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「道がないから、自分らでブルドーザーでガーッといかなあかんのです」
そう答えるのは、立憲民主党副代表の辻󠄀元清美さん。独身ひとり暮らしの不安から総選挙の争点まで。辻󠄀元さんと著者の和田靜香さんが、「女性と政治」を語り尽くします。
和田 わたし、音楽評論家の湯川れい子の弟子だったんです。辻󠄀元さんがピースボートをやってらしたころ、よく四谷にあった湯川の事務所にいらして、お会いしてました。
辻󠄀元 あ、そうなんだ。湯川さんはわたしのお姉さんですよ。何度かピースボートにも乗っていただきました。
和田 小川淳也さんにも「お姉さん」と呼ばれてるし、勝手に親しみを感じてたんですけど、一度もお会いしたことがなくて、実は辻󠄀元さんのことあんまりよく知らなかったなと思いました。ピースボートを大学在学中に立ち上げられたとか……。
辻󠄀元 わたしもようあんなことしたなって思います(笑)。早稲田の教育学部にいて、将来は学校の先生になりたいなってなんとなく昔から思ってたんだけど、ちょうど1982年に教科書問題というのが起きたんですよ。当時、文部省が教科書の記述について、「侵略」を「進出」に書き換えさせようとして国際問題になって、連日、新聞に載ってたんだけど、わたしはどっちが正しいか自分ではわからなかったわけ。社会科の先生になりたいのに歴史のこと知らんやんか、わたしはアホやんかと気づいたわけですね。それで大学の友達4人で「アジアに行ってみよう」っていう話になったのが始まりです。
和田 1億円の船をチャーターされたんですよね。
辻󠄀元 当時、世界を航海できる外航客船って日本に2隻あったんですよ。うち1隻がにっぽん丸で、商船三井客船が所有してるから、借りようと思って会社に行ったんです。最初は全然相手にされなかったんだけど、しぶとく何度も行ってたら、朝日新聞に取材されたんですね。今度はその記事を持って行って、「若者が平和のために立ち上げた企画を御社が蹴ったみたいに見えたらまずいんじゃないですか?」とか、「アジアの国々を平和の船で回るのはイメージアップにもなるのでは?」とか、「誰も使わない台風シーズンに貸してください。動かしたほうが得ですよね?」とかなんとか、いろいろ言って交渉したんです。
和田 台風シーズン(笑)。9月2日出航ですものね。交渉に使う言葉がうますぎます。
辻󠄀元 新聞に載っちゃったのが痛かったみたいで、「料金を払えるんだったら貸してあげる」と。一日600万円。20日間で計画してたから、1億2000万円です。そこでわたしは「できない」とは思わなくて、ひとり20万円の旅費なら、600人集めたら1億2000万になると。こういう呼びかけに答える「変人」は600人くらいいるんじゃないかと思ったんです。
和田 めちゃくちゃ楽観的な見通しですね(笑)。
辻󠄀元 そこから値切り交渉が始まるんですよ。「600万は定価ですか?」と聞いたら「そうだ」って言うわけ。「年中600万円ですか?」と聞いたら「そうだ」と。「それはおかしいですよ。旅行もお盆とかお正月は高いけどオフシーズンは安いでしょ。誰も借りない台風の季節なのに、なんで夏休みやクリスマスと値段が一緒なんですか?」と(笑)。そうしてちょっとずつ値下げしてもらって、最終的には期間を半分の10日に減らして、3500万円まで下げてもらったんです。
和田 3分の1以下! すごい!
辻󠄀元 「値切りの清美」とか言われましたけど、わたしの根本は商売人の娘なんです。実家は洋服屋もやってたし、クリーニングの取次もやってたし、美容院もやってたし、最後はうどん屋も。大阪では値切るのは当たり前だったんです。で、3500万にしてもらって、人集めを始めたんだけど、165人ぐらいしか集まらなかったんですよ(笑)。借金しまくったけど全然足りなくて、出港の1週間ぐらい前に「もうちょっとなんとか」とお願いしに行ったんです。そしたら「会議に諮るから、下の喫茶店で待っててくれ」と。そのときわたしが言ったのは「わたしたちには何もありません。売れるものは将来だけです。賭けてください、わたしたちに」って。
和田 すばらしい(拍手)!
辻󠄀元 下の喫茶店で2時間ぐらい待ってたら降りて来はって、「なんぼ払えんねん」って聞かれて「2000万」って答えたら、結局2300万にしてくれたんですよ。
和田 えー!
辻󠄀元 それで横浜の大桟橋から出航して、グアムとかテニアンとかサイパンとか硫黄島とか、太平洋の島々に行きました。これには余談があるんですけど、後に衆議院議員になったじゃないですか。国土交通副大臣になって、商船三井客船の元社長さんとお会いしたときに、わたしの顔を見た瞬間に「2300万円でしたね」って(笑)。それほど強烈な印象やったらしいです。
和田 学生時代から勇気があって交渉に長けていたんですね。今のお話で、今日用意してきたすべての質問の答えが出てしまった感じです。
辻󠄀元 どこかの組織の紐つきになって口を出されるのは絶対にイヤだったんですよ。わたしは個人の意志や自立を大事にしたいし、その集まりで世の中を変えたいから。当時の平和運動は組織動員が主流だったけど、それが嫌いだった。そういう運動はダサい、暗い、難しい。自分も楽しみながらいろんな人と手を組んで世の中を変えていけるような、新しいムーブメントを作りたかったわけです。
和田 なるほど。苦しくても独立独歩ということですね。
辻󠄀元 2回目は中国に行くことになったんです。当時はまだ冷戦真っ只中で、今みたいにすぐ行かれへんから、なんとかツテをたどって中国に交渉しに行ったら、ちょうど『鉄腕アトム』が流行ってて、ニセモノのグッズをいっぱい売ってたんですよ。それを見て「手塚治虫さんを連れてくる」って言ったら受け入れてくれるんじゃないかと思いついたの。
和田 発想がすごい。
辻󠄀元 石坂啓ちゃんっていう友達が手塚さんのところでインターンをやってたっていうから、彼女に紹介してもらってマネージャーに会いに行ったんです。もちろん断られたんだけど、しつこく通ってたら、たまたま手塚さんが外出されるときに出くわしたわけ。そこにバーッと駆けつけて「一緒に中国に行ってください。中国と日本の若者で不戦の誓いをしたいんです。向こうでは鉄腕アトムが流行ってて……」ってまくし立てたら、「今から出かけるから、車の中で聞こう」って言って車に乗せてくれたの。わたしと啓ちゃんと。それでまた話し始めたら、5分も経たないうちに「僕、行きます」って。
和田 えーっ! 信じられない!
辻󠄀元 「僕の父は職業軍人で、僕も子供のとき中国にいました。日本は中国を侵略して、たくさんの犠牲者を出した。いつか中国に何かしなきゃいけないと思っていました。自分が役に立つのなら行きます」と。「あの、手塚さん、実はわたしたちは貧乏で……」とかゴニョゴニョ言い始めたら、「あ、旅費は自分で払いますから」って。
和田 さすが大物ですね。言ってみたい。
辻󠄀元 かっこいいでしょ? 〆切をいっぱい抱えていらっしゃったので乗船は叶わなかったんですけど、飛行機で上海に来られて、日中不戦の誓い漫画大会というのをやって、孫悟空の大家と呼ばれた漫画家さんと、孫悟空とアトムの絵を共作されたんです。それ以降みんな目の色が変わりました。前はどこにビラ持って行っても怪しまれてたのに。
和田 そこからピースボートは順調に?
辻󠄀元 そうでもないんだけど(笑)、やりながら気づいたことがあるんです。夢って簡単には実現しないけど、わたしはやって失敗したならともかく、やらないで後からクヨクヨするのがとにかくイヤなんですよ。だから夢はまず言葉にする。言葉にするとそれはやがて意志になり、意志は行動を生む。行動からは必ず連帯が生まれます。手塚さんが力を貸してくださったようにね。夢の実現にはそういうプロセスがあるんじゃないかと思って。
和田 政治家に転身されたのは土井たか子さんから誘われたことがきっかけですか?
辻󠄀元 それからもピースボートの活動をずっとやってたんですよ。1995年に阪神・淡路大震災があったときはボランティアをしたりね。土井たか子さんのことはその前から存じ上げてたんですけど、震災の前に旧社会党が分裂したんです。それでみんな民主党に行っちゃったもんだから、1996年の10月1日に、社民党の党首に復帰されたばっかりの土井さんから、わたしと、今は世田谷区長をやってる保坂展人さんと、こないだまで宝塚市長だった中川智子さんの3人に声がかかったんです。8日から選挙だったから翌日までに返事しろって言われて(笑)、ピースボートにご家族で乗船された経験のある筑紫哲也さんに相談したりして「やります」って言って、比例近畿ブロックで出て20日に初当選しました。
和田 (拍手)。さっき「個人の意志」を大事にしてるとおっしゃいましたけど、そのときからそういう理念で?
辻󠄀元 そうですね。平和運動とか政治をタブー視する文化が日本にはあるじゃないですか。それを打ち破りたかったんですよ。選挙も「政治的自立意志」っていって、自分の意志で選挙ボランティアをやってみよう、政治をやってみようという人は手伝ってください、って呼びかけたんです。
和田 市民ボランティアが辻󠄀元さんを国会に送り込んだんですね。
辻󠄀元 続々と集まってくれましたよ。その少し前に村山富市さんが自社さ政権で総理大臣になってたから、めちゃくちゃ批判されて、わたしも「裏切り者!」とか言われるわけですよ。それで、演説するときに白い模造紙を貼ったボードを持って行って「社民党の嫌いなところ書いてください」と。それを選挙事務所に貼って「これを全部変えてみせます! だから当選させてください!」って、学生のときの「わたしの可能性に賭けてください」と同じことをしたんです(笑)。
和田 批判されることを逆に利点にするアイディア力がすばらしいです。発想の転換ですね。でも、女性であることでイヤな目に遭うみたいなことはありませんでしたか?
辻󠄀元 当選してからいろんな会合に顔を出して「社民党の辻󠄀元と申します」って言っても「秘書はあっち、あっち」みたいな感じでした。政治家といえば男性がやるもので、若い女性は秘書っていうイメージだったんですね。有権者からも、自分が男性だったらあり得ないような罵声を浴びせられたり、セクハラっぽいことを言われたり。そういうことはよくありますね。逆に、いろんな役職とかプロジェクトに「女ひとり入れとかな、またブーブー言われるから、辻󠄀元でも入れとけ」みたいな(笑)。これも腹立つやん。わたしの能力が評価されたんならいいけど……。
和田 数合わせですもんね。
辻󠄀元 誰でもいいわけですよ。ものすごく違和感がありましたね。
和田 相談できる人はいなかったんですか?
辻󠄀元 土井さんとは話してました。「社会党時代も苦労したのよ」っていつも言ってましたね(笑)。「誰も残らないじゃない、女の人は。それを変えたかったから、党の反発はあったけど、わたしは清美さんたちを入れたのよ」って。
和田 辻󠄀元さんを入れることにも反発があったんですか。
辻󠄀元 そらありますよ。わけのわからない市民活動家をいきなり候補者にするわけでしょ。選挙に出たい男性たちは他にもいたわけだから。最初に比例区で当選した後も、社民党の大阪府本部には入れてもらえなかったんですよ。「僕たちは認めてませんから」って。だったら次の選挙で比例じゃなく選挙区から出て、自分の力で勝ってやる、そうすれば認めてくれるだろうと。それで必死でやって、731票差でトップ当選したんですよ。それからみんな黙りました(笑)。
和田 辻󠄀元さんの活躍が目立ち始めると、今度は世間やメディアの風当たりが強くなりますよね。小泉総理大臣(当時)に「総理! 総理!」と連呼されたときとか。質疑の内容なんて全然伝わらないから、わたしみたいに政治に関心のなかった人間は「ワーワーうるさい人」みたいなイメージだけ植えつけられてました。そういうことについて違和感はありましたか?
辻󠄀元 常にありますよ。主にテレビの報道は一瞬の場面を切り取って面白おかしく取り上げるので、質疑の内容、全体像はわかってもらえない。それは今も不本意に思ってます。「いつも反対してる」とか「怒ってる」みたいなレッテルを貼られてね。でも、初当選してすぐ自民党の人たちと一緒にNPO法を作ったり、議員立法で被災者生活再建支援法を作ったりと、超党派とか官僚との協働でたくさん政策を立案してきたんですよ。追及よりも交渉や調整のほうが向いてると思います。
和田 全然そんなの伝わってきてないですよ。
辻󠄀元 DV防止法とか児童虐待防止法、あと児童買春・児童ポルノ禁止法なんかは谷垣禎一さん、野田聖子さんと一緒に作りました。野田さんたちとはこないだから政治分野における男女共同参画推進法も一緒に作ってます。女性議員を増やすための法律ですね。よいことには党を超えて賛成、おかしなことには立ち向かう。これがわたしのモットーですし、ずっとそうしてきました。でも報道は立ち向かってるとこばっかりで、そのイメージがなかなか払拭できないのがわたしの悩みですね。
和田 それはメディアの責任ですよね。そこが変わらないと女性が議員になりたいってなかなか思ってくれない気がします。
辻󠄀元 ですよね。だから『国対委員長』(集英社新書)という本を書いたんですよ。与野党問わず第1党で女性の国対委員長はわたしが初めてで、最初は「女に務まるのか?」って言われましたよ。自民党の国対委員長室に行くとね、委員長、副委員長、党職員、ズラーッといるわけですよ。ぜーんぶ男。どこに行っても女はわたしひとりです。
和田 今、辻󠄀元さんは予算委員会の筆頭理事ですよね。それも女性初めて?
辻󠄀元 そうです。参議院は森ゆうこさんで、衆参ともに女性ですね。お飾りじゃなく、国体とか予算とか、委員会を実質的に動かしていくポジションに女性がつくようになって、少しずつ政治の文化も変わってきてるなと思います。
和田 辻󠄀元さんや、自民党でいえば野田聖子さんとか、女性議員たちが働きかけたから実現できたことなんですか?
辻󠄀元 粘り強く生き残ってきたからでしょうね。野田さんと高市早苗さんとわたしは同学年なんですよ。わたしは初当選から25年で、彼女たちは28年かな。与党でいちばん古いのがその二人で、野党ではわたし。3人わりと仲よしで、ちゃんづけで呼び合うんですよ。考え方は違うけど、男ばっかりの世界で何十年もの間、第一線で存在感を保ちながらやってきて、なんとなく連帯感があるというか。
和田 みなさんが道を切り開いてこられたんですものね。
辻󠄀元 道がないから、自分らでブルドーザーでガーッといかなあかんのです。「どすこい、どすこい」じゃないけど、徳俵でなんとか持ちこたえてね(笑)。今も枝野(幸男)さんには「“枝野政権ができたら閣僚を男女同数にする”って早く言え」って毎日のように言ってます。
和田 それを言ったら票が抜群に伸びると思うんですけどね。
辻󠄀元 それぐらいはやらなきゃねぇ。また今日も言います(笑)。
和田 閣僚が半分女性になるって聞いたら、女性はもっと投票に行きますよ。
辻󠄀元 わたしの地元に三島郡島本町っていう京都との府境の町があるんですけど、4月に自治体選挙があって、男女同数の議会を達成したんですよ。やっぱり政治家は口で言ってるだけじゃなくて、自分の足元から実現させていかないと説得力がないからね。
和田 すごい。そこに住みたいです。
辻󠄀元 少子高齢化が最大の政治課題になってるけど、これはほとんど女性の問題なんですよ。子育てと仕事の両立が難しいとか、非正規の7割が女性で、平均収入も男性の約7割しかないとか、介護を担うのも女性が大部分じゃないですか。平均寿命が長いから高齢の独居女性も増えてるしね。女性の生涯につきまとう問題をひとつずつ解決していけば、男性も含めてすべての人が暮らしやすい社会に必ずなるんですよ。政治の意思決定の機関に女性が3割以上いる国は経済成長率も高くて、財政赤字も少ないって言われてるし。
和田 いいことしかないのに、なんでそうしないんだろう……。
辻󠄀元 選択的夫婦別姓も、別に誰も不幸にならなくて、幸せになる人が増えるだけだもんね。最近わたしは同性婚の実現も訴えてますけど、すべての愛し合う人が平等に結婚できるようにしたいんですよ。そういう政策を実現させていくことが、ひいては社会の閉塞感を打ち破って活気を生み、経済も成長させていくんです。商売人の娘やから、何でも「儲かるかどうか」で考えちゃうんだけど(笑)。
和田 辻󠄀元さんは今回の選挙の最大の争点は何だと思われますか?
辻󠄀元 ひとつは格差の解消。富が一極に集中してて、今はすっごい不公平な社会になっちゃってるから。小さな国家よりもお金持ちのスーパーリッチと言われるような人や組織がある一方で、食べていけない人がどんどん増えてる。国内も同じで、コロナがその状況に追い打ちをかけてるんですよね。だからアメリカのバイデン大統領が言ってるように、富裕層には「もうちょっと税金払ってください」ってお願いして、庶民は減税。税による社会連帯です。富める人がしんどい人を助けて一緒に生きていく。本来あるべき公平公正な社会に近づけていくためには、多様な生き方も認められるべきだから、選択的夫婦別姓とか同性婚とか、外国人との共生とかも必要になってくる。それをしっかり訴えていきたいと思ってます。
和田 頼もしいです。わたしとしては今回、立憲民主党が住宅政策を大きく掲げてくれたのがありがたいです。ひとり暮らしだし高齢だしフリーランスだし。
辻󠄀元 わたしと一緒やん(笑)。老後、不安でしょ。
和田 老後どころか今が不安で……特に東京では家を借りられないぐらいですから。
辻󠄀元 20年ぐらい前にイギリスで低賃金の若者向けの公営住宅政策を見たことがあって、国土交通副大臣のとき、東京に100万戸の若者向け低家賃の公営住宅を作ろうっていう政策を作ったんですよ。実現はしなかったけど、住む所があって初めて、自分の人生や生活を築くことができるし、心の安定も得られるわけじゃない。なんでそこにこだわるかっていったら、自分がそうだったから。6畳ひと間に親子4人で住んでたし、学生時代も家賃1万9000円の風呂なしトイレ共用の4畳半に住んで、外にあった水まきホースで髪を洗ったりしてたしね(笑)。わたしも独身でひとり暮らしだから、不安ですよ。4年に一回選挙があるし、選挙になったらお金もかかるしね。
和田 「国会議員、選挙に落ちたらただの人」って言いますもんね。
辻󠄀元 菅(義偉)前総理が「自助・共助・公助」って言ってたけど、順番がおかしいんですよ。必要なのは、すべての人が「自助」で生きていけるための最低限の「公助」です。例えば労働法制も、放っておいたら弱肉強食になる。そこの規制をどんどん緩和していった結果、非正規で苦しい人がたくさんいるのが現状でしょ。雇用側に一定の規制をかけて「こういう条件で働かせなさい」とすることは、政治にしかできないんです。
和田 辻󠄀元さんと一緒に頑張ってくれる女性議員にもっともっと出てきてほしいです。
辻󠄀元 出てきてますよ。子育てしながらやってる人たちもいます。わたしの世代は何もかも振り捨てて私生活もなげうって頑張らないとできへんかったみたいなところがあるけど、下の世代の人たちはもっと自然体。いいことだなと思います。
和田 今日はありがとうございました。最後に本の中で小川淳也さんにしたのと同じ質問をさせてください。辻󠄀元さんにとって幸福って何ですか?
辻󠄀元 あー……(しばらく考える)。個人では心の平穏ですね。仮に食べていけなくなっても、「あの人、しんどそう」と思われても、自分の心がcalmでいられるってことかな。政治家としては、自分が子供のときにつらい思いもしたので、空腹とか虐待とかで泣く子供がいなくなってほしいですね。
構成:高岡洋詞 写真:野村玲央
政治家。1960年、奈良県生まれ。衆議院議員(高槻市・島本町の大阪10区)。早稲田大学在学中に国際NGO設立。1996年、衆議院選挙にて初当選。2000年ダボス会議「明日の世界のリーダー100人」に選出。連立政権で国土交通副大臣、災害ボランティア担当内閣総理大臣補佐官就任。2017年10月、立憲民主党の結党時より同党の国対委員長を2年間務めた。立憲民主党副代表、衆議院予算委員会野党筆頭理事、NPO議員連盟共同代表。
『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか? 国会議員に聞いてみた。』
著者:和田靜香 取材協力:小川淳也
イラスト:伊野孝行
装幀:松田行正+杉本聖士
四六判並製/280ページ
2021年9月5日 第一刷発行
定価:本体1700円+税
978-4-86528-045-6 C0031
© Sayusha 2021