序論——文学にイメージは「ある」か
1.「語ることは見ることではない」
2.見ることではなく、イメージに触れること
3.本書の意義
4.本書の構成
第一部 遺骸としてのイメージ
第一章 イメージの不気味さ——「遺骸的類似」と「美術館病」
0.はじめに
1.「遺骸的類似」
1—1.イメージによる創造と解体
1—2.魔術的なもの——夢のなかで
1—3.『ロンドンの夜』——群衆、日常的なもの
1—4.美術館の病
2.〈美術館〉としての芸術作品——ブランショのマルロー論をめぐって
2—1.ブランショの〈美術館〉論
2—2.アナクロニスム(1)マルロー——反美術史としての「想像の美術館」
2—3.〈美術館〉批判者たち—「美術館病」に罹った人々
2—4.アナクロニスム(2)ブランショ—〈美術館〉としての芸術作品
2—5.結論——「芸術の自律」とアナクロニスム
第二章 イメージの「イリヤ」——サルトル・レヴィナス・ブランショ
0.はじめに
1.「現実とその影」をどう読むか
2.感覚のなかでの踏み迷い
3.此岸への離脱
4.根源的な受動性——音楽としてのイメージ
5.ブランショの「イリヤ」——サルトルとレヴィナスの後に
6.根源的ミメーシス—絵画としてのイメージ
7.盲目的視覚の魅惑
8.偶像の時間——彫像としてのイメージとイメージの禁止
9.イメージの両義性と離脱という介入
第三章 イメージの「イリヤ」あるいはカトリーヌ・レスコーの足
1.原光景?
2.フレンホーフェル=オルフェウス
3.作品の運命
4.何もないのではなく何ものかがある
5.カトリーヌ・レスコーの足
第二部 言語の不可能な形象としてのイメージ
第一章 プロソポンとしての形象——物語とイメージ
0.はじめに—プロソポン
1.『望みのときに』
2.「回帰」
3.不可能な形象
4.「彼女[elle]」たち
4—1.具体物
4—2.抽象物
5.立っていること
6.演劇性と貧しさ
7.「際立った雲」—撞着語法としての形象
8.疲労の語り/語りの疲労——「終わりなき対話」
9.なぜ疲れているのか=何があったのか
10.間にある対話(entretien)——二でなく三であること
11.「彼女たち」との奇妙な関係
12.友愛——疲労の共有
13.疲労/語り
第二章 彼女の名、この不気味な驚異——命名行為とイメージ
0.はじめに
1.不可能な形象、「ジュディット」
2.花から女へ、女から花へ——ヘーゲルからマラルメへ
2—1.言葉による殺害——花から女へ
2—2.言葉による深淵——猫から「猫」へ
2—3.弔いの花
3.名前、形象、「ジュディット」
4.文学言語と神の形象——『至高者』
4—1.最後の「小説」、『至高者』
4—2.名前の不安
4—3.神の謙虚さ=神の名前
4—4.タイトルの不安
4—5.引用としての語り
4—6.文学言語としての「至高者」アンリ・ソルジュ
5.神、あるいは、言語の不治の治癒
6.幻の女の回帰(revenante)
第三章 「詩的イメージ」に抗して——バシュラールとブランショ
0.はじめに
1.「詩的イメージ」?
2.バシュラールの読者、ブランショ
3.「夜のように広々とした」(1)——「単純な読書」とは?
4.「夜のように広々とした」(2)——詩の「構成=共置(composition)」
5.「夜のように広々とした」(3)——「comme」としての詩
6.「かのように(comme si)」としての詩
第四章 「言語のショート・サーキット」としての詩のイメージ——ブランショにおけるマラルメ・ヴァレリー・ポーラン
0.はじめに
1.マラルメとポーラン、分割と橋
2.言語の「虚構」あるいは「マラルメの神話」——「近道で」垣間見られる潜在的言語
3.「詩が存在するとすれば、それは、言語が理解の道具だからである」——言語二分割の問い直し
4.〈貨幣=言葉〉の解釈をめぐって
4—1.詩的言語と日常言語の対立——ヴァレリー
4—2.「詩が存在するとすれば、それは、言語が理解の道具だからである」——ブランショ
5.マラルメとポーランが出会う場所——「言語のショート・サーキット」
第五章 形象化のパッション—ブランショにおけるアブラハム
0.はじめに
1.「雄羊になること」
2.「雄羊のイメージ」あるいは「ジュディット」
3.カフカのアブラハム、あるいは「召されずにやって来るアブラハム!」
4.「永遠のアブラハムの問題」
5.形象化への焦燥
6.結論——形象化のパッション
結論 文学にイメージが「ある」というこの「驚異」
1.アルス・ノヴァ
2.驚異的なもの
あとがき
人名索引/註/参考文献