詩には欠かせない空間がある――アンドレ・ブルトンのサン=シル=ラポピー村

詩人石田瑞穂が一篇の詩を旅するように、国内外の詩人ゆかりの地を訪れ、土地と対話するように詩を読み、酒を呑み、また、呑む。読書と酒食に遊ぶ愉楽の紀行エッセイ。近現代の詩と詩人の魅力もわかりやすく紹介します。

 ボルドー近郊のフランスワイン三大シャトーのひとつ、シャトー・ラトゥールを訪問したあと、どうしても寄り道したくなった。
 サン=シル=ラポピーの村へ。フランス南端にある「フランスの美しい村」一五〇村のひとつ。オクシタニーの山々とロット川に奥深く抱擁された、一粒の宝石のように美しく鄙な村だ。きれいな村と美味しい地ワインは大好きだけれど、そこを訪れてみたい理由はほかにあった。前衛詩人にして「シュルレアリスム」(超現実主義)の「父」、アンドレ・ブルトン(André Breton)が別荘をかまえ、「サン=シル以外には何処もいらない」とまで讃えた村だったから。
 夥しい数のアフリカ、ポリネシア、アジアなどの民族美術や呪具が、ある星座的秩序を象りながら、壁や机上をうめつくすように飾られている。そして、それらのわずかな星間に、デ・キリコ、ダリ、デュシャン、マッソン、エルンスト、マン・レイといった二〇世紀を代表するアーティストの作品が特異な位置付けをほどこされる。暗黒の星雲に輝く、北極星やアンタレスのように。堆く積まれた本、巨きな水晶の原石。そんな魔術的雰囲気に囲繞されたパリ九区の自宅アトリエで、仕立てのいいスーツに身をつつみパイプをふかす超現実主義者ブルトンのイメージと、サン=シル村がうまく調和せず、興趣をくすぐられていたのだ。
 もとい、ボルドーからサン=シルへは「寄り道」なんて距離じゃない。TGVと長距離バスをのりついで約六時間、ミディ・ピレネー(現在はオクシタニー地域圏)のロット川に懐かれた中世都邑カオールに到着。カオールで一泊し、翌日、サン=シル=ラポピー村をめざした。ロット川沿いに国道をバスで二時間。教会と役場しかない村と村をヤドリギの森と鍾乳洞のトンネルと現在も山の民が暮らす中世以前の岩窟住居がつないでゆく。そんな光景をまのあたりに「ここはフランスでも僻地なんだ」とつい洩らしてしまった。
 ロット川流域の風光を窓外にまどろんでいると、サン=シル=ラポピー村への停留所に到着。ちいさな渓流をわたり、いかにも古そうな杣道をのぼる。瞳が一瞬で燃えあがった。カエデとコナラとウルシだけの紅葉トンネル。ぶ厚く積もった色とりどりの落葉に、木漏れ陽が滴って、さらに無限の色彩へ燃えひろがってゆく。ワインの小瓶をとりだして、異邦の秋の光と沈黙に見蕩れた。樹間からは麓を流れるロット川が銀に輝く。どうやら、その清流が山霧となり、これだけの紅葉と落葉の森をはぐくむらしい。ヤマヒバリが小枝につかまり、ちりり、と澄んだ声の鈴を鳴らす警鐘だけが心に響いた。
 半時間ほど歩くと、ゆくてに自然石のアーチ。村人たちが、永い時をかけ何遍も両掌で平岩を積みあげていった、寡黙で温かな息遣いを感じさせる苔むした石の虹。霧も晴れて、山頂へくねくねのぼりゆく赤と白の瓦軒、教会らしき塔があらわれた。 
 あれが、サン=シル=ラポピー村。
 村で唯一の石門をくぐりぬけると、山霧と木靴で表面がつるつるになった石径の両脇に、赤茶けた屋根と花崗岩と木骨組の古い家々が列ぶ。どの家も、赤煉瓦の屋根は深く傾ぶき、蜂蜜色に光る石壁はざらついたままの石伐面を表にみせて、山人の思想をうかがわせた。旧いピレネー様式の黒光りする梁組ベランダには、紅いカルミアの鉢がびっしり灯って。ちいさな路地をくまなく歩く。家々や店の軒先にプリムラ、ベゴニア、パンジーのテラコッタがあざやかに咲き競う。黄や紫の花々が、蜂蜜色の石の壁や小径によく映えて、天国のように、あかるい。ちいさな十字路には、かならず、陶板のマリア様が野花とかざられていて。けれども、ここで出逢うのはミツバチやハチドリ、くすんだ猫、そしてアメリカや中国からの観光客ばかり。村人たちはどこだろう。一時間も歩きまわると、あとは土産物屋をのぞくだけ。たったそれだけの、ちいさな、静謐な村。
 山頂まで歩くと、村のシンボル、聖シル教会が建つ。ロマネスク時代の教会堂で、かつてはそのさきの高台に戦城があったという。いま、城は徹底的に破壊され、岩だらけの荒城だけが遺された。
 そもそも、ここフランス南西部のミディ・ピレネー地方はローマ時代から数々の戦場になってきた。よって、十三世紀から十四世紀にかけて、山丘の頂や河の懐に、地の利を活かした天然の要塞や厚い城壁をもつ「バスティード」(中世の新都市)が造られる。現在のサン=シル=ラポピー村が“天空の城”ともよばれるゆえんだ。
 ちょっと喉も渇いたから、ちかくの看板もないレストランにはいろうか。黒髪で万華鏡のように青い瞳をしたウェイトレスさんが、気さくに挨拶してくる。思えば、観光所以外で村人と話したのは、初めて。「わたし、この村の人間じゃないの。リヨンから働きにきたのね。お店も村のオーナーの物件よ。この石と木の家は十四世紀半ばに建てられたそうよ」。日本でいえば室町時代の古民家だ。「え、サン=シルの地ワイン? 残念ながら、この近辺ではワインを作っていないわ」。よって、カオールの赤ワインのボトルと、典型的な山の料理、チーズのたくさんかかったサラダと牛肉のワイン煮をいただく。ワインはローマ期から「カオールの黒」ともよばれ、ルビー色ではなく、深夜色をした濃厚なフルボディワイン。じっくり煮こんだ頰肉のしたの山栗、白ニンジン、アンズ茸などが、フランスの秋の香と滋味をそよ風のように鼻腔と舌先にとどけて。ブルトンさんも、サン=シルの山の幸を楽しんだかしらん。「そういえば、村の人たちとぜんぜんすれちがいませんでした。ミサにでもいったかなあ」と、リヨンの娘さんにたずねる。「サン=シルの住民は外からくる人たちと逢いたがらないの。観光客のおおい休日は、みな家のなかにいるわ。そうやって、自分たちの静かな生活を守っているのかもね。ムシュー・ブルトン? ああ、村の人たちとは疎遠だったみたい」。そういえば、カオールを發ってからこっち、沈黙としか出逢っていない。おとぎ話のような村の静謐は、かしましい観光客にたいする住民たちの非在によって醸されてもいたのだ。
 グラスを手に、ブルトンの詩集『詩篇1948』をひらく。「サン・ロマーノへの道の上で」をささめくように音読した。

   詩は愛と同じベッドの中で作られる
   その寝乱れたシーツは事物の世界の夜明けの光だ
   詩は森の中で作られる

   詩には欠かせない空間がある
   目の前の空間ではなくて別の空間で
   の眼
   の上の朝露
   銀の盆の上で曇ったトラミネ白ワインの思い出
   海の上のトルマリンの長い杖
   そして精神的冒険へと向かう道
   最初は急坂で
   すぐに複雑に曲がりくねる

   詩は屋根の上で叫ぶようなものではない
   ドアを開けておいたり
   証人を呼んだりするのもふさわしくない
   (…)
   愛の行為と詩の行為は
   大声で新聞を読むこととは両立しない
   両立しない
   太陽光線の方向
   の斧の打撃を続けさせる青い微光
   ハート型また魚の形のクワガタムシの軌跡
   ビーバーの尾に合わせた鼓動
   古い階段の上から撒かれるドラジェ
   雪崩
   (…)
            (「サン・ロマーノへの道の上で」(抄)/塚原史訳)

 ブルトンの作品は無韻の自由詩だけど、音が、かろやかに光ってきれい。イタリア・ルネサンスの画家パオロ・ウッチェロの絵画への言及もあるかもしれないが、ぼくはどうしても詩に書かれた風光、生物、事物をここサン=シル=ラポピーにかさねて読んでしまう。谷から吹く錦秋の風が子音の棉種をそっと運び去ってくれるようで。ワインを呑みながら、ひさしぶりに“時間”を味わった。
 ほろ酔い気分で、聖シル教会から四軒くだると、趣の異なるメゾンがみえてくる。崖際に建ち、垂直面のおおい鋭角なデザインの屋根には、村のどの家にもない特徴的な台形がのっていた。その館こそ、アンドレ・ブルトンが暮らした別邸だった。
 いまもブルトンの親族が棲むという館は一般公開されていない。邸のまえにはシュルレアリスムの巡礼者が築いたが供えられえていた。ぼくも手近の塔の頂に小石をひとつ。たしか館の物見の台形は谷側に窓があった。あの特等席なら、地平線に燃える朝陽も夕陽も、青い微光になって蛇行するロット川も、麦畑の金の漣も想うがまま見晴らせただろう。「事物の世界の夜明けの光」を。
 だれが撮影したのかつまびらかにしないが、ブルトンの館正面の窓という窓から、シュルレアリストたちが顔や上半身をだしている印象的な記念写真が遺されている。ブルトン、ベンジャミン・ペレ、ピエール・ドーランといった「顔」もみられ、さながら、シュルレアリストの綺羅星でつくられた〈コラージュ〉のようだ。幼年時代は化石少年だったというムシュー・ブルトンはシュルレアリストたちと「サン=シル=ラポピーの会」を結成し、ランボーの「バウーの滝」のあるヴェルトラン川をボートで川下りしたり、二万五千年前の古代人が画いた岩絵の遺るシュメルル洞窟を探検したりした。
 ブルトンはヴァカンスを愉しむのみならず、時とともに求心力を失いつつあったシュルレアリスムの星座を再構築する目的もあったかもしれない。それには、サン=シル=ラポピー村のかける魔法が、どうしても必要だった。一九五一年九月三日、ブルトンはエキュゼット・ド・ノワールへの手紙で、こう書く。

 ほかのどんな場所よりも――アメリカやヨーロッパやどの場所より――サン=シルは、わたしに魔法を、永遠にそこに逗留するという魔法をかけたのです。わたしはもうほかの場所をもとめません。

 原文では、土地ではなく、「場所」(place)とある。シュルレアリスムを解説するときに引かれるロートレアモン伯爵(本名はイジール・ド・デュカス)の詩の一節「手術台のうえのミシンとコウモリ傘の偶然の出会いのように美しい」は、散文詩集『マルドロールの歌』の一節だが、「ミシン」、「コウモリ傘」、「手術台」といった一般的に連想されない物どうしの集合が、偶然、出逢うことで思いがけない美を創造するのだ。たがいに異質な物の「偶然の出会い」が打鳴らす精神の火華こそ、二〇世紀を創る新しい美だとブルトンは看破した。そこからシュルレアリストたちは、夢の「自動記述」(オートマティスム)、「デペイズマン」、「コラージュ」などの二〇世紀美術・文学を牽引した理論と技法をあみだしてゆく。
 でも、ブルトンは美術革命のためだけに『シュルレアリスム宣言』を起草したのではない。一九一三年、フランス北西部タンシュブレーからパリ大学医学部に入学を果たしたブルトンは、翌年、第一次世界大戦に軍医補として動員。戦闘の心的外傷にくるしむ傷痍兵たちを看護するため、精神分析を学び実践する。そのにがい体験が、後年、ブルトンにシュルレアリスムを着想させた。人間の自我中心的で自己破滅的な欲望に追従する理性と意識にコントロールされない、無意識の領域、純粋無垢な夢の力が、戦争と殺戮をくりかえす人間たちの現実を超越するかもしれない。
 けだし異質な物どうしによる衝突は、現実秩序を破壊することしかできない。それでは、欲動の破壊衝動を超越することができない。ブルトンは、シュルレアルな美が衝突すると同時に均衡していることにこそ眼をとめた。異質な「ミシン」、「コウモリ傘」、「手術台」がたがいに衝突し火花を散らす瞬間、絶妙に調和し、新たな美へ転生するのは、なぜか。因習と秩序を破壊するにとどまらず、かといって予定調和に陥るでもなく、現実世界と精神世界が夢とおなじように矛盾しつつも調和する「至高点」を追究したのである。ブルトンはその至高の美を、しばしば、灰と化した瞬間、炎をまとって再生する不死鳥のイメージで語るようになる。
 世界と精神を真の調和へ導く美が宿る「場所」。ブルトンはその場所を、言葉とアートのほかにサン=シル=ラポピー村とその近隣にもとめた。アンドレ・ブルトンは一九六六年、サン=シル=ラポピー村の館で倒れ、パリ九区のアパルトマンで九月二八日に逝去する。
 ブルトンが探究した、現実を超えて至高の時空を宿す「別の空間」は、「詩には欠かせない」のみならず、ぼくらが生きるうえでも必要ではないか。個人の力では撥ねかえせない「目の前の空間」、つまりは現実に疲弊し、深く膝を折るとき。ぼくはサン=シル=ラポピー村への旅の記憶を呼び醒し、ブルトンの詩を再読するだろう。「別の空間」、明日を生きうるためのささやかな余白を詩にもとめて。



 それはそうと、なぜアンドレ・ブルトンがかくも永く深くサン=シル=ラポピー村を愛し逗留したのか。いいところだけれど、当時の交通事情を鑑みれば、パリからサン=シルまでは車で数日を要したろう。村人も閉鎖的だし、山の料理は塩っぽすぎる。ブルトン氏が青年期にデペイズマン(追放)した故郷タンシュブレーを髣髴させる村の自然や味覚は北部、パリのちかくにあるだろう。
 けれども、サン=シル=ラポピーの無音と霧のようにしのびこむ非在感、ムシュー・ブルトンの別荘地としてしっくりくるようでこない妙な違和感からは、夢の香がしないだろうか。サン=シル=ラポピー村は、パリの詩人にそんな魔法をかけたのかもしれない。

石田瑞穂(いしだ・みずほ)
1973年埼玉県旧大宮市生まれ。第37回現代詩手帖新人賞でデビュー。代表詩集に『まどろみの島』(第63回H氏賞受賞)、『耳の笹舟』(第54回藤村記念歴程賞受賞)、最新詩集に『Asian Dream 』(2019年 5月刊行)がある。左右社刊行の連詩『地形と気象』が話題に。獨協大学「LUNCH POEMS@DOKKYO 」ディレクターや大学講師も務める。漂泊と酒を愛し、花と小鳥を愛で、ふらっと海外に遊び、詩をひねる日々をおくる。
公式ホームページ「Mizuho’s Perch」
https://mizuhoishida.jimdo.com/
獨協大学「LUNCH POEMS@DOKKYO」
https://lunchpoems-dokkyo.jimdo.com/