【第24回】無影灯の下にさらされて(その2)

【第24回】無影灯の下にさらされて(その2)

マカロニの穴から豆腐の角を見る

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【第24回】無影灯の下にさらされて(その2)

重金敦之

9月某日 耳元で「終わりましたよ!」と声を掛けられ、意識が少しずつ戻ってきた。麻酔から覚めたようだ。手術は終わったらしい。あたりを見回すと、手術に使用した器具を一つ一つ点検しながら片付けている人たちの姿が見えた。使用したメスやガーゼが体内に置き忘れたまま残っていることがある。鉄道の遺失物保管所みたいな棚があるのかな、などと考えていたら左足が動かない。なにやら重たいものがずっしりと乗りかかっている感じだ。しかも、もそもそ動いている。
 口には酸素のマスクがはめられ、身体には心電図、指先には血液中の酸素飽和量を測るオキシメーターがついたまま。病棟から運ばれてきた自分のベッドに載せられて病室に戻る。枕元まで来ている酸素のバルブからガラス瓶の水を経て入って来る。体内に残っている麻酔ガスを早く排出させるためだろう。目の上にあぶくが見えるので、なにやら金魚になった気分。
 足が重いのは、エコノミー症候群によって血液の流れが悪くなり血栓ができるのを予防する器具が取り付けられていた。血圧を測る時に上腕部に巻く布製の袋みたいなものが、両足の膝から下に巻かれている。自動的に空気が送りこまれていく。平板な規則的な動きではない。よく工夫されていて、マッサージ器や扇風機のようにリズムをつけた強弱が設定されているので、単調な動きではない。
 もう20数年間のことだが、やはり内臓の手術を受けたときは両足に巻いて寝かされた。足の間には動かないように重いマクラがはさまれ、夜中に看護師が一時間ごとに回ってきて、血圧計みたいな袋を回してくれた。最初は何しに巡回に来るのだろうと不審に思ったが、途中で腑に落ちた。まだエコノミー症候群という言葉自体がそんなになじみがなかったころだ。
 看護師というのは大変な仕事だなと思った記憶が蘇ってきた。今は自動で機械が勝手にやってくれる。進歩したものだ。翌日になってそんな昔話を若い看護師に話したら、「そうなんですねー」とあんまり驚いた顔をしなかった。彼女たちが生まれる前のことになる。この器具が、これから2週間以上にわたって苦しめることになるとは思わなかった。
 部屋に戻って、夜の9時ごろに酸素マスクは外れた。水はまだ飲めない。栄養分と水分は点滴の中に入っているのだろう。
 翌朝、ようやく口を漱げるようになった。まだゴクゴクと飲んではいけないといわれる。手術した右足は、下に下ろしてはいけないという。少なくとも水平に保ったまま。
 30時間ぶりに朝食が出た。こんなに長い時間食事を絶ったのは生まれて初めて。空腹感はあるが、食欲はあまりない。
 出てきた食事は、小丼くらいのご飯と、味噌汁(キャベツと白ネギ)、イワシの生姜煮、小松菜のササミ和え、ゆかり、牛乳(200ml)。別にイワシは嫌いではないが、30時間絶食した後の胃袋は、冷たくなったイワシの煮物を受け付けなかった。
 ベッドの上でL字状に腰を曲げ、両足を伸ばした姿勢で食べたり、飲んだりする作業は辛い。胡坐(あぐら)をかけば、まだましかもしれないが、両足には枷(かせ)のように重いコンプレッサーがつながっている。ベッドを椅子代わりにして両足を床に下ろせばいいのだろうが、右足を下ろすな、という。苦行の始まりだった。

9月某日 術後24時間経過し、患部の痛みは全くない。これは楽だと思って、家族や友人に「痛くはない」とメールを送った。その夜だ。猛烈な痛みが起こった。足のつま先から踵まで、切り裂かれるような痛みだ。慌てて、ナースコールで痛み止めにカロナール錠をもらう。もらうと書いたが、もちろん只ではない。翌日になると、40年も前に軽い発作があった左足親指の付け根の部分も痛くなってきた。そう痛風の発作だ。左足の痛風と右足の切創部は関係ないはずなのに、同期しているかのような痛みだ。
 40代の頃、尿酸値が高くなりザイロリックを飲み出してから間もなく発作が起きた。今では「服用初期に尿酸値に変化が出る」と注意書きにあるが、医師は「薬を飲み始めると、発作が出る人は結構多いんだよね」と他人事のようにいっていた記憶が蘇ってきた。こちらは薬を飲み始めたので、安心していたのに。
 当時痛風に悩んでいた社会部出身の先輩に相談したら、「昔は帝王の病気と言われた痛風も、今では新聞記者がなるのか」と医師から皮肉たっぷりに嫌みをいわれたそうだ。さらに時代は変化し、今ではホームレスの人たちにも痛風の病は多いといわれる。
 痛風患者は「やや小太りの男性で、せかせかと精力的に動くタイプに多い」というのが通説だった。今でもそうなのだろうか。あなたの周囲にもいるはずだ。確か痛風の痛み止めに効く良薬があったはずだけど、名前が浮かんでこない。
 皮膚科の若い医師は痛風の患者など見たことが無いらしく、不思議そうにここが痛いのですか、とい言いながら左足親指の赤くなった付け根をむぎゅっとつかんでくる。
 「痛いの!」そこは……。
 思い出した。薬の名前はコルヒチンだった。
 痛い病気の代表格、帯状疱疹も経験しているが、ちょっと違う。帯状疱疹の痛みはカミソリで切られた感じだが、痛風は鏨(たがね)か鐫(のみ)を重い金槌で打ち込まれるような痛さだ。帯状疱疹が江戸前の握りずしとすると、痛風は京都「いづう」の鯖寿司(ばってら)といっても、わからないか。足の踵を5ミリほどの厚さで殺(そ)ぎ切られた痛みは、さらに奥が深い。

9月某日 部屋に一つある共用の洗面台まではベッドから3メートルほどだが、ベッドを降りて歩いて行けない。流水で手や顔を洗うことができない。歩こうと思えば歩けるのだけど、両足には例の血栓予防の脚絆(きゃはん)がコンプレッサーにつながっている。だから、何をするにしても、ナ―スコールで看護師に来てもらわなければいけない。
 ベッドの傾斜の調節。歯みがきもすべてベッドの上で済ませなくてはいけないから、歯ブラシとコップを取って、出された食事を下げてもらう。読書灯の点灯と消灯。床に落としたタオルを拾ってもらう。冷蔵庫まではベッドの端まで行って手を伸ばせば、なんとか届くので水くらいは飲める。手はアルコール消毒だ。

9月某日 病気にもよるが、病院と血液検査は切っても切れない関係にある。毎日血液検査をするような病気もある。採血や点滴の針を入れるときも、必ず「アルコール消毒をしますけど、大丈夫ですね」と確認の声を掛けてからアルコール綿で消毒する。
 「大丈夫ですよ。飲んでも大丈夫です」と決まりきったように言い古されたジョークを飛ばしていたが、いい加減に飽きた。言われている方でも聞き飽きているに違いない。もちろん、消毒のためのエチルアルコールで、飲料ではない。そこがジョークだ。まじめに「これは医療用アルコールですから飲めませんよ」なんて突っ込んでくる暇な人はいない。
 「チクッとしますよ」といって注射の針を刺した時、痛みが全くない時がある。
 「上手ですね。まったく痛くなかった。そのうち『現代の名工』として『注射の匠』とかいって厚生労働省から表彰されるかもしれませんね」
 半分本当で、半分はお世辞とジョークなのだが、だいたい「つまらないこといってるんじゃないわよ」といった顔で無視されるのが関の山だ。
 まじめな顔をして「そうですか。たまたま痛点でないところにささっただけですよ」と答えてくる人がいる。そんなことは百も承知しているが、医師でも注射が下手な人がいる。苦手だと思うと、つい緊張して注射針もそれを感知するのかもしれない。
 そう、みんなまじめに仕事に打ち込んでいるのです。勤務中に茶化してはいけない。もちろん分かってはいるんですけどね。患者だって、気分は晴れないし、無聊(ぶりょう)をかこつけたくもなるわけですよ。

9月某日 点滴の針が上手く刺さっていなかったらしく、静脈に入るべき点滴液があふれ出し、腕が腫れあがってきた。腕のしわが伸びてつるつる、ぱんぱんになった。慌ててナースコール。めったにあることではない。点滴が始まった時は、やはり最初の内しばらく注意して看ておくことが必要だ。いつもは看ているつもりだったが、今回はちょっと目を離して、テレビの野球中継を見ていて気が付かなかった。「村神様」こと、ヤクルトスワローズの村上宗隆のホームランを気にしていたのだ。看護師は「そのうち腫れは引きますから」とのんびりしたものだ。日常茶飯のことなのだろう。事実半日くらいで収まったのは収まったけれども。

9月某日 皮膚を移植した踵の傷の部分は、動かないように包帯できっちりと固定してある。ギプスをはめられたようなもので、ほどいてどんな状態なのかを診ることはない。開くのは5日くらい経ってからだという。
 執刀医は、自信をのぞかせながら「天のみぞ知る」ですよ、と「神頼み」の姿勢を見せる。後から「先生が神様に頼んではいけないんじゃないの」とベテランの看護師と顔を見合わせて笑った。
 転んだ拍子に患部に物をぶつけるなど、衝撃を与えたりすると、貼り付けた薄い皮膚がずれ、はがれてしまう恐れがある。表層雪崩(なだれ)のようなものだろう。そうなると最初からやりなおしになるのだという。くわばら、くわばら。

9月某日 深夜明け方近くになって、突然に新しく入った同室の患者が「オーイ」と大きな声を上げた。驚いて目を覚ますくらいの声だった。隣のベッドの先住患者が、「どうしましたか?」と声を掛けたようだ。カーテンを蹴とばして足が入ってきたのかもしれない。
 「私は今日の昼間に手術して、足が動かせないんです」
 「私も脱疽(だっそ)で、足の先がないんです」と、大声を出した人が、説明している。
 とうとう深夜に、名前こそ名乗らないものの自己紹介を兼ねた「病気自慢」が始まったようだ。古今亭志ん生の名著『びんぼう自慢』(ちくま文庫)ではないが、旧知の玉村豊男(エッセイスト)は『病気自慢 体の履歴書』(世界文化社)を4年ほど前に刊行した。玉村を信州から呼び出して「『病気自慢』大座談会」を開かなくてはならない。
=この項続く(2022.12,7)

◇次回は12月21日に更新の予定です。

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