北村太郎の横浜──ぼくに戦慄なんかない

北村太郎の横浜──ぼくに戦慄なんかない

詩への旅

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詩人石田瑞穂が一篇の詩を旅するように、国内外の詩人ゆかりの地を訪れ、土地と対話するように詩を読み、酒を呑み、また、呑む。読書と酒食に遊ぶ愉楽の紀行エッセイ。近現代の詩と詩人の魅力もわかりやすく紹介します。

北村太郎の横浜──ぼくに戦慄なんかない

石田瑞穂

詩人石田瑞穂が一篇の詩を旅するように、国内外の詩人ゆかりの地を訪れ、土地と対話するように詩を読み、酒を呑み、また、呑む。読書と酒食に遊ぶ愉楽の紀行エッセイ。近現代の詩と詩人の魅力もわかりやすく紹介します。




 爽涼と大通りを吹きぬけてゆく潮香、港の汽笛、灰色の海。
 昼下がりの山下公園にきていた。わがナジャ、黒猫と。炎天下なのにコムデギャルソンで全身黒づくめの、自称〈現代に転生をとげしエドガー・アラン・ポーの忠実な従者〉は「新鮮なお魚が食べたい」と、はやくも舌なめずり。夏の薔薇が海市に咲く、日本最古のシティホテル「HOTEL NEW GRAND」のまえを歩きすぎると、カモメたちの声とともに、海に停泊中の氷川丸がみえてきた。
「生前はホテルニューグランドを贔屓にして〝天狗の間〟でカンヅメ執筆もした大佛次郎なんかは、いかにもスタイリッシュに横浜を愉しんだ文豪だよね。でも、北村太郎という詩人は、横浜の街と不思議なかかわり方をしてきたとおもう。ぼくが横浜の北村太郎をイメージするなら、独りベンチに座り、波にゆれるポンポン船や海鳥の浮揚をながめ、汽笛に耳をかたむける姿しかうかばないな。ただただ、波と海光にむかって放心する姿しかね」



   ベンチにて
                     北村 太郎

   くわえたシガレットを
   胸いっぱい吸うと
   そこはもう街につづく落葉の歩道だ
   海のさきからやってくる冷たい薄闇のなかで
   吸われるたびに
   シガレットの先の赤が
   濃く滲む

   一日の労苦を終え
   若い船員たちが、連れ立ってこちらにやってくる
   どの靴もよく磨かれ
   大声でしゃべっている
   信号旗のはためきなんか
   いまは、遠いうねりの彼方
   褐色の頰に、街灯の蛍光を映して
   ぼくの鼻先を、元気に通り過ぎていった
   街には、どんな冒険があるのだろう
   クレーンを操るように
   女たちを思いのままに動かす夢や
   エンジンの油を注ぐように
   はらわたに効果的な泡立つ液体をそそぐ幻を
   足音で鼓舞しているみたいだ

   税関の建物の前を
   空罐がころがっていく
   ここにある時間は、いったいどこに経っていくのか
   秋は、とっくに事を終らせてしまっていて
   ぼくに戦慄なんかない
   白髪は死の花
   ゆっくりと、腰を上げる
                     (詩集『路上の影』より)



 北村太郎は横浜に「何回も出たり入ったりしながら」、「通算二十六年半」住んだという(「横浜中心部の地名」)。浅草に生まれ育った北村太郎は海軍兵士として徴兵され、戦後は練馬区の保谷、鎌倉、稲村ガ崎、逗子をへて一九八一年に横浜へ引っ越し、晩年の約十年間を暮らした。小説やテレビドラマにもなったが、戦後詩を代表する詩誌『荒地』の詩人、田村隆一とその元妻、そして北村太郎との長い三角関係のすえの独居だった。



田村夫妻と百メートルも離れていない所に住んでいる三角関係に疲れ、加島祥造に頼んで探してもらった横浜中区大芝台へ転居。六畳と三畳二間で、南京墓地が眺められる二階。銭湯が歩いてわずかな所にあり、下町風の山元町商店街がすぐ近くにあった。
                  (『北村太郎の全詩篇』年譜より)

 



 タクシーで根岸競馬場の裏手ににある大芝台へ。シャッターの閉じた店がちらほら目につく昭和レトロな山元町商店街を歩く。
 ところが、詩人が暮らした二階建ての古アパートは、いつとはなしに消え、灰色の立体駐車場にかわっていた。
「横浜にとって、北村太郎は透明人間みたいな詩人だった。都市に埋没したアパートの一室で、北村太郎は雑誌や洋書に囲まれた座卓に原稿用紙をひろげ、日がな翻訳仕事にうちこみ、ときに人知れず詩を綴った。戦争に散った姿なき詩友たちとおなじく、その生き方も暮らした土地も、特性のない灰色に散逸することを好んだんじゃないかな。北村さんは戦後すぐにレイモンド・チャンドラーの『湖中の女』をはじめ、エリック・アンブラーの『あるスパイの墓碑銘』や偉大な覆面ミステリ作家トレヴェニアンの『夢果つる街』といった数々のミステリやスパイものを訳した。なかでも、アンブラーやグレアム・グリーンのような写実と幻想が混淆するスパイ小説が好きだったみたい。「神のスパイ」なんてキルケゴール論を書いたくらいだから。萩原朔太郎が探偵のような詩人なら、北村太郎はスパイのような詩人だったね」

 特性と痕跡を消された詩人の仕事場は、いまや本物の無人の静寂につつまれている。アルカリ成分を好む外来種のケシ科の花が風にゆれ、どこからか三羽鴉が飛んできて、鳥類とは思えないひどい歌で黒猫を威しはじめた。ぼくらは、北村太郎が毎日かよったという喫茶店「HOT POT」をさがして商店街を歩く……すると、あった!
 ホットポットにはアメリカ南部のスラングで坩堝という意味もある。店内にはサンハウスのブルースがかかり、アンティークのフェンダーギターやベースが置かれていた。それ以外はごく普通の、年季の入った街の喫茶店。昼食がまだだったから、ぼくはビール、黒猫はアイスコーヒー。ナポリタンを食べる。老マスターに、詩人北村太郎についてたずねると、なつかしそうに話してくださった。
「高名な詩人、といった感じはまったくしなかったです。いつも白いセータ、ジーンズ、サンダル。深夜から朝まで執筆されたから、毎日、いまくらいの時間にこられて、コーヒーとパンと卵の朝食。それから、マイルドセブンを吸いコーヒーを飲みながら各社新聞を片っぱしから隅々まで丹念に読む。朝日新聞の校正者だったから。そういえば、部屋にテレビがないとおっしゃってたから、ここでよくビデオ映画を観ました。マイケル・ジャクソンの『スリラー』を初めて観たときは、すげえ、と喜んでましたっけね」
 北村太郎とデルタブルース空間。ぼくにとっては、かなり意外なくみあわせ。そんな異和も、ノンシャランスに、いつのまにか柔らかくつつんでしまうところが、北村さんらしい。その、ふしぎなあり方は、北村太郎の詩の魅力とあいつうじるようにおもえた。


 時の潮からとりのこされたような商店街をあとに横浜駅へ、ふたたび歩きだす。赤レンガ倉庫、大さん橋、港の見える丘公園、日本丸……港湾都市横浜のウォーターフロントの魅力は随所にあるが、べつの魅惑が、横浜にはあるのだ。
 それは、橋梁と運河が奏でる水都の魅力。たとえば、ウォーターフロントから大岡川にそって桜木町の駅を通過し、野毛町から都橋をわたって吉田町へ、さらに長者橋をわたって日の出町へ。その間にも桜橋、宮川橋といった小橋梁があり、橋のうえごとに黄昏の街は表情をかえる。大岡川ではうらぶれた柳並木を水鏡に小舟がゆれていた。水面はうっすら金色で、漣のうえを、海からのそよ風が潮の香とカモメの歌をはこんできた。
 すると、旧運河と背中合わせにゆるーく月なりのカーヴをえがく建築物、都橋商店街に照明がつぎつぎ点灯しはじめた。その形状から「ハーモニカ横丁」ともよばれる、コンクリ二階建の古雑居ビルは、ほとんどの部屋が呑み屋になっている。スナックやショットバーのオレンジ、紫、緑のネオンが運河に灯り、波間にゆらめきだつ都橋の夜景は、酒場にしかない独特の抒情を醸す。



 夜、水、光、風が、灰色の街に生命の韻律を刻んでゆく。
 「北村さん、浅草の蕎麦屋のせがれだったなあ。でも、書く場では江戸っ子色もハマっ子色もださない。灰色のまま。北村太郎が生まれ育った戦前の浅草界隈も江戸の水郷だった。北村さんは、冬、雨、死をよく詩ったけれど、そんな灰色の生活につかれると、生命の徴をもとめ水都横浜を逍遙して、失われた故郷の情景をかさねたのかもしれないね」


 さて、ぼくらも乾いたから、港町の酒場へとくりだそう。
 不意に黒猫が「北村さんて、どんな店で呑んだの?」ときく。「橋口幸子氏はこう書いてるね」と、ぼく。「その居酒屋は俳優の殿山泰司の奥さんがやっていた、朝から開いている質素な店であった。コップ酒、しかも合成酒。つまみはおでんか、いもサラダ、一杯で必ず酔った。帰り道のすぐ近くにパチンコ屋があって、負けるのにかならずやろうという。一度も勝ったことはなかった」(『コーヒーとエクレアと詩人 スケッチ・北村太郎』)。「徹底して埋没していますね。呑むときも灰色なんだ」と黒猫。
 戦後闇市からひらけた呑み屋街、野毛にきた。野毛の安居酒屋でコップ合成酒、という手もあるけれど。黒猫はごねるだろうなあ。
 よって、老舗バー「R」へ。横浜でバーにゆかずして、どこで呑むのか。野毛で三代つづくオーセンティック・バーには、ずらりと古今のスコッチがならぶ。なかには六〇年代とおぼしき、トリス、ダルマ、白角のセピア色に古びたボトルも。飴色に艶うカウンター、ケニー・バロンのピアノがかかる店内。が、スノッブな高級感は不在で、庶民的な気楽さとジャズと紫煙が静かにダンスしていた。
「サントリーの看板イラストレーターだった柳原良平氏が通ったバーだよ。ほら、壁に『R』と刻まれたドアに通うアンクルトリス風の紳士が描かれた原画が飾られている。山口瞳氏の小説の登場人物で柳原氏画の江分利満氏も、どこか北村太郎の面影とかさなるんだよなあ。ぼくは、ドライマルチニ。あと、グラタンを」



 酒の味は、じつに正統なオールドスタイル。気負いのないマスターは、時代に流されず、変わらないことがバーの価値、という趣旨のことを話していて、ぼくには、ぐっときた。
 グラタンも、秀逸。こう言ってはなんだが、チーズもマカロニもベジャメルソースも、特別な食材はつかっていないはず。でも、くたっとやわらかく茹でたマカロニは、噛むと、じんわり小麦の甘さが口中にひろがるし、玉葱はキツネ色に焦がしたわけでもないのに、品良く香と甘味がひきだされている。なにも特別ではないのに、特別に感じるこのグラタンの味はなんなのか。きれいに紅白のサシがはいった天然鯨ベーコンは、脂に雑味がなく、ふしぎとジントニックにあう。「この味、北村太郎さんはお好きだったかも」と、黒猫。
「北村太郎は食物にかぎらず、猫好きということ以外、嗜好を公表することがなかったね。詩を書くことは自己韜晦の手段で、個性も主体性も痕跡を消去し、自己消滅への情熱につきうごかされて書いた気がするよ。その韜晦は詩の内部でさらに暗喩化されてゆく。この奇妙な詩的韜晦は北村太郎の生理であり、氏を詩人にしたんだ。海が世界で陸が地上の生活だったとすれば、どちらからも書くことで韜晦した北村太郎は、港の人、だったのだろうね。スパイ的なスリルからも隠れて書きつけた、「ぼくに戦慄なんかない」というフレーズは、すごいとおもうよ」
 このグラタンも酒も戦後の味がするのだろうか、そうつぶやいても、黒猫は猫耳西風。グラタンを空にし「スパイはみなベンチが好きですよね。連絡員と逢ったり」と、けっこう穿ったことをいうもんだ。
 スパイ詩人北村太郎は、独り、横浜の港でどんな詩のミューズとおちあっていたのだろう。

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