その16 書評は文明批評であり、面白い読み物でなくてはならない(浦松佐美太郎)

×月×日 ノムさんこと野村克也(1935~2020)が亡くなって一年が経過した。大阪難波の大阪球場跡地の「なんばパークス」にある「南海ホークスメモリアルギャラリー」にノムさんのユニホームなど関連する遺品が展示されることになった。以前に紹介した南海監督解任騒動(1977)以来、球団の親会社と野村克也は絶縁関係となり、関連した展示は一点もなかった。鶴岡一人(1916~2000)の死後、お互いに歩み寄る「和解」の動きが出てきた。かつて南海時代にバッテリーを組んだ江本孟紀氏が発起人となりクラウドファンディングで約4300万円の資金を集めた。
 それはともかく、スポーツ紙やNHKテレビでも、「ノムさんの遺したもの」という特集を組み、多くの人がその功績を称え人柄を偲んだ。プロスポーツ界では稀有なことだ。没後一年の節目にこれほど取り上げられる人は、ちょっと思い浮かばない。折しも、田中将大投手が東北楽天イーグルスに復帰するタイミングと重なったこともある。
 また星海社新書から『弱い男』(発行=星海社、発売=講談社)という亡くなる直前に取材したインタビューをまとめた書が刊行された。沙知代夫人に先立たれ、世の中の全てになんの興味もなくなり、寂しい、寂しいとぼやきまくってる。「老い」「孤独」「弱さ」といった老残の姿を隠さず吐露している。
 よく「妻に先立たれると、男は何もできなくなる」といわれるが、まさにその通りの図式が見て取れる。野球のことしか頭になかったノムさんの最晩年の姿がある。「捕手は最悪の事態を考える」とよく言っていたが、どうしても楽天的に物事を考えられないようだ。自分自身の生き方についても同様で本書を読むと、ペシミステックというか悲観論者の姿が現れる。
 しかし、誰もノムさんのことを「不幸な人」とは思わないだろう。一生を充実して過ごした人だった。ノムさんが好んだ箴言(しんげん)を一つ紹介しておく。日蓮の教えにあるそうだ。
  希望に起き  努力に生き  感謝に眠る

×月×日 玉村豊男さんの『明けゆく毎日を最後の日と思え』(発行=天夢人、発売=山と渓谷社)を読む。
 玉村さんは才能ある人だ。フランス語を能くし、最近もブリア・サバランの名著『美味礼賛』の新訳を中公文庫で出したばかり。絵の才能は父親の玉村方久斗画伯(1893~1951)のDNAを受け継ぎ、プロの画家として認められている。その昔、京都を旅した折に市立美術館で方久斗画伯の絵を鑑賞したことがある。前衛日本画家で横山大観とソリが合わなかったといわれる。
 玉村さんが長野の東御市でワイン工房を経営し、日本産ワインの普及に努めた功績はもっと評価されてしかるべきだ。こういう人をマルチタレントというのだろう。
 書名は、古代ローマ時代の詩人、ホラティウスの書簡詩から採った。いつ死んでもおかしくないと思うようになってから、毎朝思い起こす言葉だという。
<ときに父親譲りの野党精神が頭をもたげて政治や社会に文句を言いたくなることがあっても、声高に主張はせず、論争からは身を遠ざけ、ひとり横を向いて小言をつぶやく、そんな隠居にわたしはなりたい。>
 まったく同感だ。1945年生まれだから、ノムさんや私よりもだいぶ若い。「若隠居」という言葉があるが、このご時世、なにが起こるかわからない。玉村さんは、エッセイストという肩書に執着する。エッセイは、「嘘を書かない」という立場だ。潔い。小説は創作だから、どうしても「嘘」が入る。しかし、編集者の立場からすると、玉村さんに小説を書かせたかった。私の心残りといってもいい。

[書評について 承前]その③
×月×日 冒頭に「書評は日本のジャーナリズムの捨て子である」と始まった浦松佐美太郎の「書評論」(朝日新聞昭和25年2月16日付)は、「ときどきは思い出したように、あつちこつちで拾われて、育てられたこともあるが、すぐ飽きられて、また捨てられている」と続く。日本のジャーナリズムは海外で育てられたものはすべて手掛けているが、書評だけは、独り立ちして歩けるようになるまで養い、育てることができなかった、というのだ。
 その理由はどこにあるのか。「書評は難しかったからではないか」と浦松は書く。評者は著者と同じ専門分野の場合が多かった。専門を権威と思い違えるのは、日本人の特性だからだという。そして評者は同じ分野の著者に対して対話しているような筆致になる。一冊の本をはさんで専門家二人が時候の挨拶を交わしているような書評が多い。これでは、肝心の読者が置き去られ、読んで面白いわけがない。
 挨拶からは本当の批判は生まれない。日本では、批判がなかなか理解されない風土がある。批判は悪口と思われ、批評されるとすぐにいきり立つ人が多い。となれば、評者は自分立場を安全なところに置いて、適当にあしらいつつ自分の権威を示そうとするか、自分の保身と利益を考えて「仲間褒め」に徹するかだ。
 結果として書評はつまらないものとなり、読者の支持を受けることなく「ジャーナリズムの捨て子」となった、というのが浦松の論旨だ。
 その解決策として、浦松は「読者の立場で本を読む。つまり読者に代わって本を読むことが肝要だと主張する。書評はあくまでも読者のためのもので、「取り上げた本は読むに値する本ですよ」と伝えるのが書評だという。そのためには「読み方」の方法というか、「コツ」を述べることもあるし、さらに類書や参考になる既刊書に触れる場合もあろう。
 著者の「人物論」は全く必要がないと、断言している。評者がいかに著者と親しいかを誇示するような書評は論外だ。
 さらに浦松は書評自体が「読み物として面白くなくてはならない」という。書評も文学の一分野を占めるような立派なものに成長させたい。書評は文明批評であり、ジャーナリズムの上で需要な役割を果たすように成長させたい。この捨て子を何とか育て上げたい、と力を込めて言う。
 同じ紙面の「書評論」のすぐ横に植草甚一(1918~1979)が「米国ジャーナリズムにおけるブック・レヴュー」という一文を寄せている。要旨は次の通り。
〇アメリカでは、新刊が発売される約3か月前からスケジュールが発表され、宣伝合戦が繰り広げられる。それは映画の公開と似ている。
〇一般読者の多くは、ブック・レヴューを参考にして本を購入する。ニューヨーク・タイムズ紙の日曜特集版「ブック。レヴュー」、ヘラルド・トリビューン紙の日曜特集版「ウイークリイ・ブック・レヴュー」の二紙が「精神的セールスマン」として影響力が最も大きい。
〇ほかにも週刊紙「ニュー・リパブリック」や「ネーション」といった媒体もあるが、いずれも読者を啓発し、それ自身で生きていると思われる。
 浦松佐美太郎(1901~1981)とはいかなる人物だったのか。戦前に東京商科大(現一橋大)卒業後、イギリスへ留学し、近代登山に出会った。高校時代に『たった一人の山』(1941)を読んだ記憶がある。もちろん戦後に改定された新版だ。山岳作家、ジャーナリスト、評論家として活躍した。
 前回に記した「週刊図書館」スタート時の4人の同人というのは、臼井吉見(1905~1987)、浦松佐美太郎、河盛好蔵(1902~2000)、坂西志保(1896~1976)だった。この項続く(2020,3.3)

◇次回の更新は3月17日の予定です。
筆者紹介
◎重金敦之(しげかね あつゆき)1939年東京生まれ。編集者、大学教授を経て文芸ジャーナリスト。著書に『ソムリエ日本一・田崎真也物語』『食彩の文学事典』『すし屋の常識・非常識』『作家の食と酒と』など多数。昨年10月の新刊『落語の行間 日本語の了見』(左右社)が好評発売中。