秋も深まった肌寒い日。田村さんは突然帰ってきた。その日から戦後最大の詩人が私の大家さんになった──
書誌情報
- 定価
- 1,870 円(税込)
- 電子書籍価格
- 1,760 円(税込)
- ジャンル
- 文芸・評論・エッセイ
- 刊行日
- 2020年10月31日
- 判型/ページ数
- 四六判 上製 144ページ
- ISBN
- 978-4-86528-003-6
- Cコード
- C0093
- 装幀・装画
- 鈴木成一デザイン室/装幀、松原蒼士/写真、早川志織/装画
内容紹介
パジャマで歩きまわり、こんこん狐に誘われて酒を飲む。戦後最大の詩人、天才と呼ばれた田村隆一の飾り気のない「もうひとつの素顔」をリリカルな筆致で描き出す。
1980年田村さんと和子さんと過ごした稲村ヶ崎の日々を、当時の写真とともに編み込んだ密やかな傑作エッセイ。
あるときは少年、あるときは詩の神さま。
そしていつもはとてもいい大家さんだった。
*
田村さんは一日中パジャマを着て暮らした。春夏秋はもちろんのこと、どんなに寒い真冬の日でも素足だった。 スーツを着るとき以外、靴下を履いているのを見たことはない。冷たい木の階段を降りてお手洗いに行くときでもいつも。
*
「ゆきちゃん、稲村の谷のずーっとむこうの山のさきに、狐が見えるんだよ。
振り返ってこっちを見ておいでおいでをしているんだよなあ。狐がね、酒飲みにおいでおいでってさ」
*
撮影の最後の頃、高梨さんと話す機会に恵まれた。ひとこと助言された。
「天才と一緒に住んでいると人間駄目になるよ。気をつけてね」と。
確かに、と私は思った。真理だとも思った。
日々面白いことや、珍しい事ばかりが起こって、若かったわたしたちは目をくるく るしていたに違いない。
毎日が非日常で面白かった。気がつくと何もしないで一日一日がすぎさっていた。
それでも当時は何の不安も感じずに生きていた。