西田幾多郎の哲学の道──わが心深き底あり

西田幾多郎の哲学の道──わが心深き底あり

詩への旅

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詩人石田瑞穂が一篇の詩を旅するように、国内外の詩人ゆかりの地を訪れ、土地と対話するように詩を読み、酒を呑み、また、呑む。読書と酒食に遊ぶ愉楽の紀行エッセイ。近現代の詩と詩人の魅力もわかりやすく紹介します。

西田幾多郎の哲学の道──わが心深き底あり

石田瑞穂

詩人石田瑞穂が一篇の詩を旅するように、国内外の詩人ゆかりの地を訪れ、土地と対話するように詩を読み、酒を呑み、また、呑む。読書と酒食に遊ぶ愉楽の紀行エッセイ。近現代の詩と詩人の魅力もわかりやすく紹介します。


 詩人の散歩の達人が西脇順三郎なら、哲学者のそれは西田幾多郎だとおもう。なにより、京都の左京から山科までいたる長い散歩コース「哲学の道」は、西田幾多郎にちなんで名づけられたのだから。
 大正二年(一九一三年)に、西田幾多郎が京都帝国大学文科大学教授に着任したのは、四十四歳のとき。以来、五十九歳で退官するまで、西田は日々この道を歩きながら思索に耽った。
 哲学者西田幾多郎にとって、哲学の道こそは、思索が散歩し、散歩が思索する得がたい〝時間〟だったのではないか。
 それにしても、本エッセイ「詩への旅」に、哲学者が登場するのはなぜか。西田幾多郎は、哲学的思索のかたわらで歌作に励んでいたからである。そして、その短歌たるや、哲学者の歌らしく、じつに理屈っぽい。否、西田哲学を短歌している、というべきか。
 明治四四年(一九一一)年に纏った『善の研究』でカントをはじめとするドイツ近代哲学と日本・東洋思想を結びながら、それにより西欧近代を超えでようともした、西田幾多郎。その歌は、厳密な理論記述でも書ききれず、思考のインクとともにペンから零れゆく真理を、なんとか、ポエジーに留めようとするかの歌作だった。

     運命の鉄の鎖につながれて打ちのめされて立つ術もなし

 哲学書中の一行にも似る西田幾多郎の歌は、歌人の耳には、短歌の情調に聴こえないかもしれない。あるいは、哲学徒の耳には、哲学を情緒で語るだけのあいまいなフレーズに聴こえるやもしれない。でも、ぼくの詩人の耳には、西田の哲学も短歌も好もしく聴こえる。そして、西田の詩境をすこしでも味わいたくて、きょうも哲学の道を愉しむのである。

 哲学の道は、琵琶湖疏水という、狭くちいさな水路の脇を通る石畳の小径である。水路の両岸には桜が植えられて、春は桜花の、秋は紅葉のトンネルになる。そのぐるりは、民家や寺社の庭にかこまれていた。
 疏水には、いくつもの、おおくは石の小橋がかかってい、両岸の路地を繋ぐ。ぼくはこの水と橋の光景が好きなのだった。
 いつもはもっと穏やかな季節、花に葉桜のまじる晩春や初秋の観光客がすくないときをねらって歩く。三月の哲学の道は、初めてだった。




 冬の朝の光が薄く射す、哲学の道は、無人で、疎水の流れに枯葉が落ちる音まで聴こえる静寂だった。小鳥の歌がやかましい。染井吉野の枝をみあげると、エナガ、コゲラ、ヤマガラ、いわゆるカラの混群が飛来していて、だから、こんなに姦しいのだった。
 しばらく歩くと、裸木になり白んだ屋敷森のたもとに、石の腰掛が置いてある。西田幾多郎になった気分で、背筋をのばし、ややかしこまって座った。コートのくたびれたポケットから、ミニチュアボトルと旧い岩波文庫の青本をとりだし、宿酔いの瞳を西田幾多郎の歌の呼吸へとあわせてゆく。

     わが心深き底あり喜も憂の波もとどかじと思う


 耳朶を風が吹き過ぎ、枝から枯葉がはなれ、森の奥で落果がカーンと竹を打つ。流れてある世界の漣が、どこにもゆかず、スローモションのままちらめき瞼の奥に静まった。

 しばらく歩くと、法然院への道標がみえた。苔生した石の参道をのぼると、あの特徴的な山門がみえてきた。
 ぼくは、このちいさな山の宝石のようなお寺が、大好きだ。殊に、この山門。
 唐門ではなく、すこし艾も生え自然のままの茅葺屋根、数寄屋造のフォルムはごく単純化され、優美な台形をしている。さらに、そのしたの門扉はひらかれ、本柱のあいだの空間は完璧な方形をなして門口が截られていた。その透き間のむこうに、寺庭の遠景があり、四季折々の楓と枯山水が漂って映りこむ。




 つまり、門を額縁にみたてれば、門柱のあいだのじつに美しい方形に、初夏は滴るように輝く楓の新緑が、秋は艶やかに燃える赤葉が、まるで一幅の画のように截りとられ観られるという仏趣。
 やはり、この山門に惚れこんだのか、ひとりの金髪の女性が門前に三脚をたててシャッターをおしていた。ぼくは、その女性写真家とともにしばし黙して門前にたたなずみ、冬もいあなあ、と想いめぐらした。写真家はマルゲリータと名のり、京都に恋し暮らして八年、という。「あなたは、とても、いい季節にこのお寺にいらっしゃいました。一期一会、ですから、このお寺の美しきこと、楽しきことをお教しえします」。彼女はこちらが畏るほどの丁寧な日本語で、このお寺の冬の見所を教示してくれたのだった。
 江戸時代に開山した法然上人ゆかりの古刹法然院は、阿弥陀如来を本尊とし、手入れのゆきとどいた浄土庭園と本堂、経蔵、書院、鐘楼などがある。浄土宗の道場寺だったが、いまは全国から修行僧をうけいれる独立派寺院、山中のちいさなお寺である。
 境内にはいるまえに寄り道してゆこう。東山を背にした右手の墓地に、谷崎潤一郎夫妻の墓がある。苔がよく茂った土のうえ、谷崎がこよなく愛し『細雪』にも登場した平安神宮の八重桜と同種の桜のしたに、対になったお墓がならんでいた。谷崎の墨書で「寂」と篆刻された墓石が谷崎潤一郎夫妻の墓。「空」と彫られた墓石は谷崎の実妹重子夫妻の墓であるという。
 合掌一礼して山門をくぐると、参道の両側に、枯山水の白砂壇がある。その台形の砂山のあいだをとおることは、浄土に歩み入ることを意味するとか。分厚く茂った苔のうえには枯葉一枚落ちてはいない。真冬でも瑞々しい緑の海と石の参道は掃き清められて、静謐が凛と漲っていた。境内には、野鳥たちの歌と湧水の音しか聴こえない。講堂、本堂へと詣でたあと、マルゲリータが教えてくれた本堂北側の椿庭へ。寒椿がちょうど観頃だという。
 回廊に囲われた矩形の中庭には、三銘椿といわれる五色散椿、貴椿、花笠椿の木が整然とたちならび、数はすくないものの、大輪の花を咲かせている。つめたい冬陽に透ける紅と白が練りこまれた花びら、冠のように立派な雌しべ。
 朝露輝く苔のうえにひっそり散華した椿がまたよかった。

 西田幾多郎はデカルトの「我思う故に我在り」の文法上の時間軸を転倒しつつ、私は存在しないことによって存在する、という、主体と客体が分離するまえの「純粋経験」の存在論を展開した。西田は、哲学や言語学の一般通念に反し〈私〉は主格たりえないと語った。畢竟、私は私である。ならば、私とは私になったあとの私にすぎず、元来、主格ではなく述語、つまり語られる存在にすぎない。
 では、主語としての私は、どこにいる? 日本語の文章では、主語はしばしば省略され、そこに在りながらそこにないことが普通におこる。主体と客体が未分化なことが自然となる。さらに、このことは、詩人のぼくにとっては最大のレッスンをもたらすのだった。
 主格が空なら、その空には、いったいなにが潜んでいるのか。それは、言語化以前の場所、私をふくむ世界そのもの、だろう。つまり、西田幾多郎が図らずも証明してみせたのは、世界のすべては言葉である、言語化することにより初めて世界は人間へと現前する、という言語中心主義的思考が戯論にすぎないということだ。
 きょう、ぼくは、哲学の道を歩く自分がその時間と空間の、風、花、小鳥、草木の、一連の流れのひとつになる体験をした。ぼくが哲学の道であり、哲学の道がぼくになったような。まさに、我を忘れて。空っぽになって。
 これこそ、散歩の愉楽、その哲学にしてポエジーではなかろうか。
 そんなふうに、脳髄を散歩しつつ、しばし陶然と椿観に酔った。




 哲学の道をあとに南禅寺に詣でると日は傾きつつある。喉も乾いてきたので、寄り道に一杯やってゆきたいところだが、コロナ禍のせいで南禅寺ゆとうふの順正は臨時休業。哲学の道ぞいにある、抹茶がおいしい叶匠寿庵も閉じていたっけ。ならばと思い、五条駅ちかくの京料理ごだん宮ざわさんに電話すると、いまなら空いているという。すぐさまタクシーをつかまえた。
 ごだん宮ざわの白暖簾をわけ、引戸をあけると、まず、お香がふんわり薫った。白木のカウンターの右手壁には、乾山が光琳に宛てた茶事への誘い文が、お軸に仕立て架けられている。
 店主にして料理長の宮澤政人さんと、再会をひとしきり喜んだあと、さっそく、冬の京料理をいただくことにする。
 乾杯のあとは、あたたかいお椀から。京豆腐とたらの白子の擦り流し椀をいただく。冬は底冷えのする京都だし、寒い戸外を半日歩いてきた者にとっては、体も心も温もって、ありがたい。漆器椀の蓋をとると、湯気とともにふわっと白子の香につつまれた。とろとろのお豆腐と甘やかな白子の相性は、もう感無量。京都にきた、としかいいようがない。
 麦酒から、そろそろ日本酒にしてもらおう。ぼくが仕覆から持参の藍柿右衛門双耳付盃をとりだすと、「清めましょう」と宮澤さん。盃に鳳紋正宗のぬる燗が注がれる。春告ぐ志野梅花紋四方抱鉢には冬の旬魚、三重の鰤のお造り。
 宮澤さんが目前の俎で包丁をいれてくださった寒鰤は、それはおおきく立派で。活〆の鰤は身もほどよく締まり、旨味がひきだされている。鰤を燻した焼藁も、無農薬というこだわりようだ。菜の花と山葵をピュレした太刀魚塩焼。琵琶湖の鰙は、きょう歩いた疏水の光景を思い出させた。玄冬から早春の芽吹へ季の移りを舌で味わうと、ほうら、きた。
 酒徒にはたまらない、赤海鼠のおろし和え、である。
 しかも、なまこのなかでも最高級の赤海鼠が、樂家七代吉左衛門長入作の向付に盛りつけられていた。やや白味を帯びた赤樂釉も美しく、長入らしい、どっしりとおおらかでゆたかな作ぶりだ。長入の向付で呑むことなんて、もう、ないだろうな…。




 かざられた自家製唐墨片で、酒をひとくち。京大根おろしで、ひとくち。赤海鼠は、ぷりっとしてい、こりこりと噛みしめるたび、やわらかな汐の香と軟体生物独特の滋味が鼻腔と口中に豊潤にひろがる。その味香は、雪霙の海原に朝陽の桜花が咲く、早春の海そのもので、気分や好し。冷や酒を口のなかでお燗するようにしながら、じっくり、赤海鼠と酒をかわるがわる味わった。
 食事は言俟たず、器も本歌の、宮澤さんの京料理。そういえば、晩年の西田幾多郎の著作には、真理という哲学語のかわりに「本物」という言葉が散見される。赤海鼠の味だって、長入の器だって、本物、という言葉でしかいいあわらせない。古都京都はそんな大切なことも、西田哲学と歌に無言で教えていたのではなかろうか。
 骨董愛好家で優れたゴッホ論やモーツァルト論を遺した文芸批評家の小林秀雄も、物をみよ、自然をみよ、と口を酸っぱくして書いたではないか。1960年代から90年代にかけて、世界のおもだった危機といえば、核兵器と戦争、つまり人災だった。しかし、2000年代の危機といえば、国際テロをのぞき、3.11、異常気象、そして新型コロナと〈自然〉がキーワードになっていることがおおい。現代の文学、哲学、批評、アートは、自然と物質の思想を喪失しかけている。いま、自然や物と真摯に対話しつづけている芸術は、日々、その両者とむきあうことで糧をえるしかない料理、陶芸、書くらいなものではないか…。
 今後も、いいことなんてなさそうな詩人の一生でも、こうしてよき半日に恵まれたことを、ぼくはずっとおぼえていたい。宮澤さんみずからたてたお抹茶を喫し初苺をいただきながら、京都と宮ざわさん、そして、歌う哲人に感謝した。

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