【第31回】続・無影灯の下にさらされて 完結編その3

【第31回】続・無影灯の下にさらされて 完結編その3

マカロニの穴から豆腐の角を見る

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【第31回】続・無影灯の下にさらされて 完結編その3

重金敦之

 初めに。前回の更新が手違いのために二日ほど遅れてしまい、ご迷惑をお掛け致しました。深くお詫び申し上げます。

5月某日 退院前夜になって、突然「肺に水が溜まっている」といわれ、一瞬、退院は延期かと心配したが、不整脈の薬を少し増やすことで決着した。
 まあ、何はともあれ、シャバに戻ることができた。ああ、良かった。早速「出所祝い」の準備に取り掛からなくては。

6月某日 久しぶりに自宅で落ち着いた。本稿の再開原稿の執筆やら、いただいたお見舞いの礼状などに集中。筆が進む、と書きたいところだが、薬の副作用か、無力感とだるさ、食欲不振の気が見られる。

6月某日 ユーチューブなるものはあまり見ない。ガーシーなる人物がどんな内容を投稿しているのか、わからない。興味が無いわけではないが、見ようという気は湧いて来ない。
 将棋の藤井聡太六冠が名人位を獲得し、七冠になったのに関連して、加藤一二三の画像を見たことがある。ユーチューブなるものではないかもしれない。画面の下方に文字がテロップのように表示され、若い女性アナウンサーが読み上げでいる。
 これがひどい代物で、加藤一二三の枕詞といってもいい「神武以来(じんむこのかた)の天才」の「神武」が読めない。「カミ……」と言っているようだが、聞き取れない。まあ、今の若い人には無理もないか。
 その後も、修羅場を「シュラジョウ」、初登場を「ショトウジョウ」と続き、極め付きは将棋の話なのに、局を「ツボネ」と来たものだ。本人は一丁前の「アナウンサー」のつもりかもしれないが、なんともはや呆れて、開いた口が塞がらない。局をつぼねと読めるのだから、まったく無知ではないのだろうが、どこかネジがゆるんでいる。あるいは必要なネジがどこかで消えてしまったのか。
 若い大学生の国語力が落ちているのは、大学の教員をやっていたから百も承知しているが、こんなひどい例は聞いたことが無い。もう50年も前にテレビの野球解説者が突破口を「トッパグチ」というのを聞いて仰天したのを思い出した。
 だけどよく考えてみたら、これは今はやりのAIなんたらで、自動音声変換装置なる代物かもしれない。門外漢だから、まったくの見当違いだろうけれども。

6月某日 「週刊朝日」の休刊は、NHKテレビの「サラめし」に取り上げられたり、大騒ぎとなった。編集部から依頼を受けていた最終号のアンケートは入院前に書き上げ、送信しておいた。やはり、この世の中なにが起こるかわからないから、池波正太郎のように依頼された原稿は、締め切りより前に仕上げておいた方が良い。今さらながら、池波の執筆姿勢に脱帽。

6月某日 その「週刊朝日」の最終号で、東海林さだおが「『あれも食いたい これも食いたい』をどこかで継続したいです」と記していたのには、吃驚した。どこまで本気で書いているのか、歴とはしないが、1986年に築地にあった博多の河豚料亭「やま祢」で、「1年でいいですから」と懇願したのを思い出す。
 数年がかりの交渉だった。木下秀男と池辺史生が同席した。
 当時はこれだけ、長い連載になるとは思いもよらなかった。同じ漫画家のサトウサンペイが「僕もサラリーマンなら定年を過ぎた。もう限界だから、連載を辞めさせてくれ」と会うたびに泣かれたのと、対照的だ。「連載執筆者は、自ら連載中止を言い出すべきではない」という人もいる。「読み物業者」として東海林のプロ根性を見た。連載中に肝臓を一部摘出し、文字通り命をかけて書き続けてくれた。発案者として、冥加に尽きるというものである。

6月某日 朝日新聞出版局で一緒に働いていた柴野次郎と岩田一平と会う。昼間の蕎麦、三人でビール1本。「週刊朝日110年」の企画など。

7月某日 平岩弓枝が亡くなった。「週刊朝日」では『火の航跡』という小説を連載してもらった。夫君の伊東昌輝と一緒に有田の窯元を取材で訪ねたことがある。
 『「御宿かわせみ」読本』(文春文庫)では、「かわせみ」の食文化をテーマにした対談の相手に呼んでいただいた。これも冥加な思い出だ。

7月某日 朝日新聞の「ハグスタ」という「こどもや子育て」についてのニュース解説面で「車内置き去り 自分ごとと考えて」と大きな活字で見出しが躍っていた。いやですね。「自分ごと」という用法が気に障る。なぜ「わがこと」といえないのか。きれいな日本語ではありませんか。「自分ごと」は5文字の中に濁音が3文字もある。濁音がすべて悪いというわけではないけれども。
 「自分探し」や「自分史」という言葉にもあまり良い印象を持てない。いい年をした大人が「自分探し」なんて言っているのを聞くと、虫唾(むしず)が走る。「自分史」なんて気取らなくても、「自伝」で充分だ。
 他人事と書いて、「ひとごと」と読む。それを「たにんごと」と読むのが一般的になり、採用する辞書があるのもおかしい。
 「人のふり見てわがふり直せ」「人のうわさも七十五日」「人の口に戸は立てられない」これらの「人」はすべて「他人」の意味だ。
 誤読の「たにんごと」が主流になり、他人に対する自分ということから、「わがこと」が消えて「自分ごと」に代わったのだろう。

7月某日 腎臓摘出後、初めての検診。内視鏡で膀胱内をのぞく。すぐに診察、「きれいですね、なんの心配もありませんよ」という「お墨付き」を期待していたのだが、そうはイカキンキン(「そうはいかない」の掛けことば。烏賊(イカ)の金玉から、ありえないの意)。「膀胱の内壁に腫瘍が複数あります。膀胱の壁は薄いので、放置しておくと外に浸潤し、遠くの臓器に転移することも考えられるのでなるべく早い時期に切除しましょう。来週入院してください」と言われてしまった。
 ガーン。また入院だとよ。トホホ……。

7月某日 有楽町のマリオン、朝日ホールで朝日名人会。桂文珍の「船弁慶」。古今亭文菊の「猫の災難」、春風亭一朝の「居残り佐平次」も良かった。ほぼ一年ぶり。
 帰路、半年ぶりに学芸大学の「小倉」に寄る。海苔(のり)が高騰している。海苔巻きを休んでいる鮨屋もあるとか。梅雨による長雨の影響だろうか。「鯵が入荷しない」と、店主のカズが嘆いていた。明後日は、また病院だ。

7月某日 大相撲夏場所14日目。大関を目指す関脇の若元春と大栄翔の両者が相次いで、立ち合いに変化した。若元春は惨敗。大栄翔は勝ったものの相手の阿武咲から睨みつけられた。
 取組後、八角理事長(元横綱北勝海)は「こんな相撲を誰も見たいとは思わないでしょう。若元春は勝ち越せばいいのか。来場所に再び、大関昇進のチャンスって言われてもわからない」と激怒した。そこまで言うなら、過去の横綱白鵬(現宮城野親方)の行動についても、厳しく注意すべきではなかったか。立場の弱い力士だけに、言いたいことを言ってもしらけるだけだ。
=この項続く(2023, 8, 2)

▽次回の更新は「お盆休み」をいただいて、8月21日の予定です。

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