ガートルード・スタインのセーヌ河岸──バラはバラでありバラでありバラである

ガートルード・スタインのセーヌ河岸──バラはバラでありバラでありバラである

詩への旅

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詩人石田瑞穂が一篇の詩を旅するように、国内外の詩人ゆかりの地を訪れ、土地と対話するように詩を読み、酒を呑み、また、呑む。読書と酒食に遊ぶ愉楽の紀行エッセイ。近現代の詩と詩人の魅力もわかりやすく紹介します。

ガートルード・スタインのセーヌ河岸──バラはバラでありバラでありバラである

石田瑞穂

詩人石田瑞穂が一篇の詩を旅するように、国内外の詩人ゆかりの地を訪れ、土地と対話するように詩を読み、酒を呑み、また、呑む。読書と酒食に遊ぶ愉楽の紀行エッセイ。近現代の詩と詩人の魅力もわかりやすく紹介します。



 パリのセーヌ川に浮かぶ帆船のようなかたちをしたシテ島、サン・ルイ島。ちょうど、その舳先にあたる河岸の小径に3 per 7というバーがあった。その店の、おおきな胡桃の一枚板のカウンターの片隅で、ぼくは見知らぬ青年と出逢った。


 いつも、おなじ毛羽立ったシェトランドセータを着て、デニムの尻ポケットにボールペンとメモ帳、安葉巻シンメルペニンクの缶をつっこんでいる。彼は毎晩、ぼくに「コンニチハ」と話しかけ、パリやヨーロッパ文学やアートの最新情報を聴かせてくれた。講義代のかわりに、ぼくはワインかウィスキーを一杯奢る。ウェーブのかかった髪と肌は干し草の色艶。北イギリスのスコッチをともに呑んだ晩は、彼の氷河色の瞳がすこしだけ溶けて、濡れた。



 青年の名は、トマ。年齢も母国も知らない。「腹ペコなんだ。なにか喰いにいこう」と、ムニュが「胡桃入りサラダ、リブロース・ステーク、ポテトのフリット添え」の一種類しかないモンパルナスの老舗大衆ステーキ店ル・ルレ・ド・ラントルコートを教えてくれたのも、彼。もちろん、授業料は、ぼく持ち。そんなトマは酔うと、本人はカッコつけてるつもりなのか、エンドレスで唱える詩のフレーズがあった「バラはバラでありバラである」。ぼくはいつだって「バラは、四回、だよ」とつづける。ただしくは、

 rose is a rose is a rose is a rose.



 一九〇三年にアメリカのペンシルヴァニア州アレガニーからフランスのパリに移住し、それからは母国に住むことがなかった女性詩人にして作家、ガートルード・スタイン。いつしか、書架に挿したままになったスタインの詩や小説に、パリでもういちど眼を瞠らせてくれたのも、トマだった。


 この詩行は、スタインの綴った四百行におよぶ長詩「聖なるエミリー」に初めて登場する。

   夜の町。
   夜の町、一つのグラス。
   色どられたマホガニー。
   色どられたマホガニー、中心。
   バラはバラでありバラでありバラである。
                        (金関寿夫訳)



 引用部分の最終詩行は、二〇世紀に書かれたもっとも有名な一行だろう。一九六〇年代にガートルード・スタイン・ブームが到来すると、この謎めいた呪文のような一行が、オーソン・ウェルズやジャン=リュック・ゴダール、セシル・B・デミルなどの映画、アンディ・ウオーホルといったポップアーティストの作品につぎつぎ引用され、オマージュをささげられる。ニューヨークの五番街にはスタインの代表作『やさしい釦』からネーミングしたテンダーボタンなる高級小間物店も開店した。
 このフレーズ、極くシンプルな表現ながら、奥が深い。四度くり返される「バラ」は、つまり、バラはバラというだけで一個の完結した存在であり、それそのものとして美しい。バラそのものの存在や美を言葉で顕現するのに「真紅」だの「朝露に濡れた」といった修辞は一切不要。日本でも、小林秀雄が「美しい「花」がある、「花」の美しさといふ様なものはない」と一喝したように。
 さらに、この一行は禅林の時間論も内に種している。たとえば、道元禅師の「山は時なり、川は時なり」という禅語。世界と自己に過去や未来といった時間は存在しない。諸存在は、いま、この一瞬という「時」が不断に創りだしているのだ、という思想を。スタインが一行で四度反復した「バラ」は、仏教のいう刹那、因も果もなく瞬間々々生起してやまないリアリティと美に通ずる。スタインはこのバラの思想を心理学ふうに「不断の現在」と呼んだこともあった。それは、どこか、生命の尊さにも通ずる美の思想ではないか。



 おっと、さきをいそぎすぎた。ドクター・トマに「セーヌでもっともホットなスポット」へつれていってもらうまで、ガートルード・スタインについて訊ねてみよう。
「ガートルードには、しびれたね。彼女こそ真の天才だと思ったよ。パリにきたのも、だれより早かった。鉄道会社役員の娘として生まれ、かつてアメリカのマサチューセッツ州ケンブリッジにあったラドクリフ・カレッジの医学生だったガートルードは、心理学者ウィリアム・ジェームズに学び、ヨーロッパ最先端の心理学に影響をうけた手法「意識の流れ」や「自動筆記」を実践して小説や詩を書きはじめていた。いっぽうで、彼女はじぶんが同性愛者であることに深くなやんでもいたんだね。アメリカはヨーロッパほど性に寛容じゃなかったから。家族との軋轢や、医学校で親友との恋愛事件もあったりして、その若き懊悩は没後に刊行された幻の第一小説『Q.E.D.』にも書かれている。そんなとき、美術批評家であり収集家でもあった兄のリオから、パリにこないかって誘われた。兄妹はパリの新進画廊のあつまるリュクサンブール公園界隈、フルール通り二七番地のステュディオに移住する。ふたりは美術商アンブロワーズ・ヴォラールの仲介で最初にポール・セザンヌの風景画を購入したあと、無名だったパブロ・ピカソに傾倒し、ゴーギャン、ブラック、マティスと、いまでいうフランス近代美術の巨匠の作品を痛快なほどたてつづけに蝟集した。当時のパリ画壇は自然主義画が主流だったけれど、ガートルードの眼は躊躇せず、のちの印象派、シュルレアリスム、キュビスムといった前衛絵画を蒐めてゆく。心理学者ジェームズの薫陶だろうね。ガートルードはイギリスやアメリカから渡仏する詩人や作家たちの、パリでの窓口となり文学サロンのパトロンともなった。作品が斬新すぎて母国では評価されなかった詩人エズラ・パウンドやT・S・エリオット、作家スコット・フィッツジェラルド、まだ何者でもなかったアーネスト・ヘミングウェイやジェームス・ジョイスもパリに来て最初に彼女を訪ねた。ガートルードの書斎の壁には、ほかにもギョーム・アポリネール、マリー・ローランサンといった芸術家の作品がところせましと架けられ、パリの名所だったのさ。若きシャーウッド・アンダースンやヘミングウェイはそんなすごいアートを直に観て学び、ガートルードに原稿を見せてアドバイスを請う。ガートルードは『パリのアメリカ人』のドンでありモデルだったんだよ」。


 うん、トマの講釈は大体あっている。そして、ガートルード・スタインこそ、だれからも読まれない天才だった。セザンヌのキュビスム的手法を用いてフロベールの『三つの物語』を書いたという小説『三人の女』や、一九二五年にやっと世にでた『アメリカ人の成り立ち』はだれより早く二〇世紀文学を予告していたが、ジョイスやヘミングウェイの成功と名声の影に覆い隠された。
 なぜか。当時、というか現在も、ガートルード・スタインの文学は前衛的にすぎ、一般読者には愛されなかったから。スタインはアメリカ口語を文学に最初に用い、殊に文体や詩語の実験をやりつくした。ハードボイルドの元祖といわれるヘミングウェイの「乾いた文章」、修辞と形容詞をかぎりなく削り、文章からウェットな抒情性を削ぎ落とした文体は、スタインの実験を後追いしたものだ。しかも、彼女よりずっと甘やかに濡れている。動詞を現在分詞と動名詞におきかえた『アメリカ人の成り立ち』はまさに疾走する散文。まったく読者の共感をスピード違犯していて、現代文学でもっとも読破が困難な作品のひとつ。一般読者はもとより文芸批評家さえも、スタインの文学は言語芸術至上主義、あるいは、奇矯と映った。
 批評家ヴァン・ワイク・ブルックスなどは、ガートルード・スタインの英語を「ベイビー・トーク」と非難。それでも、スタインの実験を継承した偉大なアーティストたちもおおい。作家で戯曲家のサミュエル・ベケット、音楽家のジョン・ケージ、画家で彫刻家のアルベール・ジャコメティ。いや、まてよ。ブルックスの評言はただしい。彼女は言葉の赤ん坊に還ったのだ。パリに来て、異邦人の瞳から母語であるアメリカ言葉をみつめなおし、気にいらない玩具みたくぶっこわして、新しい遊戯へとつくりなおしたのだ。
「着いたよ」トマの言葉ではっと我にかえる。そこは、セーヌ左岸にあるシェイクスピア&カンパニー書店。パリにありながら、昔から英語の本をメインにセレクトする書店だ。別名、「失われた世代(ロスト・ジェネレーション)」詩人と作家の聖地。青年は「ここが、ぼくの仕事場だよ」と照れくさそうに笑った。ああ、そうか、なるほど…。


 一九一九年、アメリカのニュージャージーから渡仏してきたシルヴィア・ビーチ女史によってパリ五区に開店されたこの店は、当時からビーチのすぐれた鑑賞眼によりすぐられた英米文学書や英訳書を書架に蔵してきた。販売もするが一般に貸出しもしており、蔵書数は五万冊ともいわれている。
 歩くときいきい鳴る木の床。いたるところ本で埋め草された、フランスではめずらしい木造家屋の店内は書物の重さで傾いてみえる。本で塞がれてしまいそうな、踏みのぼるとみしみし鳴る木の階段も、開店当初のまま。二階は読書サロンにもなっていて、ビーチが世界で最初に出版したジェイムス・ジョイス『ユリシーズ』初版本やヘミングウェイ本人からの寄贈本といった稀覯書コーナ、朗読会やイベントスペースになっている。
 そして、この書店の豊穣な伝統であり特長は、旅銀のない若い書き手に、店でのちょっとした労働を対価に無料で宿をもてなし、蔵書を貸出してくれているのだ。読書室のカウチでは、いまもおおくの若者が静穏にページをめくり鉛筆やペンをはしらせ、パリで詩人、作家修行した有名無名の先人たちにつづこうとしている。この書店の存在を世界へ報じたのは、アーネスト・ヘミングウェイが自身の駆出し作家時代を回想した好著『移動祝祭日』だろう。文豪のみならず、すかん貧だが当人はじぶんを大詩人だと思っていた若きパウンドやエリオット、しぶしぶ家庭教師をしながら作家修行に打ちこむジョイスも最新文学書や哲学書を借り、すきっ腹のときは昼食をごちそうになりにきた。ジョイスなどは難解かつその性描写ゆえに発禁処分となった出世作『ユリシーズ』の版元を、シェイクスピア書店とシルヴィア・ビーチにひきうけてもらったのだ。
 もちろん、スタインもシェイクスピア書店に通った文人のひとり。けだし、書店へのかかわり方はもっと積極的だった。フルール街のサロンに顔をだしていたビーチに蔵書を寄贈し、注目すべき新進詩人作家の名を耳うち、宣伝活動のために絵画を貸出したりと公私にわたり蔭に日向に永らく援助した。ちなみに、フィッツジェラルドやヘミングウェイらを「失われた世代」と命名したのも、スタイン。パリ郊外の自動車修理店をスタインとヘミングウェイがおとずれたときのこと。車の修理が間にあっておらず、店長の「きみらは自堕落な世代だよ」という若い部下への叱責を、スタインが面白がって「失われた世代」と訳した。のちにヘミングウェイは『日はまた昇る』の冒頭にその言葉を借用する。スタインはプロデューサーとしても稀有な才覚を発揮したのだ。
 トマが一九四〇年刊行のスタイン著『パリフランス』をさがしてきた。「パリのイメージや歩き方が変わるよ」。ぼくも、学生時代に読んだことがある。じつは、この本、スタイン直伝のパリ案内という心躍る書名とくらべ、びっくりするほど退屈な代物。パリのモードもピカソやマティスも伝説のカフェ「黒猫」もスタイン文学における情景描写同様、いっさい登場しない。すべての読者に肩すかしをくらわせ興味の外側を悪戯猫のように渉猟して悠然と去るスタイン一流の乾燥したペンには、こんな魔法がかかっているから。

 「文の形容詞や修辞、読者の興味を喚起する描写をわたしが回避するのは、ありがちな連想や記憶を遮断するためです。わたしは世界を愛していないわけではありません。ただ、非情なのです。」


 スタインは、読者がパリにいだく甘やかなイメージ、連想、記憶を涸らしてしまう。彼女は数多の作家のように世界を言葉で抱擁したりはしない。彼女は詩人の「非情」をもって世界と対面し、旅する。スタインは、パリの秋空にきらきら舞い、ふだんは灰色に沈む石の街角をあでやかな黄金色で明るますマロニエの葉を書かない。人間たちが物を代弁し言葉をおしつけるのではなく、物そのものの内側に物そのままの言葉を宿らせておこうと密かに配慮する。
 トマもいう、「美は不在なんだよ。だから、だれもが最初からじぶんだけの美をみつけることができる。パリに来たらルーヴルなんか行くな。そんなものトーキョーで観られるだろ? レンブラント、ドラクロワ、ピカソでさえ教科書や美術館カタログを眺めてりゃいい。生きたアートのあるマレやベルヴィルを歩くんだ。ギャラリー・ペタロンやカルティエ美術館もいいね。いましか出逢えないパリと出逢うんだ。バラはバラでありバラである」。
 ぼくも、パリへ発とうとする旅行者におなじことをいうだろう。


 十数年後、ぼくは妻と秋のシテ島をそぞろ歩いた。著者紹介に「趣味、料理」と書いていたグルマン、スタイン。彼女が『アリス・B・トクラスの料理本』で絶讃したアイスクリームの銘店ベルティヨンで、ぼくらはマロンとヘーゼルナッツのアイスを買って歩きながら食べた。「ベルティヨンのアイスクリームを食べると、すべてのアイスは氷っぽく味気なく変わる」。濃厚でねっとりとした舌ざわり、農産国フランスの天然バニラと栗の自然でゆたかな甘味と香がひんやり、蒼く凍てついた追想を溶かしてくれる。これが、パリの味。
 それから、ぼくらはシェイクスピア書店を再訪するかもしれない。そして幸運にも二階のカウチが空くなら、ぼくは鞄から銀軸のボールペンとノートをとりだして座り、詩を書くかもしれない。
 いまも、「不断の現在」を生きようとする若者たちと。


 それにしても、トマ。バラは四回、だ。


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