白石かずこの西荻窪──わたしの夢の地平線

白石かずこの西荻窪──わたしの夢の地平線

詩への旅

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詩人石田瑞穂が一篇の詩を旅するように、国内外の詩人ゆかりの地を訪れ、土地と対話するように詩を読み、酒を呑み、また、呑む。読書と酒食に遊ぶ愉楽の紀行エッセイ。近現代の詩と詩人の魅力もわかりやすく紹介します。

白石かずこの西荻窪──わたしの夢の地平線

石田瑞穂

詩人石田瑞穂が一篇の詩を旅するように、国内外の詩人ゆかりの地を訪れ、土地と対話するように詩を読み、酒を呑み、また、呑む。読書と酒食に遊ぶ愉楽の紀行エッセイ。近現代の詩と詩人の魅力もわかりやすく紹介します。


   このたびは
   巨大な 男根を連れて わたしの夢の地平線
   の上を
   ピクニックにやってきたのだ

     (白石かずこ「男根(Penis)―スミコの誕生日のために」より、詩集『今晩は荒れ模様』収中)

 西荻窪一番街の路上で骨董通りのほうから歩いてくる白石かずこさんとすれちがうたび、ぼくは黙礼しつつ、ついこのフレーズをおもいだしほほ笑んでしまう。
 おかっぱにした黒髪に日本人にはトーンのつよい欧米風メイク、いつもカラフルなトップかファアを華やかに着て、あきらかにほかの通行人たちとは異質なオーラをはなっている。詩人吉岡実が「永遠の少女のよう」と形容した女性詩人は、遠目からでも、あ、白石さんだ、とわかってしまうのであった。
 1960年代のアメリカのカウンターカルチャーを代表するビートジェネレーションの詩人、アレン・ギンズバーグやゲイリー・スナイダーらと親しく交わり、日本のみならず国際的に評価されてきた女性詩人、白石かずこ。ミニスカートにガーターベルトという扇情的なコスチュームで、ジャズバンドをバックに日本でも最初期のポエトリー・リーディングをおこない、詩人のみならずミュージシャンたちにも影響をあたえてきた。その姿をとらえた週刊誌が、風俗詩人、男根詩人などと、白石かずこを囃したてた時期もある。
 十五年ほどまえ、ぼくは西荻窪で白石さんにお鮨をご馳走になったことがある。とはいえ、詩人の城戸朱理さんと写真家の小野田桂子さんがまず白石さんに誘われ、話のなりゆきでぼくも随行できたという幸運なオマケくんではあったが。
 でも、ぼくは、それ以前から何年も、ひとりの灰色の通行人としてこの詩人とすれちがってきたのだった。




 新宿からJR中央線で西へ西へ三十分ほど乗ると、杉並区の西荻窪駅に着く。江戸期には青梅宿から青梅街道をひたすら東進すると新宿御門であり、その中間の緑谷地が荻窪とよばれた。昭和のはじめまでは水もよくて田畑と雑木林がおおく、青梅街道沿いには杉並の地名の由来となった杉並木がつづいた。
 いまは屋敷森も田畑も刈り尽くされ、駅高架ホームからの眺望は灰色のコンクリート街が地平線まで拡がるばかり。でも欅の緑や寺社も散見され、のんびりとした武蔵野の空気がまだどこかに漂っている。庶民的な商店街と閑静な住宅や家賃の手頃なアパートの迷路は、モードや喧騒を疎んだ都会人たちの格好の隠れ家となった。そのなかには、バブル期の「大都会新宿」を去った「ビート族」や学生運動家、カウンターカルチャー世代もおおい。
 学園闘争とベトナム戦争が終わっても、日本の聖なるビート族は還俗せず、サラリーマン人生を拒否した。フェアトレードと有機野菜の八百屋、アジアの民族雑貨店、文学やアート専門の古本屋、ロックやジャズのライブが聴ける安居酒屋などを新宿から吉祥寺までのエリアで点々と開店しつつ、対抗文化のネットワークを繋いで、後続世代にその思想と実践をつたえた。経済戦争へと転じた新たな日ノ丸ニッポンへの、自分たちなりの抵抗として。
 都市のリゾームとして潜伏した抵抗は、バブル期が萎れた1980年代から90年代にかけて、おもいもよらぬ花をひらかせる。
 それが「BRUTUS」や「Hanako」といった大人のライフスタイル誌がしかけた「ニシオギ」カルチャーである。
 グローバル市民的な文化土壌のある荻窪、阿佐ヶ谷、吉祥寺には、その色の濃い呑み屋、古本屋、雑貨店が醸す空気感を好んで、物書き、編集者、カメラマン、イラストレーター、フードコーディネーターが移り住んできた。クリエイターたちのおしゃれで個性的な嗜好やライフスタイルが誌面を飾ると、銀座、青山、麻布を解脱した新世代の目利きたちがこのエリアにあらわれる。




 骨董なら増田義文の古美術「砧」、現代の器と生活骨董を新たな感覚でセレクトした大嶌文彦の「魯山」、軍鶏料理とワインのカップリングを開拓しミシュランの星を獲得した阿佐ヶ谷の「バードランド」。美術、食、本などの分野で一城を築き、本格派ながら手頃な値段で上質な文化とプロダクトを発信する目利きたちが出現し、その魅力に惹かれた同業者があつまって開店する。阿佐ヶ谷、荻窪、西荻窪はさながら1980年代、90年代の隠れたルネッサンスの街だった。

 そういえば、ぼくも、雑誌の編集者とはいった西荻窪の老舗喫茶店「物豆奇」で、執筆中の白石さんをおみかけしたことがあった。物豆奇の店内は民藝喫茶店ふうで、永年の使用で木のテーブルも椅子も壁も飴色に光り、囲炉裏席もあって、鉄瓶がさがっている。木組みの壁に異様とも映る数の古時計が架けてあった。落ち着いた雰囲気だが、たしかにニシオギのモノ好きたちを引き寄せている、個性派名物カフェだ。
 窓辺のあかるい席で、眼鏡をかけた白石さんが、パイロットの百円ボールペンをにぎり、満寿屋の菊判原稿用紙にむかっていた。
 ネルで淹れる珈琲も実力派で、神保町「李白」を想わせる、とろりとした深い苦味の炭火焼珈琲がうまい。そして、物豆奇のもうひとつのスペシャリテは、柘榴シロップをつかう自家製クリームソーダだろう。あの日、詩人の原稿用紙の傍らにあったのは、珈琲ではなく、このロゼワイン色のクリームソーダだった。
 白石さんの散歩コースには、書斎代わりにつかっていた喫茶店がいくつかあるらしい。鮨をご馳走になった夜、詩人の執筆スタイルをたずねると、「詩もエッセイも街を歩きながらグッドアイディアが浮かぶとすぐ喫茶店にとびこんで書くの。わたしは猫並みの散歩魔だから、杉並や新宿の喫茶店ならほとんど知ってるわね」と、白石さんらしいお答え。歩行、衝動、速度、移動。路地裏を歩き跳びまわる猫のあしあとが詩になってゆく。もうすこし長詩「男根」を読み解いてみよう。

   男根は 日々にぐんぐん育ち
   いまは コスモスの 真中に 生えて
   故障したバスのように動こうとしないのだから
   そこで
   星のちらばっていたりする美しい夜空や
   ハイウェイを 熱い女を連れて車で突っぱしる
   どこかほかの
   男をみたいと思う時は
   ほんとに
   よくよく そのバスの窓からのりだして
   のぞかねばならない
   男根が
   動きだし コスモスのわきあたりにあると
   眺めがよいのだ そんな時は
   スミコ
   星空の 光ぐわいの寂しさ
   真昼の おかしい冷たさが
   腹わたにしみわたり
   しみじみと みえるものはみえ すべて人は
   狂わずにはいられなくなる
   男根には 名前もなく 個性もない
   また 日づけもないので
   祭のみこしのように
   誰かが かついで通りすぎる時
   さわぎの様子で ときどき
   それと 在り家が知れる
   その ざわめきの中で
   神にいまだ支配されない種子たちの 未開の
   暴動や 雑言罵言の
   空漠がきこえたりするのだ 時折

 ひらがなのおおい、ほとんど推敲の溜もなく、ペンで一息に原稿用紙に綴られていったような、のびやかに息づく詩の言葉たち。詩行のわたりが内包する時間感覚はまさに伸縮自在で、これは、白石かずこの詩才はもちろん、長篇詩という形式ならではの力能といえよう。また、白石詩に特有の、ペンが滑走しているかの浮遊感あるリズムは、執筆の瞬時の中断も嫌ってタイプライターにタイプ用紙ではなくロールペーパーを巻きつけ意識と無意識がおもむくままキーを打ちまくったビート詩人ジャック・ケルアックの書法をも想わせる。
 白石かずこは詩論エッセイ「長篇詩に挑むもの」で、つぎのように書く。「わたしがとらわれ、魅了されている長篇詩は、かつての壮大な抒情詩ともこれともちがう。あえていうなら、構築する大工になるのではなく、疾走する騎手になる疾走詩である。農耕民族ではなく騎馬民族の生活形態に似ているかもしれない。疾走しながら詩句を拾い、詩霊に出逢い、同時に詩行を走らせる」。
 定住の地をもたない騎馬民族のポエジーは放浪するノマドの詩だ。詩は計画的に筆耕するのものではなく、疾走する速度で詩語を狩り獲る文学である。白石かずこの愛したジャズ、マイルスやコルトレーンのインプロヴィゼーション(即興演奏)のように。
 もうひとつ。1968年に刊行されたこの詩集の先駆性は「男根」を実体化していないことだ。詩人は男根を実体としてとりあつかい標的にして攻撃を加えるのではなく、その「詩行を走らせる」。男根はやわらかく弾むような詩の声にのってふわふわと歩きだし、チェシャ猫のように姿形も質量も失い、さまざまな比喩を通過することで変容してしまう。「神にいまだ支配されない種子たちの 未開の 暴動」として。
 男性詩人が中心メンバーの詩誌「荒地」など、戦後詩が全盛だった当時の現代詩は、世界と人間を実体化して書いた。おなじく、フェミニズムもジェンダーを実在としファルス(男根=父権)を正面から攻撃した。けれど、白石かずこの詩は、むしろ「男根」を、都市を漂流する記号のようにもてなして権力を撹乱するトリックスターにしてしまう。白石詩のヒューモアは、父殺しの野蛮ではなく、ファルスの変身譚をポップに詩うミューズの知的な微笑にほかならない。長篇詩『今晩は荒れ模様』は、ポスト戦後詩、ポストフェミニズム詩へのもっとも早期の試みのひとつとしても記憶されるべきだろう。


 話はかわるが、白石さんはかなりの映画好きで、映画評や紹介文も積極的に執筆されている。
 中央線沿線以外で白石さんとよく遭遇したのは、映画館。神保町「岩波ホール」や銀座「シャンテシネ」の試写会、新橋駅ちかくのうらぶれたガード下にあり、スクリーンの脇に男女トイレが対になってならぶ二本立て専用映画館「文化劇場」でおみかけしたこともある。あれは、たしか、晩年のマイルス・デイヴィスがマーカス・ミラーと音楽を担当した超B級アメリカ映画『シエスタ』だった…。
 だから、鮨をつまみつつ、西荻窪のレンタルビデオの名店「レンタルショップ」の名前がでても意外ではなかった。
 そこは西荻北辻に建つ古い煉瓦づくりの店で、三角形の狭い店内には床から天井までの木棚にびっしりVHSテープがならんでいた。DVDやBlu-rayなどは少数派。品揃えは都内屈指で、ジャン=リュック・ゴダールなどのヌーベルヴァーグはもちろん、功夫映画ならマニア垂涎、1970年代の嘉朱電影有限公司作品、ロバート・ミッチャム主演、サモハン・キンポー武術指導の『アムステルダム・キル』やブルース・リー主演の『死亡遊戯』(小説家藤沢周氏に同名のデビュー作がある)もあり、映画狂のかよう店として知る人ぞ知る名店だった。
 そんな話題で盛り上がり、白石さんに、お好きな映画や監督はだれですか、と尋ねてみた。詩人はジョン・カサヴェテスやジャック・リヴェットの名を挙げ「ビクトル・エリセの『ミツバチのささやき』もいいわね」という。さて、映画ファンなら、お気づきの方もいるだろう。白石さんが挙げたシネアストは、ワンシーンワンショットの長回しを得意とする監督ばかりなのだ。
 だからか。ぼくは、白石かずこの長篇詩を読むときに、長編映画の長回し固有のゆったりとした時空の流れや即興演技に繊細に即応する泳ぐようなパンを意識してしまう。なぜなら、詩人が好む映画監督とその作品も「構築する大工になるのではなく、疾走する騎手」タイプだから。

 本の街、神田古書店街を一冊の巨大な書物だとすれば、中央線の各駅はさしずめ東京のブックベルトといえるだろう。井伏鱒二など昭和文士がおおく住んだ阿佐ヶ谷駅から荻窪駅、西荻窪駅への散歩コースには、四十はこえる個人書店や古本屋がたちならんでいる。白石かずこさんの散歩コースのひとつは、このブックベルト沿いだったのではないか。
 西荻窪にもユニークで秀逸な本屋さんがおおい。文学、映画、美術、サブカルチャーなどをオールマイティにそろえたニシオギ人の書斎「古書音羽館」をはじめ、薫香貴き詩華集、小説、哲学書、美術書のならぶ古本サロン「忘日舎」、こけしの本がおおいのになぜかその名も「にわとり文庫」、店内に地球儀が飾られ旅をテーマにした本やガイドブックを蝟める「旅の本屋 のまど」など。そんな本屋さんの書架をまえにたたなずみ、人文書のみならず旅行記や料理本、ときにはコミックを手にする白石さんを目撃された西荻読書人もおおいことだろう。
 さっそく、忘日舎にたちよってみた。白石さんの詩集をさがしてみたが、残念、みつからず。かわりに、白石さんの詩「小猫のピッチ」が収録された、ジャック・プレヴェールから堀口大學まで、猫をテーマに書かれた詩を蒐めるアンソロジー『猫の詩集』(新書館、1978年刊)を購入。

   利口な 孤独な やくざな
   独立心強い猫
   小鳥がおそわれたからといって
   それはピッチのせいじゃない

 つづいて、のまどへ。吉田健一の小説『金沢』、海外渡航がめずらしい時代に安岡章太郎がマイセン窯を取材した『ヨーロッパやきもの紀行』もあったが、元祖乗り鉄、宮脇俊三の『旅は自由席』初版本があったので、そちらをゲット。エトルリアの十字架ばかりを取材した本や、いつか夫婦で巡礼してみたい〈フランスの美しい一五〇の村〉のガイドブックもある。本を手にして繙くたび、行ってみたい風景が展がる。海外での朗読やポエトリー・フェスティバルへの招聘がおおい白石さんも、時を忘れ、旅する書架に指をのばしつづけただろうか。
 にわとり文庫は、秀逸な珍本もおおく、ぼく好み。西鶴研究者にして早稲田大学の名物国文学教授だった、てるおか・やすたか著『すらんぐ』(光文社、1957年刊)を入手。日本の「卑語」すなわち和製スラングを「おでん」から「おいらん」まで、豊富な古典知識を駆使して編纂した奇書である。たとえば、いまやほとんど死語になってしまった「じんばり」。これはふんどしの古名で、腎張と書く。西鶴『紅色一代女』にも女腎張が登場するが、江戸中期の古医方までは、男性の精液が精巣ではなく腎臓でつくられるとの誤解から、精力の充満をあらわした下着名だった。むしろ、ふんどしは蘭医学が膾炙した江戸後期以降の言葉だとか。そういえば、ぼくの祖父はふんどしを「ちんばり」とよばったが、存外、正当な表現だったようだ…。
 こんな、どうでもいい、オフビートな知が愉しい。日本語の奥ゆかしさを粋に着流す教養本を、詩人白石かずこは好むかもしれない。おもいきって、愛読書について質問したとき、詩人は「本は都市に生える草花のようなものだから、良書も悪書もないわね」と即答した。たしかに、西荻窪の本たちは、百草の気儘さそのままに、のんびりと自由に風の書架で踊っている気がする。
 喫茶店、レンタルビデオ店に古本屋、映画館、呑み屋、そして骨董屋…ぼくにしてもそうだが…詩人や物書きなら、人生にこれ以上必要なものなんて、あるのかしらん。



 さて、そろそろ、喉も乾いてきた。
 クリエイターがおおく暮らすニシオギは安くて旨い飲食店が軒をつらねる。平和通りを横にはいり、柳小路飲屋街の狭い路地裏にたたなずめば、あかるいうちから炭火の匂いに鼻と胃をくすぐられる。西荻窪といえば老舗焼鳥屋「戎」、ほんとうの支那そばが味わえる澄んだ白湯のタンメン「はつね」、見目は古くて汚いが戦前の味をいまに伝える貴重な台湾家庭料理店で、草野心平の随筆にも登場する「珍味堂」。フードコーディネーター直営のオシャレな店から、「カッパ」、「地獄に仏」、「すっぴんBAKAWARAI」といった個性的な店名の酒場まで良店が充実している。
 でも、どの店も、白石さんのカラーとはちがう気がするのだ。
 さあ、どこで呑もうか。
 すると、くだんの煉瓦建てのレンタルビデオショップが、イタリアンの新店になっていた。ここがいいだろう。
 白石さんはワイン党で、ビールやウィスキーを呑む姿をみたことがない。雪国新潟でそだったせいか日本酒は嗜まれるようだが。国内のポエトリー・リーディングでも、白石さんの側にはかならずワイングラスがあった。
 ぼくはマスターにビオワインをたのんだ。それと、すこし生成りにちかいサルヴィアーニの青オリーブ、かすかに塩の結晶が浮いたパルマの熟成プロシュート。イタリア北部ピオツァーノというちいさな村からきた田舎造りのワインは、瓶内二次発酵して舌先にスパイシーな微泡をかんじ、りんごの花ような天然酵母と蜂蜜のやさしい味香がする。自家製トマトソースも爽やかな日本産有機イタリア野菜の包み揚げが逸品で、熱々でさくさくのパイを頬張りながらワインで喉をうるおせば、こんな夢想も降ってくる。
 白石かずこは、みずからをカナディアンでもジャパニーズでもない「周縁の日本人」とよんだ。それは、伝統的日本とサムライ消費主義国家ニッポンのファリックな中心から逃走し、オルタナティブな生をえらびとるマイナーかつ詩的なアイデンティティである。夷狄や騎馬民族のようにボーダーから王城を速攻し、コヨーテのようなトリックスターに変身して、権力を嘲弄し解体しながら、脱領土化された自由な辺境を拡げて疾走するポエジー…。
 そんな詩人の肖像が、オフビートながら、本物の個性と知的な愉楽に彩られた街西荻窪と響きあってゆくのだった。



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