「次郎長ってのはいい男だってナー」
書誌情報
- 定価
- 1,980 円(税込)
- ジャンル
- 文芸・評論・エッセイ
- 刊行日
- 2024年12月16日
- 判型/ページ数
- 四六判 上製 240ページ
- ISBN
- 978-4-86528-450-8
- Cコード
- C0093
- 装幀・装画
- 鈴木成一デザイン室/ブックデザイン、巻田はるか/装画
内容紹介
令和の世に町田版痛快コメディ(ときどきBL)として蘇ったご存知「清水次郎長」。
順調にやくざデビューを果たしたはいいが、肝心なのはその後の活動、とたゆまぬ努力で男を磨く次郎長下積み時代。喧嘩に博打に明け暮れた先に、運命的な再会を果たした初恋の男・福太郎の驚くべき成長とは? 気持ちの整理のつかぬままに「お蝶」を娶り、次郎長が一家を構えるまでを描く、大好評シリーズ第二弾。
生産能力も生産基盤も持たない、ただその威名・威勢だけで飯を喰っている、やくざにとってこの、名前が売れる、というのはなにより大事なことで、出世前のやくざはなんとかして名前を売ろうとした。「あの野郎、近頃、売ってやがるな」というのは、その名前が多くの人に知られ始めた。メジャーデビューした、みたいな意味である。
そういう意味では次郞長は順調にやくざデビューを果たしたというわけである。
しかしなんでもそうだが、デビューするだけなら誰にだってできる。問題はデビューした後、どれだけ順調に活動を続けられるかで、いくら華々しくデビューしたところで、その後が続かなければ、早くも翌年には、「あー、そう言や、そんな奴いたっけなあ」てなことになってしまう。そうならないためには、やくざだってなんだって、普段の地道な活動、たゆまぬ努力がなによりも大事なのである。
(『最終的には銭金』より)
吉左衛門はその次郞長に言った。
「ちょっと、おまあんに折り入って頼みてぇ事がありましてね。少し、付き合ってもらえませんかねぇ」
好きな男に頼み事をされた次郞長、一も二もない、
「よろしゅうござんす。お、鶴、てめぇ、俺は今からこの吉左衛門さんと話があるから、まず、あすこに行ってああして、次にあすこに行ってこうして、こうしてこうしてこうするんだぞ。わかったか」
「わかりました」
「よし、じゃあ、俺が今、言ったことをもっぺん言って見ろ」
「忘れました」
「ぶち殺す」
「思い出しました。まず、あすこに行ってああして、次にあすこに行ってこうして、こうしてこうしてこうするんでごぜぇあすね」
「うん、そうだ。じゃあ、行ってこい」
「へい」
(『岩村の七蔵』より)
そこで大きくなってくるのが一家を束ねる姐さん、という存在である。つまり、締めるところは締め、遣うところでは賢く遣う、てなことができる姐さんがいると、親分の評判があがる。
そしてそこにはカネもそうだがそれを超越する細やかな心遣いというものがある。それも男にはできないことだ。男はそんなことに気がつかないのだ。小遣いに心遣いが加わると、それはもう最強だ。親分の評判は爆上がりに上がる。ただし。
女だったら誰でもそれができるという訳ではない。男にもいろんな男がある。同じく女にもいろんな女がある。「節倹」「気前の良さ」「親切度」「愛嬌」「頭の良さ」といった項目を多角形のレーダーチャートで表す時、「節倹」の数値ばかり高く、「旅人への親切度」や「気前の良さ」が低い場合は、旅人が飯をお替わりしようとすると睨む、みたいなドケチな姐さんになってしまって、評判が下がりまくるし、「節倹」は低く、「気前の良さ」は高かったとしても、「親切度」が低いと、自分の櫛や着物をがんがん買うくせに、旅人や乾分には、粗末なものしか食わせない、ということになって、これまた評判が上がらない。
つまりいい姐さんというのはそのすべてが高いのだけれども、じゃあ、次郞長の女房となった蝶はどうであったかを、右に挙げた五項目で言うと、すべて満点で、レーダーチャートが美しい正五角形となる、美事な姐さんぶりであった。
(『男の貫禄・女の始末』より)