その9 『落語の行間 日本語の了見』

×月×日 「小説新潮」の編集長を長く務めた元新潮社取締役、川野黎子さんが亡くなった。享年89。私が最初にお目にかかったのは、森村誠一さんを囲む編集者の集いだった。
 その後、池波正太郎さんを通じても交誼を頂いた。まだ医大の学生だった渡辺淳一さんのデビューにも関わっている。
 今では女性の中間小説誌の編集長といっても珍しくはないが、川野さんの時代は奇異に映ったのか、新聞の「人」欄に取り上げられた記憶がある。
 私が長年在籍した「週刊朝日」編集部から図書編集部へ異動になった際は、「雑誌への愛着があるでしょうけれども、書籍の編集もなかなか良いものよ」と慰めていただいた。傍(はた)からは、よほど落ち込んでいるように見えたのかもしれない。ご自身も「小説新潮」から校閲部長に異動になった頃のはずだ。
 左右社から立て続けに出版した拙著『作家の食と酒と』(2010)、『編集者の食と酒と』(2011)を贈呈したときの礼状が手許にある。生前にお許しを得ていたので、紹介する。
<『作家の食と酒と』『編集者の食と酒と』を有難うございました。版型、装丁、いいですね。手にとって何度も撫でたり握りしめたりしてしまいました。
 中身は現在までの経験に裏打ちされた珠玉の意見の数々。編集者には是非読んでほしいですね。(けど今時の人は? でもありますが)
 重金さんが新聞社出身の編集者としておそらく最高の適任者であるのですが、不思議なことに出版社出身の編集者と微妙に違うのが感じられ、そこのところがとても面白かったです。いい、悪いではなく、雰囲気のようなものですかしら。重金さんのクールさ(すっきりさ)に比べると出版社系は、たとえ大村彦次郎さんにしても一寸ベタベタという感じがするのです。お二人を並べて考えるとなかなかいい取合せの編集者だなあと思います。
 或いはもうお耳に入ったかとも思いますが、例の『青春忘れもの』がこの六月の新潮文庫の新刊に入りまして解説を書かされましたので、お送りします。重金さんがこの本のことをお書きくださったので(『編集者の食と酒と』にもありますね)私としてはそれでいいと思っていたのですが、突然社の方から連絡があり、とにもかくにも生まれ故郷に戻りました。
 まあみなさまがそれぞれ御協力下さったのでしょうが、そもそもは重金さんが『メニューの余白』で『青春忘れもの』の名を出して下さったのが始まりです。四十年間放置されていたのが絶版にもならず(「中公文庫」)今生きかえったのは、作者が池波正太郎さんだからこそだと思います。
 詳細はともかく今、書店の平台に並びましたので有難く、厚く御礼申し上げます。>
 拙著『メニューの余白』は1993年に講談社から刊行された。池波さんの『食卓の情景』を「週刊朝日」に連載するきっかけとなった書として『青春忘れもの』と川野藜子さんを取り上げたのだ。
 『青春忘れもの』は池波さんの自伝といわれる作品で、文中のエピソードや逸話が事実として資料などにも用いられているが、私は「自伝的色彩」の強い「小説」と考えている。川口松太郎氏の『破れかぶれ』(1965)の影響を受けたものだろう。
 「小説新潮」に連載された(1968)ものの、単行本は毎日新聞社(1969)からで文庫は川野さんの手紙にもある通り、中央公論社だった。それがようやく「新潮文庫」へ収録されることになったのを喜んでいるのだ。
 大村彦次郎さんとあるのは、講談社の文芸編集者で、川野さんが編集長時代にライバル誌、「小説現代」の編集長だった。大村さんとは一昨年の12月に銀座の「いまむら」でお会いしたのが最後で、昨年の8月に亡くなられた。享年85。同じ講談社の徳島高義さんも今年の6月に亡くなられた。享年86。お世話になった先輩編集者が次々にいなくなり、まだふた月も残しているが、今年は寂しい年となってしまった。

×月×日 ようやく拙著『落語の行間 日本語の了見』が左右社から刊行されたが、奇しくも前項の川野藜子さんも大村彦次郎さんも同書で取り上げている。徳島さんを含め、お三方に本書を読んでもらえないのは残念無念で口惜しい。
 内容は落語の中に出てくる傍流の日本語を探し集めた、といったらわかってもらえるだろうか。江戸時代から口伝によって継承されてきた話芸だから、落語には古い言葉が「化石」のように生き残っている。またすっかり消滅した職業や民俗行事、習俗、慣行の言葉だけが伝えられているので、現代の人にはなかなか理解し難い例もある。
 例えば竃(へっつい)といっても、大方はわからない。竈(かまど)のことだ、と説明しても、余計にわからない。「藪入り」といっても通じない。庶民の娯楽だから、俗な表現も多い。職人や飲食店の仲間内にしかわからない符丁、隠語も出てくる。
 名人、古今亭志ん生系統の古今亭菊之丞が好きな落語に「転宅」がある。転宅といわれても、ピンとこないが引っ越しだ。明治の中頃まで用いられたようだ。ドジな泥棒が、旦那のいるお妾(めかけ)さんの家に押し入るが、「実は私も泥坊稼業だったの」とうまく騙(かた)られて、夫婦約束までして自分の財布を巻き上げられる噺だ。
 「なぁーんだ、姐(ねい)さんもマナカか……」とすっかり信じてしまうところが、まぬけなところだ。マナカは仲間(ナカマ)を倒置したので、「業界用語」かどうかは知らないが、一種の言葉遊びだ。
 森田正義のモリタをひっくり返してタモリというような洒落で、このような言葉遊びから小話が生まれ、落語になっていく、という側面もある。
 志ん生のまくらにこんなのがある。
   隠居「蛸(タコ)が山へ登って寝ているね」
   八公「なんです?」
   隠居「タコネ山(箱根山)だ」
 ばかばかしい、といってしまったら、確かにばかばかしい。
 こういうコロナ禍のご時世だからこそ、何の役にも立たないことに笑いを見出すことが大切だと思う。
 早くも多くの反響をいただいた。書名を褒めてくれる人がいる。逆に「難しそうだ」という印象を持った人もいる。意外でした。
 「行間が多い本」と評した人がいる。別に本文の行と行の間が広いわけではない。題材が多岐にわたっている内容の褒め言葉としてうれしかった。
 80を超えて、なお老生が紙の本を刊行したことに、「力を得た」といってくれる人がいた。素直にうれしい。考えてもご覧なさい。年を取ってから若い人に力を与えることができるなんて、こんな「年寄り冥利」に尽きることはない。
 手前味噌だが、まあ、読めば必ず落語を聞きたくなる効能がある不思議な本です。

×月×日 [ノムさんのこと]⑧
 ノムさんの野球には、もちろん負の評価もある。例えば「野球が暗くなった」という声がある。これはぼそぼそと、ぼやくようなしゃべり方にも原因があろう。9人のメンバーの中にただ一人観客に背中を向けているのがキャッチャーだ。常に最悪の事態を考えながら野球をしている。マイナス思考になるのもやむを得ない。楽天的な性格の人にキャッチャーは向かない。
 また「野球が長くなった」という指摘もある。キャッチャーは、打者のバットの握り方、足の置き方、顔の表情を見てから、一球ずつサインを出す。もちろんアウトカウント、ボールカウント、走者の有無、走者の足の速さ、点差、天候(風力、風速)などあらゆる条件を勘案する。時間が掛かるわけだ。
 投手から言わせると、「サインを出して捕るのはキャッチャーだが、投げるのは投手だということを忘れてもらっては困る。いくら立派なサインを出しても、俺が投げなくてはプレーが始まらないよ」という意識が強い。
 投手は一人だけグラウンドの一段高いところにいて、「俺の球威があるから、バッターは打てないのだ」という「お山の大将、俺一人」的性格の人が多い。自信過剰型でないと、投手には向かない。捕手の重要性を説けば説くほど、投手は意固地になってますます自意識が強くなる。
 監督時代、打者がホームランを打っても、ノムさんはベンチからグランドに飛び出し、握手で迎えるようなことはしなかった。最後の楽天時代は、握手することはあったが、他の選手が打球の行方を追っているときに、打たれた相手の投手と捕手の表情や動作に目をやっている。失投だったのか、サインのミスだったのか、相手チームの監督の表情まで観察して、次の作戦を考えた。野球が暗くなるのも無理はない。
 投手はひたすら剛速球を投げ、打者はぶんぶんバットを振り回すような野球は認めなかった。野球ほど、プレーの間に時間(休憩)を取るスポーツは他にない。その時間は考えるためにある、と説く。投手が投げる一球には必ず意味がある。だから考えないと野球は面白くないし、進歩しないという。真ん真ん中に投げてしまい、「打たれなくて良かった」というような「結果オーライ」の野球を認めなかった。
 ノムさん流の「監督術」はどこで体得したのか。意外にも鶴岡一人監督の影響を強く受けていた。(この項続く)=(2020,11,4)
◇次回の更新は11月18日の予定です。
筆者紹介
◎重金敦之(しげかね あつゆき)1939年東京生まれ。編集者、大学教授を経て文芸ジャーナリスト。著書に『ソムリエ日本一・田崎真也物語』『食彩の文学事典』『すし屋の常識・非常識』『作家の食と酒と』など多数。『落語の行間 日本語の了見』(左右社)が好評発売中。