その18 チーズ、トマト、パスタが入った「洋風ちゃんこ」

×月×日 本来大阪で行われるはずだった大相撲春場所は、照ノ富士が賜杯と大関復帰を手にした。関脇の高安は初優勝の重圧に負けたのか、終盤で失速してしまった。番付でも実力でも勝って当然の相手に取りこぼしを重ねたのが痛い。精神面での成長が無いと、優勝の夢は遠のく一方だろう。
 それはともかく最近はアスリートが大学院に行くケースをよく目にする。大相撲の世界でいうと、元横綱日馬富士のダワーニャミーン・ビャンバドルジさんは横綱在位中に法政大学大学院政策創造研究科に入学したが転学し、今春になって城西国際大学大学院国際教育センターで修士の資格を取った。先場所優勝した小結の大栄翔(追手風部屋)は日本大学大学院総合社会情報研究科でファミリービジネスを研究している。
 第一線を退いてから学究の道に入り、後進の指導に役立てようと考える人も多い。荒磯親方(元横綱・稀勢の里)は早稲田大学大学院スポーツ科学研究所修士課程を終了した。日経新聞の記事によると、提出した修士論文のテーマは「新しい相撲部屋経営のあり方」で、平田竹男教授の指導を受けた。昨年引退した安治川親方(元関脇・安美錦)も、同じ平田教授の指導を受けている。平田教授は野球の桑田真澄巨人コーチやテニスの伊達公子さんらも指導した。
 古いしきたりの残る相撲部屋の改革には、さまざまな科学的アプローチが考えられる。力士たちの食生活には、合理的な面もあるのだろうが、改善の余地が多々あるに違いない。多くの部屋では朝起きると、何も食べずに土俵へ降りる。稽古が終わってから「ちゃんこ」を食べて昼寝するのが共通している日常のルーティンだ。
 荒磯親方は「何も食べずに練習するスポーツは、相撲以外にはない。激しい練習前にたんぱく質を補給し、稽古後にもまた食事をする方が良い」という。「ちゃんこ」はバランスの取れた最高の食事だが、最近ではチーズやトマト、パスタなどを入れた洋風ちゃんこも用意するそうだ。若い人の好みに合わせたのだろう。
 照ノ富士の優勝の陰で、鶴竜がついに引退した。となると気になるのが白鵬の進退だ。白鵬は相撲をスポーツとしてしか考えられないようだ。日本の大相撲を支えてきた「横綱の美学」は、残念ながら異邦人には理解できなかったということだろう。横綱は休場が続いても降級がないのは、ただ身分を保障するだけではない。さまざまな権威と責任を伴うのだ。
 NHK解説者の元横綱、北の富士勝昭さんが「ものすごいブーイング覚悟で言います」とか、同じく元小結の舞の海秀平さんが「袋叩きになるのを承知で苦言」と予防線を張って、「白鵬よ、引退せよ」と、糾弾の狼煙を上げたのは、やむにやまれぬ思いが有ったからだろう。相撲協会や横綱審議委員会(横審)が無力なのは、なんとも腹立たしい限りだ。横審が、白鵬の意を汲んで7月場所まで進退を先送りしたのは、「弱腰」以外の何物でもない。NHKももっと意見を主張するべきだ。問題になった白鵬の万歳三唱や三本締めもNHKのアナウンサーがもう少し機転を利かしていれば、防げた愚挙だった。

×月×日 日が暮れて間もなく、宮城県沖を震源とするマグニチュード6.9の地震があり、津波注意報が発表された。NHKのテレビは、各地の情報を放送している。各地方の「道の駅」従業員とか、行政のしかるべき人を探し出して電話を掛けまくっている。「発生時はどんな状況でしたか」、とか「いま困っていることはありますか」などと聞いて、切るときは「お忙しいところ有難うございました」と繰り返している。
「お忙しいところ」かなあ。日本語には「お取込み中」という適切で美しい言葉がある。「お取込み中のところ、お邪魔いたしました」となぜ出てこないのだろう。
『広辞苑⑦』で「取り込み」を引くと「急なできごとなどで、ごたごたすること」とある。ディレクターだかデスクだか知らないが、脇にいてチェックする人が、一言メモを渡せばすむことだ。ちょっとした言葉遣いが緊迫感を生み、優しい思いやりが通じるのにと思う。NHKも「お取込み中」だったから、いたしかたないか。

[書評について]その⑤
×月×日 承前。昭和30年代の「週刊図書館」の誌面に、取り上げた書籍の著者の略歴が60字ほどで紹介され、顔写真が載っている。12丸といわれる直径が12バイ(約22ミリ)の小さな丸い写真だ。バイというのは、昔の扁平な新聞活字、一字分の縦の長さ。横は1.25バイだった。インチで言うと、1バイは1000分の88インチ。
 こんな逸話が残っている。当時の編集長、扇谷正造(1913~1992)は「著者の最も新しい写真を載せろ」と厳命し、調査部(資料室)にある保存写真ではなく、わざわざ出版写真部員を撮影に赴かせたという。コストパフォーマンスを考えたら、まったく割の合わない仕事だ。当時はまだ写真機が普及していなかったとはいえ、今ならスマホを取り出して「カシャ!」で済む。「顔写真をメールで送れ」といわれて送ることもごく日常茶飯に行われている。それだけ、扇谷正造が「週刊図書館」に熱意を持っていたということでもある。
 昭和47年から書評委員に丸谷才一(1925~2012)が加わった。丸谷は、書評に並々ならぬ熱意が有り、一家言を持っていた。平安朝の詩歌からミシュランガイド、辞書まで取り上げる守備範囲の広さは、余人には真似できない。書評は「買い物案内」と言い切るのは潔いが、年末になると、手帳の類まで枠を広げたのは、「調子に乗りすぎ」というもので、書評の枠を超えている。
 この人は自分の性格について「あまり頭(づ)が低いたちではない」と自認している。謙虚、遠慮、低姿勢とは縁遠い人だ。自分と波長の合う人たちを周りに置きたがる。野村克也のいう投手型人間と捕手型人間に分類するならば、典型的な投手型のタイプだ。
 河盛好蔵の説と、断っているが、戦前の書評で最もすぐれている例として、堀口大學(1892~1981)の訳詩集『月下の一群』を佐藤春夫(1892~1964)が評したものとしている。座談会で同席した河盛から教示を受けたらしい。
 佐藤春夫全集には、「訳詩集『月下の一群』―その著者堀口大學に與ふ」として収録されている。初出は東京朝日新聞の大正14年10月11日。発表当時の総題は「新著週報」。大正時代から「書評」が有ったことを物語る。
 佐藤と堀口は幼いころからの友人で、ともに慶應大学の文科に学んでいる。丸谷は、佐藤春夫の書評が訳者に対する書簡形式で述べられている点に着目し、次のように述べる。
<本の話をするにはやはりそれだけの仲でなければならない。あの本のかういう所がじつにいいとか、ああいふことを口に出す以上これこれしかじかのことも考慮に入れなくちやあとか、何々といふ言葉の使い方はまことに当を得てゐるとか、そんな、閑談と言へばたしかに閑談にすぎない話に興じるには、書巻の気を好む、気心が知れた相手との席であることが必要である。>
(『春も秋も本! 週刊図書館40年(昭和26年―44年)』朝日新聞社)
 これは、浦松佐美太郎の言う「一冊の本を中にして、二人の専門家があいさつをかわしているようなもの」ではあるまいか。浦松がいうところの「読者を向いていないつまらない書評」ということになる。丸谷はさらに敷衍して、戦前には「書評を楽しむ共同体はあり得なかったのである」と言い切る。浦松佐美太郎という人は、圭角が取れないというか、攻撃的なタイプで、書物の欠点を見つけると舌鋒鋭く責め立てる。
 おそらく丸谷は気心が知れたサロンを作りたかったのだろう。文芸評論家の向井敏(1930~2002)や東北出身つながりで、意のままに動かせる評論家などを呼び寄せたものと考えられる。いつの間にか座長格になっていた。月に2回行われる書評委員会は、本と評者の選定などを決めるのだが、一種のモニター会議であり、新しいプランが生まれる「企画会議」の意味もあった。今をはやりの「第三者委員会」であり「諮問会議」でもある。
 これは会議に毎回出席する担当副編集長の能力と人間性にもよるが、委員会のメンバー(とりわけ座長格の丸谷才一)の意向を忖度、勘案してすべてを委ねるというか丸投げに近い立場をとる人が出てくる。自分自身のアンテナやブレーンを持たず、企画力に欠ける副編集長だと頼るのは書評委員会しかないから、一種の「権益」としてしがみつく。
 拙著『編集者の食と酒と』(左右社)にも書いたが、編集者と社外寄稿家(作家、写真家、画家、漫画家など)の距離の取り方は実に難しい。執筆者の懐(ふところ)に飛び込む度胸が必要なこともあろう。しかし飛び込んだはいいが、相手に取り込まれて番頭というかマネージャーのような役割をする編集者もいる。
 メンバーが固定して長くなれば、どうしても水は濁る。書評委員も、すべ丸谷好みの本を選び、丸谷に褒められようとする原稿を書いた。観客(読者)に向かって芝居をするのではなく、座長の方を向いて演技するようになった。
 この項続く(2020,3.31)
◇次回の更新は4月14日の予定です。
筆者紹介
◎重金敦之(しげかね あつゆき)1939年東京生まれ。編集者、大学教授を経て文芸ジャーナリスト。著書に『ソムリエ日本一・田崎真也物語』『食彩の文学事典』『すし屋の常識・非常識』『作家の食と酒と』など多数。昨年10月の新刊『落語の行間 日本語の了見』(左右社)が好評発売中。