灰色のミツバチ
アンドレイ・クルコフ 沼野恭子
戦禍のウクライナを舞台に、世界的ベストセラー『ペンギンの憂鬱』の著者が描く寓話的物語。
書誌情報
- 定価
- 4,400 円(税込)
- 電子書籍価格
- 3,960 円(税込)
- ジャンル
- 文芸・評論・エッセイ
- 刊行日
- 2024年10月10日
- 判型/ページ数
- 四六判 並製 464ページ
- ISBN
- 978-4-86528-435-5
- Cコード
- C0092
- 装幀・装画
- 水戸部功/装幀
内容紹介
仕事を辞め、妻に去られ、養蜂家になったセルゲーイチと、
いまは何をしているのかわからない、犬猿の仲だった幼馴染パーシャ。
狙撃兵と地雷に囲まれ、誰もいなくなった緩衝地帯《グレーゾーン》の村に暮らし続ける中年男ふたり。
電気も途絶え、食料も足りず、砲撃も次第に頻繁になってくる。
激化してゆく紛争下のドンバス地方を舞台に、飄々としたユーモアで描く物語。
春が来て、やがてミツバチたちが目覚めたとき、
意を決したセルゲーイチは旅に出る。
ロシア占領下のクリミアを目指して──。
全米図書批評家協会賞ほか受賞。ウクライナの国民的作家が戦禍のもとで書き続けた新長編。
いったい「グレーゾーン」とは何か。
現実的には、ウクライナ軍、親ロシア勢力のいずれの支配権力も及ばない帯状の前線地帯のことで、インフラが破壊され、食糧を確保するのも難しいことが多い。本作のために何度かドンバスを訪れたというクルコフによると、2017年当時、グレーゾーンは前線に沿って430キロほど続いていたという。この帯の幅は場所によってまちまちで、300-500メートルくらいの幅しかないところもあれば、何キロにも及ぶところもあったそうだ。
双方が「ここをグレーゾーンにしよう」というような取り決めをしているわけではなく、互いに前進できなくなり戦闘が止むと、そこに塹壕や退避壕が掘られ、双方の壕と壕の間の境界領域が、いずれの側のコントロールもきかない、きわめて危険なグレーゾーンになる。そこに人の住んでいる町や村が存在することがあり得るわけで、どちら側からも弾が飛んできたり、反対側へ頭上を飛び越えていったりし、最悪の場合は住民が犠牲になることもある。どちら側も住人の安全にじゅうぶん配慮してくれるわけではないので、多くの住民が逃げ出してしまうのだ。
比喩的に考えるなら、グレー(灰色)というのは黒でも白でもない中間色なので、「敵か味方か」と白黒をはっきりつけなければならない戦争の本質とは相容れない、どっちつかずの曖昧なものを象徴することになる。この「どちらでもない中間的・境界的な立場にあるもの」として、グレーは作中ひじょうに重要な役割を担っているといえる。
主人公の名前からしてそうだ。音の響きが似ているためか、主人公セルゲイ・セルゲーイチはけんか友達のパーシャに「セールイ」のニックネームで呼ばれることがあるが、これはロシア語でまさに「灰色の」を意味する。さらに、雪原に倒れている兵士は、どちら側の兵士なのかなかなか判明しない。そのためウクライナ側も親ロシア側も、遺体を引き取ろうとしない。グレイゾーンで行き倒れになる者の運命を暗示していよう。
クルコフにメールで、グレーゾーンの灰色にはどのような意味を込めたのかと訊ねたら、「灰色は目立たない色。擬態のような色といってもいい。グレーゾーンで生き残るには、どちらの側からも目立たないような灰色にならなければいけない。そうでないと、注意を惹いてスナイパーの標的にされてしまうから」と説明してくれた。全編を通じてさまざまな形で現れる灰色のモチーフは、どうやらひとつの意味だけには収まらない、重層的なシンボル性を持っているようだ。物語のラスト近くには、灰色をめぐる衝撃的な場面が用意されている。タイトルの意味するところも含め、〈灰色のモチーフ〉に注目して本書を読んでいただくのも面白いと思う。
訳者あとがき:沼野恭子「グレーゾーンを生きるとは」より
【日経新聞】奈倉有里さんによる『灰色のミツバチ』の書評が掲載されました