その20 IOCと米巨大メディアグループの魑魅魍魎

×月×日 コロナワクチン接種の予約日がようやく3週間後に決まった。打ち終わるまでは安心できないけれども。高齢者の優遇枠のおかげだ。北野武氏は、町の中を飛び回っている若者へ先に接種したらどうだ、という意見らしい。これも一理あるだろうが、接種の段取り、進行を考えると、私が住んでいる地域のシステムがスムーズに流れるのではないか。ほどよい予行演習(もちろん本番だが)になっている。若者を先にするとなると、多くの難点が生じるだろう。ようやく慣れて、これからという時には、収束しているかもしれない。
 いや。ウイルスは時間とともに変位し、新株が増えるので、これから数年はワクチンを接種し続けなくてはいけない、という意見もあるそうだ。いやはや。

×月×日 「サンデー毎日」の書評コラム「本のある日々」で村松友視さん(「視」は「示」偏に「見」)が、拙著『落語の行間 日本語の了見』(左右社)を取り上げていただいた。感謝の念を込めて、僅かばかりを引用する失礼をお許しいただきたい。
<落語の中にうごめき、現代というご時世の中で泡沫(うたかた)のごとく消えかねぬ言葉の価値を独特の語り口で深くえぐり、落語に映し込まれた言葉の妙味をよみがえらせてくれる。(略)
 落語に登場するしたたかで厄介な言葉に狙いをつけ、そこに小さな穴から伸縮自在の管をさし込んで、その先端につけた内視鏡がとらえる言葉の内臓のけしきと戯れつつ、落語がはらむ宿痾(しゅくあ)の病巣とも贅沢(ぜいたく)な財産とも言えるエキスを摘出するかのごとき解剖の手さばきに、私は心をもっていかれた。>(21年5月2日号)
 ここまで過賞な言葉を頂戴するとは、著者にとっては身に余る光栄、冥加に尽きるというものである。

×月×日 無観客を予定しているオリンピック開催に堂々と中止論が出てきた。ごく当たり前の常識論さえも、口に出して言えない社会はどこかおかしい。もちろん床屋とか居酒屋で、お客や従業員が口角泡を飛ばすのと、しかるべき政治の要職にある人の発言の重みは違う。
 もし中止になったとしても、世界中の人の納得は得られるだろう。ひたすらオリンピックを目指して練習してきた選手たちには同情するが、人の命に代えられない。もし中止にしたら、経費をどう補填するのか。「天災」の一つと考え、国民の協力を仰ぐしか手立てはないだろう。政府の責任、と指弾する考えも分からないではないが、言うだけ番長ではない、言うだけ野党の説得力の無さが目立つだけだ。
 最大のイベント仕掛け人であるIOC(国際オリンピック委員会)と「放映権の元締め」であるNBCアメリカ(アメリカの三大テレビネットワークの一つ。世界的なメディアグループ)の二者は、損をしない構図になっているに違いない。ここは「鬼の平蔵」こと長谷川平蔵にでも出張(ば)ってもらわなければ。
 第三次緊急事態宣言も、IOC委員長の来日に合わせて日程を繰り上げたようだ。専門家の意向を無視しての「暴挙」ではないか。菅首相という人は、自分の言葉を持ち合わせていないのも困るけど、意固地というのか、専門家の意見を聞かないのはもっと困る。時によっては独断専行する必要もあろうが、ここまでズレまくると、誰も信頼しなくなってしまう。
 安倍前首相は、この有り様を見て「やはり私が再登板しないと……」などと思いかねない。どうする?

×月×日 どうも歯の調子が良くないので行きつけの歯医者の診断を受けた。「歯周病の発作ですね。身体が疲れたりすると、痛くなることがよくあります」ということで、鎮痛剤としてカロナール、化膿止めに抗生物質のビクシリンが調合された。初めて飲む薬だった。カロナールの効能はロキソニンに似ているが、成分は異なる。あまり強くなく副反応も少ないという。
 翌日から発疹が身体中に出てきて、顔まで真っ赤。平熱は5度台なのに7度9分まで上がり、ひどい目に遭った。どうも鎮痛剤ではなく、ビクシリンが悪さを働いたらしい。もちろん酒も控えて食欲もない。「疲れ」っていうけど、「巣ごもり疲れ」しか、考えられない。
 年を取ると、今まで何の異常も感じなかった薬でも、突然副作用が出ることもあるそうだ。やはり「加齢」というのは、実に厄介至極だ。抗生物質の薬害には、数年ほど前にも大いに悩まされた経験がある。採血して詳しい検査をすることした。

×月×日 朝日名人会。初っ端は柳家花緑の四番弟子、二つ目の柳家花いちの「だくだく」からだった。珍しいことにすぐ続いて師匠、花緑が「明烏(あけがらす)」を演じたから、文字通りの前座になる。花緑は弟子のすぐ後に演(や)るのは、「実に不思議な気分」とぼやきが入った。10人いる弟子の中で、「花いちは、最もこういう舞台に向いていない」と遠慮だか言い訳だかわからないことをしゃべっていた。
 柳亭市馬の「万金丹」、トリが古今亭志ん駒の「宗珉の滝」と、地方ネタが2席でお開きとなった。笑うのは、免疫力アップに効果があるそうだ。みんなでのんびりと楽語を楽しめる会は、いつ復活するのだろう。

[書評について]その⑦
×月×日 書評なるものに私が最初にかかわったのは、今から60年も前、大学で新聞を作っていた時だ。まだ右も左もわからない新入生だった夏で、慶應義塾大学法学部の峯村光郎教授(1906~1978)の新刊を早稲田大学法学部の野村平爾教授(1902~1979)に書評をお願いしろと先輩から言われた。まだ専門科目の講義なんか聞いたことはない。峯村光郎は、現在は存在しないが公労委(公共企業体等労働委員会)会長として、新聞などに写真も出ていたから、名前だけは知っていた。野村平爾教授は聞いたこともなかった。二人とも労働法が専門で、良いライバル関係にあるのだと、教えられた。
 私とは一つか二つしか年が違わない先輩だったが、たいしたものだと感心した記憶がある。またジャーナリストというのは、広い分野に好奇心を持たなくてはいけないものだと理解した。野村教授から快諾を受け、夏の暑い日にご自宅まで原稿を取りに伺った。確か小田急の沿線だったはずだが、なぜか下駄をはいて訪ねた記憶がある。なにゆえ、そんな奇喬な恰好をしたのか。いま思い起こしても恥ずかしい限りだが、若気の至り以外の何物でもない。
 中学時代の国語の教師が「書評は八分(ぶ)くらい褒めて、二分は貶(けな)すもの」と授業で言っていたのを思い出した。「週刊図書館」の初期は、攻撃的な書評が多かった。評者と著者の間で論争になったこともある。浦松佐美太郎の影響が強かったのだろが、そのうち「護送船団方式」ではないが、世の中すべてに「仲よしクラブ」的な雰囲気が強くなった。マスメディアの発達というか大衆文化全盛の時代になり、書籍の貴重性が薄れたこともある。紙の統制がなくなり、出版点数と発行部数が伸びていった。
 書評をする人も多様化し、新聞の書評面でさえ首を傾げたくなる原稿も見受けられる。ちょっと古いが渡辺淳一(1933~2014)のベストセラー『失楽園』(講談社1997)を取り上げた朝日新聞の書評はひどかった。
 評者は朝日新聞社会部出身の河谷史夫編集委員。「新聞で最も読まれないのは小説と社説」と自虐的に説明しながら、日本経済新聞に連載された『失楽園』を徹底的に揶揄している。観光案内、ファッション本、ときて「性愛紋切り型辞典を繰る趣であった」と決めつけた。
 著者の渡辺淳一も、<これがファッション本というのなら、谷崎さんの『細雪』は大豪華ファッション小説となる。源氏物語はどうなるのか。小説への批評らしい批評は一言もない>(「週刊現代」1997年6月7日号 連載エッセイ「風のように」)と怒りまくった。文化部を通して、評者に話を聞きたい、といっても逃げ回っているという。
 評者の頭の中には、「政界失楽園」などと流行語となり、社会現象までになった「失楽園ブーム」を、からかうことしか頭になかったのだろう。文学についても詳しいある社会部のOBは、「今ではこれを書評というのかね。小説なんか読んだことのない事件記者の雑感風記事で、『雑感』にすらなっていない」と顔をしかめた。
 松本清張(1909~1992)から、「どうして私の本を書評で取り上げないのか?」と尋ねられたこともある。「もう先生は、押しも押されぬ大作家ですから、今さら書評でもないでしょう」と、やんわり断ったつもりだが、「なんで僕の本を取り上げないんだ。僕よりつまらない作品を取り上げて……。別に褒めてくれなくてもいい。批判されてもいいんだ。無視されるのが面白くない」となかなか引き下がらない。話しているうちに怒りが込み上げてきたのか、目つきが鋭くなりタバコを持つ手が震えてきた。
 確かに、喜寿を過ぎてなお大流行作家として、次から次へと新刊を出していくエネルギーは素晴らしい。しかし最盛期のように、人間の闇や社会の不合理に鋭く切り込む問題作が晩年には少なくなっていたのも事実だ。やはり「反骨の人」で「僻(ひが)みの人」だから、他の作家が取り上げられる一方で、自分が無視されるのは許せないのだ。同年代の作家はほとんど隠居同然に遊んでいるけど、「俺はまだ現役だ」という確たる信念と意欲は誰にも負けなかった。
「みんな書けなくなったから隠居しているのだ。僕はまだまだ小説を書ける」
 80を超えてからでも、「週刊文春」に小説を書いていた。まさに稀有の作家だった。
 熱意にほだされたわけではないが、短篇小説集『草の径』が文藝春秋から出版された時、評論家の秋山駿(1930~2013)に相談して、「週刊図書館」に取り上げてもらった。杉浦明平(1913~2001)の『なつかしい大正』(福武書店)との二本立てだった。
 見出しは、「いまだ衰えず 乱世を生きた老大家二人の骨太リアリズム」とある。
<作家の晩年とは面白いものだ。彼(松本)は、文学修業以前の、少年期の憧憬へと還ってゆく。異国情趣と華やかな文化の謎、そういう少年の憧憬を、(ここがいくらか自己矛盾だが)骨太のリアリズムで黒々と描いている>(「週刊朝日」91年9月13日号)
 松本が喜んだことは言うまでもない。視力の衰えた目を刷りだしに近づけ、一言ひとことに頷くよう読んでいた。亡くなる一年ほど前のことになる。今考えてみると、私の最後の功徳だったかもしれない。この項続く(2020,4.28)

◇次回の更新は5月12日の予定です
筆者紹介
◎重金敦之(しげかね あつゆき)1939年東京生まれ。編集者、大学教授を経て文芸ジャーナリスト。著書に『ソムリエ日本一・田崎真也物語』『食彩の文学事典』『すし屋の常識・非常識』『作家の食と酒と』など多数。昨年10月の新刊『落語の行間 日本語の了見』(左右社)が好評発売中。