのだ。続日本紀には、白壁王が毎日のように酒を飲んで野心を隠して、何度も危機をくぐり抜けたとある。



 可もなく不可もない奴。権力者にしてみれば寝首をかかれない、安心な存在に映る。現代の企業社会でも、「なぜこの人が取締役?」ってのはよくある話だ。「こいつ社長の弱みでも握っているのか」と思う人もいるかもしれないが、そんな大それた事をする奴は出世できないのだ。権力者にとって安心できる存在は貴重なのだ。間違っても、有能であってはいけないのだ。白壁王は大納言にまで登り詰めるがこれは皇族の長老だからであり、評価は自身が望んだように低かった。
 
 ところが凡庸を装ったことで思わぬ展開が待っていた。女帝である称徳天皇は跡継ぎがおらず、自分の後継者として皇族の血が流れていない道鏡を指名しようとする。これにはさすがに反対の声があがり、称徳天皇は後継者を決めぬまま崩御。敵を作らず、生き残っていた白壁王が770年に62歳で即位し、「光仁天皇」となった。これは今上天皇まで含めて最高齢での即位である。
 
 もちろん、凡庸さを演じていたことだけで天皇に推されたわけではない。白壁王が聖武天皇の娘である井上内親王をめとっていたことも大きい。二人の間には子どもである他戸親王がいた。当時の藤原家のリーダー藤原永手は聖武天皇の流れを汲む他戸王を天皇にすべく、父親の白壁王を即位させたのである。そう、子どものおまけで即位させられちゃったのである。

 おまけだろうと何だろうと天皇は天皇である。出る杭にならず、バカを演じ続けたことで生き長らえなくては、候補者にもなれない。トンがって生きるのもひとつの手だが、凡庸なふりをして敵をつくらず、組織内を泳ぐ「白壁王モデル」もサラリーマンが採るべきひとつの手段だろう。マジで凡庸だったら救いようがないけれども。

 ちなみに、藤原永手は白壁王の即位の翌年に死去。新たに実権を握った藤原百川は井上内親王の皇后を廃し、他戸親王を皇太子からおろした。藤原永手の仕事を全否定である。「天皇を呪詛した」という、でっちあげ見え見えな罪状で2人は幽閉され、3年後に同時に亡くなる。これは、暗殺されたとの見方が支配的だ。前任者の色を消すのは21世紀の今でもよくある話である。やはり人間は進歩してないのかもしれない。

 百川は白壁王の第一皇子であった山部親王を皇太子に立てる。山部親王は母が渡来系のため天皇の位など望むべくもなかったが、欲をかかない人間に幸運は転がってくるのかもしれない。781年に光仁天皇から譲位される。これが平安京への遷都で知られる桓武天皇である。



 余談であるが、奈良市の大安寺では毎年1月23日(光仁天皇の命日)に青竹の筒に入れて温めた日本酒を飲んで、無病息災を願う「笹酒祭り」が開かれている。高齢で即位した光仁天皇が、大安寺の境内に生えていた竹に注いだ酒を飲み、長生きしたとされる故事にあやかった行事だ。これは新聞でも毎年季節ネタとして取り上げられているのだが、このニュースを見て「おいおい」と思ったものである。凡庸を装うために酒を飲んでいたのではなく、即位してからもグビグビしてるとは、結局ただの酒好きじゃないのかと。

栗下直也(くりした・なおや)
1980年東京都出身。業界紙記者の傍ら、書評サイト「HONZ」や雑誌『本の雑誌』、週刊誌に書評を執筆 する。新橋系泥酔派を自認するが、酒場詩人は目指していない。辻潤の研究がライフワーク。
Twitter @naokurishita