その13 コロナ禍とトランプ前大統領の晩節

×月×日 後輩の女性元記者から届いた年賀状に「世の中に対して、あまり怒らないようになさってください」とあった。そんなに怒っている自覚はないのだが、そう見られていたら、健康にも良くないし、反省するしかない。年齢を重ねると、ついつまらないことが気にかかり、イラついてしまうからかもしれない。なるべく静穏にして逼塞気味に暮らしている心積もりなのだが、まだ煩悩があるのか、憤るエネルギーは枯れていないようだ。
 もちろん、コロナ禍の影響もある。世の中の人の動きへの好奇心が無くなったら、ジャーナリストとしての生命は終わりだ。だとしたら、まだいくばくかの執筆意欲が残っているのかもしれない。いいことなのか、どうかはわからないけれども。

×月×日 コロナ疲れといわれるが、確かに世の中が少しギスギスしてきた気がする。DV(家庭内暴力)が増えているというニュースがあった。「コロナ鬱」ともいわれる。今までは何事もなく平穏に済んでいた街中での「営み」が、つまらない言葉の行き違いから、ギクシャクし、にらみあったりしている。
 スーパーなどでのレジ袋が廃止され、持参したマイバッグなどに詰めてくれる。ここでも、言い争っている人がいる。良かれ、と思って店員が詰めてくれているのに、人によってそれぞれの「流儀」があるから、気に入らないこともあるのだろう。
 少し我慢するなり、妥協すれば済むことなのだが、そのわずかな「忍耐」が出来ない。すべてがコロナのせいだとは言わないが、ゆとりがないというか、おおらかさが消えてしまった。「衣食足りて礼節を知る」という言葉があるが、肝心の衣食以前に大きな不安が存在するのだから、礼節や余裕(ゆとり)が生まれてくるはずもない。

×月×日 年中「冬眠」を強いられているような「巣ごもり」状態だから、本を読むしかない。テレビも再放送が多く、あまり「食指」ではない、チャンネルを選ぶ指が動かない。昨年の本では、小川荘六著『心友=素顔の井上ひさし』(作品社)を読んだ。
 著者の小川荘六さんは東京四谷の上智大学文学部外国語学科フランス語科で、井上ひさしさん(当時の本名は廈)と出会う。1956(昭和31)年4月のことだ。同期生は十数人の男ばかり。女子学生が上智大学に入学してくるのは58年からだった。井上さんは当初ドイツ語科に入り、休学して編入してきたので、いわゆる二浪だった。しかし高校時代からフランス語の授業を受けていたので、実力は仲間よりは抜きんでていた。当時の上智大学は今ほどの人気はなく、まだ無名といっても良かった。
 経済的に苦労した井上さんは、浅草フランス座の文芸部員や放送作家などの特別な収入源を持っていた。一般の学生のアルバイトとは別次元の仕事で、クラスメートの「親分格」だった。著者の家は横須賀の旧家で、モヤシを作っていた。家が広かったから、仲間はそこに入り浸り、「合宿」と称してマージャンに明け暮れる。
 著者の小川さんと井上さんは、「上智は、将来俺たちなんか絶対に入れなくなるほどレベルの高い大学になるよな」と話していた。
 本書は昭和30年代初期の大学青春物語であり、作家井上ひさしさんの知られざる一面に光を当てた、作家論でもある。読後、爽快感につつまれ、なにやら得をしたような気分になった。

×月×日 二度目の「非常事態宣言」が発出された。「発出」という言葉もなじみのない言葉だ。『朝日新聞の用語の手引き』にも載っていない。『広辞苑』には「あらわすこと。おこすこと。」とある。易しくいえば「表明する」「発令した」で、充分だ。いかにももっともらしくというか、おどろおどろして、権威を持たそうとしている。それだけ、実効性がないことを雄弁に物語っている。あまりにも遅すぎたという意見が大半だ。菅首相退陣論が取り沙汰され始めたが、後継者が見当たらない。どうなるのか。
 相変わらず「不要不急」という言葉が、盛んに用いられている。新型コロナウイルス騒動が始まった時からだから、かれこれ一年を迎えようとしている。
 話はいささか古くなるが、1941(昭和16)年、時局は、日米交渉を打ち切り、勝算のないまま12月8日太平洋戦争に突入する。この年の7月、厚生省は団体旅行や全国的競技会を中止した。国鉄は3等寝台車を廃止し、食堂車も制限した。「不要不急の旅行」は、遠慮するようにポスターなどで告知された。つまり戦時中から、精神的忍耐を強いるキャッチフレーズだった。
 このことは、昨年の12月に刊行された川本三郎さんの『『細雪』とその時代』(中央公論新社)にも紹介されている。
 川本さんはあい変わらず、さまざまな資料を博捜して、『細雪』の時代に肉薄した労作だ。『細雪』はまさに私が生まれた時代の物語だ。谷崎の豪奢趣味は目をみはるばかり。東京の日本橋の商家に生まれ、乳母日傘で育てられた幼少時の生活が大きく影響しているのだろう。このような小説を戦時中にひそかに執筆していたところがすごい。小泉信三の著書『海軍主計大尉・小泉新吉』にもあるが、物のない戦時中でも、一部の特権階級には許され、隠された「豊かな暮らし」があった。
 著者は、物語に登場するパーマネント、カメラ、チョコレート、ピアノ、アイススケート、映画などなど、細やかな昭和の暮らしのディテールを鮮烈に浮かび上がらせた。書架から『細雪』を取り出して、読み直す。

×月×日 柳家さん喬が朝日名人会で「牡丹燈籠」を一年がかりで、4回に分けて演じている。三遊亭円朝が作った話で、複雑な人間模様とドラマティックな展開が飽きさせない。題名からは、下駄の音が鳴るだけの怪談をイメージするかもしれないが、とんでもない。
 岩波文庫の『怪談 牡丹燈籠』を読み終えた。昔は寄席に15日連続で掛けられたこともあった。お客は毎日毎日15日間、通い続けるわけだ。まさに大人の紙芝居で、他に娯楽というべきものは、なにも無かった時代なればこそだ。結局、孝介の長編勧善懲悪物語なのも、当時の時代を物語っている。
 奥野信太郎の解説によると、円朝が『牡丹燈籠』を発表したのは、1884(明治17)年で、中国の明の時代に作られた『剪刀新話(せんとうしんとう)』に材を得たとされる。

×月×日 アメリカの民主主義は、最大の汚点を残した。トランプ前大統領の責任は重大だが、ここまで身の処し方を間違えると、悲惨、老残、「往生際が悪い」という言葉が浮かんでくる。日本だと「地位に恋々として」とか「未練がましい」、とか言われる。
 アメリカの二大政党政治を政党政治の理想とみる人は多い。しかし、かねてから心配していた民主主義の弱点が明るみに出たともいえる。それは民主主義の前提にある多数決の原理だ。根本に少数意見を尊重する考えがないと、多数決は成り立たない。しかし、今回のような接戦になるとなかなか理論通りにはいかなくなる。同数、もしくは僅差の場合、どうなるのか。
 一票でも多ければ「数の論理」だからと、片づけて良いものか。トランプ支持票は過半数には達しないが、決して少数意見ではない。今回のアメリカ大統領の選挙は、統計学上から考えても、微差の範疇だろう。
 どうしても、民主主義の弱点である「衆愚政治」という言葉が浮かんでくる。やはり、民主主義は数を分配するのに有効な手段だが、ものを創り出す作業には向いていない。(この項おわり)(2020,1,20)

◇次回の更新は2月3日の予定です。
筆者紹介
◎重金敦之(しげかね あつゆき)1939年東京生まれ。編集者、大学教授を経て文芸ジャーナリスト。著書に『ソムリエ日本一・田崎真也物語』『食彩の文学事典』『すし屋の常識・非常識』『作家の食と酒と』など多数。10月より最新刊『落語の行間 日本語の了見』(左右社)が好評発売中。