俳人、歌人、随筆家。本名、正岡常規。幼名は処之助、のち升と改める。
慶応3(1867)年10月14日(旧暦9月17日)、伊予国温泉郡藤原新町(現在の愛媛県松山市花園町)に生まれる。明治16(1883)年、上京。明治25年、新聞「日本」に俳句論「獺祭書屋俳話」の連載を開始し、俳句革新に乗り出す。
明治28(1895)年、日清戦争従軍後、帰国途中に喀血し、永い病床生活に入る。闘病のかたわら文学上の仕事は活発化し、自らの執筆のみならず、精力的に俳句の指導・添削なども行い、後進を育てた。
明治31(1898)年、「歌よみに与ふる書」を発表し、短歌革新にも乗り出す。
明治35(1902)年9月19日、脊椎カリエスにより死去。享年三十四。
代表作に『獺祭書屋俳話』『歌よみに与ふる書』『病牀六尺』『竹乃里歌』『寒山落木』など。