その15 書評は日本のジャーナリズムの捨て子である

×月×日 ライターでデザイナーや歌手としても活躍している平山亜佐子さん編著の『戦前尖端語辞典』(本体1800円)が左右社から出版された。
 尖端語という言葉はあまり聞きなれない。時代の最も新しい生活スタイルや風俗、若者同士の隠語など、新語、流行語の意味で用いている。大正8年から昭和15年にかけて出版された新語、流行語、隠語などの辞書を渉猟、博捜し、摘出して再編集したものだ。学生語や女学生、生活、思想、外来語などに分類してある。もちろん、現代にも生き残って、通用している言葉もあれば、とうの昔に消えてしまった言葉もある、文学作品や歌詞に登場し、かろうじて記憶にある場合もある。
 当時の女子学生の会話は、こんな具合だ。
<「ガッカリアイエン人」(結婚した級友)の「エル」(恋しい人)は、「羅漢様」(怠け者)だったんですって>
 ガッカリアイエンのアイエンは「合縁奇縁」の「合縁」から来たのではないかと、平山さんは推測する。「現代女学生隠し言葉辞典」(『少女画報』大正15年4月号)から採っているが、詳しい説明はないそうだ。
『時勢に後れぬ新時代用語辞典』(長岡規矩雄・磯部甲陽堂・昭和5年)から採った「エル」は、「Lover(恋人、愛する人)」の頭文字Lからきた。そういえば、戦前のヒット曲「酋長の娘」に「わたしのラバさん」とあった。これも「Lover」の最初の二文字を取ったものだ。
「羅漢様」は「働(はたら)かん」の「らかん」からきた。『新語新知識 附・常識辞典』(『キング』第10巻第1号付録・大日本雄弁会講談社・昭和9年)にあるそうだ。挿入された絵や漫画は当時の作品や新聞広告などから収集したり、漫画家の山田参助さんが新しく書き起こしている。当時の事象に同調して時代背景のイメージを明確にしている。

×月×日 作家で翻訳家の南條武則さんが「銀座百点」誌に連載していたコラム「酒の博物誌」がまとまって本になった。『酒と酒場の博物誌』(春陽堂書店・本体1700円)を読む。
 酒にまつわる古今東西の蘊蓄が込められている。これだけの文章をものするのは、並大抵の酒のみではない。日本酒のどぶろく、本直しはもとより、世界各国の醸造酒、蒸留酒、リキュール、カクテルに及ぶ。
 酒や食ベ物についての蘊蓄には、コレステロールと同じように善玉と悪玉の二通りがある。悪玉は自分の知識の広さと経験の豊富なことを自慢げにひけらかすだけで、読んでいても楽しくない。折角の酒がおいしくなくなってしまい、悪酔いする。
 著者は、相当強い肝臓をお持ちの上、足を踏み入れた酒場は、世界の僻地にまで及んでいる。単に万物の書を渉猟しただけではない、いずれも自分の舌とのどと、胃袋で咀嚼(そしゃく)、感知、体得したものだから説得力がある。さらに酒から離れた教養にも裏打ちされ、悪酔いはしない。
 著者の先生がさる店で酔っ払い、店の女将から「今日は飲み過ぎているから、ビールにしたらどうですか」とたしなめられた。
 先生は「馬鹿者!」と一喝して、「ビールの後にワインを飲むのは許されるが、ワインの後にビールを飲むのは許されない」と言い切る。立派だ。言っていることもよくわかる。私も同感だ。そして著者は次のようなドイツのことわざを付け加える。
 ビールのあとにワインは勧める
 ワインのあとにビールはやめとけ 
 大したものだ。著者もすごいが、くだんの先生もすごい。その夜、先生は水だけ飲んで、帰っていったそうだ。

×月×日 JR目黒駅と恵比寿駅の中間に位置する近頃評判のサエキ飯店で食事をする機会を得た。9席くらいのカウンターとテーブルが一つ。すべてシェフが一人でさばいている。今回の献立は次のような品だったが、日によって、食材も傾向も大きく違うらしい。
▽クエ(九絵)のスープ。▽トマトとトリッパの炒め。▽クエを厚く切った刺身にピーナッツオイル掛け。▽牛ひれ肉のフリット。▽蕪(かぶ)の餅と干し貝柱、葱のオイスターソース炒め。▽焼いた仔羊とジャガイモ。▽発酵白菜と豚バラ肉のスープ煮。▽高知の天然牡蠣の炊き込みご飯。▽ギアラ(牛の内臓、第四胃袋)の辛口細麺。
 個性的で、モダンではあるが、とんがったところがない。「蕪の餅」は、すりおろした蕪にかなりの量の細かい道明寺粉(もち米の粉)を加えたのだろう。
 根は広東料理にあるが、その枠から飛び出して世界を放浪した佐伯悠太郎シェフが創り上げた個性あふれる料理だ。なかなか予約が取れないというのも、よくわかる。ジョージア(グルジア)のワインにほれ込んでいると聞いたが、今回は試みなかった。もちろん、中国酒もそろっている。

[書評について]その②
×月×日 現在ほとんどの新聞各紙の書評は、委員会と称して評者が定期的に集まって、取り上げる本を選定している。このスタイルを最初に確立したのは「週刊朝日」だった。
 昭和26年2月4日号から「週刊図書館」が始まった。スペースは見開きの2ページ。まだ用紙は不足し、全体で50数ページしかない時代だから、かなり優遇というか、力(りき)が入っていることがわかる。表紙にも「書評欄新設」の文字が刷りこまれている。「開館のあいさつ」が次のように記されている。
<本号より「週刊図書館」を開設いたします。この欄の執筆者は、四氏いずれも著名な文化ジャーナリストです。本欄の狙いはつぎの通りです。
 一、とりあげる本は小説、一般教養書、家庭、児童読物等。
 一、いちいち買わなくても済むような忠実なダイジェストを行う。
 一、小さいが、良心的な出版の発掘につとめる。
 一、よく売れてる本、問題の本をとりあげる。
 一、毎月二回まず筆者と編集部が持ちよってとりあげる本を定める。
 以上です。なお、編集部に対し本を寄贈される方がありますが、必ずしもとりあげるというわけではありませんので御諒承下さい。編集部>
 第1回に取り上げた本は、横山泰三の『泰三漫畫』(真珠社)、『劇場』(サマセット・モーム著、龍口直太郎訳。三笠書房)、『公爵 近衞文麿』(立野信之・講談社)の三冊。評者は匿名で、SUN・A氏が横山泰三とモーム、SUN・C氏が立野信之を担当している。「著者の横顔」と題し、顔写真と160字くらいの紹介文が載っている。相当の分量だ。「あいさつ」には4氏と書かれているが、名は明かされていない。
 2週後の2月18日号「読者と編集者」欄に読者からの投稿が2編掲載されている。
 ①これが忠実なダイジェストであるのかどうかは、これから先を読まなくては早急に云々は出来ないが、「泰三漫畫」の場合、サーパーの凸版の一つ、スタインバーグのものを小さくともよいから出してほしかったし、「近衞文麿」は単なるブックレビューで買わなくともすむのは「劇場」ぐらいのものだと思った。むつかしい仕事だからわれわれは気長に待つけれどもどうか失望させないでほしい。
 ②あいさつも実に気に入ったが、館の内容も著者の横顔も、まことに至れりつくせりだ。書籍の満足に買えないわれわれにとって、ダイジェスト評は有難いが、同時に実物が読みたくなるから嬉しくて困る。良書出版の機運を助成せられんことを望む。
 読者から期待されている様子が見て取れる。
 この1年前、昭和25年2月16日の朝日新聞の4面(当時は4ページ建てで、夕刊はまだなかった)の「読書」ページに評論家の浦松佐美太郎(1901~1981)が「書評論」という原稿を寄せた。「書評は日本のジャーナリズムの捨て子である」という文章から始まっている。「週刊図書館」のタイトルを考えたのは、この浦松佐美太郎だった。=この項続く(2020,2.17)
◇次回の更新は3月3日の予定です。
筆者紹介
◎重金敦之(しげかね あつゆき)1939年東京生まれ。編集者、大学教授を経て文芸ジャーナリスト。著書に『ソムリエ日本一・田崎真也物語』『食彩の文学事典』『すし屋の常識・非常識』『作家の食と酒と』など多数。昨年10月の新刊『落語の行間 日本語の了見』(左右社)が好評発売中。