田中冬二の信州──湯のにほいがしんみりとやせている

田中冬二の信州──湯のにほいがしんみりとやせている

詩への旅

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詩人石田瑞穂が一篇の詩を旅するように、国内外の詩人ゆかりの地を訪れ、土地と対話するように詩を読み、酒を呑み、また、呑む。読書と酒食に遊ぶ愉楽の紀行エッセイ。近現代の詩と詩人の魅力もわかりやすく紹介します。

田中冬二の信州──湯のにほいがしんみりとやせている

石田瑞穂

詩人石田瑞穂が一篇の詩を旅するように、国内外の詩人ゆかりの地を訪れ、土地と対話するように詩を読み、酒を呑み、また、呑む。読書と酒食に遊ぶ愉楽の紀行エッセイ。近現代の詩と詩人の魅力もわかりやすく紹介します。


 田中冬二、という詩人の名を初見したのは、十代の後半だったとおもう。ただし、そのきっかけは、詩や純文学への興味からではなく、当時、読み耽っていた剣豪小説の大家、池波正太郎の随筆集だった。文豪は、田中冬二の詩「法師温泉」を引きながら、
「空が水のようにうすしろくみえ、座敷座敷には赤いへりとりの笠を著たラムプが灯る」
と、ある。
 私は、すぐさま、法師温泉という、〔山の湯の宿〕へ飛んで行った。
 いまは、変わってしまっただろうが、当時の法師温泉は、まったく田中冬二の詩そのもので、田中氏が、
「谷の水をひいた厨の生簀に、鯉がはねました」
とある情景そのものだった。
 その鯉の洗いが夕餉の膳にのぼり、せまい谷間の空いちめんに煌めく星屑は、いつまで見ても飽きなかった。
 深夜、ラムプの芯を細めてから、ふとんの中へもぐり込むと、番頭が、火の用心の拍子木を、ゆっくりと打ちながら廊下をわたってくる。(池波正太郎「田中冬二の世界」、『夜明けのブランデー』収中)

と、情緒細やかに書く。まず、池波正太郎が、田中冬二の詩を愛読していた慧眼を讃えたい。というのも、田中冬二という詩人は、メディアや詩界の賞とは無縁のマイナーポエットだったから。少年時代に叔父の書架にささっていた田中冬二の詩集『山鴫』とめぐり逢い、「私は、たちまち魅了され、間もなく、はたらきに出てから神田の古書店で、〔青い夜道〕や〔海の見える石段〕を買い求めた」という池波正太郎は、「それにしても、田中冬二の詩がうたいあげた日本という国は、何とすばらしかったろう」ともしるした。




 新宿から高速バスで四時間、長野県駒ヶ根市へ。さらに、停留所からタクシーにのり、北アルプスの麓をわけいりながら、「山野草の宿 二人静」に着。三階客室の窓いっぱいに、白銀に冠雪して輝く甲斐駒ケ岳から仙丈ヶ岳、北岳の雄大な山脈が望めた。あまりの光の巨きさ、神々しさに、言葉を失って見惚れる。莨を一服したら、さっそく、温泉に。太田切川の秘湯早太郎温泉の、絹のごとくやわらでしっとり膚をつつみこむ清んだ湯につかり、長旅でこわばった全身をほぐした。風呂上がりには、暖炉のあるバーで冷えた南信州ビール「ペールエール」で汗をひかせつつ、昭和四年刊行、田中冬二の第一詩集『青い夜道』初版本のページをめくった。

     田沢温泉

   機織虫が夜どほしないてゐました
   青い蚊帳の上を 銀河がしらじらとんながれてゐました
   こぼれた湯が石に冷え
   燈火に女の髪の毛のやうに
   ほっそりと秋がゐました

という、山の湯の詩。紙魚のうく古錆びた項をめくると、

     黒薙温泉

   一
   湯気にぬれた箱洋燈の硝子に
   たれか指先でかいたかは
   ふしぎにさびしいかほ
   おお 山のかほ
   夜冷えがする
   凍るやうな夜冷えがする

   二
   こころぼそい箱洋燈のあかり
   そのあかりの映えた湯気に
   さあっと あをくかかる渓流のしぶき
   湯槽にさらさらと すすきのさむいかげ
   湯のにほいがしんみりとやせている

 詩情あふれるペンで、これほど的確に、湯宿のロマンをつたえてくる言葉が、いまも昔もあったろうか。田中詩のシグネチャーともいえる「洋燈」(ランプ)が灯す、山の生活へのノスタルジー。「湯のにほいがしんみりとやせている」なんて名フレーズは、高級旅館の湯殿からはうまれまい。登山者も泊まるような、山襞ふかく隠された湯治宿の、素朴な岩風呂か木枠の湯槽でなくては。
 その昭和初期の鉱泉宿には、もちろん、山奥すぎて電気なんか通じてない。だから、燈りはラムプであり、炊事にも薪や炭で竈に火を焚く。テレビも音楽もモーター音もないから、森閑とした谷の夜気に「機織虫」の音色がか細く震え韻くのであった。さらに詩人のペンは、在りし日の山宿での滞在を、こう、魅惑的にえがく。「山の湯で、またうれしいのは、冬は別として、平生雨戸を閉めず、障子だけのことである。その障子が、夜明けに白ばんでくるのは好いものである」(「山の湯小記」)。温泉のように読む者を癒す詩。田中冬二は、ぼくにとっても「山の湯」の詩人である。

 どこで読んだかは失念したが、田中冬二の一日の入浴回数の最高記録は、十六回、だったとか。せいぜい、一日に三、四回の湯浴が限界のぼくは、夕食前に宿の周辺をかるく散歩することにする。
 山峡から見上げる空は低く、雲がずっしりとたれこめていた。煙突の煙までがたちのぼりきれず、雨樋のところでとぐろを巻いている。そんな、冷えびえした光のなかを、宮田村内へと歩きだした。早春とはいえ、山の高原は、まだまだ冬景色。今年は温暖化の影響で異常に雪がすくなかったそう。五平餅と蕎麦を売る田舎家の傾斜のするどい茅葺き屋根にも、道端や茂みにも、残雪はない。福壽草、仏の坐、垣通しも咲いてはいない。すると、松林の奥になにか映った。そばまで歩くと、星屑のようにちいさな白い十字が咲いていた。山葵の花だった。宿からたずさえてきた、田中冬二の昭和十一年刊行の詩集『花冷え』初版本をひらけば、

     谿間の山葵田

   雪溶けの水がいっぱいの山葵田
   夜は星の光が魚のやうに泳いでゐる

 ぼくは、この二行きりの短詩が大好きだ。花も遅い信州の山里にさきぶれた春をあらわすのに、雪水の山葵田ほど好個な詩材はない。 つづく詩も、

     春日遅々

   山門に草餅売うつうつと居眠り
   庫裡を流るる水に蕨の浸してある

と、信州のなつかしい暮らしから、山の春を薫らせるのである。
 句作も励んだ田中冬二には、短い詩がおおい。日本の風土を鋭利な知的感性で切りとり、その一瞬を視覚的な言葉で撮影する。詩的スナップショット。そこには、青年期の田中冬二が親しんだアララギ派や四季派の日本回帰を底流とし、北川冬彦や安西冬衛といった客観的相関を重んじるモダニズムの知的詩法も合流している。
 明治二四年に福島県福島市生まれ、東京の小中学校を卒業後は当時の第三銀行の職に就いた田中冬二は、都会人である。詩人がなつかしむ、電気のない山の生活も、湯宿の情景も、詩中にあらわれる「氷餅」、「雪女郎」、「雪売り」といった山國の言葉も、故園の情。失われてひさしい日本の風土風物だ。ふるさと、とは、万葉時代には荒地をさす言葉であって、アトポス、非在の場でもある。田中冬二が信州にみいだすポエジーは、この意味でも、日本の「あのむかしのふるさとの家」(「家」)への郷愁にほかならない。




 あくる日は、朝風呂をひと浴び。朝食後は、太田切川ぞいを散策。正面に赤石のきびしく光る山壁、ふりかえれば、宝剣岳と千畳敷カールが、陽をあびて辰砂から鴇色へ燃えていた。駒ヶ根高原の高台たるここは、中央と南、両アルプス山系の雄大な景色が一望にできる。太田切川は枯河になっていて、川床の岩がごろごろした灰色に、紺碧のアルプスと澄んだ冬空が襲衣されていた。自然遊歩道を歩くと、松籟、ときおり山鴫の「キッキッキッキーッツ」鋭い四音節が静寂を裂くほかは、無音。みわたすかぎりの荒涼とした天地。
 けれど、そこが、いい。
 ぼくは、冬の南信州の、光と風のほかはなあんにもない風景が大好きだ。空も樹々も岩も、ただただ明澄で、こころを空っぽにしてくれる。とはいえ、この無為とみえる独歩には、じつは、目的があった。無論、呑むのである。
 宿から歩いて半刻。原生林に英国風の白壁とポットスチルがみえてきた。「マルス信州蒸溜所」である。日本でも草創のモルト蒸溜所は、各国のウィスキー通が訪う聖地でもあって、ここで醸したモルトを試飲できるのだ。蒸溜所のウィスキー樽をテーブルにした試飲コーナーで、駈けつけ一杯。マルスの旗酒「駒ケ岳 シングルカスク リミテッドエディション 2019」を注文。グラスに注がれた、シェリー樽のシングルモルトは、完璧な藁色をしている。鼻腔をちかづけると、火打石をあわせたような香がたって、酒を舌のうえでころがすと、ふわっと、上質なバターのごとき滑らかな揮発。南信州の自然とおなじ、素直で力づよく、華があって、いい酒だ。
 そういえば、スコッチの銘醸地スペイサイドのとある村のパブで、こんなお伽噺を聴いたことがある。スコッチの色が黄金なのは、往の錬金術師たちが金を生成する過程で、偶然、ウィスキーをうみだしたからにほかならない。なんとも素敵な黄金幻想じゃないか。
 それにしても、田中冬二はどんな酒を好いたろう。詩中には明治から信州で醸されている「葡萄酒」、「あられ酒」なんてのも登場するが。モダンな田中冬二のこと、存外、ショットグラスで生のウィスキーを飲っていたかもしれぬ。
 連泊しつつ執筆につかれたら湯にはいり、四季の太田切川の美しい森と水辺を歩く。夕方には、この蒸溜所をおとずれて、赤穂美人の語らいと水声に耳を雪がれながら、黄金のモルトウィスキーを呑む。そんな幸福な滞在計画がおもいうかび、つい、笑んでしまう。



 樽で寛ぎ呑んでいると、壁にはられたポスターに目がとまった。冷水を浴びせかけられたようにたじろいだ。ここ宮田村に、放射性廃棄物処理施設が、現長野県知事阿部守一氏の認可により建設予定中だという。わざわざ、この麗水の地に。なんという、愚行。
 マルス蒸溜所では来訪者に反対署名をよびかけている。
 ずっと、そこにあるはずのものへの、想い。
 ふるさとをうたう、田中冬二の美しい詩の世界は、もはや、その半ば以上が、非在の深淵にのまれていよう。郷愁の詩情は、とりかえしのつかない喪失を、ぼくらに詩い伝えてもいるのだ。

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