その8 意味がわからない「総合的、俯瞰的」なる曖昧な言葉

×月×日 「落語家が作家になったのではなく、作家が落語家になった」といわれる立川談四楼は「菅さんには、安倍さんにギリギリあった明るさと愛嬌がないのだ。この陰湿陰険は怖いよ」とつぶやいた。
 フェイスブック上では、「安倍は<反知性>だったが、菅新首相は、<嫌知性>ではないか」という書き込みがあった。いずれももっともな意見で納得できる。
 それに引き換え、瀬戸内寂聴の「残された日々」の文章には驚いた。
<菅首相は立ち居振る舞いもお行儀のいい紳士に見える。容貌(ようぼう)も整っていて、品もあり、立派な首相面(づら)をしている。>(朝日新聞10月8日朝刊)
 作家の条件には鋭い観察眼が欠かせないはずだが、この程度の浅薄な透視力では、「老いたり! 寂聴」と言わざるを得ない。老いているのは当たり前で、今さら言うことでもないのだか。
 寂聴が記すのは、談四楼がいうところの「陰湿陰険」とは正反対だ。もちろん外っ面(つら)の容貌は女性のお化粧と同様で、中身の人間性や教養とは関係ない。容貌から人間の内面や知性を論じるのはあまり上等な趣味ではないし、唾棄すべき所業だ。
 酒席でのことだから、寂聴はもう忘れているかもしれないが、「私が死んだら、あなたは(私について)何を書いてもいいからね」とお墨付きをもらっている。勘ぐりすぎかもしれないが、これは皮肉屋、寂聴一流の「逆説」ではないかと思えてきた。
 菅新首相のお得意フレーズ「総合的、俯瞰的」を朝日新聞の「天声人語」が10月13日になって、取り上げていたがいかにも遅い。東京新聞では、9日の朝刊「こちら特報部」で、すでに詳しく分析しているし、TBSの金平茂紀キャスターも皮肉交じりに10日の「報道特集」で鋭く言及した。新聞のコラムニストもテレビのお笑いタレント並みに瞬時の反射神経がないと、やっていけない時代となった。

×月×日 山口謡司(大東文化大学教授)の『語感力事典』(笠間書院)に目を通した。擬音語や擬態語についての書籍はあるが、語感に関する本はあまり見たことはない。
 日本人は昔から清音を好む志向がある。「ゲー、バカ、ガチ、バグ、グズ、ゴミ、ババ」などのように濁音から始まる言葉には、下品さがにじんでいる。その理由は「日本語の仮名に、濁音を表すための専用の文字がない」からだと山口は書く。
 例えば「あ」という音は、万物の産み出す根元を意味するという。「あ」は漢字の「阿」から生まれた。阿吽(あうん)の「阿」で、東から上がる太陽に通じる。物事すべての始まりを意味し、「吽」は太陽が西に沈む終息をイメージする、とある。そういわれると、「あ」には「明るい朝が明けました」のように、新しい始まりを感じる語感がある。
 しかし最も大切なことは、普段から日本語の美しさに興味を抱き、感性を磨くことだ。自分の好きな言葉、嫌いな言葉を持って、きちんと言えるようになれば、自ずと語感力はついてくるだろう。言葉についての審美眼といってもいい。
 異性の好みのタイプは、人それぞれに違う。言葉の好き好きも人によって異なるのは当然だ。もちろん各人の個人的な趣味であり、正解があるようなものではない。

×月×日 [ノムさんのこと]⑦
 野村克也は現役を引退し、評論家としてメディアに登場するようになった。講演の依頼も多かった。テレビの解説はテレビ朝日と契約した。別に話すのは上手くない。もそもそとつぶやくような話し方で、決して聞き取りやすい方ではなかった。
 しかし、的確で鋭い指摘は大きな話題となった。「週刊朝日」でも「野村の目」の連載が始まった。担当した川村二郎によれば、現役のプロ野球のコーチ陣は、「野村の解説する実況を、ビデオに取っといてほしい」と家の人に頼む人が多かったという。リーグの別を問わず、どんな試合でも良かった。野村の解説は選手を指導する際に、「役に立つ」というのである。玄人受けしたのだ。
 今ではごく当たり前になったが、ストライクゾーンを縦横3つずつに9分割し、次の配給を予測し、打者の得意なゾーンや苦手の球質をテレビ画面に明示、説明した。NHKのメジャーリーグ中継では、ストライクゾーンの枠が明示されている。元は野村が「野村スコープ」として、開発したものだ。
 ヤクルトの監督になる前の評論家時代に、「今、受けてみたい投手は誰ですか」と野村に聞いたことがある。すると、鹿取義隆の名前を挙げた。確か、巨人から西武に移籍する直前のことだった。一時の勢いは衰えたものの、まだまだ活躍できると考えられていた。「先発完投主義」の藤田監督から重用されなかった、という事情もあり、実力がありながら低迷していた感じがあった。
 野村の手で、カムバックした選手は多く、再生工場と異名も受けたこともある。抑えに転向した江夏豊や巨人から移籍した山内新一投手。野手では、かなり後のことだが、30を過ぎ、戦力外と烙印を押されてから本塁打王になった山崎武(東北楽天)の例が有名だ。もし自分が捕手として鹿取をリードすれば、まだまだ新しい力を引出せると思ったのだろう。西武へトレードに出された鹿取は、巨人時代の45勝58セーブを上回る46勝73セーブを上げた。監督が捕手出身の森祇晶だったことも幸いした。
 ミステリー小説を論じるとき、「清張以前、清張以後」というキーワードがある。「松本清張が登場するまで、ミステリーは探偵小説と呼ばれていたが、清張の出現によって推理小説と呼ばれるようになった」と喝破したのは、確か阿刀田高だった。私にいわせれば、「携帯電話以前・以後」もミステリー評論の世界では極めて重要な因子だと思っているが、本稿から外れるので、また別の機会に。
 その謂いを借りれば、評論家、野村克也の出現は「野村以前、野村以後」というべきくらいに、野球を変えた。ただ「投げて打つ」時代から「考えて投げ、考えて打つ」時代になった。
 現役時代の野村のリードに関しては、さまざまな逸話がある。先ほどストライクゾーンを9分割と書いたが、実際は横がボール7個分、縦は個人差があるが、だいたい10個分。つまりボールで70個分に分けて、研究していた。将棋のようにすべて番号による符号がついている。投手には、外すボールでも、もう半個分という精度で要求した。3―1、3―2でも、平気でボールのサインを出した。
 ピンチになった時、ベストピッチを5球続けて要求された投手もいた。打者の裏をかくのが生きがいみたいなものだった。
 朝日新聞の運動部で、野球の強豪高校から大学野球でも活躍した野球担当記者が、息巻いていた。
「野村は同点の9回裏、二死満塁のカウント3―2の場面で、ボールを要求するんだ。これはもう野球じゃない」
 もし打者が見逃したら、負けてしまう。しかし、野村には成算があってのことだ。2―2では振らずに見逃すボール球でも、3―2だと振ってしまうことがある。これがバッティングの微妙なところで、人間心理の面白いところでもある。そのあたりの、読みの深さは群を抜いていた。
 長く近鉄の監督を務めた西本幸雄は、次のように、野村のリードを評価した。
「自軍の選手の欠点は監督が一番よく知っている。その欠点を野村は憎らしいほどに衝いてくる。阪急にいたころは、野村にいいようにやられた。ボールを打たされ、思う壺にはまった状態が何年も続いた。3―2から打つなと、いってようやく成功した」
 配球の傾向がワンパターンになり、相手に悟られたら、おしまいだ。裏をかいたつもりが、相手も同じように読んできたら、やられてしまう。「3―2からのボール球を見送られるようになったら、ストライクを投げるしかない。野村はコンビネーションが画一化しないよう、傾向というか癖を作らないことが重要だ、という。
 次回は、野村のリードの負の面を論じてみたい。(この項続く)=敬称略(2020,10,21)
◇次回の更新は11月4日の予定です
筆者紹介
◎重金敦之(しげかね あつゆき)1939年東京生まれ。編集者、大学教授を経て文芸ジャーナリスト。著書に『ソムリエ日本一・田崎真也物語』『食彩の文学事典』『すし屋の常識・非常識』『作家の食と酒と』など多数。間もなく『落語の行間 日本語の了見』が左右社から発売される。