詩人石田瑞穂が一篇の詩を旅するように、国内外の詩人ゆかりの地を訪れ、土地と対話するように詩を読み、酒を呑み、また、呑む。読書と酒食に遊ぶ愉楽の紀行エッセイ。近現代の詩と詩人の魅力もわかりやすく紹介します。
天国の夏 (ミズーリ人のために)
カンダは天国に近くさびしい
人間の世界の終ろうとするところだ
植物になりかけの人間ばかりのようだ
これではスターンのように
椰子の樹が唯一の恋人だ
スターンといえば…
スターンズはまだ寒い頃死んでしまった
でも二三日旅に出て暗い川縁にいた
地獄でもイボタの白い花が咲いている
なにしろこの辺は星も見えない
暗闇に立ってあのヒゲの男は
灰色の紫に光る鵜の首をさすり
パスカルが天文学を語っているようだ
何故かわれわれは幾万年もひき戻された
蝶にも蚊にも色彩の模様がついているが
人間には模様がなくなったが
それは淋しいことだが仕方がない
人間の存在自身模様にすぎない
地球ってあまりいいところでない
〔以下略〕
地下鉄の階段を神保町交差点へのぼってゆくだけで、こころが浮きたつ。そんなとき、つい口遊んでしまうのが、この西脇順三郎の一篇。地上に着けば「天国に近く」、世界最大級の本の街、神田古書店街の街なみがひろがっている。
ぼくが学生だった一九九〇年代後半。神田神保町周辺にはあらゆるジャンルを網羅する約百店の古本屋さんが櫛居していた。いまでは店仕舞いした古書店に、スポーツ用品店や飲食店がはいり、古書店街はやや斑な観がある。それでも、本の街からは、自由と文化の香が馥郁とただよってくるのだった。
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きょうはカンダへ、「幻影の人」、西脇順三郎さんに逢いにきた。西脇の詩のいうとおり、たしかに人間は「模様」を失ったが、本をもとめて嬉々と闊歩するカンダ人たちにはいまだに「模様」がある気がする。きょうは快晴だが、紫陽花も咲きはじめ、大気には梅雨のにおいが漂っていた。そういえば、しとしとと腐し雨のつづく日々に、もう一篇、口遊んでみたくなる西脇さんの短詩があった。
天気
(覆された宝石)のやうな朝
何人か戸口にて誰かとさゝやく
それは神の誕生日。
一九三三年に刊行された西脇の日本語第一詩集『Ambarvalia』の第一篇。一行目中の「(覆された宝石)」は、一八世紀英国ロマン主義の詩人ジョン・キーツの詩集『エンディミオン』からの引喩(引用)だ。詩人の三好達治は「天気」をして、「この第一行は詩人の全生涯でもそうそう書けるものではない」と絶讚した。キーツの“like an upturn'd gem”はやや凡庸な修辞に聴こえるが、西脇は他者のフレーズを引用しつつ、原文を凌駕する詩を書いてしまった。
古今東西の知を縦横無尽に“引喩”してゆく西脇の詩は神田古書店街をそっくりそのまま、詩の内奥に蔵書しているかのよう。西脇さんの幻とすれちがうなら、洋書屋しかない。
靖国通りを専大前交差点から駿河台下交差点まで歩けば、神田古書店街の忘れえない魅力、もうひとつの顔と対面することになる。
それは海外輸入書籍、原書をあつかう洋書屋の多さと充実ぶり。大店の北沢書店からはじまり、有名専門店だけでもイタリア書房、古書羊頭書房、大島書店、崇文荘書店、中国書なら内山莞爾が創業し魯迅が通った内山書店、イプセンの戯曲をもとめて寺山修司が立寄った矢口書店もある。輸入取扱店は枚挙に遑なし。いや、かつては、というべきか。インターネット通販の普及後、洋書屋も一時後退を遁れることができなかった。ボストンの老舗書肆をそのまま移築した風情のタトル商会もいまはない。
英国オックスフォード大学を卒業後、慶應義塾大学でイギリス文学の教鞭をとっていた西脇も、「あれ程英語で書かれた英文学の本が世界の何処の国(英米の国々を除いては)よりも沢山積まれてある」と洋書街の壮観ぶりを愛でていた。どっしりしたウッド枠のショーウィンドウには、古色蒼然とした重厚な革装の洋書がつまれて、
教文館に行くとアメリカから出たラテン教科書の古典書があった。しかし僕は神田の古本屋からVergilのAeneidのいい本をみつけて、帰りに銀座のパウリスタであまり甘くないコーヒーを飲みながらそれを得意になってひろげてみていたことを記憶する。
と、古書店街そばの研究社が定期刊行している英語専門誌「英語青年」に、昭和二十六年から二十九年まで連載したエッセイ「MEMORY AND VISION」(のちに昭和三十一年同社刊行の随想集『メモリとヴィジョン』収録)で、洋書屋巡りの思い出を愉しげに書く。
新潟県小千谷の豪商、旧い縮問屋に生まれた箱入り息子の西脇順三郎は学校になじめなかった。中学で西脇は級友を避け高価な英書ばかり読んでいた。そのころの渾名は「英語屋」。「学校恐怖症」の少年は洋書の世界へ深く遠くEXILEするようになった。
西脇は洋書と英語への偏愛ぶりを独特の感覚で書いている。
中学の二年か三年の時から、ナショナル・リーダーズを一巻から五巻まで和製の本ではなく、舶来出来の本を買ってもらった。その舶来の本は実にいい香りがしてシャボンのようであった。
少年の夢は英語で「欧米人と同じように自然に考え話し書くことができる」ようになること。その情熱は文学よりも英文法や慣用表現の分析と研鑽にむけられた。そんな西脇の「語学馬鹿」は生涯つづく。児童心理学ではコミュニケーションに障壁をもつ子ほど、細かな機械いじりや手作業に没頭するという。西脇もラヂオ少年のように、知らずうち言葉の配線盤や回路を、言語の工学を手遊んでいたのだろう。言葉を物質としてとり扱う感性。それは、詩人になるための豊かな資質だ。詩人にとって詩を書くことは、ある種の手仕事にほかならないから。
「抒情詩を読むと風邪をひく」と書いた西脇は、日本文学の湿潤をきらった。かわりに、西欧文学のみならず、ラテン語と英語をふくむインド・ヨーロッパ語族を深く愛し膨大な語学ノートやカードを記し遺す。一九二五年にロンドンで刊行した第一詩集『Spectrum』は全篇英語で書かれたし、『Ambarvalia』にはラテン語詩がおさめられた。西脇は自身の詩を、洋書の手ざわり、インクの香り、雲色の洋紙に透ける異語の響きそのものにできまいかと、夢見たのではないか。だから、「天気」のような詩作品も生まれた。
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さておき…大島書店でLaurence Sterneの『Journal to Eliza』一九世紀末革装本(ちなみに、西脇はこの本を最高の散文作品であり詩と評している)を掌にのせていたら、渇いてきた。英国とくれば黒ビール。創業百十年のビアホール、ランチョンで喉をうるおそう。
ランチョンはアサヒビールが大日本麦酒だった明治時代から、ビアマイスターが三度注ぎ、三重に泡をかさねて注ぐマルエフ(火入なしの純生ビール)を供してきた。注ぎ方だけでも、ビールの味がこんなに変わるなんて…毎度々々驚きつつ、手もとの『メモリとヴィジョン』をひらけば、まさに「ビール」という掌編があって、
イギリスのビールはフランスやドイツ流のビールに比して、その味が甘ったるく、そのにほいが濃厚で、初めはそのにほいだけでも私などは胸が悪くなりそうであった。先ず居酒屋へはいってみると、ぷーんとむせかへるような臭みが鼻をつく。しかし、そのにほいこそ英国の質朴な大衆のにほいで、なれると、おつなもので、なつかしくなる。
「『パブ』は日本の銭湯にあたるところ」とも。西脇のいうビールは、日本人の好むラガーではなく、エールのことだとおもうが、「なれると、おつなもので、なつかしくなる」なんて一行が、ビールの良さをよく物語っているなあ。
つまみは、英国贔屓の作家吉田健一発案のビーフパイにしよう。このパイ、ちょいと変わっていて、さくさくのパイ皮に熱々のビーフシチュー種がくるまれてある。英国留学時代、冬のパブのメニューがビールとシチューしかなく、一冬、それで呑むことを余儀なくされた吉田が往時を偲んで提案したとか。このパイも、「なれると、おつなもので、なつかしくなる」呑み方から生まれた料理だろう。店内で熱々のビーフパイを左手でつまみ、空いた右手で冷たい生ビールを喉に流しこむ。手にいれたばかりの古本のページを繰る。これが…たまらない。きょうの収穫、崇文荘書店で見つけたディラン・トマス詩集『23 Poems』初版をやおら紙袋からとりだせば、頬がゆるむというもの。時をかさねたハードカヴァの質感を眼と指先でたのしみつつ、黒ビールで二本目のパイ。ビーフパイをもう一皿、マルエフ、おかわり。
グラスを片手におおきな窓から神保町の青空をみあげた。
もうすぐ、夏がくる。