室生犀星の金沢(二)──そこでは何も彼も詩の世界だった

室生犀星の金沢(二)──そこでは何も彼も詩の世界だった

詩への旅

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詩人石田瑞穂が一篇の詩を旅するように、国内外の詩人ゆかりの地を訪れ、土地と対話するように詩を読み、酒を呑み、また、呑む。読書と酒食に遊ぶ愉楽の紀行エッセイ。近現代の詩と詩人の魅力もわかりやすく紹介します。

室生犀星の金沢(二)──そこでは何も彼も詩の世界だった

石田瑞穂

詩人石田瑞穂が一篇の詩を旅するように、国内外の詩人ゆかりの地を訪れ、土地と対話するように詩を読み、酒を呑み、また、呑む。読書と酒食に遊ぶ愉楽の紀行エッセイ。近現代の詩と詩人の魅力もわかりやすく紹介します。


 南大路をわたったあたりから、だんだん旧い木造家屋がふえてきた。現代の灰色の住宅街から、ふいに江戸期の異時空にさまよい入ってしまった感覚である。
 金沢には東山の麓のひがし茶屋街、浅野川上流の主計茶屋街があり、にし茶屋街は金沢三茶屋街のひとつ。木の出格子が美しい茶屋建築の街並には芸妓の出待柳がそよぎ、石畳の小径のうえには軒先に吊るされた茶屋提灯の光の輪が浮かぶ。





 なにより、金沢の古街特有の朱壁。茶屋や町家の木戸や土壁が、暗い赤みを帯びたべんがら色に塗られている。そのうちの一軒、格子戸をからからと開けると、白暖簾のむこうから沈香を焚きしめた香がふうわり鼻をかすめた。加賀茶菓子の老舗〈野上〉の喫茶室であった。折角なので、小憩することに。肩幅ほどしかない狭い階段をぎしぎし鳴らせて二階にあがると、そこは六角形の小部屋で、なんと、壁が群青に塗られてあった。年季の入った漆塗りの座卓のまえに端座し、緑の香が鼻腔にふくらむ萩茶碗のなかの抹茶を喫しつつ、九谷焼の小絵皿に盛られた秋櫻の練り切りを菓子楊枝ですこしずつ切りながら頂いていると、ああ、そういえば、青年時代の犀星さんをモデルにした自伝的小説「性に眼覚める頃」にも「廓に近い界隈」が書かれてい、「夕方など、白い襟首をした舞妓や芸者がおまいりに来たりした」なんて書かれてたな、とおもいだす。そういえば、茶屋で頂く和菓子というものも、なんとなく味香が白粉(おしろい)のそれに似て艶っぽいんだよな、と物思いした。
 今様の和スイーツカフェをでて、つぎつぎ茶屋や町家をのぞくと、クラフトや加賀の伝統工芸品が売られたりしていた。つかうほど掌になじみそうな輪島塗の木椀、ちょっとペコちゃんにも似た職人手描きの加賀八幡起上り、水引で作る花かんざしが眼をひいた。妻への土産にかんざしと起上り人形をもとめると、店員さんが「お人形を箪笥にいれておくと衣装がふえるといわれてます」という。むむ…そいつはちょっと困るぞ。どの品も濃やかな感性で、精緻に作られていた。



 またぞろあるきだすと、武家のおおい長町との境で、ちいさな紫折戸と庭のある町家にでくわした。お茶かお琴の師匠でも棲んでいそうな。別段、変哲もない個人宅だが、なにかが気になる。そうだ。さきの小説内で、主人公の「私」が色香に誘われこっそり尾行して辿り着いた「女」の家を髣髴とさせるのだ。
 その小説のなかの庭先では、ぼくにとって、犀星さんの詩と小説を結う重要な描写がなされたのである。

人のけはいがしないので、私はすごすごと去ろうとするとき、庭の石のところに、糸屑を丸めたのが打ち棄てられてあるのが、紅や白の色彩とともに、ふいと目にとまった。それがどういう原因もなしに、ふいとほしくなりだした。〔中略〕 糸屑はいろいろな用にたたないのを丸めてあったので、彼女を忍ぶよすがもなかったが、そのふわふわ筋ばった小さい玉を、握りしめて見ると、何かしら一種の女性に通じている心持ちが、たとえば無理に彼女の手なり足なりの感覚の一部をそこに感じられるように思われるのであった。

 小説のドラマトゥルギーに則していえば、この「糸屑」を盗む場面はいかにも無駄、というか「無理」がある。なぜなら、まをおかず「彼女の先人の温か味を感じられるように思われた」「紅い緒の立った雪駄」を「私」が玄関先から盗むシーンが、わかりやすく用意されるのだから。
 つまり糸屑のくだりは「用にたたない」のであり、読者に無用の混乱をあたえるのであれば削除して然るべきところ。でも、この糸屑の描写をなくしてしまうと、とたんに小説の魅力が半減してしまう。
 このやくたいもない糸屑球を、T・S・エリオットら英米文学批評でいう客観的相関物(objective correlative)としてとらえなおせば、それがどんな象徴とも対応していないことがわかるだろう。青年期の性への憧憬とリビドーの複雑な絡まり? いやはや、まさか。
 しいていえば、その紅白の糸球は「どういう原因もなしに」、不意に「私」の実存的な眼差をひきつけて隠喩化した、いわば名づけえないモノである。メタファーとは正規の意味からの移動、言葉と意味の関係性の変容であり、その糸球は対応するどんな意味や文脈、用途や名称にも属さない。作品内にも位置づけられない「ふわふわ筋ばった」モノとして浮揚している。
 詩人室生犀星が小説を書きはじめたきっかけは、本人の言を信ずるならば、詩と小説の原稿料のちがいという「お金がとれる愉快さ」と、潔いほど元も子もない。当時の詩書一冊の印税は小説一本分の原稿料に充たなかったのである。
 けだし、犀星さんが小説を「濫作」しつつ詩を手放さなかったのは事実だ。芥川龍之介の「君は小説を愉しみながら書いているから幸福だ」や谷崎潤一郎の「室生犀星は一杯の紅茶のやうなもので」という揶揄、小説家室生犀星をけして認知しようとしなかった生涯の詩友萩原朔太郎と対峙して、詩人室生犀星は小説を綴りながらも「詩らしいものを持ち合わせてゐながらそれに戻って行けない」、「詩らしきものをどこで使ひ果たしてきたか見てくれようとしない」と難じる。
 この犀星さんの嘆願を、理解できない言い訳として片づけるのではなく、虚心に読むことができれば……詩人室生犀星と小説家室生犀星をつなぐミッシングリンクがみえてこよう。
 それこそ、犀星さんのいう、散文小説に詩が喰らい尽くされ、使い果たされ、滅ぼされようとしているまさにその瞬間に、ポエジーは可能か、という本質的に詩的な問いかけなのだ。その困難な問いかけじたいを、犀星さんは詩的レトリックを超えたポエジーとよびたいのだ。
 だから、小説内に無用ながら不可欠のモノとして、まさに小説空間の綻びとして存在する犀星さんの糸球は、散文に喰われて消滅しかかる詩と絡まりあっている。こころみに引用文中の「彼女」を「詩」に置き換えてみるといい。不思議なことに、そこには詩人/小説家室生犀星のメタ文学が優美に刺青されている。それは純粋に言葉の無意識が招く力、すなわちポエジーであって、修辞上のテクニックから〝詩的〟と呼ばれる小説とは似て非なる企みであることは言うを俟たない。
 旅の終わりに、ぼくは、金沢駅からバスで三十分ほどの港町、金石(かないわ)と大野をおとずれた。
 明治四十二年(一九〇九年)、二十歳になった室生犀星は度重なる職務怠慢と義母との軋轢から養家に居づらくなり、上司に「運動」して裁判所の金石出張所へと転属する。最初は金石町御塩蔵町の浅井れん方に下宿していたが、お寺での生活が肌にあっていたのか、ほどなく本町の尼寺宗源寺、通称釈迦堂の二階にうつった。
 犀星さんの創作じたい、静けさをとりもどしたくらしのなかで、俳句から詩へと引越してゆく。「そこでは何も彼も詩の世界だった」と犀星さんは書く。当時、海からもちかく、まさに「青田の海」に浮かんだ寺の「北窓は二町ほど隔れて金石の町が見え〔中略〕まるで美しい詩集のあひだに部屋があって、そこで活字と一緒に遊び戯れるやうな天の園生のやうであった」。犀星さんはそんな詩の舟にのり「僕は畑をふんで街へ出る/畑をふんで自分の室へかへる」というくりかえしのうちに豊かに筆耕された「魂の住家」(「自分の室」)を、ついに手に入れたかのようだった。
 こうして修行時代の室生犀星を十年間もはぐくんだ「青田の海」と尼寺をみたかったのだが、例によって、現代の金石は漁港はあるものの、灰色のコンビナートと国道と喧騒の郊外地とあいなりはて詩情はかけらものこされていない。よって金石町から東へ歩いて大野町へ。



 大野は観光客もまばら、というか、無人にひとしい静かな港町であった。かつて北前船も入港した金沢港に面して、古い町家とこぢんまりした〈ヤマト糀パーク〉の醤油味噌蔵がたちならんでいる。ここには犀星さんの愛した風光が、いまも漂っているようだ。ぼくは凪いだ海に舫われた小型漁船を眺めつつ短い橋をゆきすぎた。潮風香る松林を歩いたり、鷗と鳶の空中戦をみたり、猫があくびをしているちいさな食堂でビールを呑んだり。半世紀前にふいに時が流れるのをやめたような港町だった。
 明治時代にたてられた〈直源醤油〉のもろみ蔵を見学し、敷地内にある三畳ほどの船着場にたたなずんだ。そこから、創業者の直江屋源兵衛は醤油味噌を船に積んで北海道へと渡り、鯨油や鰊などの交易品を積んで瀬戸内海まで回航したそうだ。ぼくはおだやかに波うつ日本海のむこうに、北海道がみえないか瞳を凝らした。
 潮風を嗅いで歩きまわっていたら、腹がへり、喉も渇いた。
 町で唯一、旧式の赤ポストがたつ大野日吉神社のむかいに、こちらも年季の入った鮨屋があった。〈割烹 宝生寿し〉は金沢市中でも名の響く老舗だ。犀星さんも随筆でふれているから、ここに立ち寄った可能性もある。宝生寿しは大正十五年の創業で、初代は数隻の漁船の元締めでもあった。よって、歴史を感じさせる重厚な木造の店舗は、廻船問屋の母屋をそのまま受け継いでい、入口に掛かった暖簾も鮨屋ではなく船問屋のものだとか。
 漆の粕壁や艶光る極太の大黒柱、重々しい船箪笥の数々に魅入られていると、お通しに甘鯛の昆布〆がさしだされ、酒を訊かれた。店の表の格子戸のまえに山積みされていた樽酒〈福正宗〉を所望すると、大将が「まず冷やで。酒の味を確かめてください」。近年流行のワインのようなフルーティな酒ではなく、どっしりとした辛口の奥に磨かれた米本来の甘酸っぱさが香る。そして、なにより水が好い。
「福正宗の水は白山から金沢、石引へと流れ降る地下水をつかって醸します。雪どけ水や雨水は山頂から麓まで百年かけて辿り着くので『百年水』なんてよばれてますね」と大将。
 ならば、ぼくは百年前の水を呑んでいるのか。まろやかで、清冽で。百年という時間は、このような容(すがた)と味香をしているのか。寡黙に呑んでいると、犀川の瀬音と詩人室生犀星の詩の言葉が耳奥に蘇った。
 さて……店も気に入ったことだし、本腰をいれて呑むことにしようか。大将に季節の肴を訊くと、
「蟹がありますよ。せいこ、です」
 そう、蟹! なにはともあれ。せっかく、北陸金沢のなかでも名にしおう金石大野まできたのだから、蟹を食さないわけにはゆかぬ。





 高揚したように紅く色づいた、小振りの雌毛蟹が九谷の皿に載せてだされた。甲羅を開けると、ふんわり、海の香が鼻腔をくすぐる。冬のせいこ蟹を香箱ともいうが、なんと小粋なネーミングだろう。せいこは背負い子、内子の転訛ともいわれるが、この時季、北陸の雌毛蟹はたくさんの卵を孕んでいる。「紅や白の色彩」をしたおめでたい身をほぐし、甲殻内にたっぷりと附いた翡翠色の卵と箸で混ぜて口にふくむ……ぷちぷちした罪深い食感とともに、想像を超えてつよく深く潮の香、瑞々しい旨味が口中を蕩かした。その豊穣な日本海の味香を、清冽な山の酒が雪(すす)いでゆく。あゝ、金沢にきたんだな、とあらためて感慨に浸った。
 蟹のあとは、大将におまかせで鮨を握ってもらう。
 果肉のようにとろりとした氷見の本鮪、すぐそばの金沢港揚がりののどぐろは、味そのものは淡白ながら脂の旨味がすごい。にしても……犀星さんの毛桃をおいかけてはじまった金沢の旅は、途中、糸球となり、いまや毛蟹へとメタモルフォーゼした。大将に、
「金沢の家の庭にはよく毛桃の木があるんですか」
と、尋ねると、
「え、ケモモ? 初めて聞くなあ」
 酒は変えずに五本目のお銚子をたのみ、ふと、午后四時半発の金沢駅行き最終バスのことがぼんやり頭をよぎるが、毛蟹色に燃えている冬の日本海を窓から眺めるうち、盃をおろすことができなくなる。
 室生犀星のメタファー(隠喩)を問いかける詩の旅は紙をも越えて果てしない。海洋を燃やして空からころがり墜ちる巨きな落陽のように、転変しつづける。

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