第15回 メンバーではなくて、社長が極度の酒乱だったら -筑摩書房創業者の古田晃に学ぶ

 酒を呑む理由は人それぞれだ。気が弱い人の中には、照れや恥じらいをかくすために鯨の如く呑んでしまう人がいる。「酒を呑まなきゃいい人」とはよく聞くが、本人は酒が呑まなきゃ何もできなかったり、いい人に映る自分がしんどかったりするのである。呑まなきゃやっていられないのだ。

 呑まなきゃやっていられないとはいえ、会社員ならば、日中は呑むのに難儀する。会社員でなくても、売れっ子俳優などであれば、それこそ寝る間もないので、呑めないかもしれない。と、最近までは思っていたが、紅白歌合戦に出る一方で田植えまでしちゃうアイドルでも酒まみれになっちゃうらしいのだから、忙しそうでも誰でも呑もうと思えば呑めるのか。

 だからこそ、本連載を読んで他山の石とすべきなのである。愚者は自らの経験に学び、賢者は酔っ払い偉人に学ぶのだ。と、自画自賛で、やや脱線したが、やはり、他者に拘束されず、場所も問わないような仕事がもっとも酒まみれになる可能性が高いだろう。作家が一気にアル中になるのは結局、呑もうと思えば呑みやすい環境にあるからだ。

 会社員も呑もうと思えば呑めるだろうが、一線をこえれば、それなりの処罰が下される。アル中で会社に行けなくなったり、周囲に迷惑をかけたりしてクビってのは意外に少なくない。

 罰が下されないような立場なら会社組織の中に身を置いていても呑みまくれる。つまり、経営者である。会社の経営者が鯨のように飲みまくる?そんな会社があるのかと思うだろうが、あったのである。

 筑摩書房の創業者で初代社長の古田晁は多くの酒にまつわるエピソードを残している。個人的に同社の出版物が大好きなために、非常に言いにくいのだがいくつかの文献を読む限り、ほとんど酒乱である。いや、気を遣いすぎた。どう考えても酒乱である。書店でちくま新書の棚をみるたびに、アルコールの匂いがしてくるくらいガチである。


 どの程度ひどいか。呑んで吐いただの、怪我しただの、人を殴っただのなら、古田が活躍した戦後すぐの時代背景を考えれば「まあ、そういう奴もいただろうな」ですむだろうが、古田は想像の三段くらい上をいく。

 『火の車板前帖』によると、ある日、馴染みの居酒屋でできあがっていた古田は店の前を屋台のラーメンが通ったので外に出た。酔っ払っていたとはいえ、腹が減っていたのだろう。食べながら、しばらくすると、一緒に外に出ていた板前(本書の著者)に紙を要求する。口の周りでもふくのかと我々のような凡人は思うし著者も想像したのだが、古田は紙を腰より下に持っていく。どうしたのだろうか。板前がのぞいてみると何と脱糞していたのだ。ラーメン食いながらクソである。現代ならばSNSで拡散されて村八分だが、牧歌的な当時でも衝撃だったらしい。この居酒屋の店主で詩人の草野心平も古田のこの奇行を書き残している。

 その程度で驚いてはいけない。古田が泥酔したときの十八番は人の寝込みを襲うことだった。想像するだけで迷惑であるが関係者の間では古田台風、古田ストームとして恐れられた。これが、そんじゃそこらの台風ではかなわないくらい強烈なのだ。伊勢湾台風か古田ストームかってレベルである。

 古田は京都大学の学者と親しかった。彼らが上京したときは当然呑みまくることになる。英文学者の深瀬基寛が講演で上京したときも、当然、あちこちつれまわした。深瀬は、さすがに前日は準備もあるし、遅くまでは勘弁して欲しいと宿舎に逃げ帰ったが、古田は許してくれない。早朝の5時に宿を訪れ、呑み始める。話としては面白いが、自分の周りにいたらちょっとうざいかもしれない。

 古田は深瀬の講演が終わるのを居酒屋で待つ。合流した深瀬がシラフで講演したと聞くと激怒する。「一升瓶持ってしゃがんで、頃よくコップに注いでやるのが礼儀っていうもんだ。大学も大学だが、お前もお前だ」と怒鳴ったという。どうしようもなく、うざい。大学も、おまえもどう考えても悪くない。


 たまに上京してきた深瀬だから、朝五時に急襲したわけでない。本当に相手も時間も構わないのだ。『京都学派 酔故伝』によると、襲われた家は、書き残されているだけでも筑摩の社員の家が三軒、創元社の社長の家、他の一件は見ず知らずの家で、別人を叩き起こしてトラブルになったという。

 たんに「おい、いるか」と夜中に訪ねてくるわけではない。創元社の社長は寝込みを襲われ、寝ぼけたまま拉致された。タクシーに乗せられ数件連れ回され、前後不覚になったところで解放された。見ず知らずの家では早朝その家に配達されていた牛乳をラッパ飲みしている。知人を拉致するのはともかく(それでも迷惑きわまりないが)、別人を叩き起こすとか、勝手に牛乳を飲むとか、もう完全に犯罪である。謝罪会見で、マイクを振るわせて謝ってもゆるしてもらえないレベルである。

 破天荒な古田だったが、出版人としての志は高かった。古田が酒に溺れるようになったのは筑摩書房が財務的に厳しくなった頃と重なる。それでも古田は売れないとわかっていても、良い本と思えば採算がとれなくても世に送り出し続けた。

 見込んだ作家には打算なく尽きあったが、生来の気の弱さがつきまとった。シラフの古田は人と目を合わせて話が出来なかったという。酒の力を借りることで、著者の懐に飛び込めたのであるが、経営危機によりその酒量は増したというわけだ。

 こんな社長に社員はどう向き合ったか。夜中に家にまで押しかけてくる社長である。さぞ、迷惑を被ったかと思いきや、申し訳ないが、社員も社長に負けず劣らずなのである。

 当時の筑摩書房は、社員旅行に出かけると、行きの電車から酒、酒、酒。べろべろになり旅館でも飲み続け、最終的には乱闘に発展していたとか。もちろん、部屋に帰っても落ち着いて寝られない。まあ、これくらいはコンプライアンスなんてクソ食らえ、パワハラ上等の時代には「よくある」社員旅行かもしれないが、翌朝の朝食時にご飯にお銚子をかける者もいたと聞くと、少し警戒しなければならない。旅館の女性従業員の部屋に突入した者もいれば、全裸でエレベーターに乗った者もいたとなると、確実にヤバイ集団である。


 古田の酒乱が社内に波及したのか、もともと猛者揃いだったのかはわからない。ただ、社長が酒乱ならば、自分も呑んじゃえばいいと考えたのかもしれない。いや、自分も呑んじゃうから社長が酒乱でも務まるのか。

 とはいえ、「社長も酒乱だから一緒に乱れてしまいました」では、2018年の日本では、社会が許してくれない。そもそも、明け方に見しらぬ人の家に名のある企業の経営者がピンポンピンポン押して入ってきたら、ヤフーニュースのトップに掲載されて、「基地外」などとコメント欄が大にぎわいになるだろう。問題を起こしたのが社長だけに、社員も「お酒が悪いんではないんです。彼が悪いんです」とも弁明できないだろうし。

 良くも悪くも、「俺の酒が呑めないのか!」では会社経営はできない時代なのだ。もはや古田のような酒乱社長は絶滅危惧種といえよう。「社長が極度の酒乱だったら」という設定自体がもはや20世紀的テーマなのかもしれない。

栗下直也(くりした・なおや)
1980年東京都出身。業界紙記者の傍ら、書評サイト「HONZ」や雑誌『本の雑誌』、週刊誌に書評を執筆 する。新橋系泥酔派を自認するが、酒場詩人は目指していない。辻潤の研究がライフワーク。
Twitter @naokurishita