その10 自国民を信じることが出来ない大統領の不幸

×月×日 左右社から刊行されたばかりの拙著『落語の行間 日本語の了見』のプロモーションで、落語家の春風亭昇吉と話をする。昇吉は日本で唯一の東大出身の落語家、来年5月には真打に昇進する予定だ。師匠は春風亭昇太。落語のほかにも、テレビ番組「プレバト」で俳句の才を見せていた。
 自身でも、『東大生に最も向かない職業―僕はなぜ落語家になったのか?』(2013年祥伝社)を出しているくらいで、かなりの読書家とお見受けした。気象予報士でもある。
 拙著の底流にある「どうでもいい」トリビアリズムを気に入ってもらえたのが、よかった。これからの人生は「どうでもいい」物事のなかから、「面白さ」を見つけようと考えていたのだが、「コロナ禍」はその目論見をすべて壊してしまった。人生の4コーナーを回った身には、貴重な残り時間なのに。
 昇吉との対談は「ユーチューブ」で見ることが出来る。
https://www.youtube.com/watch?v=4dHl5k1s5Qs&feature=youtu.be

×月×日 アメリカの大統領選挙が終わり、民主党のバイデン候補が勝利宣言をしたが、まだ共和党のトランプ現大統領は敗戦を認めていない。多くの日本人は、「トランプは潔くない」と感じているだろう。日本人が好きな「敗者の美学」が感じられないからだ。日本の伝統的な勝負事は柔道や剣道、相撲などに見られる「礼に始まって礼に終わる」のが基本だ。スポーツに限らず、将棋にしても同じだ。日本で生まれた競技以外にも、ラグビーには「ノーサイド」という言葉もあるし、テニスやボクシングにしても、試合が終われば握手をするのがマナーだ。テニスでは、相手選手や審判と握手を拒否すれば、多額の罰金が課せられる。
 アメリカでは「勝負事は最後の最後まで戦うもの」という文化がある、と説く人もいる。私が小さい頃はプロ野球の試合でも、試合前と試合後にはホームベースを挟んで整列し、お互いに礼を交わした。いつの頃からか、アメリカのメジャーリーグの影響を受けたのだろう、省略されてしまった。甲子園の高校野球で、礼を終えてからお互いに抱擁(ハグ)したり握手をする光景を見る。大差がついた試合などは、いささか「わざとらしさ」を感じるときがあるけれども。
 そうだ、トランプの振る舞いはプロレスに似ている。プロレスがスポーツかどうかは別にして、試合が終わったのか、まだ続いているのかよくわからない時がある。プロレスに詳しくはないが、ヒール(悪役)がさんざん悪態をつきながら、リングに上がらないまま退場していくようなものだろう。
 トランプは共和党の元下院議長の「これは盗まれた選挙だ」という発言をツイッターで引用している。「盗まれた」というのなら、必ず「盗んだ」人もいるはずで、同じアメリカ国民ということになる。大統領が自分の国の自治と国民を信用できなければ、そんな不幸なことはない。

×月×日 日本経済新聞の土曜日朝刊「詩歌・教養」ページに連載している出久根達郎の「書物(ホン)の身の上」が面白い。先日は「むっつり右門」で知られる『右門捕物帖』の佐々木味津三(1896~1934)を取り上げていた。
 味津三はたいへん波乱に満ちた人生を送った人で、極貧の時代もあったが、決して自分の本だけは売らなかった。「本を売る前に自殺する」と夫人にもらしていた。「本ほど安い物はない。後々まで残る」というのが持論だった。夫人が未刊の作品を集め、追悼の書を刊行した。
 出久根は次のように書く。
〈作家の追悼集を手にするたび思うのだが、どうして故人の蔵書目録を作製しないのだろう? 故人が生前どのような本を集め、読んだか、目録があると、作品の成り立ちや思想形成など、作家研究にすこぶる便利なのだが。特に味津三のような本好きの蔵書は見てみたい。作品は残っても、読んだ本は記録されず散逸し、はかなく消えてしまう。〉(20年10月17日)
 現在の住宅事情や古書の価格などを考えたら、「蔵書録」の作成はなかなか難儀な事業だということがわかる。恵まれたごく一部の作家のように、個人文学館のある人はまだいい。学者や物書きなど、没後残された蔵書の始末は、多くの人手と経費が掛かる。
 私も、複数の知人から相談を受けたことがあるが、なかなか良い手は見つからない。大学の図書館をはじめとして、各図書館は軒並み手狭となり、新規の受け入れを拒否しているのが実情だ。出久根の渇望する気持ちはよくわかるが、なかなか一筋縄ではいかない。

×月×日 [ノムさんのこと]⑨
 野村克也の南海監督時代は、優れた実績を残せなかった。作戦面はヘッドコーチのブレイザーに任せていた。1メートル77センチという小柄ながら、メジャーリーグで活躍した名二塁手のドン・ブラッシンゲームが本名だ。スコアボードには長すぎるので、ニックネームを登録名にした。
 決して派手なところはないが、クラブ捌きは芸術的でさえあった。難しい打球でも、凡ゴロのように捕る確かな技術があった。野村が兼任監督を引き受ける条件に、ブレイザーのヘッドコーチ就任を挙げたといわれる。日本のリトルベースボールの発展に貢献した人だ。
 鶴岡一人監督は、日本で初めてスコアラーを採用した。元毎日新聞の尾張久次である。それまではベンチでマネージャーがスコアブックを付けていたが、せいぜい起用を間違えないか確認する程度だった。同じヒット一本でも、得点機に打ったヒットか、勝負がついてから打ったのかによって価値は違う。
 次年度の契約交渉の際に、会社側が資料として用いるためだった、という見方もある。実際の交渉テーブルで使われたこともあったろうが、鶴岡が興味を抱いて、採用を主張した。尾張の綿密な記録を分析したのが、野村だった。ヤクルトの監督時代に提唱したID野球につながっていく。
 記録を活用することの価値が認められたことで、各チームとも次の試合の対戦相手の試合にスコラーを偵察に行かせた。川上哲治が先陣を切ったという説もある先乗りスコアラーだ。また今では禁止されたが、試合中は控え選手がネット裏で記録を取り、配球などを回ごとにベンチへ知らせたこともあった。今の記録を重視する野球のきっかけとなったのは、尾張久次であることに間違いはない。
 野村の鶴岡への愛と憎しみは、どこかで食い違ったからだろう。ある年の正月、正子夫人と鶴岡邸に年始の挨拶に行ったとき、二人は玄関先であしらわれ中に上げてもらえなかった。奥では明らかに、同僚たちが祝い酒を飲んでいた。
 ここでも、野村に松本清張の姿が重なってしまう。二人とも酒を飲まず、不愛想、話が弾むわけではない。面白いことを言って、座を笑わせるようなことはまずしない。
 清張がまだ朝日新聞の西部本社の広告局にいたころ、大学卒の幹部たちは、西部を踏み台にして二、三年で栄転していく。歓送会でのことだ。栄転する幹部はお銚子をもって、皆の前に行き、酒を注いで回っていた。清張の前に来た時、「あ、君はいいや」と言って隣の人に移っていった。清張の著作にある。
 似たような仕打ちだった。
 鶴岡親分と慕われ、鶴岡一家と言われたが、野村は一家の中に入れなかった。親分肌というのは、えこひいきと紙一重で、自分になついてくる子分は重用するが、なつかない外様とみなされた人間はどうしても蚊帳(かや)の外に置かれる。
 鶴岡は、ある年の日本シリーズで試合に出る見込みのない二軍の古参選手を登録したことがあった。第4戦までの入場料収入から選手に支払われる分配金を与える魂胆だった。今ではチームスタッフなど裏方の数も多いので、選手だけで分配されることはない(チームによって事情は異なる)が、当時は一人あたり百万円に満たない額にしても、貴重な「ボーナス」だった。この「温情」をどう解釈するかだ。
 一度、野村が「えこひいきして何がわるい」と開き直ったという記事があった。楽天の監督時代に、肩の弱い息子のカツノリ捕手をなぜ使うのか、と非難された時だ。他にも峰山高校出身のある投手を目にかけ、実力以上に重用したが一流になることはなかった。他チームの選手でも、同じ丹後出身の糸井嘉男(阪神)に期待をかけていた。何か機会があれば、引き立てようと考えていたフシが見られる。自分が過ごした貧しい故郷の生活の反動からか、同郷意識は強かった。
 鶴岡はベンチの雰囲気を大事にした。鶴岡自身が、負けていてもみんなを笑わそうとした。ムードメーカーというのか、宴会係というのか、そんな選手は一人いればいい。実力だけではなく、明るくなる選手をベンチに入れた。野村もそういう人員配置をした。
 亡くなる二年前に講談社から出版した『野村克也からの手紙』の鶴岡一人の項に「反旗を翻したこともないのに、なぜ私のことを嫌っていたのかわからないのです」と書かれている。「高卒の田舎者だったからなのか。私だけ阪急沿線に住んでいたのが気に入らなかったのか」と、ささいな心当たりをあれこれ思案しているが、もちろんわかるはずはない。
 後年、鶴岡は広瀬淑功や野村は、図太い神経をしているから、皆の前で「怒られ役」をやってもらった、といったらしい。ところが案に相違して、野村は人一倍、細やかな神経の持ち主で、繊細な神経だった。
 野村は、皮肉を込めて、「鶴岡さんの存在が、私に『考える野球』へのきっかけをあたえてくれたのです」と『手紙』に書いている。
 評論家の佐々木信也が、かつて鶴岡一人に「野村の良いところは、どこですか」と聞いたら、「自分の生活の場をあたえてくれているプロ野球界に対して、感謝の気持ちを忘れないことやな」と意外な返事が返ってきたという。
 『手紙』は次の言葉で結ばれている。
〈貴方に複雑な思いを今なお感じているわけですが、一方で私をテストで取ってくださった感謝もわすれてはおりません。感謝と憎しみ、正直、五分五分なのです。いつかそちらでお会いすることがあれば、お気持ちを聞いてみたいと思うのです。〉=この項続く 敬称略(2020,11,18)
◇次回の更新は12月2日の予定です

筆者紹介
◎重金敦之(しげかね あつゆき)1939年東京生まれ。編集者、大学教授を経て文芸ジャーナリスト。著書に『ソムリエ日本一・田崎真也物語』『食彩の文学事典』『すし屋の常識・非常識』『作家の食と酒と』など多数。『落語の行間 日本語の了見』(左右社)が好評発売中。