第16回 上司が酒を大量に呑んでも何も話さなかったら ー海軍大将・米内光政に学ぶ

 親と上司は選べない。サラリーマンにとって、上司とどう付き合うかは永遠の課題である。普段はとっつきにくくても、酒を呑むとざっくばらんに話し始め、こちらが帰りたいのにお構いなしに喋り続ける上司もいれば、酒を呑んでも無口な上司もいる。

 前者は迷惑なものの、親近感がわく一方、後者は正直、こわい。普段から何を考えているのかわからないのに、ますますこいつは何者だとなる。偉人の中にも酒を呑んでも表情ひとつ変えず、何を考えているかわからなかったものもいる。海軍大将で首相経験もある米内光政はその典型だろう。



 米内は終戦直前に2度目の海軍大臣の職にあった。ポツダム宣言受諾をめぐる抗戦派と終戦派の駆け引きでは抗戦派の陸相の阿南惟幾に一歩も引かないなど、終戦工作に尽力したと言われている。ここについてはいろいろと異なる見方もあり、そこを突っ込んでいくと戻ってこれなくなるので本稿では脇に置こう。

 1937年、海軍大臣に就任した際に米内は、「金魚大臣」などと海軍内部でも揶揄された。

 金魚大臣という例えがもはや現代では通じないので説明がいるだろう。米内はイケメンだったので、見かけは良いもののぼんやりしていて役にたたないという意味だったとか。「見かけが良いだけいいじゃないか」と思ってしまうあたり、21世紀の我々は不幸なのだろうか。

 脱線したが、そんな不名誉な呼び名がついたひとつの理由は、米内が出世階段を上りながらも海軍学校卒業時の成績が125人中68番だったからだ。軍でも会社でも出世するには軍学校の卒業席次や入社試験の成績が意外にものをいう。通常、海軍大将になるような者は10番以内のため、米内が海軍内でキワモノ扱いされたのもわかるだろう。

 凡庸のきわみのような扱いをうけた理由はそれだけでない。卒業時の成績もさることながら、ものをいわず凡庸然としていたその性格にあったのかもしれない。

 無口な上に、趣味と言えば、一に酒、二に読書。確かに暗そうである。いや、めちゃくちゃ暗そうである。個人的には親近感がわくが。私も一に酒、二に読書でひとり暮らしをしていたときは金曜の夕方から土、日と誰とも喋らないで月曜日に出社することが珍しくなかった。何をアピールしたいんだろうか、私は。

 今回は脱線が多いので、先を急ごう。米内の酒はピッチが早く、酒をさせば、いくらでもグラスをあけたというが決して醜態をみせることはなかった。40代半ばに戦艦陸奥の艦長をしていたころ、部下に酔いつぶれたことはあるかと聞かれた米内はウオッカをがぶ飲みして一度だけあると答えている。一度だけということであるから、驚く。短い時間に節度を持って呑んでいれば、つぶれることはないかもしれないが、米内の場合、午前二時くらいまで呑み、宿へ引き上げるときには芸者連れということがよくあったというから、べらぼうに強いのだろう。



 余談だが、戦後、米内の息子はいたるところで米内の愛人に出会い面食らったという。

 昼間はかたい上司でも酒を呑むと口が滑らかになる場合はある。当時の海軍の部下たちもおそらくそう思っていただろうが、米内の場合、一筋縄ではいかない。

 ある日、普段は無口な米内に部下二人が酒に誘われる。部下は、向こうから誘ったのだから、おお、これは何か面白い話でもしてくれるだろうと男子中学生の寝起きくらいに股間ならぬ期待を膨らませ、ついていったが、米内は何も話さない。まだ、酒が足りないのかと思うも、米内は芸者がつぐ酒をひたすら喉の奥に放り込んでもけろりとしている。依然としてしゃべらない。「おいおい、なんだよ、このおっさん」と内心思ったのだろう。部下は飲み比べなら負けないつもりで同じペースでガブガブ呑み始めたが、自分たちだけ口が滑らかになり、米内は全く喋らないのでこりゃかなわんと退散した。やはり不気味である。

 阿川弘之『米内光政』(新潮文庫)には米内の部下のこのような言葉が引用されている。
 
米内さんから何か、そういう実のある話を引き出そうと思ったら、差しで12時間くらい飲んでなきゃ駄目なんですよ

 どう考えても付き合ってられない。夜の7時に呑み始めたら、朝の7時。そうするとようやく話が聞ける。ここまでくると、12時間ねばって何が聞けるのか気になるが、むしろ、黙ったり、身のない話だったりで12時間何をするんだろうか。と、こんなことを書くと「お前も呑んでいる時に黙ってるし、大した話してないだろう」とお叱りを受けそうだが。

 米内は軍のみならず花街でも酒豪として、名をとどろかした。宴席で米内を酔わせたものに褒美を出すと言いだした者がいて、歴戦の呑兵衛芸者がつぶしにかかったが、三味線のばちをまともに持てなくなったり、米内の膝を枕に寝込んだり、誰も潰すことができなかった。
 
 恐ろしいのは米内は酒がよほど好きらしく、宴会へ行く時にも、自宅を出る前、キューッと一杯ひっかけて行ったとか。一次会ならぬゼロ次会である。個人的には私もこのゼロ次会は開催するのだが、たいがい、呑み過ぎて、宴席に顔を出す頃にはテンションがピークに達していて、最初の30分程度しか記憶がない。やはり米内は凄い。

 とはいえ、ここまで呑むとなると懐事情が気になる。午前様で芸者としょっちゅう帰宅である。金がいくらあっても足りないのではないか。実際、米内は中将時代に海軍の相互補助機関に3000円の借金を申し込んでいる。父親の借金を抱えていた事情があったが、現役の中将が借金を申し込むとは異例中の異例だったとか。米内が中将時代の1933年ー35年の物価指数から換算すると現在の100円は当時の70万円弱である。3000円と言うことは、2100万円を借りていたのだ。

 米内は大臣になってからは女性遊びは自粛したが、酒は盛んで一晩中でもずっと呑み続けているから、誰か一人が最後までつき合っていたという。「今日お前つき合えよ〜」とお付の者達が困っている光景が目に浮かぶではないか。



 戦後、戦犯にもならず市井人となってからは生活は楽ではなかったが、宴席があれば、混んだ電車に乗って何処へでも出かけた。晩年になっても呑みっぷりは悠々として立派だったと周囲の人は声をそろえる。

 米内は、現代の価値感覚からすれば面倒くさくない上司になるだろう。高い地位に就いた後でも、暑いとか寒いとかすらいわなかったとか。大臣になると書類に花押が必要になり、普通は凝るらしいが、光政の「み」と「つ」を組みあわせて、めんどうくさいからこれでいいだろうとしたという。昇進してもバッジをつけかえるのを忘れていたり、よくいえば、おおらかであり、実態は細かいことには目に入らない適当な人だったのではないか。当時は確かに変人扱いされても仕方ないだろう。だからこそ、非エリートコースながらも、戦争という非常時に大局観が買われ、抜擢されたともいえる。決して平時ではでは輝かない人であろう。

 せこせことヒラメのような者が跋扈する中、他者にどのように映るかという視点があまりない。宴席で話が弾まなくても気にしない。もし、あなたの身のまわりにそんな上司がいたら恐れることはない。この人は変人だから気にする必要がないんだと思えばいいのだ。肩でもくんで、「何かおもしろい話、してくださいよ、ダハハハハ」と言えば、話してくれるはずだ。何も話してくれなくてもおそらく、あなたの振る舞いを気にしないはずだ。変人だから。翌月あたりに、転勤の辞令がいきなり出ても責任はとれないけれども。

栗下直也(くりした・なおや)
1980年東京都出身。業界紙記者の傍ら、書評サイト「HONZ」や雑誌『本の雑誌』、週刊誌に書評を執筆 する。新橋系泥酔派を自認するが、酒場詩人は目指していない。辻潤の研究がライフワーク。
Twitter @naokurishita