第23回 酒席での「もてなし力」で四階級特進―左大臣・藤原冬嗣に学ぶ

 「よっ、社長さん、さすがですね!」などと見え透いた台詞を盛り場で聞かなくなってひさしいが、サラリーマンが生きていく上で、「よいしょ」は欠かせない。

 「よいしょ」とは聞こえが悪いかもしれない。こちらがよいしょと思っていても相手が「おれ、持ち上げられていて気持ちわるいな」と思わなければ、それは「おもてなし」になるし、そのギリギリの気遣いができるかいなかが自分の未来を左右するといっても過言ではない。

 働き方改革が進もうが、歴史は「おもてなし」で作られるのは今も昔も変わらない。日本の歴史を辿ってみると「初代もてなし男」と燦然と輝いているのが藤原冬嗣だろう。



 藤原冬嗣と聞いてもよほどの歴史通以外はどのような人物か思い浮かべるのは難しいかもしれない。皇族以外で初めて摂政になった藤原良房の父であると言われると少しはイメージが浮かぶだろうか。良房が摂政になったことが、いわゆる後の「藤原家」の大繁栄につながったのだが、良房の大出世は冬嗣の存在抜きでは語れない。

 もちろん、良房の個人の資質もあっただろう。だが、父である冬嗣が当時の天皇のお気に入りで、朝廷の有力者となったことで息子が活躍しやすい土壌が整った側面は見逃せない。そして、冬嗣が天皇に重用されたのが、まさに「もてなし力」によるものなのだ。

 冬嗣は809年、34歳の時に何とか出世できないものかと思いを巡らせていた。時の天皇は嵯峨天皇。大の酒好きだった。嵯峨天皇の在任期間は中国風の文化活動が盛んな時代でもあった。日本で最初に正月の「お屠蘇」の習慣を取り入れたのも嵯峨天皇といわれている。

 「屠蘇」とは本来、「『蘇』という鬼を屠る」。「蘇」と呼ばれる鬼を「屠す」、つまり「殺す」という意味で中国に広がった習慣であり、それを宮中での儀式として導入したのだ。

 こう聞くと「嵯峨天皇、文化人枠かよ、かっけー」と思われるかもしれないが、正月から酒をがぶがぶ呑む大義が欲しかっただけではないかと思えてならない。嵯峨天皇はそれほど酒好きなのだ。

 そこに目をつけた冬嗣は、宴席でもいっちょ設けようかと考えつく。自邸に招いて、酒宴を開いたところ、天皇は大感激。冬嗣は正四位下から従三位に四階級特進の出世を成し遂げる。よほど感激したのか冬嗣のみならず、冬嗣の妻にも従五位の下が授けられたというから驚く。
 
 これ現代では県知事並みの役職にあたる。いきなり妻が県知事。そんな私利私欲で人事を動かしていいんだろうか。
 
 これで味をしめたのかわからないが、冬嗣はその後も接待攻勢で左大臣にまで登り詰める。いかんせん昔の話なので真偽は不明なことも多いのだが、もともと、寛容で気が利く上に文武の才に長けていただけに「もてなし」がなくてもある程度は出世したのだろうが。

 冬嗣の「もてなし」力の極めつけは「熱燗」である。日本酒は、最近は冷や酒が主流だが、一昔前は酒といえば燗して飲むものとされた。冷や酒は「貧乏人の冷や酒」とか、「親の意見と冷や酒はあとできく」とか言われ、敬遠されたのだ。

 余談だが、質の悪い酒は熱燗にすることで不純物を取り除く効果もある。大してうまくない酒をそこそこうまく呑む知恵でもあったらしい。

 昭和のおやじ達は「冷や酒なんて呑めるか!」とネクタイを頭に巻いて、くだもまいていたかもしれないが、長い歴史で眺めれば、酒を温めるのが主流になったのは江戸時代以降。日本酒は長らく冷用が原則だった。そうした中、平安時代に果敢にも日本酒を温めてみたのが冬嗣だったのだ。


 嵯峨天皇一行が交野(現在の大阪府交野市)に狩りに出かけたとき、随行していた冬嗣は天皇が寒かろうと、温めた酒を勧める。これに天皇はまたまた大感激。この時、すでに冬嗣は左大臣のポストにあったが、出世した後もきめ細かい心遣いができるあたり、付け焼き刃の「もてなし力」でないことがわかる。これ、サラリーマンの世渡りでもマジ重要だから覚えておくように。

 とにもかくにも、天皇がたいそう喜んだことで酒を燗するという習慣が歴史の中で公式に生まれた。冬嗣は書物の中に、お燗の季節は「重陽の節句」の9月9日から3月2日までと記し、宮中では燗酒が親しまれるようになった。冬嗣のパイオニア精神がなければ、八代亜紀が「お酒はぬるめの 燗がいい」と歌うこともなかったのかもしれない。そんなことないか。

 冬嗣の出世は極端な例かもしれないが、当時は多かれ少なかれ酒宴での振る舞いが出世を左右した。政治と酒を切り離ずのが難しかったからだ。

 政治は儀式を形式に従って行うのが目的で、儀式には酒宴が必ず伴った。中国から使者がくると大宴会をしなければならず、財政的に厳しいから「ちょっと申し訳ないけど12年に一回にしてくれない」とお互いに決めたほどだ。それなのに、翌年もその次の年も中国から使者が来たらしく、かなりしんどかったとか。

 仕事とはいえ、何かにつけてどんちゃん騒ぎすると聞けば、呑兵衛にしてみればこのうえない環境に映る。実際、宴座という一次会のみならず、隠座という二次会まで用意され、無礼講の宴がそこでは開かれていた。

 当然ながら、酒まみれになる貴族も多く、そこでの振る舞いが人格評価につながる。酒席を利用して、権力者に対し過剰にすり寄る者も出てくる。平安時代も21世紀もあまりやっていることは変わっていない。

 酒席で集まってはよからぬことを企む者まで出てくるのも全く同じだ。そのため、866年には「群飲するを禁ずる事」と題する太政官符がでたほどだ。「おまえら、ちょっとやりすぎ。もう集まって呑むな」というわけだが、そんなお触れが出たところでいきなりやめられるわけがない。

 その後、仕事と酒席は形式上は分離したが、日本においては酒席が仕事の延長であり続けた。日本人は脈々とそこでの「もてなし力」を磨き続けた。そして、平成初期には「ノーパンしゃぶしゃぶ」というもてなし力のチョモランマに登頂するに至る。その山が崩れたあとも、「ガラパゴス」やら「古くさい」やらいわれようが必死に相手をもてなそうとし続けている。

 若い人の中には「実力があるから大丈夫っす」と主張する人もいるかもしれないが、実力だけで決まらないのが会社でもある。そもそも実力ってなんすかって話だろう。自信があっても、もてなしの心を忘れない。藤原冬嗣を見ればそれは明らかだろう。
 
栗下直也(くりした・なおや)
1980年東京都出身。業界紙記者の傍ら、書評サイト「HONZ」や雑誌『本の雑誌』、週刊誌に書評を執筆 する。新橋系泥酔派を自認するが、酒場詩人は目指していない。辻潤の研究がライフワーク。Twitter @naokurishita